再会
黄巾軍は、首相・張角の死と共に急激に衰え、黄巾の将達は次々と官軍に討たれてしまう。劉備達は、黄巾討伐のために義勇軍を起こしたが、黄巾は一応の平定を見たため、目標を無くし、雌伏を余儀なくされた。
中平4年(187)、張角の死から早くも4年の歳月が経っていた。
中山太守・張純が、異民族・烏丸の丘力居、泰山郡太守、張挙と共に兵を挙げ、反旗を翻した。
俗に言う「張純の乱」である。
青州刺史は張純の討伐のために校尉の鄒靖を派遣し、中山国を目指した。
平原を通過した頃、家臣の劉子平に興味深いことを聞かされる。
この辺りの義勇軍で、天下無双の豪傑を率いている劉備という人物が居ると。
さっそく鄒靖は劉備を呼び寄せた。
鄒靖「貴殿が劉備殿か、役職は何か付いておるか?」
劉備「いいえ、今は草鞋を織り生活しておりました」
鄒靖は少し不満そうな顔を見せたが、事情を話し、
劉備が軍に加ってほしい、そう聞くと劉備は快く承諾した。
幽州に着くと、公孫瓚、劉虞の軍と合流した。
その陣地で...
義勇軍はすでに陣地で休んでおり、劉備は青州刺史と共に公孫瓚の元へ向かっていた。そして
公孫瓚「長旅お疲れで御座ろう。あちらに陣地を用意しておいた。ごゆるりとなされるがとかろう」
鄒靖「かたじけない」
公孫瓚「む、そちらは?」
鄒靖「この者は平原で出会った義勇軍の首相、」
劉備「お初にお目にかかります。中山靖王・劉勝の末裔で姓を劉、名を備、字を玄徳と申します」
公孫瓚「劉備...玄徳...むっ!!」
公孫瓚「お主、あの玄徳か!?」
劉備は驚きを隠なかった。無理もない、見知らぬ人物がこの様な事を言い出せば、誰でも驚くという物だ。
しかし公孫瓚は、劉備との直接な関係を持っていた。
公孫瓚「忘れたか!盧植先生の元で共に学んだ公孫瓚だ!」
劉備「おお!兄上でしたか!」
劉備と公孫瓚は少年の頃、共に盧植の元で学問を学んでいた
鄒靖「知り合いでございましたか」
公孫瓚「敵は張純だが、油断はするなよ」
劉備「心得ました」
公孫瓚「今日は陣地で休むが良い」
劉備は進言どうり、陣地で一夜を迎えた。
劉備という龍が、もうすぐ昇ろうとしていたのだった...