黄巾の乱
漢、漢とは紀元前202年、高祖・劉邦が項羽を破り起こした国であり、8年、王莽によって一度滅ぼされたが25年に光武帝・劉秀が復活させた国である。光武帝が再興する前は前漢、した後は後漢と分けられた。
そして今は後漢末期、時の皇帝、霊帝の手により国は治められていた。
しかし、朝廷は腐敗し、それに不満を爆発させた農民が、張角を教祖とする太平道に入り、一揆を起こした。張角は自らを天公将軍と称し農民のために立ち上がったのだった...信徒が頭に黄色い布を巻いていた事からこう呼ばれた。
「黄巾の乱」と
黄巾軍は「蒼天已死 黄天當立 歲在甲子 天下大吉」(意味は蒼天(漢のこと)の世は終わった、いまこそ黄巾が立つべきだ、歳は甲子に在りて、天下は大吉となる)というスローガンを立て、漢の城を次々と奪い、急激に勢力を伸ばした...
しかし黄巾軍は無差別な虐殺や略奪を行う暴徒と化してしまう
大将軍・何進は黄巾討伐のために兵を募った...
ここは楼桑村、太守・劉焉が治めている領地の一角である。
討伐軍の兵を募集する看板を見て一人の若者がため息をついた...
??「はぁ...」
容姿は、耳朶は大きく、肩近くまであり、腕は膝まであった。
姓は劉、名を備、字を玄徳と言う。
中山靖王・劉勝の末裔で、同時に高祖・光武帝の血も引いていた。
そう、この男が後々三国の一角を治める事となるのだった...