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三國志  作者: 宝粱長一
漢室腐敗し、反乱相次ぐ
1/12

黄巾の乱

かん、漢とは紀元前202年、高祖・劉邦りゅうほう項羽こううを破り起こした国であり、8年、王莽おうもうによって一度滅ぼされたが25年に光武帝こうぶてい劉秀りゅうしゅうが復活させた国である。光武帝が再興する前は前漢、した後は後漢と分けられた。

そして今は後漢末期、時の皇帝、霊帝の手により国は治められていた。

しかし、朝廷は腐敗し、それに不満を爆発させた農民が、張角ちょうかくを教祖とする太平道に入り、一揆を起こした。張角は自らを天公将軍と称し農民のために立ち上がったのだった...信徒が頭に黄色い布を巻いていた事からこう呼ばれた。

「黄巾の乱」と

黄巾軍は「蒼天已死そうてんすでにしす 黄天當立こうてんまさにたつべし 歲在甲子としはこうしにありて 天下大吉てんかだいきち」(意味は蒼天(漢のこと)の世は終わった、いまこそ黄巾が立つべきだ、歳は甲子に在りて、天下は大吉となる)というスローガンを立て、漢の城を次々と奪い、急激に勢力を伸ばした...

しかし黄巾軍は無差別な虐殺や略奪を行う暴徒と化してしまう

大将軍・何進かしんは黄巾討伐のために兵を募った...

ここは楼桑村、太守・劉焉りゅうえんが治めている領地の一角である。

討伐軍の兵を募集する看板を見て一人の若者がため息をついた...

??「はぁ...」

容姿は、耳朶みみたぶは大きく、肩近くまであり、腕は膝まであった。

姓はりゅう、名を、字を玄徳げんとくと言う。

中山靖王・劉勝りゅうしょうの末裔で、同時に高祖・光武帝の血も引いていた。

そう、この男が後々三国の一角を治める事となるのだった...

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