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劉備、役職を捨てて逃亡する
張純の乱は、中平6年(189)3月に張純の死によって平定された。
劉備は、自らを張純討伐の功をたてた一人とすると、中山国安熹県の尉に任命された。その1ヵ月ほど、順調に役職の任務を遂行している時、後郡の督郵が公務で安熹にやってきた。督郵は戦で手柄を挙げたかつ、役職についている者を解雇する役職である。劉備は義弟二人と共に挨拶に向かおうと、屋敷に向かった。
しかし、劉備を解雇するために来ていた督郵は、居留守を使った。
劉備「むっ」
病の為会えないと劉備には伝えられたが
解雇されることに勘づき、それにやけくそになった劉備は...
劉備「張飛、この扉を蹴破れ!」
張飛「分かったぜ兄者!」
張飛が扉を蹴破ると
劉備「密命により、貴殿を討つ!!」
劉備は督郵を見つけると縛り上げ、張飛に引っ張らせ外に出し木に吊るさせると、督郵の必死の命乞いに処断は許したが、落ちていた木の棒で200回近く叩いた後、役職の印綬を督郵の首にかけ、役職を捨て野に下った。再び少数の兵での浪人生活が始まった。