アイスは溶けていく
冷蔵庫に辿り着くと、ハルトは冷凍庫を開けた。中には、凍てつくような冷気が立ち込めていた。そして、それだけだった。詰まる所、何もなかった。
「……ん?」
微笑を湛えた口元に、だが戸惑いの色はやはり濃く__。
ハルトの家族構成は、ハルトに両親、そして妹のハルナの4人だ。しかし、長期休みなどない両親は朝早くに仕事へ行ってしまった。つまり、家にいたのは、ハルトとハルナのみである。ハルトが食べていないので、アイスを食べられたのは妹のハルナだけである。
いわゆるラノベで語られる妹キャラとは違い、現実の妹というのは長くいっしょに居るとなかなかに憎たらしいことが多い。
それでも無い袖は振れないので、ハルトはどうすることもできず、ただ1人重いため息と共に冷蔵庫の前をあとにする。
「あ、おにーちゃんだ!」
「……あ?」
そこには、包装されたアイスを右手に持ったハルナがいた。今にもアイスを包む袋のギザギザした所を破ろうとしている。因みにそのアイスというのはスティックタイプ。アイスバーだ。商品名で『バリバリ君』と謳っている通り、バリバリとした食感を楽しむためにかじりつき頭痛がする、というのが定番コースとなった氷菓子である。もっとも、ハルトはそんな食べ方はしないが。
「どったの、おにーちゃん?」
「自覚がないとは、やるな。我が妹ながら、全くどうしたものか……。いいか。一応聞いておくけどそのアイス誰のだ?お前昨日食ってたよな?」
「うん。でもあったんだもん!ほら~今日は暑いでしょ、気象予報士の人だって熱中症に注意って言ってたよ。それにやっぱり、あったから食べるんだよ。食べなかった人の分まで感謝を込めてゴミになる危機からアイスを救うの!」
「やけにテンション高いな……。まぁなんでもいいけどさ、それ、お前が食べたいだけだよな。そういう理屈っぽいのは嫌いだよ。二重で同じこと言ってるし。なぁおい、それ、俺のアイスだからさ黙って返せよ!」
「それも1理あるか、じゃあさ、私から取ってみてよ。うぅーんそうだな……。ポッキリーゲームしようよ!ねぇいいでしょ」
ポッキリーゲーム。それは禁断の遊びである。
男女のペアが番となり、対象物を左右から食べ、そして唇が触れ合う寸前でポッキリとする_____。
勿論、ハルトにそれを耐える精神力など備わっていない。なにしろ、兄妹間でなどとハルトのプライドを傷つけるだけだ。
関心すらない、ふりを装うハルトは大袈裟にあしらった。
「それも結局は自分が食べたいだけだろ。お前もうちょっと良い方法考えろ。それとな、妹に少しばかり艶かしく言われても、さすがにナイわー。あり得ない・成し得ない・起き得ない!」
「……やっぱり、ダメ……だよね」
なにやら上目遣いまで始めたハルナに、しかしハルトは極限に冷静な理性と本能、つまり魂全体で。息を吸い込み、鼓動の安定を確認してから口を開いた。
「うん、ナイ!」
舐められたと怒りを煮えたぎらせるハルトに、1方で凍えた眼差しのハルナに反論などできず。右手に握ったアイスの袋がゆっくりと床に着地した。結露した袋の帯びた水滴がハルトの足下を濡らす。床が濡れると、素材である板が腐る可能性があるので、ハルトはアイスをつまみ上げ食べることにした。落下した衝撃からか。無傷とはいかない中身は右上の角を砕いて、溶けた表面を光らせていた。それでも元来の強度からか、殆ど崩れていないそれはハルトが食べる分には充分だった。甘いソーダの風味がハルトの口に広がる。
「そーだ、お兄ちゃん、昼過ぎからずっと部屋籠ってたけどどうしたの。珍しいよね、なんかさ」
ハルトは憂鬱な過去を思い出す。ただ画面を見つめ消えた時間を、けれど戻ってはこないあの時間を。だが、まさか妹に自分がゲームを始めるなど言えず、誤魔化すように愛想笑いを浮かべて勉強していたと、告げた。これも全くの嘘ではない。事実ハルトは、わずかながらも勉強をしていた。
「じゃあさ、私に勉強教えてよ」
「あ……なんかお腹痛くなってきた、ハルナ、ちょっと待ってて」
「待たない!逃げるな~!……てかお腹壊すなら、アイス私にくれてよかったじゃん」
適当にトイレで時間を稼ぎ、部屋へと戻ったハルトは、扉を閉めて椅子に座る。エアコンは消していなかったようで、本当にお腹を壊しそうだった。一向に進まないダウンロードを諦め、パソコンの電源を落として独り佇む。しばらくして立ち上がると、冷房を切った。薄暗く寒い部屋から筆記用具を持ち出し、ハルトは駆け足で妹の元へと戻った。




