#2 始まった時には逆走されるながいながい旅路
冷たい風が頬を通り過ぎていく。
ゲートになっていた緑道を、ちびっ子アルテミスの指示通りに進むこと体感五分。今度はそう時間もかからずに、辺りの雰囲気が変わったことに気が付いた。
ざらざらとした地面で、少し滑った。
何を踏んだのかと思って地面の方を見ると、潰された雪が延びていた。
さっきまでツツジの低木だった道脇の茂みにも、雪が積もっている。
雪だ。
さすがに小学生じゃないから、雪があるってだけではしゃぐ、なんてことはしないけど……それでも少しだけ心躍る、ような気がする。
そう思いながら、異世界に浮かれ気味に歩いていると、大きな石につっかかって正気を取り戻した。
いつの間にか足元の道も、ごつごつとした四角い石が並べられただけの道に変わっている。
スマホの地図アプリで場所を確認……しようと思ったけど異世界にネットは無いか。いや、さっきも使えてたし、もしかしたら、使える世界もあり得なくはないだろうけど、少なくともこの世界じゃ使えなさそうだね。繋がらないみたいだし。
しばらく歩いていると少し大きな道が、いま進んできた道を遮った。
さて、するとどっちに進むかなんだけど……左は深い森、右は森の出口の光が差し込んできている。僕が迷わないように、アルテミスがゲートの場所を調整してくれたのかな?
ここで森の出口に行かないほど僕は捻くれ者じゃない。だから……
「てめぇェやりやがったなぁァァァ!!!」
野太い怒声が耳を貫いた瞬間、反射的に僕は左に走り出してた!
手頃な茂みに飛び込んで様子を見ていると、青い服の人が武器を持った二人の男と対峙している。片方は短剣、もう片方は……あれは何だろう?こん棒にトゲのついた鉄球が付いた武器を持っている。きっと盗賊か何かだろう。
青い服の人も武器を持ってるみたいだから、通りがかりの冒険者か傭兵か……似たようなものだしどっちでもいいけど……
それでさっきの怒声は、盗賊が一人やられたってことかな?盗賊らしき人がひとり、剣を構えた青い服の人の脇に倒れている。
一見すると残る敵は二人だが……不自然に揺れる木。何かと思ってよく見てみると、弓を持った四人目の盗賊が木の上から青い服の人を狙っている。帽子で隠れて目線は良く見えないけど、青い服の人の顔は目の前に立ちはだかる二人の方にしか向いてない。
木の上で目一杯に引き絞られる弓。変わらず、剣を二人の盗賊に向ける青い服の人。これは気がついてないか!?まずい!
「後ろ!!」
咄嗟に僕が叫ぶ。
「えっ!?」
「なにィ!?」
突然の僕の声に、青い服の人と盗賊の二人組がそれぞれ後ろを振り向く。
一呼吸おいて隠れていた茂みから飛び出し、教科書や問題集、辞書など鈍器が満載の通学カバンを短剣を持っていた盗賊の後頭部にたたきつける。
「ぐわぁっッ!」
盗賊が地面に崩れ落ちる。
「兄貴ィ!?」
神様加護すげぇ、十五キロはある肩掛けバッグをあんな軽々と振り回しちゃったよ!この僕が!
体型の割には重い物を持てるのが数少ない特技だったのに、それを軽々超えてきたよ!
って僕まで驚いてる場合じゃない。青い服の人に四人目の事を知らせないと!
「木の上だ!弓持ち!」
叫びながら、もう一人のナゾの武器を持った盗賊に、今度は正面から十五キロバッグを全力投球!
「ぐふぇっ!」
盗賊が落とした武器をすかさず拾い、すぐさま弓持ち盗賊のいたところ目がけて、さっきの要領で超速達でお届け!
木の上の弓持ち盗賊もほぼ同時に引き絞った矢を放つ。青い服の人ではなく僕めがけて……!
「危ない!!」
青い服の人が叫んで……
え、僕?
それもそうか、二人も仲間を倒したんだからあたりまえだよね。
そんな事言ってる場合じゃない!
直線上には何らかの加護で見えるようになった矢が、少しだけゆっくりとした動きで見える。でも別に身体強化をしたからって矢の飛んでくる速度が変わる訳じゃない。
僕の持ってた唯一の武器、兼防具のバッグは考え無しに投げられたせいで盾にできない。
何とか矢を避けようとしたけど、何故か体が言う事を聞かない。
文字通り目の前まで飛んできた矢、反射的に左手で庇う。
「いっでぇっッ!?」
手が!俺の左手が!
滅茶苦茶痛い!!矢が刺さったんだからそりゃ当然だ!
正直弓の威力舐めてた!仮にも武器。敵は相手を殺すための物を持ってるんだから、生半可な気持ちでチート無双を考えるなって事か!どーでもいいけど痛ぇ!
でも何が良かったのかは知らないけど、手の甲に刺さった弓矢は貫通しなかった。それはそれでヤバイとは思いつつ、刺さってるのはたかが手の甲、命の危機じゃないし、右手でもないのがせめてもの救い。
左手はもう駄目かも知れないけども……中指なんかもう真っ青で感覚もなくなってる。
激痛でのたうち回っていた僕の目に、弓持ち盗賊の姿が飛び込んできた。
そこへ丁度、投げた武器が盗賊の顔に直撃。ドッチボールならセーフだけど鉄球じゃきつい。三メートルはあろう木の上から盗賊が落ちってった。あれはただじゃ済まないな。少なくとも弓矢の痛みの比じゃないだろうけど……痛ぇ……
盗賊に襲われていた青い服の人が駆け寄ってくる。
「君!大丈夫!?」
同年代くらいに見える、その小柄な少年(にしては声が高いような気がする?)が声をかけてくる。
けどそれどころじゃない!
左手がヤバいから取り敢えず応急処置だけでも早くしたいってのもあるけど、直感だけどすぐに矢が飛んでくる気がする!森に居る盗賊が一組だけしか居ない訳がない!
盗賊相手なら逃げるのは森の外か!?
「まだ来る!森の外まで走れ!!」
「え?きゃっ!」
短剣とバッグを一緒に肩に掛けて、少年の手首を右手で掴み、来た道を走り抜ける。
直後、僕達の居た所に二、三本矢が飛んでくる。
予感的中!
やつらの仲間なのか別の盗賊なのかまではわからない、けどあのままあそこにいたら五分と経たずに異世界生活が終わってた。
「出口はすぐそこだ!走れ!!」
下から数えるほどじゃないけども、どちらかというと足の遅い方だった僕は、走ってる自分でも爽快なスピードで森の外に走り抜けた!
「だ、大丈夫でしたか?」
肺に刺さる草原の冷たい空気の中で息切れしながら、少年に尋ねる。
予想通り、盗賊も森の外までは追いかけては来なかった。これもなんとなくだったんだけど、盗賊って見通しの良いところで戦いたくはなさそうなイメージだったから……。
「そっそれよりも先!君の手!」
この少年に言われて思い出した、刺さりっぱなしの弓矢。途中からアドレナリン大放出だったから全く気にしてなかったけど、言われてから左手に激痛が戻って来る。
あわてて左手を抑えて力いっぱい弓矢を引き抜く。
矢は深くは刺さってなかったのか、案外痛くもなく簡単に抜けたけど血が止まらない。今までこんな傷を体験したこともないし、左手は滅茶苦茶痛いのに、中指が何も感じない……余計に焦る。
もう駄目か……と諦めかけた時、少年が「私に任せて」と言うと、羽ペンと七色のビー玉をとりだして空中に何かを書き始めた。
ん?
一瞬、感じた僕の違和感をよそに、少年は空中に何かを書いていく。
羽ペンで黄色の輪を描き、内側に青色の三角形。さらにその内側に茶色の逆三角形を描き、最後に白い丸ですべての図形を囲む。
すると空中に描かれた図形が一か所に集まり、淡いピンク色の光になった。
この光を少年(?)が軽く弾くようにすると、ゆっくりと動き出して僕の手の傷口に引き寄せられていく。
光が手にあたると、左手に一瞬熱さを感じて、そこにあったはずの傷口がなくなってた。
痛みがなくなったのもだけど、さっきまでは動かなくなって手遅れ状態だった中指も、何食わぬ顔で動いている。
「今のは……?」
魔法があるってアルテミスには聞いてたけど、これなのかな?なんかイメージしてた、呪文を唱えるようなやつじゃなかったけど……
「ちょっと雑だけど生命の魔術式、どう?治ってる?」
確かめるように左手を軽く握ってみる。特に変な感じはしない。逆になんともないことに違和感があるぐらい。
「うん、大丈夫そう。ありがとう」
「こっちこそ、助けてくれてありがとう。君……えーと名前、聞いて良い?」
言われて初めて気が付いた。どうりで相手の名前がわからないわけだ。
「そういえば紹介まだだったっけ、僕は戸部優人。君は?」
僕が尋ねると、少年は帽子のつばを持ちあげ、ようやく顔がはっきりと見えるようになった。
「私はセリエ・リリエルカ。ルギスギルド所属の冒険者……と言うより何でも屋ってとこ?ちょっと前まで採掘任務で鉱山にいたから鉱員ですっていえるかもね」
同年代ぐらいの女の子。
なんか違うな、とは思ってたけど『少年』じゃなかった。でも、服装はデニムっぽい頑丈そうな素材のジャケットに、少し大きめの帽子で作業員のイメージそのものって感じ。……かわいい。
いやそれも大事なことなんだけど……僕のお腹が鳴って思い出せた、もっと大事なこと。
「その採掘任務ってギルドで受けられるものなの?」
手持ちは日本円のみ、売店で毎日の食事を賄ってた僕の手持ちの飲食物は、500mlペットボトルに入った『どこかの森の水(110円)』だけ。
一日二日なら食べなくても大丈夫、って誰かが言ってた気がするけど、このままだと食料システムのあるゲームの初心者みたいに食糧難へ一直線。転移して一週間経たずに飢え死になんて嫌なので、食べ物の入手を安定させなきゃいけない。
「採掘任務なら、その場でも受けられるけども……もしかして依頼とか受ける気ある?」
期待するような口調で聞き返すセリエ。あれ?これはもしかして受けちゃいけないパターンかな?
「なんか嬉しそうなのがちょっと気になるんだけど……まぁ……」
ちょっと判断が付かない僕は、どっちつかずの曖昧な返事。
そんな僕に対して、セリエは目を輝かせながら説明する。
「そりゃそうよ!どこのギルドも冒険者が増えるのは大歓迎なのよ!最近じゃ、一つ依頼をこなしても、すぐ次の依頼が来ちゃうし……すごい所だと、十人も冒険者が居ないのに、朝来てみたら、依頼が倍に増えてましたーなんてこともあるんだってよ?」
倍に増えるって……依頼、多すぎません?でもそういうことなら大丈夫……なのかな?
うーん……
「それで、依頼が溢れかえって大変だから、冒険者は一人でも多い方が良いってことなんだ……なら受けよう……かな?」
困ったら神頼みってことで。
「決まりね!じゃあトブもルギスに行くって事でオッケー?」
「戸部、ね。それに優人の方が名前で戸部が苗字」
トブって……確かに居そうだけどもさ、二人しかいないから僕の事を言ってるのは分かったけど。
「姓、名の順なのね。でもユシュティ人……かしら?髪も目も黒だけど……ちょっと違う感じよね……でもまぁ、別にどこでもいいわよね」
セリエが覗き込むように顔を近づける。近い近い近い。僕も健全な男子の端くれですから嫌でも心拍数が上がる。
グゥ~
そして、そんな僕の気持ちはお構いなしに、胃が空腹を抗議する。
「なに?お腹空いてるの?ってそりゃそうよね。そろそろお昼頃だし、朝からあんなに走ったんだもの」
「……恥ずかしながら」
一応言い訳させてもらうと、僕の腕時計によれば今の日本時間は午後七時半。寄り道してなければ、そろそろ家で夜ご飯の時間だ。
ついでに運動慣れもしてないのに、突然、盗賊相手に戦う、そして全力ダッシュで逃げる、なんて事したからそりゃお腹も空くでしょ。……体力的に。
「じゃあ町に着いたらご飯ね。森を抜けたらルギスだからそんなに遠くはないわよ」
「りょーかい。って僕、お金持ってないけど……」
「剣があるでしょ?盗賊がもってたやつ。それを売ればいいのよ。それなりの値にはなるわよ、とくにこの辺じゃ」
なるほど、戦利品システムってやつだ。でも、ファンタジー世界で丸腰ってのは、問題なんじゃ……?
「そうすると逆に武器がなくなって……」
「あんたのそれ、武器じゃないの?振り回してたからフレイルか何かだと思ってたけど」
それ、と言ってセリエに指さされる、僕の通学用のショルダーバッグ。中身を入れ替えるのを横着してほとんど全科目の教科書、ノート、辞書、問題集なんかが満載で結構重くなってる。重さもそうだけど見た目が……直方体、ハンマーの頭みたいになってる。
って言ってもこれが?
「これが……武器?」
「違ったの?でも、それでも大丈夫でしょ。盗賊相手にあれだけ戦えるなら、普段使うのにも問題ないでしょうし」
こうして通学カバンが僕のメイン武器認定を受けたのだった。バッグとその中身も、まさか異世界に来て、武器として第二の人生ならぬバッグ生を歩む、とは思ってもみなかっただろうなあ。