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満月のシロツメクサ

 洞窟の入り口はとても狭く、私はかなり苦労して中へと入り込んだ。入ってからしばらくは同じ感じでとても狭く、私はレオのシッポを離さないように付いていくのに必死だった。

 二~三〇メートルほど進むと、突然、体を締め付けていた壁の感覚が無くなり急に道幅が広くなった。レオが言っていた通り、壁のあちこちに灯りが灯り、中はずっと明るい。

 私たちは、列をなしたまま進んだ。

 洞窟の中は左右に迷路のように細い道が走っている。でも、幸い今夜は、灯りの灯っている通路を真直ぐに進んでいけば良かった。

 私も余裕が出てきて、再び二人と話をしながら歩いた。

「今夜の公葬はとっても大掛かりですよ。参列者がたくさんいるのです。海外からも何人もいらっしゃいます」

 レオがちらっと私を振り返る。

「いやはや。サクラばあさんは、かつて、バケネコ協会バケネコ認定委員会の委員長をしていたこともありますし、婦人連の理事や、「世界の『共生』を考える会」の代表など、本当にいろいろな役員をされていたのですよ。昨年、八七五歳のお誕生日を迎えたのを機に、この地区の長老を引退されてからは、名誉顧問として必要な助言をしてくれたりしていたのですが……」

「八七五歳???」

 思わず口をついて出た声は上擦っていた…と思う。

「サクラ、そんな歳だったの??」

「いやはや。驚かれるのは無理もありません。普通の猫の年齢ではありえませんからね。我々は、バケネコになるとおよそ九〇〇年の命をいただくんですよ。もちろん、多少は短くなったり長くなったりすることはありますがね」

「じゃぁ、もしかして、トッドやレオも?」

 この二人も、若く見えるけど、本当はすごい歳なのかもしれない。私は、改めて二人をじっと見た。

「いやはや。私たちはまだまだ若輩者。それにしてもサクラばあさんは…」

 トッドは一端言葉を切って、

「今年に入っては、ご存知のようにご体調が優れませんでしたよね」

淋しそうな声で視線を落とした。

「うん」

 私も頷いた。

「サクラ、夏の暑さには特に参っていたみたいね。いっつもベッドで眠ってた。でも時々、いなくなったりしたの。もしかして?」

「いやはや。そうですよ」

「サクラばあさんは時々、こちらにご休養にいらっしゃっていたんですよ」

「もっとも、お迎えを出して、ですがね。だいぶ足腰が弱っておられましたから」

「ここに休養に?」

「いやはや。ここには、鉱泉もありましてね。立派な休養施設が作られているのですよ」

 一段と広くなった通路に入って、トッドが私の隣に並びかけながら自慢げにヒゲを動かした。

「休養施設ね……」

「バケネコのテクノロジーはなかなかのものですよ。人間に魔法を教えたのも、もともとは我々のご先祖だった、と言う話ですからね」

「ふぅん」

 今夜はいろいろなことが一気に起きる。

 まずは猫に声をかけられて、ホタルブクロが提灯になって、ノイバラは分かっていて、バケネコは優れたテクノロジーを持っている。

 でも一番衝撃的なことは、大好きだったサクラが死んでしまったことだ。

「さぁ、この扉の向こうが会場です」

 大きな扉の前に立って、レオにそう声をかけられた時、急にその事実が重みを持って心にのしかかってきた。

「さぁ、これをかぶって下さい」

 トッドが黒いレースのベールを私に差し出した。

 私は込み上げてきた涙を見られないように、トッドから少し顔を背けてベールを受け取った。

「いやはやお嬢さん。遠慮はいりません。楽しい時には笑うもの。悲しい時には泣くものです。それが普通です。涙を流すことは、少しも恥ずかしいことではありませんよ」

 トッドは私に気を使ってか、私の方を見ないように背を向けながら、そう、穏やかな声で言った。

 トッドもレオも、既に黒いベールをかぶっている。

「ありがとう。トッド」

 私は静かにベールをかぶりながら、小さな先生にお礼を言った。

「さぁ、皆さんがお待ちでしょうからいきますよ」

「うん」

 レオが扉の呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアは内側に開いた。

 中は広いホールになっていて、黒いベールをかぶった猫、いや、バケネコ達がたくさん集まってきていた。

「美香お嬢さんをお連れしましたよ。どいてどいて」

 レオがそう先払いをしながら、私をホールの奥へと連れていった。ホールの一番奥に、たくさんの白い花で埋め尽くされた祭壇があって、サクラの肖像画が飾ってあった。雪のように白い豊かな毛が輝いて見える。とてもきれいに描かれた肖像画だった。

 私は、その祭壇の正面の席に腰を下ろした。

「お待ちしていました。御親族の方ですね」

 突然横から声をかけられた。そちらに顔を向けると、長いヒゲを蓄えたバケネコが、

「この度は本当に御愁傷様です」

 深々と頭を下げてくれた。

「この地区のヤムじいさんですよ。今夜の葬儀を取り仕切ってくれているんです」

 レオが傍らで私に教えてくれる。

「早速ですが………」

 ヤムは手に持つ分厚い紙の束をペラペラとめくりながら、

「本日の段取りを簡単に御説明します」

と私の顔を見上げた。

「はい」

「まず、司祭がやってきて、祈りの言葉を捧げてくれます。それから参列者の何人かがお別れの言葉を述べ、儀式、これらはちょっと複雑で長々しいものですが、まぁ、ご勘弁下さい。その儀式の中に、あなたの出番があるのですよ」

「私も何かするの?」

「えぇ。でもご心配なく、そんなに難しいことではないのです」

「どんなこと」

 私の質問にヤムは大きく頷いて、少し間をおいてから、

「申し訳ありませんが、その詳細をお話することは出来ないのです。これは、決まりなのです。話してしまうと、サクラばあさんが上手く再生出来なくなってしまいます」

 申し訳なさそうに小さく首を横に振った。

「再生?」

 老猫は、白いヒゲを揺らして再び大きく頷いた。

「どういうこと? ねぇ、わたし、何をすればいいの?」

 ヤムの煮え切らない態度に困惑して、私は急に不安になった。

「いやはや大丈夫です。難しく考える必要はありません。お嬢さんなら大丈夫。お嬢さんが感じた通りに行動すればいいのです」

 トッドが私の背中をポンポンと軽く叩きながらそう言ってくれた。

「全ては、儀式の後にお話します。お嬢さんが疑問に感じたこと全て、何でも聞いて下さって構いませんから」

 ヤムは紙の束の中から数枚の紙を抜き取った。

「本日の参列者の名前が書いてあります。ご参考までにどうぞ。お嬢さんに分かるように日本語に翻訳してありますから」

「ありがとう」

 差し出された紙を、小さくお礼を言って受け取る。ベージュ色で少し厚みのある紙は、古代エジプトで使われていたというパピルスのように見える。その紙の上に、几帳面な字で、ぎっちりと名前が記されていた。

「ではよろしくお願いします」

 最初と同じように深々と頭を下げて、ヤムは慌ただしく人込みの中に消えていった。

「ねぇ、トッド。私本当に大丈夫かな」

 レオとトッドが、私の両脇に座ってくれることになって少しは気が楽になったけれども、自分が何をしたらいいのか分からなくて泣き出しそうなくらいに不安だった。

「まだご心配なさっているのですか?」

 うつむいて押し黙ったままの私の顔を覗き込むようにしながら、レオが心配そうに声をかけてくれる。

「いやはや。ご心配はいりませんって。サクラばあさんが『ぜひともあなたに』とおっしゃってあなたをお招きしたのですよ。大丈夫。もっと気持ちを楽にして下さい」

 トッドが私の顔を覗き込みながら優しい声をかけてくれる。

「う、ううん」

 レオの柔らかな手が、私の手の上に重ねられる。

「大丈夫ですよ」

 ギュッと力を入れてくれた肉球のぬくもりが、手の甲に伝わってくる。

「バケネコの葬儀は、人間達のものとは少し違っています。私達は『生きること』『死ぬこと』を当然のこととして受け入れます。感情の趣くまま、自由に感じ、考え、行動するのです。そこには規律や制限は何もありません。ですからその別れの時も、決まりごとで縛られることは何もありません。式は順序があってそれに乗っ取って進行はしていきますが、その順序は、ただ『順番』としての法則を持つだけで、その他のいかなる制限も持ちません。つまり『してはいけないこと』は何もないのです」

 トッドが優しく、私の肩を抱くようにしながら話しかけてくれる。モフモフの毛が、首筋に触れてくすぐったい。

「さぁ、始まりますよ。気楽にいきましょう」

 レオが自分の長いシッポを、静かに私の腕に絡ませる。

「うん」

 二人の言葉に少し気が楽になって、私は小さく頷いた。

 ゴホン

 ヤムじいさんが、ひとつせき払いをして、

「さてそれでは、サクラばあさんのご公葬を始めさせて頂きます」

と、厳かに告げた。

 場内の喧噪はぴたりと止んで、し〜んと静まり返ったホールに、静かにレクイエムが流れてきた。

 金と銀の光り輝くような衣裳を身につけた司祭が五人。静々と祭壇の前に進んで来た。そして、最前列に座っている私の方を振り返って、揃って深々とお辞儀をした。私も弾かれたように頭を下げる。

 曲は更に静かなものへと変わっていた。今まで聞いたことがない、しかしどこかとても懐かしい心に響く旋律だ。

 司祭達は祭壇の方へ向き直り、その美しい曲に、静かに祈りの言葉を乗せていった。

 それは、時に低く、時に高く。歌うように優雅に私の心に響いて来る。言葉は、私には意味の分からない音の塊として聞こえた。山道でトッドが言っていた、『儀式の時に使う特別な言葉』に違いなかった。 意味は分からない言葉ではあったが、実に心地よい響きだった。

 祈りの言葉が終わると、今度は参列者からのお別れの言葉だった。

 みんな、私に分かるように人間語を使って、サクラの業績や、数々の思い出を語ってくれる。

 それは私の知らないサクラの、大切な思い出だった。

 私は、静かに目を閉じていた。

 サクラとの楽しかった日々が、走馬灯のように瞼に浮かんで来る。

 一緒にレンゲ畑を散歩して、一緒に自転車に乗って、一緒にお刺身を食べて、一緒にコタツで眠って。 思えばいつも、傍らにサクラがいた。

「さて。それでは最後に、サクラばあさんの御遺族代表の高橋美香さん、お願いします」

 ヤムじいさんの少し嗄れた声が私の名前を呼んだ。

「サクラばあさんと最後のお別れを」

 司教の一人が恭しく頭を下げながら、祭壇の方を示した。

 祭壇の上に置かれていた満月のような物体は、サクラの棺だったのだ。

 戸惑っている私の手に、優しい温もりが伝わってきた。

 ゆっくりと視線を落とすと、トッドとレオが優しく私の手に自分の手を重ねてくれていた。

そして。

 二人の瞳は、「大丈夫」と言っていた。

 私は二人の顔を交互に見て、小さく頷いて立ち上がった。

 司祭達は、再び美しい祈りの言葉を歌い始めていた。それはいつの間にか場内全体から響いてきて、参 列者みんなが、同じように祈りの言葉を捧げてくれていることに私は気がついた。

 何をしたらいいのか、ヤムじいさんは結局教えてくれなかった。トッドもレオも、何一言。

 でも何となく私には、何をしなくてはいけないのか分かっていた。

 満月の棺のふたを静かにスライドさせると、シロツメクサの花に埋もれるようにしながらサクラが横たわっていた。白い雪のような被毛は、こんな時でさえとても美しかった。

「……サクラ……」

静かに手を差し入れてサクラの体に触れた。サクラの体は、なぜかまだ暖かく、まるで眠っているようだった。

「サクラ」

 私はもう一度サクラの名前を呼んだ。

 涙がとめどなく流れてきて頬を伝っていく。

「サクラ。今まで……ありがとう……また会おうね……」

 最後の方は、もう言葉ではなくなってしまっていた。あふれてくる涙を抑えることができない。涙は頬を伝って、サクラの体の上に、そして満月の棺の上にポタポタと落ちていく。

 すると。

 静かに、しかし力強く棺は明滅し始め、見る間にその輝きを増していった。

「あ……」

 びっくりして言葉を失っている私の元に司祭が歩んできて、

「サクラばあさんの棺を抱いて。御出発を見送りましょう」

静かに告げて歩き始めた。

 私は言われた通りに、明滅している満月の棺を抱きかかえ、司祭達に続いてホールを出た。

 ホールの奥の階段を下った地下の小部屋に、透き通るような水をたたえた泉があった。その泉には、満月が映っている。

 見上げると、洞窟の、更にその地下であるにも関わらず、天上には、空にかかる大きな美しい満月が。

 降り注ぐ満月の銀色の光が、シロツメクサの白を鮮やかに照らし、サクラの体をより一層きれいに映し出していた。

 私は、もう一度静かにサクラの体を撫でて、優しくその額にお別れのキスをした。そして司祭の指示に従って、サクラの棺を泉に浮かべた。

「さようなら……サクラ……」

「さようなら、サクラばあさん」

 傍らでトッドが言った。

「さようなら、サクラばあさん」

 傍らでレオも言った。

「さようなら、サクラばあさん」

「さようなら」

 参列者みんながサクラにお別の言葉を言った。

 泉に浮かんだサクラの棺はクルリクルリと回った後、静かに宙に浮いた。

 その頃には、点滅がものすごく速くなり、もう目では確認できない速度になっていた。サクラの棺は、まばゆい輝きに包まれて、溢れるほどの光を放ちながら静かに空へと登りはじめていた。

 そして、明るさがどんどん強くなって、強烈な輝きがその限界を超えた時……。

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