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明るいホタルブクロ

 草むらを抜けるとすぐに森が始まっていて、わずかに獣道のような細い道が山肌を這うように続いている。

「でも、帰りが遅くなったらママが心配する」

 少し歩いたところで、私はようやくそのことに気がついた。

 一番重要なことだ。

 パパは海外に長期出張中だから、ママは異様に私の身の安全を気にかける。それは、イギリス人のママが、異国で暮らす上での警戒心から来ているのかも知れなかった。

「いやはや、そうでしたね。突然ですから、ご心配なさりますよ。手紙を書くと良いですよ。紙と鉛筆、ありますでしょう?」

 ブチが言った。

「学校帰りなんだから筆箱とノートくらいあるわよ」

 私はランドセルからそれらを取り出した。

「でも、書いてどうするの? 届けに行ってくれるの?」

 ノートを1ページ破いてからブチの方を見た。

「えぇ。届けさせますよ」

 ブチは空の方を向いて「ピューピュー」と口笛を吹いた。

「そうそう。少し暗いですか? 待っていて下さい」

 今度は、尻尾の長い方がそう言って、道の脇に生えていたホタルブクロを一輪折った。そして、斜めがけしているポシェットの中から小さな瓶を取り出して、その花ひとつひとつの花弁の中に、パラパラと中の粉を吹き掛けた。

すると。

 ポッポッッポッ

 軽い音を立てて、ホタルブクロに火が灯った。

「え? 何それ?」

 私の声は驚きで上ずった。

「あぁ、これは螢粉(ほたるこ)ですよ。ホタルから採った蛍光物質です。これがホタルブクロの蜜に触れると、このように発光するのです」

 尻尾の長い方は、そう言いながらホタルブクロ提灯を私の手元に差し出してくれた。

「きれい」

「でしょう。それにすごく明るい。この時期はこれが、実に便利です」

「ささっ、書いちゃって下さい。配達係も来たようですから」

 ブチはそう言って、右手を軽く空にのばした。

 その腕の先に、ふわりと音も立てずに、小さな鳥が舞い降りてきた。

「コノハズクの郵便配達人、ノノです」

 ブチが腕に停まった小さなコノハズクを紹介した。

 ノノは私の書いた手紙を器用に足で挟んで、また羽音ひとつ立てずに、薄暗くなってきた空に向かって飛んで行ってしまった。

「あれで大丈夫なの?」

 手紙には、ブチに言われるまま、


『サクラのおそう式に行くのでおそくなるけど心配しないでね』


とだけ書いた。

「大丈夫です。あなたのお母様なら絶対に大丈夫」

 ブチが、何故か良く分からない確信に満ちた表情で言う。

「ありがとう、ブ……そういえば、なんて呼んだらいいのかな」

 私は、名前を聞いていないことに今更ながら気がついた。

「いやはや、これまた失礼。名乗りが遅くなっていましたね。私はトッド、こっちのシッポの長い方は……」

「レオです。よろしくどうぞ」

 二匹は、これまた慇懃(いんぎん)な態度で腰を折って挨拶をした。

「さぁさぁ、急ぎましょう。始まってしまったら大変です」

「うん」

「あぁ、これ、どうぞ。足元が暗いでしょう。一晩くらいは大丈夫なんですよ」

 レオはそう言って、ホタルブクロ提灯を私に手渡してくれた。

 それは本当に、小さいのに懐中電灯のように明るかった。

 私の前をトッド、私の後ろにレオが続いて、暗くなった山道を登って行く。

 歩きながら私達はいくつかの話をした。

 それは、どうして二匹に人の言葉が話せるのか、ということから始まった。

「猫が人間の言葉を話すなんておかしいよ」

「そうですね、それはおかしいです」

 私の疑問に、トッドは、もっともらしい口調で答えた。

「でも二人、いや、二匹……かなぁ、まぁいいか、とにかくあなた達は話している」

「いやはや。これは、実は人の言葉ではないのですよ」

 トッドは前を向いたまま言った。

「私達の言葉は、聞いているあなたには人の言葉に聞こえるのです」

 その後をレオが繋いだ。

「いやはや。驚かれたかも知れませんがね。私達の言葉は、普通の人間には聞こえない周波数で話されているのですよ。ですから、普通の人が聞いたら、ただネコが鳴いている音にしか聞こえないのです」

「あなたのように特殊な耳を持ったごく一部の方だけに、人の言葉として聞き取れるのです」

 トッドとレオが交互に説明してくれたけれど、私には少し難し過ぎた。

「私の耳、おかしい、ってこと?」

 聴力検査でも問題はないし、他のみんなと少しも変わらないと思っていたのに。

「違います違います」

 トッドが振り返りながら、ぶんぶんと大きく首を振った。そして、

「優れている、と言うことです」

と力を込めて続けた。

「あなたは魔女の末裔ですから、そういう耳を持っているのですよ」

「魔女? 私が?」

 私は、かなり素頓狂な声をあげた。

「ええ。まだご存知ない? お母様はまだお話ではなかったのですか。それはまた失礼」

 トッドはちらっと振り返ってレオと目を合わせ、少し肩をすくめた。

「言ってしまったからお話してしまいますが、あなたのお母様のご家系は魔女、魔法使いの一族なのですよ。魔法使いの血は強いので、普通の人間とご結婚されても、ちゃんとそのまま遺伝します。お母様のご一族は、魔法界の中でもかなり高ランクに位置する由緒あるご家系です。魔女は、私達のような使い魔を重用し、一緒に行動してきました。ですから、我々の世界にも、一応、出生の家柄によるランクづけがあるのですよ。まぁ、現在では、日本に限らず滅多にそれが重要視されることはありませんがね。そもそも、人間と共存している使い魔も少なくなりましたね」

 トッドは、少し悲しそうな顔をした。

「つかいま? って言った?」

 私はトッドの言葉を確認したくて、少し力を込めた。

「そうですよ。使い魔…日本では、バケネコなんて呼ばれていますね」

「でも、魔法使いなんて、日本にはそんなのいない」

「でもバケネコはいる。魔法使いも、見えなくなっているだけです。歴史上にも、何度か登場しています」

 レオはそう言ってから、いくつかの例をあげてくれた。

「じゃぁ、ママも魔女ってことになるの?」

 私は、少し考えてから二匹にまた質問した。

「えぇ。魔女と言えば、かぎ鼻で黒いとんがり帽子をかぶってホウキに乗る、というイメージがあるでしょうが、実際の魔女はそんなものではありません。私達の言語を聞き取れる耳を持った人間というのは、自然を利用し、自然と共に暮らしてきた人々なのです。自然を愛することができる、そういう感性を持った人々が、不思議な力を使える『魔女』として活躍してきたのです。それなら、お祖母様やお母様が魔女でも不思議はないでしょう?」

 私は、目の前の大きな倒木をくぐった。

「うん、そうね」

 一拍おいてから、そう返事をした。

 イングランドのグランマは、広い庭でたくさんの植物を育てていて、ハーブティーやチンキを作っているし、おまじないもいっぱい教えてくれる。それはママも引き継いでいて、自宅でアロマテラピーとハーバルなんとかを教える教室をやっている。言われてみれば、グランマやママが魔女だったとしても不思議はない。なんとなくそう思う。

 「サクラばあさんは、お母様の使い魔としていろいろなお仕事をされていました。主に、外国にいる我々の仲間と、日本のバケネコ達とをつなぐお役目です。最近は我々の世界もグローバルなのですよ」

 いつのまにか、道はかなり険しくなってきていた。

 空はすっかり色を失い、木々が折り重なるように立つ深い森の中にいる。灯りが照らす自分の周り以外は、深々とした闇。トッドとレオがいなかったら、泣き出していたかもしれない。

 そう思ったら急に怖くなって、ホタルブクロ提灯を握る手にぎゅっと力が入った。

「疲れましたか?」

 倒木をくぐってからその場に立ちすくんでしまった私を心配して、トッドが数歩戻って私の脇に立った。

「ううん。すごい深い森の中だから、急に怖くなっちゃった」

 最後の方が消え入りそうな声だったのを心配してか、レオの瞳も心配そうに私を見つめていた。

「いやはや、大丈夫ですよ。私達がずっとついていますから」

 トッドがドンと自分の胸を叩いて張りのある声で言った。

「うん、そうよね」

「さぁ、もう少しですから先を急ぎましょう」

 レオが長い尻尾を私の足に絡めながら励ましてくれる。私は歩き出した。

「ふたりはこの暗さでもちゃんと見えるの?」

「いやはや。猫は元来、夜行性ですから。暗闇でも充分にものが見えるのです。」

 トッドの声は誇らし気だった。

「猫ってすごいのね。それに、バケネコはもっとすごい」

「バケネコはこれまで、多くの文明に関わってきました。バケネコの交流は、世界的に行われているのですよ。幸い私達の世界には、国境などというつまらないものはありません。言語の違いもありませんから。国境などというものがあるおかげで、争いが生まれたりするんですよ。本当に、馬鹿げています」

 レオが嫌々をするように首を振って、呆れ返った、という表情をした。

「いやはや。ところで、お嬢さんは英語もご堪能でしたね。今、お嬢さんは私達の言葉を日本語として聞き取っていますか? それとも英語として?」

 言われてみればそうだ。学校では日本語だけど、ママとは英語で会話をしている。今自分は日本語を使って話しているが、理解しているのはどちらだろうか?

「魔女の末裔の方々は、私たちの言葉を、自分たちが理解できる言語で聞き取ります。だから人によって、英語に聞こえたりフランス語に聞こえたりするのです」

「私はたぶん……日本語かな」

「これは私達が使っている人間に対する言葉、まぁ、いわゆる『人間語』とでも言うのですかね、そういう言語なのですよ。つまり、人間語を勉強する、バケネコにしか話せないのです。もちろん、人間語を理解するのもですよ」

「じゃぁ、どの猫の鳴き声も言葉に聞こえる、ってわけじゃないのね?」

「そうです。猫同士では、もっと簡単な言語で話しています。古代語とでもいうのでしょうかね。ニャーとかミャーとかいうあれです。あれは遥か昔から変わらない。猫同士の間でしか通じない言語です」

ここで私は、とても大事なことを思い出した。

「サクラはバケネコだったってこと?」

「はいそうですよ」

「じゃぁ、サクラも人間語をわかっていたってこと?」

「はい」

 レオがにっこりと微笑んだ。

 サクラは時々、私の言葉を完全に理解しているような行動をすることがあった。例えば、机の上に寝そべっているサクラに、「ちょっと足をどけて」とか言った時。あれは偶然ではなかったのだ。

「ねぇ、レオ。それじゃぁ、サクラももちろん人間語は話せたのよね?」

「えぇ、そうですとも」

「じゃぁ、なんで私、サクラの言葉が分からなかったんだろう。今まで鳴き声にしか聞こえなかった」

 サクラは滅多に鳴いたりしない猫だったけど、話しているのも聞いたことがない。サクラが人間語を話せるのなら、どうして話してくれなかったのだろう。話したいことはいっぱいあったのに。

「いやはや。それはですね。恐らくサクラばあさんが、あなたのお母様の猫だったからですよ」

 前を行くトッドが、ちらりとこちらを振り返る。

「ママの猫だから?」

 私は頭に大きなハテナマークをつけた。

「そうです。いやはや、これは私の想像ですが……」

 トッドはそう前置きをしてから、

「サクラばあさんは、お母様に、あなたにはまだ人間語を使ってはいけない、と言われていたのかも知れませんよ」

 柔らかな表情で私の顔を見上げた。

「なんで???」

 私は疑問符を更に増やした。

「いやはや。お嬢さんは、ご自身が魔女の末裔であることをご存知なかった。つまり、時が来るまで、例えばもう少し大きくなられるまで、そのことを黙っていよう。と、お母様が決めておられたのかも知れません」

「もしくは」

「もしくは?」

 今度は背後のレオを大きく振り返る。

「お嬢さんが『言葉』を意識しないうちは、話されていたかも知れませんよ。人間語を」

「いやはや、そうですな。それは充分にあり得ることです。もしかすると、あなたに昔話を話して聞かせてくれたのは、サクラばあさんだったかも知れません」

「そんな?」

 笑って「嘘ばっかり!」と続ける予定だった私は、思わずその言葉を飲み込んで、

「……ことも、あるかもね……」

と、しみじみと口にした。

 小さい頃から、私はずっとサクラと一緒だったし、ちゃんと意志が通じている気がしていたのだから。

それに、現実に今こうして猫と話しているのだから、そんな「嘘ばっかり!」も現実に起きていたことかもしれない。

「とにかく。この日本にも、バケネコとして認可を受けているものは、かなりの数いるのですよ」

「バケネコって認可制なの?」

 新たなる情報に、またまた私の声は上ずった。

「それはそうです。バケネコになるには、スクールを卒業しなくてはいけませんし、さらにはWMCS…世界バケネコ協会から認定を受けなくてはいけません」

「案外大変なのですよ」

 トッドの後を、レオがすかさず続けた。

「ふぅん……猫の世界も楽じゃないのね」

「いやはや。ただ日がな一日寝ているだけではありません。いろいろ、やることはたくさんあるのです」

 トッドが誇らしげに胸を張って、左手でピンとヒゲをはじいた。

 学校嫌いの私は、一日中縁側でひなたぼっこをしているらしいサクラを、何度、羨ましいと思ったことか。でもそれは、サクラの一面でしかなかったのかもしれない。

 道はますます険しくなって、増々山の奥深くに入っていく。歩き始めてからかなりの時間が経っているはずだった。今自分がどの辺にいるのか(とは言っても山のことなどまったく分からないからどうしようもないのだけど)さっぱり分からなかった。

 ホタルブクロ提灯の照らすわずかな灯りを頼りに、私は必死になって前を行くトッドの背中を追いかけ、何度目かの倒木をくぐった。

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