原点回帰
新しい出会いがどうこうと言われても、どこを見渡してみても慣れた顔ばかりの新学期。朱の射す空を背に、さっそくロッカーに全科目の教科書を放り込んで空っぽになった鞄を肩に引っ掛けて歩く帰り道は、やはりいつもと変わらない同級生と一緒だ。
今日は俺もバイトが休みだし、このままだらだらと駅前のファーストフードでも食べに行くかどうか、みたいな流れになった頃、携帯電話を撫でながらファーストフードのクーポンを探していた友人が呟いた。
「そういえば、いつから付き合ってんの?」
普通に世間話のトーンだったのでいい加減に相槌を打ちそうになったが、内容に違和感がある。
「誰の話?」
友人の誰かに彼女ができたんだろうか。それはそれは羨ましいことであるものの、誰のことかは分からないし、いつから付き合ってるかも分からない。すると、携帯電話をいじりつつ、視線だけをちらりと俺へ向け、友人がわざとらしいため息をつく。
「なんだよ、しらばっくれようってか」
あからさまに顔をしかめて首を振る彼は、携帯電話を制服のポケットに入れて俺を見上げた。常々、身長がもう二十センチは欲しいと祈っている彼である。
「結局やっぱり幼馴染みとくっついたんだろ?」
お前にだけそんな上手い話があってズルいだのなんだの言いはじめた彼を制止して、いまの発言に現れた違和感のもとを問いただす。
「……なんて?」
「だから、やっぱり付き合いはじめたんだろ?」
どこからの情報がどのように変化して広まったのか知らないが、どうやら俺は幼馴染みと交際中ということになっているらしい。デマである。
「俺ちょっと用事思い出したわ」
「マジかよ、露骨にデートじゃん」
「なんでもいいけど、また明日な」
「はいはい」
流れて困るような噂でもないとはいえ、発信源は気になる。誰がそんなことを言ったのかとか、そんなことを気にしているわけではなくて、問題なのは、なんでそんないい加減なことを言ったのか、ということだ。
つまり、犯人は分かっている。
俺は友人と分かれて、携帯電話を取り出した。
まだ帰り道の途中であろう、テキトーなことを話しやがった幼馴染みを呼び出すためだ。
ーーー
「ごめんごめん、ごめんね」
近所の公園で合流し、隣同士であるふたりの自宅まで並んで歩きながら、俺の幼馴染みが申し訳なさを欠片も感じさせずに謝った。トレードマークの、小さい花のついたヘアピンが今日も輝いている。普通よりは明らかに美人でも、素直に"この子カワイイな"と思えないのは、俺が彼女の内面もきちんと知っているからだ。幼稚園からの付き合いは伊達ではない。
やはりというか、俺が彼女と付き合っているというデマの出どころは、他ならぬ彼女自身だった。聞くところによると、あまり仲良くない男子に告白されて、断るために俺と付き合っていると言ったらしい。断るにしても、もっと他の言い方があったんじゃないかと思うが、きっと面倒臭かったんだろう。そして、その事故現場をたまたま見ていた女子の友人から、変な噂が広まったというわけだ。
「だってめんどくさかったんだもん。いいじゃないスか、困るもんじゃないっしょお?」
確かに困ることがあるわけではないが、彼女のいい加減な言動にはいくつか言いたいことがある。
「あのな、男がいるっつって振られるのはキツいんだぞ」
「経験あるんだ?」
「ない、けど、さぁ……なんか嫌じゃないか?」
言いながら、自分でも少し分からなくなってきた。
何が嫌なんだろう。自分に好意が向けられていないからか?それとも、自分じゃない男が出てくるのが嫌なんだろうか。なんにせよ、彼女に告白してきた男子生徒がただただ傷ついただろうことだけは明白なので、少し同情しておく。きっと、彼女がここまでいい加減なやつだとは思っていないことだろう。幻滅される前に終わって良かったんじゃないかという気さえする。
さて、原因が分かったところで、新たな問題が浮かんできた。
「訂正してくんないのか?」
発信源から訂正してもらうのが一番分かりやすいし傷も広がらないのだと言うと、彼女はヘアピンの花に夕日を反射させながら俺を見上げた。かなり高身長の部類に入る彼女でも、俺にはまだまだ及ばない。身長一八◯越えの優越感である。
「え、やだよ何言ってんの、そんなことしたらまた来るじゃん」
「いいじゃねぇかそしたら白状して改めてお断りすればよう」
「やっだよ、めんどくさいもん」
彼女はこんなんだからこのままでいいかもしれないが、このままにされると俺が困る。
「このままお前と付き合ってることにされてると彼女つくれないだろうが」
俺に恋人がいるということになっていると、もう俺が本当の恋人をつくることができなくなってしまう。だというのに、彼女は平気な顔をして頷いた。
「このままでいいでしょうに」
「いやだね」
「即答じゃん」
抗議するように、彼女が身体ごと横からぶつかってくる。
そもそも、俺はまわりの人間が言うほど彼女に魅力を感じない。もっとしっかりしていて、何事にも面倒臭がらず真剣に取り組むような子がタイプなのだ。
俺がそういう子を好むようになったのは、中学の頃までに彼女の世話を焼きすぎたからだろう。放っておけば良いのに、俺は心優しい人間だから、放っておけないのだ。そんな俺が彼女と一緒になったら、いろいろとやってやりたくなるのが目に見えている。
「俺らあれだろ、そういうんじゃないじゃん」
なるべく彼女をそういう対象にならないよう見てきた結果、本当にわりと何とも思わなくなった。なので、いまの発言は本心だ。
「そうかなぁ、意外とうまくいくかもよ?」
彼女も彼女で、また何とも思ってなさそうな声だ。俺の前に立ちふさがってこちらを見上げる表情も、いつも通り気だるそうだし。
「そんな、うまくいくわけねぇだろう……」
そう言いながら、肩を思いきり前方に引かれ、バランスを崩して転びそうになる。
なんとか踏みとどまった俺の顔が受け止められたのは、彼女の顔の目の前だった。
彼女はびっくりするくらい無表情で俺を見つめているし、俺は何が起こったのか必死に考えているが、ただひとつ言えるのは、お互いの唇が触れているということだ。
「はい、いま初めてをあげました」
何が何だか分からないまま、触れていた唇を離した彼女が欠伸をしながら言う。
「責任とってー」
「こいつ……」
俺の反対意見など聞く気はないのか、彼女はさっさと背中を向けて歩き出してしまった。
ため息をついて、俺も後ろからついていく。
「ここまでするか、普通」
隣に並んだころ、彼女に話しかけてみた。
「えー、しないかなぁ」
彼女は両手で目元をこすりながら首を振っている。あんなことをしておいて、眠たそうにもほどがあるのではないだろうか。俺はもう一回ため息をついた。
そんな俺のため息に反応したのか、彼女がこちらを見て軽く微笑んだ。
「じゃあ、好き。付き合って」
「じゃあて、じゃあって言われちゃったよ」
明らかにいい加減な発言である。けれど、彼女は信じていない俺を見上げてまた笑う。
「テキトーだと思ってるな、このひと」
「だって、そもそも俺と付き合ってるって言ったのはテキトーだろ?」
「そうです」
「ほらみろ、そんなんだからやっぱ……」
そう言いかけて、また強引に肩を引かれる。
二回目は、さっきよりも時間が長かった。
「まあまあ本気だかんね」
口を離してそう言うと、彼女はまたさっさと歩き出してしまった。
「……あぁ、そうかい」
俺は、もう一回だけため息をついて彼女の後を追う。
お互いの家まではあと少し。
あと一回でも同じようなことがあれば、受け入れてしまいそうだ。
そんな自分が忌々しいというか、清々しいというか。
結局のところ、なんだかんだ言ったところで、良い匂いがして、いろいろと柔らかい生き物の勝ちなのだ。
おしまい




