僕に捧げられた生け贄がうざったい。
いざ実食されるという段になって、ようやく恐ろしさに身体が震えてきました。
これから私は、龍神様に捧げられる供物になります。
◇◆◇◆◇
「さあ、覚悟はできています……! どうぞお召し上がりくださいっ」
人間たちに”龍神様”と呼ばれるようになって、どのくらいの月日が流れただろうか。
要求もしていないのに送られてきた人間の総数を考えると、もしかしたらとても長い時が過ぎているのかもしれない。
末席とはいえ竜種に名を連ねる僕にとって、時間という概念に意味なんてないのだけれど。
「あまり脂はのっていないかもしれませんが……でもっ、身体は健康なんですっ、病気したことないので!」
僕の住む山脈は、人里から遠く離れている。
それにも関わらず、人間たちは律儀に生け贄を捧げてくるのだ。
いや、頼んでいないんだけどね。
「どうしたのですかっ? ひと思いにパクッといってください!」
生け贄いらないよ、と生け贄を送ってくる人間たちに伝えに行ったこともある。
しかし、どうしても僕の意図が上手く伝わらないようで、やれ生け贄の数が足らなかっただのもっと若い娘を捧げなければだのと大騒ぎで。
けっきょく、たまにしか送られてこないから別にいいか、と諦めた。
「あっ! もしかして、服が邪魔なのでしょうか? うぅ、恥ずかしいですが、仕方ありませんっ……!」
そのまま生け贄の発送元に返すと、倍以上に生け贄が増えたりしてややこしい事態を招くのが明白だ。
だから、最近は送られてきたのと別の方角で、山脈を越えた遠くの地に運ぶことにしている。
もちろん、ちゃんと人間たちが暮らしているところだ。
「あぅ……り、龍神様、どう、ですか……? ちゃんと沐浴を行いましたし、それに私は、きっ、生娘です! きっと美味しいはずですっ」
そっちの方でも僕は崇められているようなので、運んでいった元生け贄たちは手厚くもてなされて幸せに暮らしているらしい。
生け贄になんてならないのが一番いいのだが、自分を犠牲にしようとした場所に戻るよりも数倍はマシだろう。
今回送られてきた少女も、ちゃちゃっと運んであげるとしようかな。
「――って、きみ、どうして裸なの!?」
僕のふもとにいる生け贄の少女は、すっぽんぽんだった。
さっきまで純白の衣服を着ていたはずなのに、それは少女の近くに落ちている。
まあ、ふわふわと雲のように広がる白髪が陽の光で輝きながら、普通だったら見えてはいけない女の子の大事なところを隠してはいた。
しかし、すっぽんぽんだ。
「龍神様が私を食べやすいように、服を脱ぎました!」
せっかく隠れていたのに、少女がえっへんと胸を張ったせいでいろいろと露わになってしまう。
薄く膨らんだ胸からなだらかな曲線を描いて下りていき、きゅっとくびれた美しいお腹。
少女らしい細い腰つきはつるっとしていて、脚まで勢いよくすべすべなのが触らずともわかるようだ。
「えっと……きみのことを食べるつもりはないから、服を――」
「そんなっ!? 私、生け贄として一生懸命頑張りますっ!」
僕の言葉を遮って、裸のままの少女が腹部に縋りついてくる。
見上げてくる顔は子どもっぽいあどけなさを残しつつも、すでに完成されつつある美しさを備えていた。
生け贄の人間たちは綺麗であることが多かったが、この少女は別格だと思う。
竜種である僕でさえ、少しドキッとしてしまうほどだ。
「いや、だから――」
「なるべく美味しくなるように、お野菜をたくさん食べるようにしていましたっ……お肉もちょびっとだけ食べちゃってましたが」
あれ、もしかして話を聞かない部類の人間なのかな?
少女は「お願いします頑張りますお願いします食べて食べて」と僕のお腹から離れようとしない。
というか、肉食べてたんかい。
そこまで必死に生け贄やる心づもりがあったなら、最後まで貫きなさいよ。
「きみ、あのね――」
「たくさん勉強もしたんですっ、きっと美味しい脳みそになっていると思います!」
言葉の通りに自らの頭を売り込みたいのか、少女はふわふわな白髪の頭を僕のお腹にぐりぐりと押しつけてくる。
髪の毛がとてもくすぐったいので、すぐに止めていただきたい。
竜種の威厳を崩さないように笑いを堪えるのが大変だから。
「僕は、人間は食べないんだ」
この少女に話を通じさせるためには、端的に伝える必要がある。
思惑通り、僕の言葉は少女に現状を理解させることができたようだ。
驚愕の表情を浮かべながら、少女は頼りない足取りで後退っていく。
うん、そうだよね、生け贄になる覚悟をしてきたのに意味がなかったなんて、茫然自失してもしょうがないよね。
「さ、さすがは龍神様……『人間としての自尊心など捨てよ、お前はただの肉の塊だ』ということですね! 恐ろしすぎますっ、あっ、お肉が喋って申し訳ありませんっ!」
慌てた様子で、少女は両手で自分の口をむぎゅうとふさぐ。
いやっ、曲解ぃ! なんで? どう考えたらそんな解釈になるの?
生け贄になるために怪しい洗脳でも受けちゃったの?
だが、いままでの生け贄の人間たちはまともだったな、そういえば。
たぶん、この少女がちょっとおかしいだけだろう。
「違う違う、人間は筋張っていて食すに値しない、という意味だよ。牛とか豚の方が、僕は好きなんだ」
そもそも、竜種は食事をしなくてもほぼ永遠に生きていける。
わざわざ不味いものを食べる気にはなれない。
僕が最後に人間を食べたのも、遙か彼方の過去の話だ。
「私、とっても身体柔らかいんですっ……ほらっ、きっと食べやすいと思いますよ!」
「ぶふぅっ!?」
少女が片足を伸ばしたまま、それを抱えるように持ち上げた。
片足で立つ一本の棒のような姿は、確かに「身体柔らかいねすごいね」と称賛したくなるものなのだけれど。
この動作をすっぽんぽんでやっているから、さっきまでの可憐さがなりを潜めていやらしさが上回る。
「とっ、とにかく、服を着よう? 話はそれからだよっ」
「ふぇ? ぁっ、いやっ……!」
僕の指摘であられもない自分の姿に気付いたのか、少女は上げていた足を下ろして、秘部を隠すように屈み込んだ。
改めてよく見てみると、白い髪と同じように、少女の肌は透き通るように白くて滑らかだった。
恥ずかしさによって幾分か赤らんでいても、それがわかるぐらいには美しい白色を有している。
「あの、服を着たら、食べていただけますか……?」
不安そうな表情で、少女はおずおずと僕を見上げて問いかけてくる。
どうして、そこまで生け贄としての責務を全うしようとするのだろうか?
もしかしたら、他の人間たちから非道い扱いを受けていたのかもしれないな。
「可愛そうに……」
僕は、少女と比べたら二回りぐらい大きな顔を近付ける。
なるべく怖がらせないように、ゆっくりと。
「大丈夫だよ、僕は――」
僕の鼻先で、少女は恐怖で震えるのを押さえるように自分の身体を抱きかかえていた。
かと思ったら、バッと僕の鼻先に飛びつき、わっと叫ぶ。
「生け贄になるんだって村のみんなに自慢しちゃったから、このまま帰るわけにはいかないんですぅっ!」
「はぁ!? そんな理由っ?」
あまりの身も蓋もなさに、思わずツッコミを入れてしまった。
というか、僕への生け贄って名誉あることだったの?
勢いよく開いた僕の口に負けじと、しがみついた少女は泣きわめく。
痛いとかないからいいのだけれど、鼻水を僕の顔に垂らすのは止めていただきたい。
「いやぁだぁ食べてくれないと死ぬぅうわぁぁああん!」
「いや、あの……」
少女が赤子のように泣き続けて、その鬱陶しさを僕が我慢する。
そんな時間は、少女が泣き疲れて眠ってしまうまで続いた。
もう少し遅かったら、本当に食ってしまおうかと思ったぐらいだ。
「やれやれ、どうしたものか……」
すやすやと、僕の顔にもたれかかる少女の寝顔を眺めながら独りごちる。
ぜんぜん話が通じなくて面倒くさいし、無理やりに遠くの地まで連れていってしまえばいいかな。
しかし、生け贄になんてならなくていいのだ、という説明はしなければいけないのか。
ちゃんと言い聞かせておかないと、なんだかこの少女はここに戻ってきそうな気がする。
まあ、少女の気持ちよさそうな寝顔を見ていたら、僕も眠くなってきた。
どうするかは、起きてから考えることにしよう。
僕は少女を起こさないように、ゆっくりと眠る体勢を取るのだった。
◇◆◇◆◇
「ぅむ……?」
僕は、寝起きが悪い。
ゆっくり寝ていても危険がないし、起きて即座にやらなければいけないことも皆無だからだ。
しかし、今日はいつもと違う。
寝起きのぼんやりとした頭で、その違和感に気付いた。
なにかが口の中に入っている? 寝ぼけて山の樹木でも食べちゃったのかな?
「むぐぐ、むっ?」
「ぁっ、いたいっ……!」
あん? 人間の、女の子の声?
僕が口をもごもごと動かすと、口元から声が漏れ聞こえる。
でも、人里離れた僕の寝床に人間がいるはずがない。
気のせい、それとも夢、かな……?
「ぅう、龍神様の舌、ざらざらしてる……いっ、いたたたっ!」
僕が舌をれろれろと動かすと、なんだか甘いようなしょっぱいような味が口に広がった。
この味には覚えがある……そう、確か人間の血だ。
そこまで思い至ったときに、僕の頭は急速に覚醒した。
「もごがごごっ、にゃにょぐごっごっ!」
「ぃきゃっ!」
喋ろうとしても、上手く言葉が出てこない。
動かした口の中から、可愛い悲鳴が飛び出す。
バカか、僕は。
当たり前だ、口の中に生け贄の少女が入っているのだから。
「あぁ、ついに……ついに、食べてもらえるのですね!」
寝起きの頭に、感極まったような少女の甲高い声が響く。
視線を下に向けると、僕の口の端から少女の頭だけがでろんと垂れていた。
どうやら、僕が寝ている隙に口の中に侵入していたようだ。
「どうですかっ? 私、美味しいですか? ちゃんと生け贄にふさわしいですか?」
「……にゃろぐにょ」
口の中に血の味が広がっているから、少女は僕のざらついた舌によって傷だらけのはずだ。
それにも関わらず満面の笑みを浮かべていて、むしろ少しだけ怖い。
あと、そんなに詰め寄られたら、美味しいものも美味しくなくなってしまうだろう。
まあ、ちょっとだけ食べてみたいと思ったことは事実だ。ちょっとだけね。
僕は未練を断ち切るように、口の中の少女をべぇっと吐き出した。
力加減が上手くできなくて、少女の身体が二回転、三回転と地面を転がる。
「ぅぐっ、ぐふっ、ぐへぇっ……なっ、なんでぇぇえっ!?」
しかし、もろもろの痛みよりも食べてもらえなかった落胆の方が大きかったのか、血が滲み土埃まみれの少女はすぐさま起き上がり喚く。
「りゅっ、龍神様!? 寸止めだなんて殺生なことをしないでくださいませっ――はっ、もしかして、じっくりといたぶってから味わうのがお好きなのですか?」
「いや、そんな悪趣味は持ち合わせていないよ……」
僕のつぶやきは、感情の昂ぶっている少女の耳には入っていないようだ。
血で汚れた身体を引き摺りながら、僕の鼻先まで戻ってくる。
「大丈夫ですよ、私は! さあ、どこから食べますかっ? 手ですか、それとも足? それとも――えっ?」
自らを食べろと捲し立てていた少女は、突然にきょとんと目を見開いた状態で押し黙った。
一瞬前まで目の前に横たわっていた龍の巨体が、瞬く間に一人の人間に変わったことで驚いたのだろう。
この人間は、龍から変化した僕だ。
「久しぶりだな、この姿も」
上手く姿を変えられているかどうか、自分の身体を見下ろして確認する。
うん、久しぶりすぎてわからないな。
もしかしたら、最後に人間の姿を取っていたときと変わっているかもしれない。
まあ、別に不都合があるわけでもなし、どうでもいいか。
「さて……」
呆然としている少女を見やる。
ふわふわの白髪は陽の光を蓄えたかのように淡く輝き、碧く透き通る瞳の美しさを引き立てていた。
精神は肉体に影響される。
人間の姿になって、一気に少女への愛おしさが増したようだ。
血や土埃で汚れていても、なお放つ妖艶な色香に狂ってしまうかもしれない。
「えっ……も、もしかして龍神、さま、ですか……?」
我に返った少女が、驚いたように口に手をやって問いかけてくる。
その問いには答えずに、僕は少女に一歩近づく。
しかし、少女は僕を恐れてなのか、後ろに下がろうとした。
さっきまでの威勢はどうしたのだろうか。
僕が少女の血の滲む腕を取ると、怯えたように顔を逸らす。
「なぜ逃げる? 食べてほしかったのだろう?」
「いえっ、あの……その、龍神様、お召し物は……?」
少女は恥ずかしそうに、僕の身体をちらちら見ながら言う。
ふむ、この動揺は、おそらく僕が素っ裸であるのが原因か。
魔法で服を作り出すこともできるが、街中に出るならともかく、わざわざ人間の性質に合わせてやることもないだろう。
「僕は、きみに会ったときからずっと裸だったと思うが?」
龍には、服を着なければいけないという決まりごとは存在しない。
だから、別に自分が裸だという認識はなかったけどね。
「そっ、それは龍のお姿だったからで、いまのお姿では……」
消え入りそうな声で、少女は言葉を紡ぐ。
腕を引いた勢いでそのまま抱き上げると「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた。可愛い。
しばしの間、僕の視線から、もしくは僕自身から逃げようと身をよじる少女。
しかし、小柄な少女が逃げられるわけもなく、やがて僕の腕の中に収まる。
「きみも、服を着ていないじゃないか」
「ぁっ……ぁう、そう、でございますが……あまり、見ないでくださいませ……」
僕は視線を下ろして、少女の傷だらけな身体を見ようとする。
すると、少女はぎゅっと僕にしがみついて密着することで阻止してきた。
少女の柔らかな感触が、かえって僕の欲情を刺激する。
「ふふっ、目をつぶったままなにかを食べるというのは怖いだろう? それは僕だって同じだよ」
話している途中に、少女の剥き出しの細い肩が擦り切れて、じわりと血が滲んでいるのが目に入った。
「は、はい……ぇっ、た、食べ――ぁあっ!」
少女の言葉を遮って、僕は血の滲む肩に舌を這わせる。
短い叫びとともに、肉の焼けるような音が辺りに響いた。
僕が舐めた肩の傷口からは、微かに煙が立ち上っている。
多少は痛むだろうが、それも一瞬のことだ。
「ぁっ、つぅっ……えっ? 傷が、治ってる……?」
舐められた肩を見た少女が、驚きの声を漏らす。
僕が傷を舐めて治した、ただそれだけだ。
もっとも、別に舐めずとも触れるだけで治すことは可能なのだけれど。
「龍神様、これは――ぅあっ、ぁっ、ああっ!?」
まあ、余興だ。
僕の舌の動きに合わせて少女が身体を跳ねさせる姿は、生命を感じる情緒たっぷりの景色だからね。
それに、余計な痛みなんかない方が、この少女もきっと食べられやすいだろうし。
肩から胸の方に下りていき、そして逆側の肩へ。
じっくりと舌を這わせながら、僕は少女の傷を治していった。
「――どうした、急におとなしくなって? あんなに騒がしかったのに」
必死に耐えるような表情の少女が愛おしくなり、僕はからかうために言葉を発した。
少女は、ぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開いて、ぼんやりと潤んだ瞳で僕を見つける。
「あの、龍神様……その、私を食べる、のですよね……?」
うわごとのような吐息で、少女は僕に聞いてくる。
傷が持っていた熱が、頭の方に回ってしまったのかもしれないな。
「ああ、きみがしつこく望んできたことだろう? ちゃんと食べさせてもらうつもりだよ」
僕の返答を聞いて、少女は迷子のように目を泳がせた。
揺らぐ碧眼は、まるで本物の海であるかのように揺蕩っている。
「でも、な、なんか意味が……ぅむっ、ぁっ……?」
しかし、だからといって、僕は僕を止められなくなっていた。
とりあえず、またやかましくされたら敵わない。
まだ身体の傷を全て治しきっていなかったが。
うるさく喋れないように、僕は少女の口から食べることにするのだった。
◇◆◇◆◇
私が初めて龍神様の”生け贄”になってから、もう数年が経ちました。
そこで私の人生は終わると思っていたので、なんだか夢の中にいるかのようですね。
「母さま、父さまが起きないぃー」
「あらあら、もう陽もすっかり昇ったというのに、困った父さまですね」
「母さまも手伝ってぇー」
「はいはい、そうだ、みんなで口の中に入ってやりましょう」
「えぇ!? 食べられちゃうよぉー」
「ふふっ、大丈夫大丈夫、母さまはしょっちゅう食べられ……」
おっと、子どもたちの前で変な想像をしてしまいました。
不自然に口を噤んだ私を、子どもたちは不思議そうに見てきます。
えっと……とにかくっ、これでお終い、ですっ!
私たちは寝ぼすけさんを起こさなければいけないので!