白兎の歪な夢
読んでない方は「白兎のみる夢」からお読みください。
「……やっと、見つけた」
ベッドで眠る少女の傍に、1人の青年が立っていた。
漆黒と純白の2色で丁寧に折られた長いマントを肩にかけ、白銀の長い髪を無造作に括っている。
中には体にぴったりと沿う深紅の制服を着ていた。
暗い中では顔が分からないが、声からしてまだ若いようだ。
つと足を動かし彼女の傍らに膝を付く。
小さな窓から差し込む月明かりが、彼の美貌を曝け出した。
月明かりを受けて、白銀の髪が淡く煌めく。顔は微かに笑みを浮かべ、目を細めて彼女を見下ろしている。
手を伸ばして近づいても目を覚まさない彼女は、よほど眠りが深いようだ。
「やっぱり、気付いていなかったんですね」
嵌めていた白い手袋を外し、シーツに散らばる彼女の栗色の髪を1房取り、小さく口づけを落とす。
「……ユイラさん」
そっと名を呼ぶ声は、砂糖よりも甘い。
彼女が聞いていたらきっと真っ赤になっただろう声音で、彼は言葉を紡ぐ。
「貴女は卒業する時、俺に何も言ってくれなかった。
別れだけ告げて、あっさり姿を消した。
俺がどれだけ探したか、分かりますか?
…僕が、どれだけ孤独を感じたか、貴女には分かりますか」
不意に幼い口調に戻り、彼はふっと視線を落とした。
「貴女に逢いたくて堪らなかった。その優しい声で、名前を呼んで欲しかった。
僕だけを見て、笑って欲しかった。
……貴女のいない世界は、灰色だった」
懐古するように、彼は思いを語る。
眠る彼女がそれを聞くことはないと、分かっているのに。
「養子の話は、断りました。貴女と共に居られないのなら、あの家にいる必要なんてないから。貴女の、側に居たいんです」
少し、ご当主の機嫌を損ねてしまったようですが。
服の裾から覗く手首には、白い包帯が巻かれている。足の運びも、少しぎこちないようだ。
それらを何でもない事のように一瞥した彼。
しかし、美しい真紅の瞳が不意に揺らめき、透明な雫を零す。
「もう、何処にも行かせません。ずっと、俺の側にいて下さい……!」
懇願の言葉は、掠れていた。
彼女の細い手首を取り、口づけを落とす。
指先を絡め、ベッドに押し付けて固定する。視線を移すと、躊躇うことなく彼女の細く開いた桜色の唇に触れた。
「……っ」
途端、身体中から湧き上がる歓喜。
暫く唇を重ね、彼女の柔らかい感触を堪能する。
愛しい人にやっと触れられた喜びが、心を満たしていく。
頭から生えた長い耳が小刻みに震え、抑えきれない感情のままに喜びを示した。
その瞬間。
「う、ん……」
不意に空気を震わせた声に、ぱっと顔を上げた。身を引くのと同時に、彼女を見下ろす。
眠っていたはずの彼女は、目を見開いて此方を見つめていた。
「ユイラ、さん……」
呆然として、それしか出てこない。
「どうして……」
起きていたのか。そう尋ねようとした彼は、彼女も同じような表情をしていることに気がついた。
「だ、だれ……?」
不意に彼女が顔を背け、唇を自身の手の甲で覆う。反対の手を彼に取られていたことにその時気づき、あわてて彼の手を振り払った。
彼から急いで距離を取り、ベッドの端へと後ずさっていく。
「………っ」
その光景を見た彼の胸に、ズキリとした痛みが走る。
思わず手をぎゅっと握りしめ、溢れそうになる叫びを堪えた。
「……リム、ですよ。ユイラさん」
「……………え、リム君?!」
驚いた様に彼女は瞠目し、今気づいたように彼の姿へ視線を移した。
4年前とは明らかに違う、成長した体。しゃがんでいても分かるすらりと長い手足に、服の上からでもその体が鍛えられていることが伺えた。
長く伸びた髪を1つに括り肩に流す様は清廉さを漂わせ、煙る睫毛の下から覗く真紅の瞳は、暗い中で淡く光を放っている。
顔立ちも大人っぽくなり、美青年と言って差し支えのない姿だった。
彼女の記憶にある姿と共通するものといえば、色彩と耳しかない。
「ほんとうに、リム君なの……?」
半信半疑ながらも、尋ねる。コクリと頷いた彼に、彼女は混乱したまま聞いた。
「どうして、ここにいるの?」
なんとなく、分からないではなかった。
だって、戸締りはきちんとしているから他人は入ってこれない筈だし、この家の中にいたのはあの子だけなのだから。
「リム君は、あの白ウサギ、なの……?」
「はい」
あっさり答えた自分に、彼女が愕然とした表情を見せた。
「…うそ……」
愕然として、彼女は呟いた。ケージに視線を移して、扉が開いていることを確認してから、リムへ戻した。
そっとベッドの上を這って、リムに近づく。
跪いているリムより、ユイラの方が視線が高い。
ゆっくり手を持ち上げた彼女は、そっとリムのこめかみに触れた。
「ほんと、に……」
するり、と滑る細い指先。涼やかな目尻に触れ、髪を撫でながら指を下げ、滑らかな頬、引き締まった顎を伝う。その感触に小さく震え、彼女が納得したように手を離すのと同時に、小さく息を吐く。
「本物、なんだね」と彼女はやっと納得したように呟いた。
その彼女に、手を差し出す。
「俺と、一緒に来ませんか?」
えっ、と声を漏らした彼女は、跪いて此方に手を差し出す彼を凝視した。
その表情には、戸惑いしかなかった。
「俺には、貴女が必要なんです」
そう言うと、彼女は目に見えて狼狽えた。視線をせわしなく巡らせ、困惑を前面に出している。
「何か、心残りでも?」
尋ねると、彼女は「うぇっ?!」と声を上げた。窓の外へ視線を向け「診療所とか……」と小さく言う。
そして向けた視線にあるのは……。
きっとナギという男の家だろう。
その瞬間、腸が煮え繰り返るような怒りが思考を支配した。
自分が彼女を探している間に、彼女は別の男と親しくなっていた。
この数日、彼女を観察して気づいた。彼女があの男を見る瞳は、真剣で、信頼の篭ったものだった。
それに対して沸き起こった感情は、今まで感じたことのない”嫉妬”とよばれるものだった。
「……リム君?」
不思議そうな声音で呼ばれ、はっと意識を戻す。顔を上げると、彼女がキョトンとした顔でこちらを見ていた。
「…いえ」
短く答えて、もう1度手を伸ばす。
「俺と一緒に、来ませんか」
これが、最後の問い。
散々探し回った彼女を他の男に取られるなんて、絶対に許しはしない。
もしも断ったのなら、有無を言わさずに連れて行こう。
彼女と暮らす家を買う為に、彼女を探しつつ金を貯めてきた。
彼女に接触した時点で、もうすでに準備は整っている。
さあ、答えて。
その真っ直ぐな瞳を、俺だけに向けて。
「……ごめんなさい」
彼女が答えた途端、どこかで亀裂が走る音がした。
「……わかりました」
手を下げた俺にほっとしたのか、彼女が力を抜くのが分かった。
隙をついて、その小さな体を横抱きに抱え上げる。
「…………い、やっ」
愕然とした顔の彼女。拒絶を口にしたあと見開かれた瞳を冷たく見つめながら、短く呪文を唱えた。
「『眠れ』」
淡く光が灯り、彼女を包む。すぐに眠たげな表情になった彼女は、必死に抗いながら「どうして…」と絞り出すように言った。
悲しみの篭った声に、僅かに罪悪感が浮かぶが、すぐに振り払った。
「貴女が、アイツを見ているからです」
冷え冷えとした声音で告げれば、彼女は「アイツ…?」とあろうことかとぼけた。
「あの、ナギという男です」
「えっ…」
苦々しく思いながらその男の名を出せば、戸惑うような声が聞こえた。
しかし見下ろすと、彼女は遂に魔術に抗えなくなったのか、既に目を閉じていた。
「………」
どこかもやもやしたものを感じたが、気のせいだと振り払った。
「『転移』」
呪文を唱える。
自分の”家”へと帰ろう。
……彼女と、2人で。
「貴女が拒もうと、絶対に離しはしません。
…ずっと、俺の側にいてくださいね」
仄暗く妖艶に嗤ったその姿は、一瞬の後にその場から掻き消えた。
*
「……んんっ」
ふと息苦しさを感じて、目を覚ます。
ぱっと開けた視界に1番に飛び込んだのは、闇夜に輝く真っ赤な光だった。
「ん…、んぅっ!」
そのあまりの綺麗さに見惚れていると、不意に息苦しさがなくなった。
「ふあっ、は、はぁ……っ」
慌てて息を吸い込み、浅く呼吸を繰り返す。
「……ユイラ…」
その時間近で、低い声が囁いた。
視線を跳ね上げると、そこには1人の青年がいた。
…引き締まった胸板を惜しげもなく晒しながら、仰向けに寝ている私の上に。
「なあ、に」
途切れがちに応えれば、目の前の整った柳眉が切なげに歪められた。
「ユイラ」
はっきりした、でも途轍も無いほどの熱が篭った声。低音の優しい声音は、私への確かな愛しさがあった。
「……りむ、くん…?」
上手く回らない口で、名前を紡ぐ。その途端に笑みを浮かべた彼ーーリムは「そうだよ」と言った。
「ど、して………?」
ぼんやりする頭で、言葉を捻り出す。なぜこんなところに、私を連れてきたの。
「ユイラが解るまで、教えないよ」
けれど、あっさりと返されてしまう。むうっと不満に口を尖らせれば、「可愛いなあ」と蕩けるような表情で彼は笑った。
その無邪気な顔に、鼓動が跳ねる。目が惹きつけられて、離せなくなる。
それで、結局は聞けなくなってしまうのだ。
「もう1回、いい?」
そう言いながら、彼は私の答えを待つ。
きっと答えなくてもするのだろうけど、私の答えを待ってくれる。
……拒絶は、聞いてくれないけど。
「……うん。……ん」
そっと頷けば、再び優しい唇が降ってくる。
1回では止まらず、何回も、何回も。
*
「ユイラ、ユイラ……!」
私を何度も求める、熱い唇。何度も唇を啄ばみ、音を立てて触れていく。
「リム……く…」
名前を呼べば、開いた隙間から舌が差し込まれる。口内を掻き回し、奥に引っ込んだ私の舌を丁寧に引き出していく。
吸い付かれて擽られれば、更に意識が朦朧としてきた。
口の端から溢れた唾液を、しなやかな指先が拭う。そして顔を一旦離し、唾液で濡れた指を口に含んだ。
その艶かしい光景を間近で眺める。見下ろした甘い視線とかち合い、釘付けになった。
「ユイラ、愛してる」
艶やかな表情で微笑み、彼の薄い唇が想いを紡ぐ。
それに気を取られているうちに片手を取られ、手首に口づけが落とされる。
手首への口づけの意味は、”欲望”。
「ユイラが欲しい」
真剣な声音。燃えるような真紅の瞳に魅入られて答えられずにいるうちに、素肌を熱い指が這っていく。
「……っ」
汗ばんだ肌を撫でる、彼の指。
首から鎖骨、肩、二の腕、手の指先。
戻ってきて、体の中心を真っ直ぐになぞっていく。
あまりあるとは言えない胸の谷間、臍、薄い腹、足の付け根。
太腿を撫でる指はスピードを落とし、焦らすように何度も指が這う。
「…りむ、く、もう……、や…」
「リム」
「……え」
「リム、です。”君”はもう、要りません」
「り、リム……?」
「なあに、ユイラ」
嬉しそうににっこりと笑った彼。頬に赤みが差し、更に彼を妖艶に見せた。
「リム…もう、…」
「もう、なんですか?」
そんな、意地悪しないでほしい。私の体は、もう限界を訴えている。
「もう、むりぃ……!」
必死に声を上げ、彼の胸板を押す。汗でぬるりと滑った手の平に、彼が眉を顰めた。
「……貴女って人は…」
そう呟くように言った彼は、私の胸元に顔を埋めた。長い白銀の髪が垂れ、帳のように彼の顔を覆う。
「…っ」
ちくりと痛みが走り、また”印”を付けられたのだと分かった。
首から始まり、胸、腕、お腹、足、爪先に至るまで、彼のものだという証の紅い花弁が咲き乱れている。
それだけではなく、彼の魔術で付けられた蔦模様の呪もあった。いつの間にか施された、彼の側を一定の距離離れると痛みに襲われるらしいものだ(未だ彼とは離れていないのでそうなったことはないが)。
噛まれる感触に、意識を戻す。痛みを感じても、噛まれたそこをうっとりと撫でられれば、まあいいかと思ってしまう。
この数日、彼の家のベッドに鎖で繋がれ、何度も体を重ねた。
最初はぎこちなかった彼は、私の弱いところを知れば嬉々として攻め立てた。
私も初めは戸惑ったが、彼の病的なまでに私を想う気持ちに、絆されてしまった。
私も大概、彼に溺れている。
「リム」
「……っ、ユイラ?」
彼の体をそっとなぞり、その綺麗な顔が快感に歪むのを眺める。その表情さえ美しいなんて、どれだけ素敵なんだろう。
微かに笑みを浮かべ、彼の体を擽るようにしながら頬を包む。
しかしすぐにその手を取られ、ベッドへと強く両手が押し付けられた。
「本当に、貴女は……っ」
途切れた声。すぐに重ねられた熱い唇。
口内を蹂躙していく舌と火照った肌を嬲る熱い体に、意識がだんだんと遠のいていく。
不意にぽつりと、顔に雫が落ちた。
「…憎らしいほど、愛おしい」
朧になってゆく意識の中、微かに聞こえた切なげな声。
幸福と悔恨と、色んな感情が混ざり合った、彼の声。
「愛してる」
やがて体内で熱が弾け、私は意識を飛ばした。
「もう、離さない。貴女がいなくなれば、俺はもう生きていられない。
どこにも行かないで。俺ではない男なんて、見ないでくれ。
貴女が、俺の全てなんだ」
彼の狂気にまみれた言葉を、どこか嬉しく思いながらーー。
なんとなく書いてみました。
ヤンデレが書きたかったのに、あんまりそれっぽくなかったかもしれない。
エロ方面は頑張りました。
誤字脱字ありましたら、直します。