ふわふわさん
「やや寒くなってきた。」
すこし大人びた口調で言うのは、今年で6歳になる弟だ。
小さな鼻や、ふっくらとしたほっぺを赤くし、歳の離れた姉である私を見上げていた。
まだ初雪も降っておらず、秋の終わりで冷えだけが目立つこの季節。
「寒いね。」
私は逆に、幼い口調でゆっくりと返した。
「ふわふわの季節だ。」
弟は何かを見つけたのか、走り出した。
口調は堅苦しさを意識しているようだが、やはり行動は子供だ。
私は弟の走り出した方向を見た。
弟は、何かを追うように空中に手を必死に振っていた。
彼の行動を見て、私は空を見上げた。
雪はまだ降っていない。
「何して…」
私は呆れたように弟を見た。
「捕らえた!!捕らえたぞ!!」
弟は何やら嬉しそうに飛び上がり、そのまま私の元に走ってきた。
「ほら!!ふわふわ!!捕らえた!!」
弟は興奮を隠せないように、両手で包むように「捕らえた」何かを私に見せた。
私は何を興奮しているのか分からないが、彼が促すまま手の中の何かを見た。
「え?」
私はそれを見て驚いた。
「ふわふわさん!!」
弟は興奮しながら言った。
実を言うと、私は弟が何を捕まえたのか心当たりがあった。
それは、寒くなると飛びまわる私たちが“雪虫”と呼んでいる虫だ。
正直、コバエに白いふわふわがくっついているだけと思っているが、それが飛び始めると雪が降る前兆だとか、いろんな話が私たちの間ではある。
さらに、その虫を捕まえるか、もしくはつぶしてしまったら雪が降る…などのジンクスのようなものもある。
だが、弟の手の中にあるのは違った。
それは、白いぼんぼりのような、毛玉だった。
「…何?」
私は思わず弟の手の中にあるそれに触れた。
フサ…と、それは見た目通りの手触りだった。
「ふわふわさん!!捕らえたの!!」
いつの間にか幼い口調に戻っている弟は、私が思わず触れた手の中のぼんぼりを見せびらかし、自慢するように言った。
私は思わず首を傾げた。
こんなものが飛んでいたなら、私も見えていたはずなのだ。だが、私はそれを見つけることができずにいた。
「今年も捕らえたから、雪が降るの!!」
弟は興奮するように言った。
「…雪が降るって…」
私は雪虫のジンクスに似ているその話に思わず呆れたが、感心した。
確かに、これだけボリューミーなものを捕まえたら雪が降りそうだった。
ただ、これが何なのかわからない。
私はもう一度触ろうと手を伸ばした。
「あ、かえる!!」
弟は手のひらを見て言った。
「え?」
私はそれの意味が分からず、伸ばした手を止めた。
手を止めた瞬間、その手の中にあるぼんぼり、弟が言う“ふわふわさん”は弟の手の中を離れ、自ら浮き上がるように空中に漂い始めた。
弟と私はそれを目でゆっくりと追った。
ふわふわさんは、まんまるの白いぼんぼりのようなものだった。
だが、どこにも羽が見当たらず、更には風も吹いていない。
ゆっくりと、私たちの頭上、もう手の届かない場所まで漂うように浮き上がり、そこで不思議とピタリと動きを止めた。
私はもう、そのふわふわさんの動きに視線が囚われている。
ふわふわさんは、ゆっくりとゆっくりと膨らみ、気が付いたら、空を覆う雲になっていた。
私たちの頭上だけを覆うような、不思議な雲だった。
ぽろ…と、雲になったと思ったとたん、ふわふわさんは崩れはじめ、空から降ってきた。
崩れて、空から降ってきたふわふわさんに私は思わず手を伸ばした。
私の手に触れた途端、そのふわふわさんの欠片は消えてしまった。
ただ、その儚さや、感覚は私の覚えのあるものだった。
「…雪?」
私は思わず呟いた。
「そうだよ!!ふわふわさんに勝ったからだぞ!!」
弟は私の言葉に満足げに頷いた。
空からは、ふわふわさんが降り続けている。
地面につくと直ぐに消えてしまったが、ふわふわさんは、確かに雪となって降っていた。
空の雲が全て崩れ落ち、消えると思った時、最後の欠片のような雲がふわふわ…と、空を漂い始めた。
それは、弟の手の中にあったぼんぼりのようなふわふわさんだった。
弟はその空を漂ったふわふわさんを追いかけるように少し駆けだすと、立ち止まり手を振った。
「また来年ね!!」
力いっぱい手を振る弟は、大人びることを忘れているようだった。
「…来年…」
私は空を漂い、吸い込まれるように消えていくふわふわさんを目で追った。
今度は、ふわふわさんの消えた空から雪が降ってきた。
私は、もしかして、毎年誰かが“ふわふわさん”を捕らえているのではないか…と、ふと考えた。
「とても寒くなってきた。」
すこし大人びた口調で言うのは、弟だ。
小さな鼻や、ふっくらとしたほっぺを赤くし、私を見上げていた。
私は初雪が降る空を見上げ、冬が始まったこの季節を感じ、弟に視線を向けた。
「寒いね。」
私は、幼い口調でゆっくりと返した。