第3話 下
衣を着がえた俺たちは美女の先導で卓へと向かった。
「私の名はイェルナと申します。みなさま方のお世話をさせていただきます」
彼女はふりかえり、俺と目を合わせてほほえんだ。どこまで世話してくれるのか――これは追い追い確かめていきたい。
「兄上――」
熊羅が俺の袖を引き、ささやく。「あの服、短すぎませんか」
確かに前を行くイェルナの衣は短い。短すぎて脚のつけねが見えそうだ。
「しかし世の風俗というものは時代や場所によって変化するものだ。いつかああした衣を着た女子衆が町を闊歩するようなことがあるやもしれぬ」
「そんなのエッチすぎます!」
「そうだな。ちと妄想がすぎたか……」
イェルナの後姿にはそうした妄想をかきたてるものがある。金色の髪を編みこんで頭に巻きつけ、その末は左右に細く垂らしてあった。襟を大きく開けて肩を見せており、その肌を揺れる髪が撫でる。小ぶりの尻も俺を誘うように揺れる。
「さあ、こちらの席にどうぞ」
導かれるままに卓に就くと、熊羅は大きな肉の塊にかぶりついた。よく嚙まず呑みこもうとするので喉につっかえてしまう。
「これこれ、落ちつきなさい」
さて、俺の方も何か食べようかと卓の上を眺めわたした。白くて丸いものがいくつものった皿に目が留まる。
「西域を旅したときに食べた羊肉饅頭を思いだすなあ」
ひとつ取り、かじる。皮の中から熱々の肉汁がこぼれでてくる。
「こ、これは……あの饅頭そのものではないか……」
さらに他の皿を見てみる。串に刺さった焼き魚に気づく。
「あれは……まさか……」
つかみとり、むしゃぶりつく。苦い内臓の中に川苔がほのかに香る。
「鮎の塩焼きだ~。故郷のご馳走だぜ」
俺は時空を越えて、山深い里の生家に帰ったような気分になった。
「お飲み物をどうぞ」
イェルナが小さな碗を卓に置く。その中には緑色をした液体が入っていた。
「ま、まさかこれは……ペロッ……ち、ち、ち、茶だァ~ッ!」
唐土に行って一番うれしかったのは、茶を飲めたことだ。もちろん貴重品ではあるのだが、老師のお出かけのお供をすると、ご相伴にあずかることができた。
日本ではとんでもなく高価なものなので、旅の雲水の口に入ることなどありえない。
それを一口含むだけで、俺の胸は唐土留学10年間の思い出でいっぱいになった。
「唐土で飲む、いつもの味。俺にとって新鮮味がないことが成功の証だと思う」
イェルナに感謝を表しつつ、おかわりを要求する。彼女は笑いながら新たな1杯を注いでくれた。その最後の1滴が落ちるのを待ちきれず、俺はお口で碗を迎えに行って思いきりすすりこんだ。
「ジュルッ、ジュルルルッ……はあ……ジュルッ」
「兄上、落ちついてくださいよ」
鳥の丸焼きをかじる熊羅に笑われる。
だが茶というのはこれほどまでに人を狂わせるものなのだ。
「夢、サイコー!」
俺が空になった茶碗を高く掲げると、他の者たちもそれぞれに杯を持ちあげ、我々がいまいるこの夢を称えた。
みな腹がはちきれるほど食ったところで、イェルナに案内されて風呂へと向かった。
「やややのや!」
俺はまたもや面食らってしまった。
それは風呂というよりも湖のような大きさだった。立ちのぼる湯気で向こう岸が見えない。
「このお風呂のお湯は温泉で、万病に効きます。ぜひ入ってみてください」
イェルナにいわれるまでもなく、俺たちは「夢サイコー」と口々に叫びながら衣を脱ぎすて、湯に飛びこんだ。
みな肩まで浸かって「あ~」と声を漏らす。
「怪我もよくなるのではないか」
俺が声をかけると大男は、
「目がさめたときには治ってるかもなあ」
といって笑った。
熊羅が泳ぎだす。やたらと水飛沫はあがるが、ちっとも前に進まない。
「どれ、見本を見せてやるか」
俺は優雅に水を掻いてみせた。
「兄上、うまいですねえ。よし、私も」
熊羅も真似して泳ぐ。
「よしよし、いいぞ」
そうやって泳いでいき、気がつくと沖に出ていた。
俺は立ち泳ぎに切りかえ、あたりを見渡した。元来た岸が見えるだけで、対岸はいまだ影もない。
「この風呂は広いのう。ありえぬほどに広い」
「夢ですからねえ」
熊羅が湯を口に含んでぴゅっと吐く。
「それにしても広すぎる。何やら不気味だわい」
俺たちは引きかえすことにした。
「あったかくて気持ちがいいですねえ」
「まるで寝小便を垂れる直前の夢だ」
たどりついてみると、例の4人はいなくなっていた。
「あれっ、おかしいですねえ」
「あやつらも泳いでどこかに行ったのだろうか」
ふたりしてあたりを眺めわたしていると、イェルナがまたもしゃなりしゃなりと歩いてきた。
「お坊様、マッサージはいかがですか。他のみなさんも施術を受けられましたが」
どうやら彼らはこの場をあとにしたようだ。
「では俺も受けるとしようか」
「私も受けたいです」
熊羅が湯からあがろうとするのをイェルナが手で制した。
「ごめんなさい。これは男性専用なんです」
「ちぇっ」
不満顔の熊羅を残し、俺はイェルナに連れられて小さな室へ入った。
中央に石造りの寝台があり、その上に寝かされる。仰向けになった俺の体にイェルナが香油を塗る。肌を撫でる手が快い。俺は手拭で隠してある部位が盛りあがらぬよう手で押さえた。
「それでははじめていきますね」
イェルナの細い指が俺の肉を揉む。それが気持ちいいというのもあるのだが、彼女の服が汗に濡れて肌がうっすら透けるので、これまた股間に響いてしまう。
「手をどけてください」
彼女の手が手拭の下へと滑りこむ。俺はあわてて起きあがった。
「待て待て。こんなところもするのか?」
「ここはリンパが集まっているんですよ」
「琳派?」
何だかよくわからんが、専門用語を出されるといいかえせなくなってしまう。
「みなさんやってますから」
「それならまあ……」
押しきられる形で俺は手をどけた。
彼女の指はかなりきわどいところまで攻めてくる。見ると、俺の宝塔は屹立し、手拭では覆いきれぬほどになっていた。
「失礼しまーす」
そういって今度は俺の尻を持ちあげる。俺は体を折りまげられ、開脚したまま肛門を天に向けるという屈辱的なかっこうになった。
イェルナは肛門から宝玉にかけての柔らかいところを指でぐいぐいと押す。
「そこも?」
「リンパですから」
「琳派かあ……」
なかなか人に見られることのない部位を見られ、触れられることのない一帯を触られている内、俺の体に異変が生じてきた。
「あっあっあっあっ……」
「気持ちよかったら声を出しても結構ですよ」
彼女の指が俺の肛門周辺を刺激する。
「あっあっあっあっ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」
「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺は自分のあげた声に驚いて目をさました。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ何何何?」
熊羅もとなりの寝台で跳ねおきる。
俺は体を起こし、暗い室内を見まわした。
「夢か……。おかしな夢を見た」
「私もです。でもどんな夢だったのか思いだせません」
「俺もだ。揃って変な夢を見るとは奇遇だな」
「ところで兄上、何にそれほど驚いたんですか」
「わからん。でも何か違和感が――」
俺は掛布団を持ちあげ、その下をのぞいた。「あっ……寝雲固をしてしまった!」
「寝雲固じゃ仕方ないですね」
便所に行くため室を出る。熊羅も小便をするといってついてきた。
暗い廊下の向こうに何者かの気配があった。俺たちに気づくと階段をおりていく。
「いまのはここの奥さんですね」
熊羅が鼻をうごめかせる。
「あの少年の母親か。ふうむ……」
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっとな……」
あの若妻に出くわしていたら寝雲固のことを説明せねばならぬはめになっていたかもしれない。俺はそれを免れたことを仏に感謝した。
翌朝、朝食の支度ができたというので俺と熊羅は食堂に出向いた。
下帯を夜中に洗濯したので衣の下はぶらり珍道中だが、ばっちり二度寝キメたので体調はいい。熊羅もあいかわらず元気だ。
「昨日、夢の中でおいしいものをたくさん食べたような気がします」
「俺もだ。だが何を食ったのかは思いだせん」
遅れて修道会の3人が食堂に入ってきた。
俺は彼らの顔を見てぎょっとしてしまった。
「おぬしたち、6年間苦行を続けた釈尊みたいにげっそりしとるのう」
3人とも、頬はこけ、目は落ちくぼみ、昨日までの彼らと同一人物だとは信じられぬほどだった。
「我々にもどういうことなのかわからんのだ」
ゆるふわ衣がいう。「朝起きたらぐったりと疲れていた」
「あの少年は?」
「我々より悪い。今朝は床を離れられぬようだ」
「うーむ……」
俺と熊羅が食事をとる間も彼らは食欲がないのか何も食わず、ただ水だけをすすっていた。
食後、応接室に行きヘルニッヒと作戦会議をする。
「いったいどうなっているんだ!」
ヘルニッヒは荒々しく床を踏みならしながら歩きまわった。「悪魔を退治できるというからあなたたちを呼んだ。それが逆に悪魔の餌食になるとは。何てざまだ」
「返すことばもありません」
修道会の3人はうなだれている。
ヘルニッヒはこちらに視線をよこした。
「こちらのお坊様は昨日とかわりないようだ」
「枕がかわっても眠れる性質でね」
俺が戯言をいっても彼は笑わない。
「ひょっとしたら……悪魔は息子でなく、あの部屋に取りついているのではないか」
ヘルニッヒがいうと、ゆるふわ衣がうなずいた。
「私もそれを考えました。今夜は寝室をかえてみましょう」
「うむ。だがもしそれが駄目なら……」
「転地してみるのもひとつの手です」
「それなら私の別荘がいい」
「あるいは、我らの修道会で暮らしてみるというのも」
「それは……」
ヘルニッヒの表情が凍りつく。「出家をするということですか」
「神のそば近くに仕える者には悪魔も手を出せないでしょう」
「だが大事な跡取り息子を出家させるというのは……」
俺は下帯がないせいで落ちつかぬ珍宝地を手で直しつつ、彼らの会話を聞いていた。
子供を出家させるというのは親からすれば一大決心が必要なことだろう。
「ところで――」
俺は室の中を見渡した。「奥方は何処に?」
ヘルニッヒはその表情にいぶかしげな色をにじませた。
「赤ん坊のところですが」
「ふむ。赤ん坊は男の子だったかな?」
「ええ。それが何か?}
「いや、ちょっとな」
俺は話しあいを中座し、廊下に出た。
熊羅があとからついてくる。
「それにしても、兄上が悪魔にやられなかったのはなぜなんでしょうか」
「禅の力だろう」
「ひょっとしたら寝雲固をしたからでは?」
「こやつめ」
俺は逃げだす熊羅を追いかけながら、何とかしてこの生意気な妹弟子の弱点をつかまねばならぬと決心した。
日中は存分に坐禅り、夜は2階の室を与えられて寝た。
眠りに落ちてすぐ、奇妙な白い室にいる自分に気づいた。
「ややっ、これは……」
寝台を飛びだし、熊羅を起こす。彼女は最初驚いていたが、すぐに目の前の現実を受けいれ、「せっかくだから探検しましょう」といって室の扉を開けた。
それにしてもこの光景、いつか見たもののように思える。
扉の向こうは大広間であった。中央にこれまた大きな卓があり、修道会の3人組と少年が食事をしている。
イェルナと名乗る美女から着がえの白衣を受けとり、卓に就く。
何と俺の碗に茶が注がれた。
「俺にとって新鮮味がないことが……いや、本当に新鮮味がないな。つい最近も飲んだような気がするぞ」
「またまた~。夢と現実がごっちゃになってるんじゃないですか」
串焼き肉を食う熊羅に笑われた。
食事が済むと、風呂に連れだされる。
「今日は蒸し風呂ですよ」
先頭を行くイェルナがいう。
「今日は?」
熊羅が首を傾げる。イェルナは応えない。
壁にずらりと扉が並んでいて、その中がそれぞれ蒸し風呂となっていた。
俺は熊羅とともに一室へ入った。
「わあっ、暑い!」
「だがなかなか快いではないか」
床に蓆が敷かれているので、その上で結跏趺坐する。
しばらくそうしていたが、暑さに耐えきれなくなり、室の外に飛びだした。水風呂に頭まで浸かり、熱をさます。
ふと見ると、イェルナがある室から出てきて、また別の室へと入っていった。
「何をしているんですかねえ」
「さあのう」
俺たちはまた室に入り、また蒸された。限界が来て水風呂に飛びこみ、また暑い中へもどる。
それをくりかえしていると、扉が敲かれた。
「私もごいっしょしていいですか?」
イェルナが入ってくる。
「うむ。仔細ないが」
俺がうなずくと、彼女は俺たちの正面に腰をおろした。
「おもしろい座り方をしてますね」
彼女が俺たちを見て笑う。
「結跏趺坐っていうんですよ」
熊羅が彼女にやり方を教える。
「こうですか?」
イェルナは長くすらりとした脚を組んでみせた。
向かいあっているので、どうしても脚のつけねに目が行ってしまう。短い衣のその下にある秘密の暗がりが俺を誘う。俺の中の禅が乱れはじめる。手拭で覆った股間にも乱れが生じる。
視線をあげると、彼女と目が合った。彼女は悪戯っぽく笑うだけで、俺を咎めるようなことはしない。
「あ~、暑い! もう無理!」
熊羅が叫び、扉の方に駆けていく。その背中にイェルナが声をかけた。
「シャーベットがありますよ」
「何ですか、それ」
「果物の味がする氷です」
「へえ。おいしそう」
「ここを出て左へまっすぐ行くと、大きなテーブルがあります。そこに並べてありますから、お好きなのをどうぞ」
扉を開けた熊羅が戸口でふりかえる。
「兄上はどうしますか」
「俺の分もおぬしが食べなさい」
「わ~い」
彼女が出ていくと、室の中は俺とイェルナのふたりきりになった。立ちこめる蒸気に甘い肌の香が混じる。
イェルナが脚を解いた。
「私のこと見てたでしょう」
そういって俺の方に脚を伸ばしてきた。
「いや、別に見ては……」
反論しようとしたが、手拭の上から急所を強く踏まれて、息が詰まった。
「やっぱり見てたんじゃない。だってこんなにカチカチだもん」
イェルナはぐいぐいと俺を踏む。ただ強く踏むのではなく、上下動も加えてくるのでたまらない。
俺は何とか平静を保とうとした。
「うーむ……たとい鋒刀に遇うも常に坦々、たとい毒薬もまた閑々、美女に踏まるるも御珍宝粛々……」
彼女の圧迫がさらに強まってくる。
「お坊様は足でされて興奮しちゃう変態なんだ?」
「くっ、そんなこと……あっあっあっ……」
限界が近づいてきたので俺は彼女の足から逃れ、扉を開けた。ちょうど熊羅がもどってきたところだった。
「兄上、どうしたんですか」
「ち、ちょっと水風呂にな」
「じゃあ私も」
室をあとにしようとすると、
「お坊様――」
背後から声をかけられる。「いいもの見せてあげよっか」
イェルナが衣の裾をつまみ、すこしずつ持ちあげていく。
「ややっ、おぬし何を……」
彼女が持ちあげていったその下から、とんでもないものがポロリとこぼれでた。
「何ィィィィィィィィィィ!」
「ええええええ男だったの?」
イェルナは下半身を露出したまま笑いだす。
「エッチなことしようと思ってたでしょ? でも僕、男なんだよねえ」
「な、なんでそんなかっこうしてるの」
熊羅が俺の手を握ろうとする。
イェルナは彼女を見おろし、鼻で笑う。
「僕は夢魔のイェルト。エッチな夢を見せて男から精気を吸いとるんだ。精気は一度高まってから萎えるとき、夢の空間に発散される。僕は自分の正体をみせることで相手を萎えさせ、精気を吸収するってわけ」
「さてはヘルニッヒの息子や修道会の連中をやったのもおぬしだな?」
「大当たり~。あの人たちはいま、別の部屋で精気を失ってぐったりしてるよ」
「ぬぬぬ、何て奴だ……。許さんぞ」
俺は拳を固く握りしめた。
イェルナ改めイェルトはにやにやと笑いつづける。
「せいぜいいまの内にほざいておきなよ。あんたもこれから足腰立たなくなるんだからさ」
彼は腕をひろげ、天を仰いだ。「さあ、精気を吸収させてもらうよ。あんたの精気は空中に放出され……って、あれ?」
きょろきょろとあたりを見まわす。
俺の中で急激に禅が燃えあがった。
「喝!」
気合を放つと、まともに食らったイェルトはがくがくと身を震わせ、膝から崩れおちた。
「ど、どうして……」
俺は誇示するように腰を振った。
「美女に見える美少年など、気持ちいいに決まっとる。そんなものを目にすれば、萎えるどころかかえってビンビン頻婆娑羅じゃ――――い!」
床に座りこんだイェルトの前に立つ。
「おぬし、なぜこんなことをした」
「それは……」
彼は目を伏せる。「あの子の精気を吸えばお金をあげるといわれたから」
「これは何か事情がありそうですよ」
熊羅がいう。俺はうなずいた。
「生活に困っていたのかね」
「いや、遊ぶ金が欲しくて――」
「大喝!」
上からの気合で、イェルトの体は押しつぶされた。
「熊羅よ、外に出ていなさい。これからこの者に罰をあたえる」
「どうして外に出なきゃいけないんですか。私はいつでも兄上とともにいます」
熊羅は不満げに唇を尖らせる。
「罰は改心のためのものだ。無用の屈辱を与えるためではない。もしこの者が罰を受けるのをおぬしに見られたら、それを恥と感じ、かえって素直な改心の妨げとなってしまおう」
「なるほど。さすが兄上」
彼女は戸口へと歩いていく。「でもいじめちゃ駄目ですよ」
「わかっておる」
俺は彼女を室の外へ送りだし、扉を閉めた。
「さてと……おぬしにはあの少年を苦しめた罰として、同じ苦しみを味わわせてやろうわい」
「お、同じ苦しみ……?」
イェルトが声を震わせる。
「そうよ。つまりは…………こうじゃ――――い!」
俺は燃える禅を右手に集中させ、イェルト自身をつかんだ。
「あ、熱い……」
「そしてさらにはこうじゃ――――い!」
ぐいぐいと刺激を加えていく。
「あっあっあっ……そんな……強くしたら……」
「何の。これが本場唐土流擦々術じゃ――――い!」
「あっあっあっあっ……もうムリ! ムリです!」
イェルトはビクンビクンと体を痙攣させながら果てた。
「兄上――」
外から熊羅の声がする。「その子、いじめてませんよね?」
「いじめてなどおらんわい」
そう答えておいて俺はふたたびイェルト自身を手中にした。
「あっ、待って! もうイッた! イキましたから!」
「何をいう。逝得也三十擦、逝不得也三十擦じゃ――――い!」
「ああああああっ! また! またイク!」
イェルトは絶叫しながら2度目の絶頂を迎えた。
「兄上――」
熊羅の声がする。「いじめてませんよね?」
「いじめてなどおらんわい」
そう答えておいて今度はイェルトを担ぎあげ、右手で彼自身をつかみ、左手は指を彼の口につっこんだ。彼の上と下を存分に刺激し、さらに体を揺すってその刺激を倍加させる。
「これぞ禅技・上弦の月!」
「あああああっ! ヤダッ! もうイキたくない!」
「阿呆ぬかせ。御珍宝悪雌も3度までじゃ――――い!」
全身を使ってイェルトを責めたてる。
「あああああああああたまおかしくなりゅううううううううう!」
そのまま昇天させてやろうとしたとき、室の扉が開かれた。
「あっ、やっぱりいじめてる!」
戸口に立った熊羅が声をあげる。
「い、いや、これはいじめてるわけでは……」
「兄上といえど、許しませんよ!」
彼女の禅が燃えあがるのを俺は心眼ではっきりと見た。
「ば、莫迦な……これほどまでの禅とは……」
熊羅はこちらに突っこんでくる。
「喝!」
彼女は気合とともに俺のケツを噛んだ。
「ギャアアアアアッ痛ったあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」
「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺は自分のあげた声に驚いて目をさました。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ何何何?」
熊羅もとなりの寝台で跳ねおきる。
俺は体を起こし、暗い室内を見まわした。
「夢か……。おかしな夢を見た」
「私もです。でもどんな夢だったのか思いだせません」
「俺もだ。だが誰かに尻を噛まれたような……」
「そういえば私も誰かのお尻を噛んだような……」
俺は掛布団を持ちあげ、ケツをさすろうとした。そのとき、寝台の傍らに誰かが立っているのに気づいた。
「ぬおっ、何者……」
よく見ると、それは背が高く、ほっそりとした絶世の美女であった。
「お坊様――」
彼女が口を開く。「僕です。イェルトです」
「ん? どこかで会ったかな?」
「夢の中で」
「何じゃい、それは」
「夢の中でお坊様は僕にお仕置きをしてくださいました」
そういって彼女は衣の裾を持ちあげた。
「むっ、御珍宝……。おお、思いだしたぞ。おぬし、夢魔のイェルトだな?」
「えっ、それで思いだすんですか?」
熊羅があきれたようにいう。
イェルトは床に額づいた。
「お坊様のお仕置きで僕は改心いたしました。もう二度とこのような真似はいたしません」
「うむ」
俺は何だかチクチク痛くなってきたケツをさすった。「ならばおぬしにはもうひとつ罰を受けてもらう」
「というわけで連れてきたぞ」
俺がイェルトを紹介し、事情を説明すると、応接室の者たちは目を丸くした。
「何てことだ……」
ヘルニッヒはすっかり色を失っている。
イェルトは平伏し、弱々しい声を出す。
「私が雇われたのは、この家の長男をできる限り弱らせるためです」
「ということは――」
ゆるふわ衣が椅子から立ちあがる。「首謀者は奥方だ。自分の産んだ息子を跡取りにするため、長男を亡きものにしようとしたのだ」
「それはちがいます」
イェルトはきっぱりといった。「あの奥さんは夜中に部屋の見まわりをするほど長男を気にかけていました。自分の腹を痛めた子も、そうでない子も、分け隔てなく愛する人です」
「ならば誰なのだ、おまえを雇った者は――」
「それは――」
イェルトはまっすぐにヘルニッヒを指差した。
「何だと……」
修道会の3人が顔を見合わせる。
ヘルニッヒは椅子からずるずると滑りおち、床の上でうずくまった。
「息子よ……愚かな父を許してくれ……」
「ひどい! 自分の子供にどうしてそんなことするの!」
熊羅が怒って地団駄を踏む。
最初に会ったときには剛毅そうな印象を受けたが、いま身をかばうように小さくなっているヘルニッヒは、とても弱々しく見えた。
「おまえの弟が生まれたとき、私の心にもまた悪魔が生まれたのだ。おまえには亡き母の遺産がある。だがあの貧しき母から生まれた赤ん坊には何の後ろ盾もない。だからせめて私の財産をすべて受けつがせようという悪しき考えにとらわれてしまった」
「それで自分の息子を殺そうとしたのか」
ゆるふわ衣が厳しい口調でいう。ヘルニッヒは顔をあげない。
「私はただ……息子をこの家から遠ざけようと……」
「つまり我々を呼んだのは息子を修道会に連れていかせるためか」
「何と卑劣な!」
「血も涙もない奴だ」
修道会の3人が口々にヘルニッヒを罵る。俺はそれを懐手して眺めていた。
「うーむ、まさに心の鬼。恩愛の情はありがたいものだが、同時に煩悩の源でもあるのだ」
ヘルニッヒの息子が椅子から立ち、父のもとに寄る。
「お父さん、顔をあげてください」
応えぬ父に息子は続けた。
「実は僕もお父さんに隠していたことがあるのです」
「何?」
息子のことばに父が身を起こす。
「僕はずっと修道会に入ることを夢見ていました。神に一生を捧げたい、と。でも家業のことがあるからいいだせなかった。いまならばいえます。どうか修道会に入ることをお許しください」
「おお……私はおまえの思いにも気づいてやれなかった……父親失格だ……」
「いいえ、お父さん。僕はあなたから多くのことを学びました。神を敬う心もそのひとつです。僕にとってあなた以上の父親などいません」
「息子よ……」
ヘルニッヒと息子はひしと抱きあう。俺はそれを懐手して眺めていた。
「うーむ、まさに大悲心。彼は必ずやよい僧になるであろう。親父の方は完全なクズだが」
修道院の3人が立ちあがり、イェルトを取りかこんだ。
「さてと、あとはこいつをどうするか」
「州都に連れていき、しかるべき処分をしよう」
「うむ。悪魔を捨ておくわけにはいかん」
何やら勝手なことをぬかしているので俺は割って入った。
「これこれおぬしたち、この者をどうするつもりかね」
ゆるふわ衣が俺を見る。
「おそらくは処刑することになるだろう。悪魔は修道会の敵だ」
俺たちの間でイェルトは平伏したまま身を震わせている。
「なるほどのう。だが問答無用で刑するというのもいかがなものか」
「問答無用ではない。尋問してこれまでの悪行をききだしてからだ」
「ほう。では今回のことも?」
「もちろんだ」
「すると夢の内容なども吟味役に話すことになろうな」
「……何がいいたい?」
「たとえば誰かがこのイェルトに顔を踏み、尻を叩くよう要求したことも供述することになるわけだ」
「なっ……なぜそれを……」
大男が顔色をかえた。
「また、誰かがイェルトを母上と呼び、赤ちゃんことばでしゃべっていたことも明るみに出るわけだ」
「うっ……それは……」
今度は外套男が顔を伏せた。
「あるいは誰かがイェルトに食べ物を床に投げださせ、踏みつけさせて、それを眺めながら大興奮していたことにも真実の光が当てられるわけだ」
「頼む……それだけは……」
ゆるふわ衣が急な差しこみにでも襲われたのか、みずからの胸をきつくつかむ。
「えっ、最後のだけ本当に理解できない」
熊羅が口をゆがめる。
俺は面々の肩を叩いてまわった。
「イェルトに口を割られては困る者もいるのではないかな。もし俺に預けてもらえれば、そうしたことも露見せずに済むだろうが」
彼らは目くばせしあっていたが、やがて俺に向かって愛想笑いを浮かべてみせた。
「ここで起こったのは単なる親子のすれちがいであった。夢の中云々ということについて我々は関知しないし、ここにいる女装した少年についても何らあずかり知らぬものである」
彼らは逃げるように去っていった。
俺はイェルトに立つよういった。
「おぬし、俺といっしょに来い」
イェルトはもじもじと膝の内側をこすりあわせる。
「あの……またあのお仕置きしてくれますか?」
俺は彼の耳に顔を近づけ、そっとささやいた。
「もっとすごいやつをやってやろうわい」
彼の頬が真っ赤になる。
「おぬしには緒陀という法号を与えよう。俺のことは師伯と呼びなさい」
「はい……兄上」
「な~んか私のときより話が早くないですか?」
熊羅が膨れている。俺はその頭を撫でてやった。
「禅の形は人それぞれなのだ」
これをいっておけばだいたいの問題はごまかせる。
ヘルニッヒがこちらへやってきた。
「お坊様、あなたのおかげで私は目をさますことができました。ぜひお礼をさせてください」
「そうさのう……」
俺は顎をさすった。「ではひとつ頼まれてくれるか」
潮風のただなかに俺は立っていた。
大きな海鳥が俺と併行して飛ぶ。
港を出た船は沖へと繰りだそうとしていた。
ヘルニッヒが州都に向かう持ち船に我々を客として乗せてくれたのだ。
「思いだすなあ、唐土へ旅立ったあの日のことを」
船の舳先に立った俺は目をつぶり、修行の初心に立ちもどろうとした……が、後方で羯羯騒ぐ声に邪魔され、あえなく現実に帰還した。
「私の方が上!」
「僕の方が上だよ!」
熊羅と緒陀が甲板の上で取っくみあい、転げまわる。周囲の水夫もあきれて笑っている。
「何をやっておるのだ、おぬしらは」
俺は彼らの衣をつかんで強引に分けた。
熊羅が緒陀を指差す。
「こいつが偉そうにするんです。先に入門した私の方が姉弟子なのに」
緒陀が舌を出す。
「僕の方が年上だから兄弟子に決まってるでしょ」
まったくもって糞どうでもいいことで争っている。
熊羅が俺の腰にすがりついてきた。
「兄上は私の方がかわいいですよね」
緒陀も抱きついてくる。
「僕の方がかわいいですよね」
「うーむ……」
俺はただうなった。こういうめんどくさい状況におちいったとき、人は出家を思いたつのではなかろうか。
「二は一によってあり、一もまた守ることなかれ、か……」
「どういうことですか?」
熊羅が首を傾げる。
「つまり、どちらもかわいいということじゃい」
俺がいうとふたりは俺の体に頬をすりつけてくる。
まあ本当にめんどくさいことだ。
「そんなことより坐禅るぞ」
俺たちは船端に寄って結跏趺坐した。
これからのことを思う。州都に着いて聖典を入手したらどうしようか。日本にもどる方法も考えなくてはならない。この国には人獣や夢魔のような魔物がいるくらいだから、別の世界に移動する魔法なんかもあるのではなかろうか。
そういったごちゃごちゃした思考も次第に消えていき、俺の中が波の音、風の声に満たされていく。やがてそれさえも聞こえなくなり、静かな、世界も俺もすべて融けあった禅が立ちあらわれてきた……が、波に揺られて熊羅と緒陀がごろごろ転がるので、あえなく現実に帰還した。
「何をやっとるのだ、おぬしらは」
寝転がっていた熊羅が身を起こす。
「船が揺れるから転んじゃうんですよ」
緒陀が甲板に打ちつけた肘をさする。
「兄上はよく座っていられますね」
俺は転がっていこうとした網代笠をつかまえた。
「座ろう座ろうと思うからいかんのだ。それは瓦を磨いて鏡にしようとするようなものよ。坐禅とは心という鏡を磨くためのものだ。座ること自体をいくら磨いても意味はない」
そう助言してやったのだが、やはりふたりはころころ転がる。熊羅は自棄になって転がることを楽しんでいる様子だ。緒陀の裾が乱れて白い下帯がのぞく。
「まあ、これも禅味かな」
俺は日本とも唐土ともかわらぬ空を見あげ、ため息をついた。
了