第1話 上
「痛てててて……」
気がつくと俺は、草っぱらのまっただなかにひとり座りこんでいた。
おかしい……。さっきまで町の中にいたはずだ。
頭が割れそうに痛い。手でさすってみると、大きなこぶができていた。
「そうだ……車に轢かれて……」
俺は直前の記憶を取りもどしつつあった――京の大路を渡っていたところ、すだれの下から洒落乙な袖を散見せさせた牛車がとおりかかったのだ。
「ウヒョヒョ、いい女が乗ってそうじゃねーの」と、俺は立ちどまり、何とかしてすだれの隙から中をのぞこうとした。それに気づいた牛飼童が俺の方を指差して何事か怒鳴り、その意を汲んだ牛がいきなり突進してきて、俺は全身を強く打ったのだった。
「あの牛飼童、今度会ったらただじゃおかねえ」
そういって歯ぎしりしてみるが、今度いつ会えるのかはわからない。そもそもここがどこだかわからないのだ。
強い風がざっと吹いて、あたりに草の波を生ぜしめた。
「極楽……じゃなさそうだな」
ふつう、全身を強く打てば地獄か極楽に行くものだが、どうもそうではないようだ。
俺の勘だが、日本でもなさそうな気がする。かといって、ちょっと前まで留学していた唐土ともちがう。とすると、天竺か……?
まさかな……。こんな簡単に天竺に来られたというんじゃあ、大先輩の三蔵法師に申し訳が立たない。
俺の名は平梵扶通。15歳のときから去年まで、10年間唐土で修行してきたごくふつうの雲水(禅宗の修行僧)だ。いまは日本全国を行脚(旅をして修行すること)している。
いま俺が見ているものは現実なのか。それとも修行のしすぎで莫迦になってしまったために見る幻なのか。
だがいま目の前にある光景は現実にしか見えない。尻の下敷きになった草の感触も、目の前を飛びかう蜂の羽音も、真上から照りつける太陽も、幻とは思えない。
幻じゃなきゃどうするか――動くしかないだろう。
雲水とは行雲流水の略だという。つまり一所不在ということだ。いつか大悟(悟りをひらくこと)するため、動きつづけなくてはならない。
俺は草の上に転がった網代笠を拾いあげた。長く風雨にさらされてところどころ破れている。墨染(僧侶の黒い服)も穴だらけだ。しばらく剃らないので髪は蓬々になってしまった。
日本全国の叢林(禅の修行場)をまわり、各地で激しい禅問答を繰りひろげてきた。この地でも善知識(よい師匠)にめぐりあえるといいのだが。
立ちあがり、草を分けて歩きだした。すこし行くと、1本の道にぶつかった。
まっすぐな道だ。右手に行くか、それとも左か。
「うーむ……右の方に禅味を感じるぜ!」
俺は心のままに道をたどった。
草原の中を2里ほど歩くと、町が見えてきた。
「応契!」
やはり人の住んでいるところというのはいいものだ。
町のまわりは高い壁で囲まれている。日本から出たことのない者が見たら「城かな?」と思うところだろうが、俺のように留学経験があると「あー、はいはい」という感じだ。唐土にもよくある、外敵から町を守るためのものだろう。
壁の外には畑がひろがり、青い穂をつけた丈の高い草の間に人の姿が見え隠れする。麦の一種だろうか。
町の門をくぐると、背負子を担いだ少年が向こうからやってきた。年の頃は12、3というところか。
その髪はすっかり実った秋の麦みたいな色をしていて、肌が抜けるように白く、瞳は碧玉のようだ。
洛陽でこういう人種を見たことがある。なんでも西域のさらに西から来るのだとか。
「うーむ……なかなかの美童じゃねーの。こんなのが寺にいたら大騒ぎだぜ」
寺といえばお稚児さん――要するに少年愛が盛んだ。俺も当然いける口である。
思いだすなあ、遊び慣れた洛陽美童たち……。
俺は美童を誘いこむのに具合のいい暗がりでもないかとあたりを見まわしつつ、その少年に声をかけた。
「これこれ、ここは何という町だね」
少年は俺を見て虚頓としている。
日本語が駄目なら唐土語で、と試みたが、こちらも通じない。
どうやら本格的にわけのわからん国に来てしまったようだ。
参ったな……ことばが通じないんじゃ、この先どうしていいんだかわからん……。
途方に暮れかけたそのとき、俺の中の禅が熱く燃えあがった。
ことばが通じない? だからどうしたというのだ。
達磨祖師(インドから中国に禅を伝えた高僧)も「不立文字」といっている。
俺も祖師の法脈(仏法を伝える師弟の系脈)を継ぐ者の端くれ。ここは工夫(修行に励むこと)の見せどころだ。
道の真ん中に仁王立ちし、合掌。そして般若心経を唱えはじめる。
少年は目を丸くしてこちらを見ている。
俺の声を聞きつけた町の人々が集まってくる。
ことばは通じない。だがそもそも仏の教えはことばで伝えられるものではないのだ。「耳ではなく目で声を聞け」なんていった人もいた。口ではなく鼻で拉麺をすするみたいな話だが、真理というのは吸いこんでツンとくるような部分で感じとる必要があるのだろう。
俺は異邦人たちのただなかにあっていっそう声を張りあげた。
届け、俺の禅!
やがて経は果てた。鈴をひとつ鳴らすと、余韻が空に響く。
まわりに目をやれば、善男善女がこうべを垂れて何やら指を動かしている。額を指し、右肩を指し、左肩を指す。彼らの真剣な表情から、祈りの所作であることが推察できた。
ちゃんと以心伝心っとるじゃねーの、禅の心が。
1人の老婆が進みでてきた。その手には丸い物体がある。
似たようなものを唐土で見たことがあった。麵麭という食い物だ。
老婆はそれを差しだしてくる。あいにく、托鉢で使う鉢も、寺の名前が書かれた看板袋も持っていないので、俺はひっくりかえした笠でその布施を受けた。
僧ってのは優婆塞(在家の男性信者)・優婆夷(同女性信者)から色々と無料でもらえちまうんだ。
麵麭をくれた老婆に対し、俺は頭ひとつさげないし、感謝のことばも述べない。
在家信者は托鉢中の僧侶に施しをするだけで楽に徳を積めちまうんだ。つまり、一方的に得をするのではなく、こちらも向こうに善行のきっかけを与えているわけだから、対等というわけだ。
俺は空腹をおぼえていた。そういえば、牛車に轢かれたときも腹が減っていたせいで注意力が落ちていたのだった。
すぐそこの道端に腰をおろして、もらったばかりの麵麭を牟奢牟奢やってもよかったのだが、人々の視線が集まっているので、みっともないところも見せられない。俺はいったん町から出ることにした。
門の外に小川が流れていたので、その縁に座って麵麭を食う。やたら硬いが美味い。
一面にひろがる畑を眺める。秋になればあの青い穂も金色に色づくことだろう。
ふと思いだした歌を口ずさむ。
――葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国
日本というのは物事をはっきりいわない国だ、という歌だが、そこには禅と通じる部分がある。禅も、一番大事なことはことばにできないという前提のもと、各自が修行に励み、大悟を目指すのだ。
「そう考えると、禅って日本人に合ってるよなー。もっと流行んねえかなー」
幕府がまだ鎌倉にあった頃、唐土から禅が入ってきて意識高い御家人たちの間で流行したが、京に幕府が移ったいま、もっと幅広い層に禅が広まってほしいと思う。そのために俺は留学先の唐土から帰ってきたのだ。
「国に帰るとき、老師や法兄たちが『平梵よ、おまえなら日本の国師張れるぜ』っていってくれたっけ……」
俺の師匠は緋梵也陪禅師というとても偉い人だ。皇帝から講師として招かれたこともあるが、それを老師は「なーんか禅を感じねえなあ」といって断ってしまった。そういう型破りなところに憧れて俺は師事したのだ。
「老師元気にしてっかなー。会いてえぜ……」
こんな、どこなのかもわからん土地でぐずぐずしてる場合じゃないんだ、俺は。気持ちばかり焦る。
坐禅る気にもなれず、俺はまた歩きだした。
上流に行くと、水車小屋が見えてきた。その前に馬車が停まっている。
2人の老爺が麻袋を運び、荷台に積んでいた。何だか足元が危なっかしい。
俺は近づいていって、水車小屋の中にある袋を担ぎあげた。肩にずしりとくる。中身は小麦粉か何かだろうか。
ぎょっとしているふたりの間を抜けて、俺は袋を馬車の荷台におろした。
「ここに載せればいいんだろ?」
ことばは通じないが、やることが単純なので、身振り手振りで意図は伝わる。俺たちはくるくると立ち働いて袋を荷台に積んでいった。
働くことも禅の修行の一部だ。むかしの偉い老師が「一日作かざれば一日食わず」という名言を残した。この人は高僧ながら弟子たちの先頭に立って畑仕事をしたという。
「働かざるもの食うべからず」などという者もいるそうだが、どうも説教臭くていけない。件の老師はみずからを律するために先の発言をしたのだ。事実、師の体を案じた弟子に農具を隠されたときには1日何も食わなかったという。
荷台がいっぱいになると、片方の老人が馬車に乗りこみ、去っていった。
残った方の老人が俺の肩を叩き、何事かを声高にいう。
「何をいってるのかわからん。この国には来たばかりでな」
お互い理解できないことばを交わしていると、道の上をがらがらと別の馬車がやってきた。
「まさかあれにも積めというのか?」
俺がたずねると、老爺は顔をほころばせてうなずく。
着稼利してるぜ、このジジイ。
俺は馬車馬のように働き、最終的には「そこ互い違いに積まないと崩れるぞ」などと指示を飛ばすまでになった。
袋を満載した馬車が走りさる。俺はジジイと握手を交わした。
諸肌脱いで、汗に濡れた上半身を風にさらす。
働くのも修行のうちだ。坐禅るばかりが大悟への道じゃない。「動静へだてなく定力を養う」ということばもある。つまり、体を動かし働くのも、静かに坐禅を組むのも、乱れぬ心を作るのに役立つというわけだ。
俺は衣を脱ぎすて、川に飛びこんだ。冷たい水が肌を撫でていく。身も心も洗われるようだ。自然のままの快楽――まさに禅味だ。
流れに浮かび、空を見あげる。果てもない青さに心が吸われそうだ。これもまた禅味。
気配を感じて身を起こすと、向こう岸で1人の娘がこちらを見ている。俺と目が合っていたが、次第に視線が下の方に移る。ある一点に行きつくと、ぱっと頬を赤らめ、森へと駆けていってしまった。
「うーむ……あれも禅味よ」
俺は娘の被いた衣からこぼれていた髪の金色を瞼の裏に蘇らせながら、ゆっくりと川に身を浸した。
10日ののち、俺とその娘――エルファは汗まみれの体を森の木陰に横たえていた。
「いけない人ね」
俺の胸に頭を預けたエルファが俺の腋毛をつまんで指に絡める。
「何がだ?」
俺は彼女の長い髪を撫で、1束つまみあげた。木漏れ日に透かすと、五色の糸に加えたくなるほどの金色が輝く。
彼女が俺の顔を間近からのぞきこんだ。
「お坊様がこんなことをしちゃいけないのよ」
「なーに、釈尊だって中出しキメとるわい」
俺は彼女の尻をぴしゃりと打った。彼女は身をよじり、笑う。
「誰なの、シャクソンって」
「むかしむかしの偉い人だ。俺たちの大先輩よ」
「救世主様みたいなもの?」
「それはわからんが、とにかく偉い。そして気に食わん奴さ」
「偉い人なのにどうして気に食わないの?」
「一番最初に一番かっこよく悟りやがったからよ。おかげで俺たちは別のやり方をさがして苦労するはめになった」
「真似しちゃえばいいじゃない」
「そうもいかん。自分だけのやり方で悟るってのが禅門の徒の心意気だ」
「めんどくさい人たちね」
彼女は俺の上にのしかかった。豊かな乳房が俺の胸で押しつぶされる。
「それにしてもあなた、ことばすっかり話せるようになったわね。この町に来たときには何も話せなかったのに」
「こういうのはむかしから得意なのだ」
唐土に渡ったときにも、美童と戯れている間にことばをおぼえてしまった。俺は経をおぼえるのも早い方だ。仏道を究めるとか美童美女を口説くとかいった真剣な目的があれば、尋常ならざる集中力が働くということだろう。
彼女が俺の頬を撫でる。
「たいした才能ね」
「おぬしの尻が丸くて大きいのと同じよ」
「莫迦」
彼女は俺の頬を軽く打って立ちあがる。「もう行くわ。森にキノコを取りに行くといって家を出てきたの」
「では俺も托鉢に行くとするか」
俺は下に敷いていた衣を身にまとった。汗と土で湿っている。
エルファと別れて俺は森を出た。水車小屋の前で暇そうにしている爺さんに手を振り、川沿いの道をくだっていく。
途中でヨリスと出くわした。はじめて町に来たときに会った背負子の美童だ。
彼は俺をみとめると笑顔になった。
「お坊様、いま水車小屋にさがしに行くところだったんですよ」
「どうかしたのかね」
俺は懐手しつつ答えた。
「爺ちゃんがまたお坊様の話を聞きたいって」
「そうかね。では行こう」
町までヨリスと連れだって歩いた。
彼の家は町の中央にある広場に程近い。
「父ちゃん、ただいま」
家の前で仕事をしている父に彼は声をかけた。木材に鋸をかけていた父親は顔をあげ、俺を見て、また作業にもどった。大工を稼業にしているそうだが、愛想が悪くていけない。
中に入ると、小さな窓が切られているだけで、暗い。ただひとつの部屋しかないその家の隅で動くものがあった。
「お坊様、来てくだすってありがとうごぜえます」
ヨリスの祖父・イルゴールは藁の寝床に横たわっていた。
俺はヨリスの運んできてくれた低い椅子に腰をおろし、老爺と向かいあった。
「ご老体、体の方はどうだね」
「ぼちぼちでごぜえます」
しわがれた声に咳が交じる。
イルゴールは腕のいい大工だったそうだが、いまは足腰が立たず寝たきりになっている。暗い中で、彼の体臭が鼻を衝く。仏道に身を置いていれば親しい臭いだ。嗅いだときにはそれと気づかぬが、あとになればはっきりとわかる――死に侵された者の臭い。
「して、何の用だね?」
俺は鼻の下を袖で拭った。
「へえ、お坊様にききてえことがごぜえます」
老爺はことばを発するたびに荒い息をつく。
「ききたいこととは?」
「儂は死ぬのが怖くてたまらねえんです。ここんとこお坊様からありがてえ話を聞いて、ちっとは死ぬ覚悟ってもんができてきやしたがね、やっぱり恐ろしい気持ちが心から消えねえんでさ」
「ふうむ」
「お坊様は死ぬのが怖くねえんですかい」
「俺だって怖いさ」
「どうにかしてくだせえ。このまま死ぬんだって考えたら、儂は頭がおかしくなっちまいそうだ」
「難しい問題だのう」
俺は顎をさすった。
老爺の視線が闇をとおして俺に浴びせられる。師匠と一対一で問答するときに浴びせられたもののように鋭い。
「お坊様にもどうしたらいいかわからねえんですかい」
「わからなくはないが……」
理屈でもって説くことはできるだろう。だがそれは他の誰かが作った理屈だ。俺や老爺のものではない。
たとえ俺が正覚(悟り)を得ていたとしても、それをそのままこの老爺に伝えることはできないのだ。
俺と老爺は持っているものがちがう。たどってきた道がちがう。だからその先に待っている答えもちがう。どこにあるか、どんな形をしているかは各人にしかわからない。
だがそれを見つけるための道しるべは示してやりたかった。
俺は目を閉じ、自分の持っていることばを頭の中に並べてみた。しかしどうにも適当なものが見当たらない。
ならば内ではなく外に答えを求めてみるのはどうか。「仏とは何か」と弟子に問われて「満開の花」と答えた老師もいる。見る目さえあれば、仏の道はあらゆるところに見つかるものだ。
俺は目を開いた。
あいかわらず暗い室の中、老爺が横たわっている。天井近くの細長い窓から光の帯が射しこみ、埃がその中で光の源にたどりつこうとあがいている。床は家族が何度も行き交ったために土がえぐれて凸凹になっている。死の臭い、土の臭い、残飯の臭いが籠ってむっとする。黙りこくった俺と祖父をヨリスが不安げな表情で見る。
「よし、外に行くぞ」
「へえ?」
俺は老爺を担ぎあげるようにして連れだした。
ヨリスが用意してくれた長椅子に座る。背もたれがないので、家の外壁に寄りかかった。
「寒くないか?」
「へえ、平気でがす」
風が町を抜けていく。広場の大木がざわめく。その陰に隠れるようにして尖った屋根の建物が建っている。鐘楼が付属しているのでこの国の寺なのではないかと思われるが、人の出入りがなく、寂れて見える。
また風が吹く。
「あの木――」
俺は広場に影を落とす木を指差した。「ずいぶんと大きいのう」
「儂の爺さんがガキの頃にはもうあの大きさだったそうで」
太陽の下で見ると、老爺の肌は皺だらけで、古木の樹皮を思わせた。
「昔話をしよう」
俺は広場の木に目を移した。「釈尊の話だ」
「お坊様はシャクソンが好きだね」
「あるとき、釈尊のもとに1人の男がやってきてこういった。『人は死んだらどこへ行くのでしょうか。それがわからないので私は死ぬのが怖くてたまりません』」
「へえ、儂と同じことをいってらあ」
「釈尊は1本の木を指差した。大きな木だ。なにしろ天竺の木だからな」
「へえ」
「その木を指して釈尊はこう問うた。『あの木はどちらに傾いているか』。男は答えた。『東へ向かって傾いています』。釈尊は重ねて問うた。『あの木を人が切ろうとするなら、どちらに向かって倒れるだろうか』。男は答えた。『東に向かって倒れることでしょう』。それを聞いて釈尊はこういった。『おまえが死んでから行くところもそれと同じであろう』」
「へえ、それで?」
「それで終わりだ」
「終わり? さっぱりわけがわからねえ」
「どういうことなのかは、おぬし自身で考えるのだ」
俺は立ちあがった。老爺は腑に落ちぬといいたげな顔をしている。俺にもいまの話が何を表しているのかわからない。ただ、いまその姿を見、そのざわめきを聞いている木にこの話をしろといわれたような気がする。
風が冷たくなってきたので、老爺を屋内に運びいれた。
去り際に見ると、木を切っているヨリスの父は顔もあげない。
ヨリスが俺を追って駆けてきた。
「これ、爺ちゃんから」
丸い麵麭を差しだしてくる。
「うむ」
俺はそれを受けとり、懐に入れた。
森へ柴刈りに行くというヨリスと並んで歩く。
「お坊様が来てくれて、爺ちゃんは喜んでます。町にお坊様がいることなんてめったにありませんから」
ヨリスがいう。俺はふりかえり、村の方を見た。
「広場にあった建物は寺ではないのか?」
「あれは教会です。ただ、お坊様がいくつかの教会を掛け持ちしているので、この町にはあまり来てくれません。だからいつも閉まっています」
「うーむ、利己的な寺院だのう」
森へいくヨリスとは水車小屋の前で別れた。
俺は川に向かって坐禅った。
ヨリスの祖父に会い、俺はすこし動揺していた。父の面影をそこに見てしまったのだ。
父は俺が唐土に留学しているときに病気で死んだ。俺がそれを知ったのは半年後、海を渡ってやってきた手紙を読んだときだった。
出家とは文字どおり、家を出て家族との絆を断ちきることだ。それでも恩愛の情を捨てさるのは難しい。
「俺もまだまだ修行が足らんな……」
わずかににじんだ涙を拭い、俺は腹の前で印を組んだ。