表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

曇天の渓

作者: 塚田 さとる

 落ち込みにミノーを打ち込んだ。素早く糸フケをとり、リーリングを始める。どのポイントも、一番大事なのは一投目だ。一投目、そこでどれだけ良いキャスティングができるか、バイトに一発でフッキングできるか。全ては一投目にかかっている。だから、ルアーを打ち込んだ直後は、とにかくドキドキする。

 落ち込みまで7~8mはある、それなりに魚のたまっていそうなポイントだった。半分くらいまでリーリングしたところで、来た。魚がルアーを捕食し、一瞬反転しようとするその瞬間、必ずフッキングする。よし、合わせた。

 しっかりとフッキングしたようだ。ビクビクとロッドに伝わる感覚がたまらない。恐らくヤマメだ。水中にギラッと光る魚体が見える。ロッドにも、体をくねらせてフックを口から外そうとするヤマメ特有の動きが伝わってくる。魚が見えてきた。ランディング・ネットを準備した。

 ネットに収めたヤマメはバタバタと跳ね上がった。25~6cmといったところか。この川のヤマメは体高があり、鮮やかなパーマークをした個体が多い。山あいの集落の田んぼを縫って流れている、いわゆる「里川」というやつだが、地元以外の人が入ることはまず無いので、かなり竿抜けしている。一見小規模な印象とは裏腹に魚影が濃いので、私のお気に入りの川の一つだ。私はしばらくその鮮やかな魚体に見とれていた。よく見ると、鼻先が少し曲がりかかっている。きっと来年の冬あたりには海に下り、立派なサクラマスとなって、春先またこの川に戻ってくるのだろう。弱ってしまう前に写真を一枚撮り、ありがとう、と声をかけ、リリースした。魚を釣ったら必ず写真を撮るようにしている。川によって、同じ魚でも特徴があって面白いからだ。ヤマメは一瞬私の足元に留まっていたかと思うと、あっという間に流れの中に消えていった。幸先よく良型ヤマメが釣れ、心が躍る。


 9月ももう終わる。山はゆっくりと時間をかけて色づき始め、川沿いの林道は落葉樹林の葉が落ちているのが目立つようになった。日本の川では魚の生態系を保護する目的で、10月~2月の間は禁漁期間として設定される場合が多い。シーズン残りわずか、思えば今年も毎週のようにあちこちの川に入り、山奥でひっそりと暮らす渓流魚たちとの出会いを楽しんだ。またしばらくの間は家で釣り道具を眺めるだけの、退屈な時期に入ってしまう。少し禿げてきた山の景色を見ていると、いっそう寂しさが募る。


 熊除けの鈴を鳴らしながら林道を歩き、上流のポイントを目指す事にする。少し行くと大きな堰堤があり、その上流はほとんど手付かずの自然が残っていて、尺超えのヤマメやイワナが釣れることもしばしばだ。たいていの山は川に沿って林道が通っているので、上流まで行くのには必ず林道を歩く事になる。堰堤を造るような大規模な工事をする際は林道も活躍したのだろうが、今となっては私のような地元渓流アングラーか、春先の山菜取り、秋口のキノコ狩りの人しか使わない道となっている事だろう。この山は植林もされていないから、林業の業者が出入りすることも無い。日本にもまだ、地方の山奥に行けばこういう「手付かず」の状態に近い山はいくらでもある。私は人里の景色も好きだが、人間の匂いがいよいよしなくなる山奥の静かな景色が大好きだ。地方に住んでいるとはいえ、平日は客と上司の板ばさみにあう、この国にありふれた、たった一人のサラリーマンだ。そんな日常の雑音の一切を洗い流してくれるのが、今、すぐそばを流れている渓谷の激流だ。まだ幼い頃に父親に連れられて見た、あの時の渓流がいつでも私の相手をしてくれる。


 林道と川の高低差が少なくなってきたところで、再び入渓した。川幅は狭くなり、水流は勢いを増している。ルアーをミノーからスプーンにチェンジし、速い流れに負けないようにと意識した。少し上っていくと、川の両岸が切り立った崖のようになっている、いわゆる「ゴルジュ帯」にさしかかった。ゴルジュの下は細いが、かなり深い淵になっており、これ以上の遡行は難しく感じられた。山に入ったら自分の命を守ることを第一に考え、無理な遡行は、絶対に避けなければいけない。ここを試したらまた林道を歩かなければ、と思いながらキャスティングをシュミレーションする。ゴルジュの下流、淵になっているところに大物がついていそうだ。手持ちのルアーの中で最も重い、12gのスプーンをキャストし、しっかりフォールさせた後、リーリングを始めた。今日はこれから、どんな魚がアタックしてくれるだろうか―――。



 渓流アングラーが主にターゲットとするヤマメ、イワナはとにかく警戒心の強い魚だ。人間の姿が少しでも視界に入るとそこから逃げてしまう。渓流釣りは、一箇所に留まってするものではなく、川を上流へ、上流へと上りながら、魚のいそうなポイントを探り探り釣っていく。決して大げさでなく、歩き方一つにも気を遣わなければいけない。源流付近になると川幅も狭くなってくる。すると、魚の警戒心はいっそう増す。良いポイントを見つけたとしても、自分がそのポイントに対してどの角度からキャストするか、どの流れを通してくるか、等、重要な要素を挙げればキリが無い。つい集中力が途切れてしまい、バシャバシャと川を歩いてしまったとする。すると、隠れていた魚がものすごい速さで上流へと逃げていくのが見える。そんな光景は、川を上っているとよく目にする。

 技術だけでなく、天候、時期も釣果を大きく左右する。渓流魚は低水温を好む為、日照時間が長く水温の上がる夏は、川の水量も一気に減り魚の行動範囲が極端に狭くなるので、あまり釣りに適さない。最も適温になると言われるのが、五月の連休明けから六月いっぱいにかけてだ。魚がエサを求めて活発に動き出すのはこの時期なので、渓流釣りのハイシーズンと言って良いだろう。

 正直考えすぎかとも思うが、曇り空の日は条件が良いと言われている。灰色の空は水面に反射しない為、魚のいる水中から外界の様子が見えづらくなるから、というのが理由だ。迷信めいた話に聞こえなくも無いが、いざ釣りに出るとなると、ある種の冷静さを失ってしまうのが釣り人の性なのだと私は思う。そう、曇り空の日は、いつもより気合が入るものだ。



 先ほどのゴルジュより更に上流は、いっそう険しい渓谷になっていた。荒々しい流れの中で顔を出してくれたイワナ達はどれも傷だらけで、この1年を必死に生き抜いてきた証をその身で表していた。時刻は13時。今日はこれぐらいにして、林道を下り、車の停めてある集落の外れまで歩くことにする。

 車はジムニーだ。林道の悪路を走る為に少しリフトアップしている。タイヤ周りは泥がはねてかなり汚れている。定期的に洗車をするようにしているが、こうも毎週のように山に出ていると少し面倒になる。ウェダーから着替え、運転席に座ったところで一気に眠気が襲ってきた。今シーズンも残りわずか、そんな事を考えていると川が恋しくなる。実は、今年は釣り本来の楽しさを味わえなかったような、そんな気がしている、どの川に入っても、どこかうわのそらの自分がいた。あることが、片時も頭を離れなかった。それは春先に知人から聞いた、禁漁河川「錆岩沢」(さびいわさわ)の話だった。



 大昔(それは私の父親世代の話だ)錆岩沢は名河川「岩見目川」(いわみのめがわ)の支流として釣り人達の間でも有名だった。岩見目川には無数の支流が注ぎ、どの沢も魚影が濃く、豊富な水量の中でたくましく育った魚たちはとにかく魅力的だったようだ。私も1年に一度は本流を訪れるが、この川にはダムや堰堤が一切無く、シーズンを通して水量が安定しているので魚がよく育つ。多くの水を蓄える事のできる、天然のブナ林がその豊かな自然の母となっている。今でも大型の渓魚を求めて、全国からアングラーが集まる程だ。

 しかし、誰もがこの川で起こった負の歴史を忘れてはいない。渓流釣り人口が日本で最も多いと言われていた今から20年程前、当時の釣り人達の乱獲、また心無い人達の不法投棄等で、川は荒れた。地元組合は、上流域のイワナ・ヤマメの個体数が3年間で3分の1まで減少したと発表している。中流域でもアユ漁がほとんど商売にならなかったという。本流で棲みかを失った魚たちは、更に上流の支流へと生息域を求めた。そのうちの一つの支流が、錆岩沢である。錆岩沢は数ある支流の中でも流域面積が広く、本流から多くの魚が上っていく事が予想された。組合は状況をいち早く危惧し、錆岩沢を含む、本流に注ぐ全ての支流を「禁漁河川」として設定した。当時、生態系は何とか守られたようだが、過ちを現代の釣り人にも伝えるため、禁漁の鎖は未だとかれていない。



 そんな歴史から「十分な時間が経った」と、人々の心に壮大な勘違いが芽生え始めたのだろうか。れっきとした「密漁」への好奇心がこの地域の釣り人達に渦巻き始めた。ここ数年、錆岩沢での密漁者の逮捕が聞かれるようになった。地元住民の通報等から発覚したらしい。再生を遂げようとしていた自然を、人間のほんの出来心があっさりと壊してしまう行動は、報道でも大々的に取り上げられた。




 「錆岩沢、やっぱり凄かったらしいよ」


 そんな話を聞いたのは今年の春だった。私は毎年、春に地元組合が主催する渓流釣り大会に参加している。ヤマメ・イワナを対象魚とし、釣った魚のうち3匹の合計サイズで順位を争う、というのがルールだ。参加者は50人程おり、地方の一釣り大会にしてはかなりの競争率と言って良いだろう。今年、私は20cm弱のヤマメを3匹釣るのがやっとで、とても上位に食い込む程の成績では無かった。しかし、釣り大会の醍醐味はそれだけではない。毎年楽しみにしているのは、参加者同士での釣り談義である。

 今年はあそこの川が良さそうだ、とか、新作ルアーの使い勝手がどうだ、とか、どこそこの林道が落石で通行止めになっている、といった情報まで手に入る。私は1人で釣りに行くことがほとんどなので、そこで得た情報で凝り固まった経験則や技術を更新する良い機会になっている。いつの時代になっても、口承での情報共有というものは本当に貴重だ。また面白いもので、そこで話す知人達と実際に山で出会う事なんて滅多に無いのだけれど、同じ川に入っていたりしているので、皆似たような経験を持っていたりする。県外からの参加者はその日から何日間か滞在して県内の川を回る人もいるので、地元アングラーの話に必死に耳を傾けている。

 その中で、知人の1人が錆岩沢の話をした。どうやら噂で聞いた話のようで、それは去年の秋口に錆岩沢で釣りをした男の話、だった。沢は両側が切り立った岸壁で、岩々が険しく立ち並び、水が轟音を立てて落下する様は「沢」というよりは、「小さな滝の連続」だったという。当然、人間が簡単に入れるような谷ではなく、遡行は命の危険と常に隣り合わせの状況だ。しかし、竿を出してみるとそんな状況である事はふっとんでしまった。魚が、「うじゃうじゃいた」らしい。それも尺上サイズは当たり前だったというのだ。

 そしてなんと、かつてこの沢で棲息していたという幻の魚「ヤツミ」が釣れたという。ヤツミはイワナの亜種で、体長は最長でも25cm程。普通釣れるイワナと同じように、白の小さな丸斑点が体の側面から背中にかけて多く見える。しかし大きく異なる点はその中に赤い丸斑点が体の側面に数個並んでいるところだ。また、イワナにはうっすらとしか見られない、ヤマメにあるような楕円形のパーマークがはっきりと浮かんでいるらしい。一見北海道に棲息しているオショロコマに似るが、そのパーマークの存在が由来となって、ヤツミ単独で亜種とされるようになった。残念な事に今はもうその姿がほとんど見られなくなってしまったので研究も進んでおらず、生態は未だ解き明かされていない。私の父親が子供の頃には既に個体数の減少が囁かれていて、現在は絶滅危惧種に指定されている。私は小学生の頃の社会科見学で行った郷土博物館でヤツミのホルマリン漬けを見た記憶がある。そこで初めて、ヤツミがこの世界に生きていたという確固たる事実を知った。正直、はっきりとした印象は残っていない。だが、今考えてみればその事実は、私の中でのヤツミという存在をある種のロマンに仕立て上げる事を容易くした。ヤツミが錆岩沢にまだ泳いでいる。改めてこれには驚いた。きっと錆岩沢は、失われつつあった太古の昔の自然の姿を、かろうじて留めているんじゃないか。そしてそれは、禁漁の名の通り、人間が決して踏み入れてはいけない世界なのだ。




 私は一度でいいから釣ってみたかった。日本の原風景をその身で体現するヤツミを。渓流釣りというのは、「遊漁」として自治体によって位置づけられていて、1日1000円、といった具合に釣り人たちから「遊漁料」を徴収している。その遊漁料を元手として、自治体は組合を通してイワナやヤマメの放流を行っているのだ。ここにヤツミが激減した理由がある。かつてヤツミは東北地方の一部の河川で棲息していたが、養殖が簡単な別種の「トウアイワナ」が多くの川で放流された。成長のスピードが速いトウアイワナを放流するという行為は、その川が持つ本来の生態系を壊してしまった。この錆岩沢では釣り人達の乱獲も相まって、ヤツミは一気に絶滅の危機に立たされたのである。釣りを楽しむ為に放流は仕方の無いことだとは思うが、そうして造られた川は、やはり本来の姿では無い。山に入る人間たちが正しい姿勢で自然と向き合えば、そもそもそんな事をする必要は無かった。

 ヤツミがこの日本にまだ棲息している。それも、こんな身近に。この事実に私はとにかく心を惹かれた。私がいつになっても山に入る事をやめられずにいる理由を考える時に「大自然への好奇心」という気持ちがまず浮かぶ。この上流はどうなっているのだろう、この川にはどんな魚が棲んでいるのだろう、挙げだしたらキリが無いが、渓流釣りに対する全ての動機はこの好奇心という感情に詰まっている。それは、どこまでも際限なく広がる、とてもやっかいな感情だ。山で安全に釣りを楽しむ為には、この感情と上手く付き合っていかなければならない。それが出来ない者は、山で事故を起こす。林道から沢に降りる際に、危険な斜面を無理して降りようとし、足を滑らせて斜面を滑り落ち大怪我をする。水量の多い淵を対岸に渡ろうとして、急流にのまれてしまう。これらの裏側には、渓流アングラーの、際限の無い好奇心が必ず潜んでいる。この上流に行ってみたい、もっと大きな魚を釣りたい、そんな気持ちが事の起こりとなり、いつまでも山奥での事故は絶えないでいる。

 錆岩沢で釣りをするということ。それは先にあげた事故を起こす者の心境と全く同じだ。今でも生息しているという噂のヤツミを釣ってみたい、その一事に尽きる。私は知人の錆岩沢の話を何の気なしに聞いていたつもりだった。逮捕者が出ている事などに関しても、一つの感情や意見を持つという事もなかった。頭の中ではぼんやりと、来週末、9月最後の釣行はどの川に入ろうか、と「のんきに」考えていた。




 その1週間はとても長く感じられた。平日の仕事はうだうだと続いた。仕事には飽き飽きしていた。私は一体いつまで顧客に頭を下げ続けるような事を続けるつもりなのだろう。大卒で就職して、もう12年目になる。今でこそ少しの部下を持ち、ある程度責任の大きな仕事を任せられる立場になってきたが、仕事に対して前向きな気持ちを持つ事はいつになってもできなかった。一体何の志があって会社員になったのだろう。今は毎週末の釣りが唯一の楽しみだ。まあ、そういうものが生活の中で一つでもあれば十分幸せか。全てを洗い流してくれる、山奥の激流の轟音が恋しい。この思考は、私の好奇心をエスカレートさせていく。そんな事も、もう十分に分かっている。




 9月最後の週末がやってきた。私はその朝、夢を見た。それは、いつものように山に入っている夢だった。記憶にあるのは、大堰堤を目の前にしたシーンだった。私がその堰堤を前にロッドを構えようとすると、堰堤の下、大きなプールになっているところに、あろうことか魚たちが整列しているのが見えた。なんという光景だ、と私は思った。100匹はいるのではないか。地上から見ても魚のパーマークがやけに目立っていた。どういう心境だったか分からないが、とにかく私はルアーをキャストした。確かこうだ。リーリングの途中、とにかく、一番大きな魚がかかってくれ。そう思っていたはずだ。そして期待通り、軽く50cmはあるのではないかという魚が追ってきた。そしてルアーに食いつこうとするその瞬間、焦った。合わせるのがワンテンポ遅れた。

 「合わせなきゃ」気がついたら私は声に出してベッドから起き上がっていた。不思議な夢だった。5時半だった。そろそろ起きて釣りに出なければ。私はもう決めていた。今日は岩見目川の更に上流に行ってみようと。

 私はジムニーを走らせた。軽快だった。今日は曇り空。気温は少し低いか。水温はどうだろう。魚は動いてくれるか。今シーズン最後の釣行。楽しませてくれよ。




 林道をひたすら上っていった。岩見目川は大河川なので林道も長く続いている。しかし、何年も、誰も訪れてはいけない更に上流が、この川にはある。不思議な気持ちだった。私は、これから私自身が何をしようとしているのかを、あえて知ろうとしなかった。だんだんと道幅が狭くなってきて、ジムニーのボディには両端の草木が常にこすられていた。いよいよ行き止まりらしい。崖崩れで、土砂や岩が林道を完全にふさいでいた。車を幅に寄せ、エンジンを切って外に出た。林道と川の高低差はかなりあるようだ。遠く聞こえる沢の音が、私を前向きな気持ちにさせた。いつだってそうだった。バックパックを背負い、崖崩れをよけ、林道を更に上流に向かい歩き始めた。看板があった。「天然イワナ保護の為、これより上流は禁漁区間とする」。初めて見た。これが、岩見目川の禁漁区間か。更に上流に行くと、いよいよ無数の支流が流れ込む。

 林道はケモノ道だった。長らく車が通っていない景色だった。山は、一音も立てなかった。山側の斜面を見る。ブナ林だ。見事なブナ林だ。一度白神山地に行った事があるが、それに匹敵する、手付かずのブナ林だった。とにかく、山は、一音も立てなかった。音を立てずに、ひっそりとそこにあった。

 私は今、この山を歩いているという事にひどい罪悪感を覚えた。熊除けの鈴がやかましく鳴る。それはどう考えてもありえないことだった。この山では、絶対に鳴るはずの無い音だから。

 錆岩沢の名前の由来を父親から聞いた事がある。それは、まだこの地域でマタギが猟をしていた頃に遡るらしい。マタギは何日間か山に篭って狩りを行う場合、山で食料を蓄えておかなければならない。当然、沢に棲む魚たちも貴重な食料となった。特に標高の高い山でも棲息できるイワナは重宝された。マタギたちは他の者に沢を荒らされないように、イワナの漁場を持っていた。本流で獲ったイワナを、山奥の支流に放流する。そこで繁殖したイワナは、翌年の冬に捕獲し、その年の食料とする。これを「マタギのイワナ移し」という。その昔、この地域のマタギたちが岩見目川で獲れたイワナを錆岩沢に放流した。山奥で、雪が深い沢の為、冬季に獲れるイワナは体にサビがついていて、全体的に黒ずんだ見た目だったという。それが由来となって「錆岩沢」(サビたイワナが獲れる沢)と名づけたらしい。ヤツミのような個体が繁殖したのには、この辺りの話が関係してきそうだ。またこの言い伝えは、錆岩沢が相当な山奥だったという事実を物語っている。




 林道は分岐路に到達し、川は左右に分かれていた。右側が本流。左側には「錆岩沢」の看板があった。その三文字に私は身を震わせた。橋から川を覗いてみる。吸いこまれそうな青の、水量の豊富な、見事な渓相をしていた。私はもう目を奪われてしまった。ちょうど大きめの淵になっていて、見ると黒い影が表層にゆらゆらしている。魚だ。3匹は見える。




 ここまで来て、迷う理由は無かった。私は、錆岩沢の方の林道を進んだ




 林道は悪路を極めた。人間がようやく1人歩けるくらいのスペースしか無く、あとは草木がうっそうと茂っていた。視界の端に、見たことの無い、色鮮やかなキノコが生えている。私はキノコはやらないので分からないが、実はもの凄い大発見だったりするのではないか。沢側の斜面に、巨大な倒木があるのが見えた。一体何年ものの木だったのだろう。夏の台風で倒れたのだろうか。この大木が、誰もいない山奥で凄まじい音を立てて倒れる様を想像する。それは、長い、あまりにも長い時間が経った証だったはずだ。そういう代物が、たった1人の人間の目の前に、ただ存在するという事実は、恐ろしいことに感じられた。今まで幾つもの山に入ってきたが、この林道に入ってから見るもの全てが私の想像を悠に超えていく。人間の手が一切加えられてない自然は、大変な時間をかけて、姿を変えていっているのだ。

 次第に沢との高低差が少なくなってきた。見ると、すぐ脇にかつてまた別の沢が流れ込んでいたのであろう跡がある。草木もそう茂っていない。ここなら安全に沢に降りられるか。私は慎重になった。確かに斜面は比較的ゆるやかだが、こういう箇所は地盤がゆるくなっている事が多い。ましてこんな人跡未踏の山では尚更だ。一歩ずつ、慎重に降りてみる。問題なさそうだ。草木を踏みつける事さえ、ひどくいやな思いがした。谷底から、沢の音が聞こえてくる。あと少し、もう少しで降りられる。焦る気持ちは抑えられなかった。心臓の高鳴りが大自然に響いているような気がした。




 とうとう、禁漁区間、錆岩沢に足を踏み入れた。先ほど橋の上から見た渓相とは一変していた。川幅はかなり狭くなり、岩々の間から水が凄まじい勢いで落下している。それらの真下に落ち込みが所々あって、けっこうな深さがありそうだった。そしてこれより上流に遡行するには、このほとんど垂直になっている岩をよじのぼっていかなければいけない。これは、非常に危険だ。入渓地点を誤ったか。一つのポイントを試したら難所続きの遡行を強いられる状況だった。とは言っても、この目の前の数ポイント、ここを試さない事には始まらない。人間が容易に入ることが出来ない、まさに魚たちの楽園のような沢だ。私は錆岩沢で試すのはワンポイントと決めた。それがせめてもの、自分に対する許しだと思った。そこで魚が出ても、出なくても引き返すつもりだ。




 ロッドを準備した。自分の影が川面に映った瞬間、全身が震えた。まだ、キャスティングはしていない。たとえ今この姿を誰かに見られても、まだ取り返しがつくかもしれない。しかし、このポイントを目の前にして、引き返すことなんて毛頭思わなかった。対岸には大淵がある。沢は相変わらず轟音を立てて水を落下させているが、この淵はその狂騒がうそみたいに、ゆっくりと流れている。その場違いな雰囲気に吸い込まれそうになった。一投目、とにかく集中する。ルアーをどう通してくるのかをしっかりイメージする。魚がどこでアタックしてくるかをイメージする。自分の姿が魚たちに気づかれないよう意識する。淵のおおよその深さをイメージする。意を決して、対岸の淵にスプーンをキャストした。かなり深さがあるようだ。底につくまで10秒数えた。ラインをしっかり張ってアタリに全神経を集中させる。リーリングを始める。そして、ほぼ同時にラインが引き込まれる感覚があった。かかった。ロッドを伝って心臓まで打ち抜かれるような興奮を覚えた。焦るな。慎重になれ。魚があがってくるまでの時間は、とても長く感じられた。あがってきたのは、20cm程のヤツミだった―――。




 来る時は気がつかなかったが、ジムニーを停めている崖崩れのところは、小高い丘のようになっていて、山全体が見渡せるような場所だった。眼下の山々は少しもやがかっていて、雨が降り出しそうな気配だった。私はバックパックを肩からおろし、ウェダーから着替えた。一通り片づけが済んで、車に乗り込んだ。静寂が訪れた。林道を歩いていた時に感じた静けさとは、また違う種類の静けさだった。釣り上げたヤツミや、倒れていた大木を思い出す。終わってしまえば、こんなものかと思った。






 ジムニーはまた、来た道を引き返していった。エンジンの音は、ただやかましく、山に響いていた。彼は車の中で一言、こうつぶやいた。川が、恋しい。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ