自由ヶ丘利人は最悪のようです。
「『毒を以って毒を制す』って諺は、禅書『嘉泰普灯録』に記された『機を以て機を奪い、毒を以て毒を制す』がその起源だって言われている。宋の時代、今から一〇〇〇年程度前の中国だな。簡単に言えば、悪人を退治するには、悪人が必要な時もあると言うことだ。凄腕の泥棒やハッカーは出所後、警備会社から沢山のオファーが来るなんて話は有名だな。他にも『楔を以って楔を抜く』『邪を禁ずるに邪を以ってす』とか、似たような諺は枚挙に暇がない。要するに、政府や政治、国家って言う最強最悪の悪人が、自らの正当性を示す為に作った言葉さ。傑作だろ? 善悪を自分たちで作っておいて、自分たちで善と悪の境界線を曖昧にしている。だからこそ、正義なんて物が世の中にまかり通るんだろうけどな」
中学からの友人である二階堂千恵の彼氏だと言う男は、聞き取り易い低い声でゆっくりと急にそんな事を伊織に向って言った。伊織に向ってと言っても、伊織は自分の部屋に閉じこもっており、彼氏さん――自由ヶ丘利人君は扉に向かって話しかけたと言った方が正確だ。
正直、間抜けな絵面である。
が、それ以上に饒舌に語り始めたのが『毒を以って毒を制す』の蘊蓄だと言うのが意味不明過ぎてちょっと引く。別に詳細な説明を求めたわけではない。千恵が言った『毒を以って毒を制す作戦』と言う言葉を鸚鵡返しにしただけなのに、どうしてそこまで解説を入れる必要があったんだろうか?
流石に、その諺の意味くらいは知っている。まあ、解説してくれたことは一つもしらなかったけど。
このドーベルマンの様な雰囲気を纏う自由ヶ丘君の着る制服は地元では誰もが知る進学校のそれで、彼はその中でも特別進学教室の人間らしい。所謂、学歴エリートだ。頭が良い人は少し変だと言う通説に漏れない人間なのだろうか? いまさらながらに、彼に伊織のことを任せたのが不安になって来た。
「ね、ねえ、千恵、あんたの彼氏大丈夫なの? 変な宗教入ってない?」
「その心配は大丈夫だよ。利人は宗教大嫌いだからね。こないだなんて、駅前で布教活動をしていた新興宗教団体に口論をふっかけて、ギャラリーを沸かせていたからね。超エキサイティングしてたよ」
「もう、それ大丈夫じゃないよね!? 完全に奇人変人じゃん!」
「だから、言ったじゃない。『毒を以って毒を制す』作戦だって。利人が毎日家に来るくらいなら、伊織君だっけ? も学校に行こうって気になるかもしれないでしょ?」
「あんた、毎日家に来るのも嫌な男と付き合っているの!? どんな判断!? お金でも貰っているわけ!?」
弟――伊織はもう二週間も学校に行っていない。お父さんやお母さん、私や仲の良い友達が説得しても駄目。その話を千恵にしたら『じゃあ、利人に頼んでみますか?』と提案をしてくれたのだ。
千恵は自由ヶ丘君ならなんとかできると自信満々だったので、藁にも縋る気持ちでお願いしたのだが、大抵の場合、藁に縋っても溺れるしかない事を私はこの歳になって知った。
「千恵の頼みだから足を運んでやったのに、失礼な奴だな、お前」
「あ、ごめんなさい。でも、本当に任せても平気なの?」
自分で為せないことを他人に頼んでいるので大きな口を叩くのは間違っているとは思うけど、やっぱり不安は隠せない。
「はん。中学生のガキ一人、余裕だ余裕。フランシスコ・ピサロだと思ってくれ」
誰だよ。日本にキリスト教を伝えた人だっけ?
「インカ帝国を征服した探検家だ」
全然違った。誰だよ。インカ帝国って、何時、何処にあったの? そもそも、そいつは何人だ?
「全然わからんけど、凄い自信なのはわかった」
が、不敵に笑う自由ヶ丘君には何かしらの確信があるように思えた。これは、もしかして? と言う希望が生まれて来る。
「まあ、利人のお兄さんは二〇過ぎて引き籠りだけどね。凄いよ、日本人が何処まで太れるのかを実験しているような外見でさ。女子高生が見たら引くオタク像のまんまだよ。昔はおばさまに似てイケメンだったんだけどね」
しかし無情にも千恵がそれを打ち砕く。余計な事を言わないで。
「ちょっと! まずは自分の兄貴をどうにかしなさいよ」
「あいつは俺の中で死んでいるからセーフ。ノーカだ、ノーカン」
自由ヶ丘君、無茶苦茶言い過ぎでしょ。
「私の弟は殺さないでよ?」
「ちょっと! 利人を殺人犯扱いしないでよ!」
もう、状況はカオスだ。伊織を説得しに来たのか、自由ヶ丘君に突っ込みを入れに来たのかも良くわからなくなってきた。大丈夫か? これ。
「で? 伊織だったか? 良い名前だ」
思い出したように、自由ヶ丘君は扉に向かって話しかけた。
「アイドルみたいな名前だよね」
「ん? 伊織と言えば、宮本武蔵の甥っ子の名前だろ?」
千恵の台詞を、自由ヶ丘君は即時否定する。そしてそれは正解だ。宮本武蔵が好きだったお爺ちゃんが、その名前を付けたらしい。
「でだ、伊織。中学校にどうして行きたくないんだ?」
「わお。直球投げるね」
と。自由ヶ丘君は何か作戦があるのか、ストレートに疑問をぶつけた。もう、何度もその質問はしている。回答はいつも決まっているのだが――
「答えたくないってか? じゃあ聴け。【『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんど、あらゆる『いかに生きるか』に耐えるのだ。】だ。良い言葉だろ? お前の為にもっとわかりやすく訳すと、『何故学校に行くのか』を知っている奴は、『学校に行かないといけない』って疑問に耐えてんだよ」
――自由ヶ丘君は答えを待たずにそんなわけのわからないことを言った。
「利人? 念のために聴くけど、何それ?」
私の疑問を、千恵が代弁する。えっと、何だって?
「身も蓋もないだろう? 『何故人は生きるのか』って言う疑問に対し、ニーチェは『兎に角生きなくてはならない』って答えるわけだ。耐えるしかないんだよ、人生って言うのは本当に無意味で最悪だろ」
何が可笑しいのか、自由ヶ丘君は「はは」と爽やかに笑った。
「全く着飾っていない言葉だ。天国と言う空虚さを持ち出すことなく、幸福なんて欺瞞を語る事もなく、シンプルにニーチェは『生きる』を自分の言葉で語っている。これほど正直な回答が他にあるか?」
言っている意味が私には理解できない。いや、それ、答えになってないでしょ。
「ふーん。で? 利人。どうやって伊織君を部屋から引っ張り出すつもりなの?」
私の困惑を無視して、千恵が冷めた態度で自由ヶ丘君に訊ねる。突拍子もない発言に馴れているのだろうか、非常にスムーズな話の運びだ。普通の女子高生なら、急にニーチェ(だから誰だよ)の名言を語る男子高校生にドン引きしている所だろう。
「まあ、それは、トイレか食事に出て来る時を狙って捕まえようぜ」
もう、人選ミス極まっているでしょ、千恵。この人、何をしに来たの?
「なあ、伊織。一万円あげるからさ、学校行けって」
「買収始めた!?」
まだ一回も会話をしていないのに!? って言うか、思春期の悩みを金銭で解決しようとするなよ!
「えー! ずるい! 私も学校行くから一万円欲しい!」
「千恵!?」
このカップル、本当になんなの? 家に漫才やりに来たの!?
「って言うかさ、亮子? 伊織君は甘えているんじゃあない? 宮本武蔵の甥っ子って言ったって、五輪の書を極めているわけじゃあないでしょ」
「いや、千恵。別に伊織と言う名前の奴が、全員宮本武蔵の甥っ子ってわけじゃないからな? それだったら、日本中伊織塗れになっているから。第二次世界大戦に勝てただろ」
ここで初めて、千恵がボケて、自由ヶ丘君が突っ込みに回った。そう言うパターンもあるのか、器用な馬鹿っぷるだな。でも、全国民が宮本武蔵だったとしても、WWⅡには負けたと思うんだけど。
じゃあなくて、「甘えている?」
「そ。何考えて閉じ籠っているかは知らないけど、こんな扉、私だって本気出せば破れるじゃん? こう見えて、通信空手七級だからね!」
それって凄いの?
「わお。その手があったか」
ないから。一々ボケを挟まないと会話できないのか、この馬鹿(特に略してない)達は。
「亮子の御両親だったら、鍵を開けることもできる。食事を出さないって選択肢もあるし、こんな狭い部屋に閉じ籠っていたら、生きていけないじゃん。そりゃあ、学校で虐められていて死ぬほど苦しいって言うなら別だけど、そうじゃあないんでしょ? 人の善意に甘えているんだよ」
「千恵? なんか急にトゲトゲしくない?」
「そう? なんか急に利人のお兄さんのこと思い出してね。むかついちゃった」
「八つ当たり!?」
「おい。死人を悪く言うのは止めろよ。『死んでいる人間を裏切ることはできない』だ。死者には敬意を払え」
「お兄さんを罵ることは問題ないの!?」
「冗談はさておき、自分の勝手に私と利人まで巻き込んでおいて、だんまりはないんじゃない? 伊織君。君が甘えん坊の構ってちゃんじゃあないなら、なんとか言ってみなよ」
巻き込んだと言うか、進んで千恵が飛び込んできただけの気もするんだけど。まあ、紆余曲折はあったけど、ようやく話が進み始めたたようで何よりだ。自由ヶ丘君はもう役目が終わったと思っているのか、通学カバンから取り出した本を読もうとしていた。マイペースすぎるだろ。チェスがどうの、人工知能がどうの、とその本の表紙には描かれている。何か、引き籠りに対するマニュアルかとも思ったが、趣味で読んでいるだけだ、これ。
「…………」
まあ、話の進行がスムーズになるだろうし、放っておこう。
「――――意味がわからないから」
そして、三十秒程度の間をおいて、ドアの向こうから声が聞こえて来た。それが伊織の声で、千恵の質問に対する答えなのだとわかるのに暫くの時間が必要だった。
「意味がわからない?」鸚鵡返しに私が訊ねると、伊織は「ああ」と短く答えた。
「学校に行く意味がわからないってことだよね」
「そうだよ。学校に行って何になるの? 最終的に就職するなら、もっと役に立つ事を教えるべきだし、そもそもその内に死ぬんだから意味ないでしょ。地球だっていつかは爆発するんだし、宇宙だって消えちゃうんだ。僕一人が頑張らなくたって、世界は全然興味ないよ」
我が弟はそんな事を考えて、そんな事に悩んでいたらしい。なんて言うか、答えに窮する。どう相槌を打てばいいかもわからない。
だって――
「うわ。中学生拗らせてるぅ」
――まあ、その、千恵が言う通りだ。
「ふふん。でも、安心して、亮子。こっちにはもっと拗らせている利人がいるから。ふふ。利人は凄いんだよ? 高度な中二病や高二病を拗らせながらも、真面目に勉強するし、無遅刻無欠席で、マラソン大会とかも張り切っちゃうタイプなんだから。で、学校でも浮いているの。でも、学校には普通に行く。凄い面の皮だよね。いわば、伊織君の上位互換だよ」
「ねえ、本当に二人は付き合っているの? なんか、褒めているように聞こえないんだけど」
かなり二人の関係に疑問が残るが、しかし自由ヶ丘君が伊織の進化系だと言うのならば、解決方法もしっているはずだ。何せ、彼本人が『学校なんて意味がない』と思いながら学校に通っているのだ。その秘訣でも教えてもらえれば伊織にも可能性があるかもしれない。
ただ、こんな風になるのは嫌だなぁ。見た目はそこそこ格好いいんだけど、性格がなぁ。
いや、性格と言うか、人間性が問題なんだけど。
「ほら。利人! 『生きる意味がない』とか言っている、人生舐めた中学生にガツンと言ったげて!」
「なんか、言葉に棘があったんだけど……」本を閉じ、自由ヶ丘君は溜息を吐く。流石に傷ついているらしい。その辺の感性は普通なんだ。「まあ、お前の言う通りだ。人生に意味なんてない。お前は正しい。以上!」
そして、自由ヶ丘君は本を開いた。えぇ……。閉じる意味あったの?
「あの、もう少し説得する構えを見せてもらえませんか?」
「違うよ、これは『取りあえず相手の言う事を肯定する』って言うテクニックだよ、多分」
何のテクニックだよ。そして、多分かよ。もっと彼氏のことを把握してから来て!
「例えば、コップの取っ手あるだろ? アレには何の意味があると思う?」
「え? そりゃあ、熱い飲み物を飲む時に持つ為でしょ? 直に触ると熱いから」
そして、何の質問? 心理テスト?
「じゃあ、手はどうだ? 人間の手はコップの取っ手を掴む為にデザインされたと思うか?」
「いや、コップの取っ手が発明されるよりも早く、人間の手はこの形でしょう?」
「そうだな。じゃあ、手の形には何の意味があると思う?」
「物を掴む為じゃないの?」と、千恵が答える。まあ、私も同じ意見だ。
「そう言う風に進化してきたんでしょう?」
「進化、ね。伊織、お前はどう思う?」
「…………手の形には意味がない」
が、伊織は私の考えを静かに否定した。
「その通り。人類の手はたまたまこの形の遺伝子を持った種が生き残った結果、この手の形になっただけだ。手の形には誰の意思も組み込まれていない。だから、この世には二種類の物が存在すると言えるかもな。『デザインされた物』と『デザインされていない物』だ」
「は、はあ」
それがどうかしたのだろうか? 今の話とどう、関係するのだろうか。
「そして、人間が作った物は『デザインされた物』であることが殆どだ。コップは水を入れる目的を以って作られたし、銃はより遠くの対象を攻撃する為に開発されたし、お前達が着るセーラー服の大きな襟は音を拾いやすくする為に縫いつけられた。どんなに無意味そうでも、人間が作った物には意図が込められている」
ますます、自由ヶ丘君の言葉は意味不明さを増していく。だが本に隠れた彼は何処か楽しそうで、それを見つめる千恵の表情は熱っぽい。ドア越しに、伊織が耳を傾けているのが何故だか簡単に想像できた。
「だから、人類は勘違いをする。キリンの首は高い木の葉っぱを食べる為に進化した、ツノゼミの形は擬態に向いていないから誰かの意図があるに違いない、私達が生きる理由が何処かにある筈だ、ってな」
「え? キリンはそうじゃないの?」
「逆だ。高い木の葉を食べることが出来た種が生き残ったんだ。まあ、諸説あるし、今も議論が続いている。が、『神様が創った』よりは進化論ベースの説を俺は支持するね」
「でもさ、大きいと敵から見つかりやすくない? 小さいやつより先に滅びそうだけど」
「いや、それは違うよ、亮子。私がライオンだったら、絶対にキリンには手を出さない。勝てないでしょ、あんな大きい奴。私達二人がかりでも、利人と喧嘩しようとは思わないでしょ? 利人、おっきいもん」
なるほど、確かにそれはそうだ。大きければ、強い。って、キリン談義はどうでもいいんだよ。
「自由ヶ丘君? 結局、君は何が言いたいわけ? もっと簡潔に言ってよね」
「いや、最初に言っただろ。『意味なんてない』。自分達が『デザイン』できるから、全てが『デザインされている』と多くの人間は勘違いしている。宇宙は人間では作りえない灼熱を伴って発生し、初期の地球は火達磨の惑星で、最初の生命は煮え滾る硫化水素の中で生まれたんだぞ? その後に続く俺達に、意味があるわけがないさ。人類と言う種の存在に誰の意図もない。無意味なんだよ。だから、『生きる意味』だとか『命の価値』だとか言う奴は、全員詐欺師だ。贋金造りの罪人だ。俺達は過去の詐欺師共に騙されているんだ。人生は無意味なんだよ。それに気が付いただけ、伊織は立派だ」
滅茶苦茶言い始めた……いや、最初から結構滅茶苦茶言っていたか。
「でも、それじゃあ、人間はどうして生きるわけ?」
「それも最初に言っただろ? 【『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんど、あらゆる『いかに生きるか』に耐えるのだ。】だ。生きるってことは、何も素晴らしくない。意味を求める連中にとっては地獄だ。ただ耐えることしかできない刑罰さ」
「ニヒリズムって奴だね」
え? 千恵、この話について行けているの?
「でだ、伊織。お前は正しい。人生に意味はない。傑作だな。それで、どうする?」
自由ヶ丘先生! 授業についていけていない人がここにいます。
「――どうするって?」
「お前はただ、ラクダみたいに耐えるだけなのか? って話だ。人生に意味はない。今までも、これからも、だ。例えどれだけ楽しい事があっても、それには意味がない。どれだけ人を愛した所で、やっぱり意味なんてない。どれだけ正義を語ろうと、どれだけ悪を褒めようと、そんな物は結局の所、便所の落書きと同じ価値しかないなんて言う価値もない」
「…………お兄さんは、どうして生きているの? そこまで言うなら、死ねば良いじゃない」
小さな声で、しかしはっきりと伊織が自由ヶ丘君の意見を打ち返した。あまりにも暴力的なその言葉を弟が発したと思うと、若干心が痛む。が、それは確かに私も感じた事だ。意味がないなら、何故に人生を続けるのだろうか? 何故に、耐えるのだろうか?
それが私にもわからない。
「だから、生きることに意味なんてないんだって。同じくらい、死ぬことにも意味がないしな。なんで、生きる意味がないと、死ぬんだよ? 俺達は無意味に産まれているし、無価値に死んでいっているんだぞ? どう死のうと、無意味で馬鹿馬鹿しい茶番だよ」
だけど、自由ヶ丘君は『質問の意味がわからない』と言わんばかりに本を片付け、笑顔で伊織の問いにそう返した。ああ。この人は根本的に私とは考え方が違うのだと、その台詞で理解させられた。格好を付けているとか、説得の為とかじゃあなくて、本当に生きることに意味がないと思っている。
それは無意味と言う意味でなく、不必要だと言っているのだ。
なんの目的もなく散歩に出るように、この自由ヶ丘利人は生きようとしている。価値がない事を認め、価値がない事にすら価値がない事を当然としているのだ。どんな矮小な人間でも生きて良いと肯定して、どんな偉人の努力も無価値だと同時に否定する。
生と死の境界線が極めて曖昧なんだ。どちらも価値がないから、等価。同じ物でしかないのかもしれない。
なんて、気持ちの悪い価値観だろうか? どうして無意味に耐えられるのだろうか?
私にわからない。自分に意味がないなんて、自分に価値がないなんて、どうやってそれを自分に認めさせているのだろうか?
「なんか言いたそうだな、横山」
「別に、それが説得になるのかなって思っただけ」
っと、目は口程に物を言うって奴だ。私はあわてて首を横に振る。
「ふん。説得ね。なあ、伊織。ぶっちゃけお前が一生引き籠っていようと、本当はどうでもいいんだ」
本当にぶっちゃけちゃったな。まあ、他人事なのは確かなのだろうけど。
「でも、どうやらお前にとってはそうじゃあないんだろう? お前は物事に意味を求めるタイプだ。だから、お前自身が一番わかっているだろう? 引き籠っていた所で、なーんにも変わらない。まったくの無意味だ。世界は変えられないし、お前は無価値だし、生きている意味なんて一つも見つけられない。なあ、伊織。学校なんて別に行かなくても良いけど、自分が有意義だと思う事やってみろよ。無意味な人生を、無意味に楽しんでみろよ。泡沫の夢だろうと、砂上の楼閣だろうと、取りあえず、ライオンみたいに何かに対抗してみろよ。千恵も言ったが、いつまでも甘えんな。今のままじゃあ、お前は薄っぺらい無意味で無価値なたんぱく質の塊に過ぎないんだぜ?」
「……………………」
この沈黙は誰の物だろうか? 自由ヶ丘君が勝手に喋り終えると、扉の前にはシンとした空気がまるで沈殿するように訪れた。少なくとも私は喋ってはいないけれど、私だけの物とは思えない。
結局、この人は私の弟(と言うか、社会を)無意味で無価値だと喋り通しただけで、何も身になることは喋っていない気がする。でも、似たような言葉を連続して使って、台詞ばかりが長かったせいで、なんとなく良い事を行った気がしないでもない。いや、気のせいか。
「お兄さん」
沈黙を破ったのは伊織だった。
「お兄さんには何か目標があるの?」
それは質問と言うよりは、祈りや懇願に似ていた。何かしらの共感みたいなものを、伊織はこの自由ヶ丘君に感じたのかもしれない。
信じられないことに、信じたくないことに。
だから、彼の真似をしようと思った。私は、そう感じた。
だから、優しい言葉で答えて欲しいと思った。嘘でも良かった。
だけど、自由ヶ丘君はそんな気を使える奴じゃなかった。
「【世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。】」
また、ニーチェ? だろうか。自由ヶ丘君は朗読をするように、まったく詰まらずにその言葉を放った。
私には、こう聞こえた。
『知るか。お前の人生だろ? お前の足で歩け』
なるほど。
この人は、強く、気高く、残酷で、要するに――――最悪だ。