核心的な課題
課題。或いは宿題。
それは学生が家庭での勉強時間を確保し、勤勉であるための教師達からプレゼント。置き土産という方が合っているかもしれないが。
学生にとって苦痛になることも多いものだが、それでもやっぱり最後には力を養うことができる。などという理由で、金曜日には多めに出されたりする。とりわけ、長期間に及ぶ休業である夏休みには量が増える。勿論、手に終えなくなる学生も多数いるだろう。
リビングダイニングにあるテーブルに鎮座する、妹の隣に座ったハルトは、ペンを取りだしながら尋ねた。
「お前、何年生だっけ?」
「ひどいよ、忘れないでよね!」
突き上げられた2本の指を確認し、ハルトは思考を巡らせる。なにしろ、もう2年も前のことだ。その時期に何をやったのか、細かく覚えてなどいない。
「……で、どこだ?」
「ここだよ、えっと、接弦……定理?」
そう言って示されたのは平面図形のページ。いくつかある大問の中から3つほどピックアップされている。
ところで、鉛筆で大問を囲むのは人類共通なのだろうか。
「悪い、俺は平面図形は苦手なんだよ。できれば違う分野で頼む。そうだな、関数なんかは得意だと思うけど」
ハルトの高校に入って1学期目の成績は数Aよりも数Ⅰの方が良い。中学の時から図形の問題はあまり解けていなかったようで、改善はされていない。因みに、立体図形の方が出来が悪い。
「じゃあさ、チェバの定理教えてよ。メネラウスとはどう違うの?」
「おい、お前人の話聞いてたか?だいたい、そんなの中2でやることじゃないだろ?」
「ここよく見て、“応用問題”って書いてあるでしょ。やる子はもうやってるんだよ。意識高い系女子だからね、わたし」
「そーですかー、よかったですねー。わースゴイスゴイ」
「なんで半眼なのさ、しかも妙に抑揚ないし!」
「ソンナコトナイヨ、ホントスゴイナー」
「2回目?流石にもうウザいよ、おにーちゃん」
ため息を漏らし、ハルナは頬杖を突いてつまらなそうに広げたテキストを睥睨している。元気がなさそうだ、と思ったのはハルトのいき過ぎた気まぐれからか。
「もう数学はいいよ。てゆうか、何なら教えてくれるのさ、おにーちゃん?」
「理科くらいしかねぇよ。言っておくが、国語は絶対にムリだからな。“心情を読み取れ”とか本当に苦手なんだ。“明確な1つの答え”ってやつも無いしな」
「じゃあ地震とか?」
「そうだな、無難だ。多分大丈夫だと思う。……ああ、懐かしいよ、もう2年も前なんてな。あの頃は初期微動継続時間って書くたびにムカついてたな。長ったらしくて」
「それは確かにそうかも。わたしも腕が疲れるから嫌なんだよね」
頷いたハルナは、そっとハルトの顔を見つめる。
「どうかしたか?学校、明日からだろ。さっさと宿題なんか終わらせちゃえよ、俺みたいになるぞ」
「これ、塾の宿題だから大丈夫だよ。誰かさんと違って、夏休みの課題が終わらなくて先生達に謝りまくる、なんてことにはならないからさ。あと、その自虐ネタ全然面白くないよ!」
「すまん」
「……もういい?そろそろ問題処理に入りたいんですけど」
取り出した理科のテキストが開かれる。P波とS波の計算らしい。シャーペンの先で問題の番号をつっ突いている。
「そんなの計算しなくてもいいだろ。これは俺の経験則だが、S波の速度は80%の確率で3km/sでP波の速度の半分だ。たまに3.5とか4の時があるから注意が必要だけど、テストじゃない時は問題文無視して3って書いて大丈夫だ。少なくとも、俺はそれで通ってた」
「駄目だよ、そんなの!ちゃんと計算してよ!」
「やっと元気になったな、お前」
「誰のせいで疲れてると思ってるのさ、まったく……。ねぇ、ここ解き方は分かるから代わりに計算してよ、アイス奢ってあげるからさ。ついでにB地点の震源からの距離も出して、お願い」
「お前の中で“手伝ってもらう”=“やってもらう”なのか?まぁ、どっちでもいいか。確かにわり算するだけでそれは美味しすぎる。わかった。なら、バニラのハーゲンでよろしく頼むわ」
シャーペンを手に取り早速、式を組み立てていく。報酬を考えれば、案外苦ではない。ハルトはそう思うことにした。
そんなハルトの隣で、宿題をやるべき当の本人は欠伸をしていたのだが。
「ねぇ、おにーちゃんはさ、今日は巫さんと会うんだよね?」
「ああ、5時に最寄りの駅でな。後少しで家出るから、あんまり時間ないぞ。自分でも進めろよ」
「それってさ、デートだよね!ね?そうでしょ、おにーちゃん!」
「そ、そうじゃねぇ!単にあいつが花火大会に誘ってくれただけだ!」
「……やっぱりデートじゃん。てかさ、なんで声荒げてるの?も・し・か・し・て~うんうん、そうだよね。おにーちゃん、ナギさんのこと好きでしょ?幼なじみだもんね!わかるよ。お熱い夜にね、頑張って!」
「違うわ!」
クスクスと笑うハルナの瞳にはまだ少しだけ、可愛らしいあどけなさが残っていた。オレンジ色の夕日が彼女の輪郭を照らし出す。けれど差し込んだ斜陽は、同時に傾いた陰も作っていた。その光とのコントラストは、笑顔に消えてしまいそうな淡さを、可憐さを映し出していた。
「もう夏休みも終わりか……」
「なんだ?寂しいのか?」
「いや、そうじゃなくてさ……。ほら、お父さんもお母さんも仕事が忙しかったじゃない?今年は家族みんなで旅行とか行けなかったから」
「寂しいのか、なるほど」
「馬鹿にしたでしょ!その小動物を愛でるような、気持ち悪い微笑みはやめて!ほら、問題を解く手が止まってる!」
「間違っても、それをお前が言うな」
ハルトは机を軽く叩き、そっとハルナを睨む。しかし、口笛を吹く妹には聞こえていないようだった。
「最近、なーんか無気力だよね。おにーちゃん」
「ん、そうか。確かに言われてみればそうかもな。進学して生活のサイクルに慣れてないからとか、そんなもんじゃないか?自分で言うのもなんだけどな」
「部屋にいることも増えたみたいだし、本当に大丈夫?体調が悪そうとかはないけどさ、カウンセリングとかもあるんだよ?」
「急になんだよ、俺がそんなに病んで見えるのかよ。いきなり過ぎてよくわかんねぇし」
「ごめん、なんでもないの。思い過ごしだったみたいだから」
「いや、自分でも思い当たる節が多いからな。心配かけたなら、ごめん」
首を大きく横に振り、ハルナは掌を顔の前で合わせた。謝罪のつもりらしい。
「ほら、ここの問題終わったぞ。アイスの件、忘れんなよ?じゃあ俺は、そろそろ時間だからもう行くわ、戸締りよろしくな。」
背を向けて片手を振り、玄関へと急ぐ。木製の床を踏みつける音が響いた。
スニーカーを履いたハルトは玄関を開ける。やっぱり夕暮れの太陽は眩しい。咄嗟に手の陰で顔を覆い、家の外へと踏み出す。
その後ろでハルナが声をかけてきた。適当に返事をしたハルトは一気にスパートかけて走り出した。まだまだ季節は夏なのか、湿気を含んだ風が吹きつける。
パタン、と玄関の扉が閉まった。
更新ペースを上げられるように頑張ります。
放置してた訳じゃないです。




