2話 釣られタヨー
「行ってきま~す」
そう言いながら、一人の少年が家から飛び出してきた。年は13、4といったところか。半袖半ズボンの服を着て、帽子をかぶっている。手には竿とバケツを持っているため、釣りにでも行くのだろう。
「ハイト、まだ流れが急だから気を付けてね」
「分かってるよ~」
かけられた声に対して、ハイトと呼ばれた少年は振り返らずに物を持ってない手を振ってこたえる。だが言葉は右から左であった。ここ数日雨が続いていたため、好きな釣りができずに鬱憤がたまっていたのだ。川がどんな状態でも釣りをすると決めていた。家からしばらく歩いて川岸に到着すると、バケツに水をくんで仕掛けを用意し、手ごろな岩に腰かけさっそく釣り糸を垂らし始めた。やがて2,3匹の釣果ができたころ、彼の竿に異変が起こった。
「おっ、引いてる引いてる」
これまでとは比べものにならないほどのしなりを見せたかと思うと、ものすごい力で引っ張られ始めた。1年ほど前に1mもの大きな魚を釣り上げたことがあったが、その時とは桁が違った。
「ぬお~、ま~け~る~か~!」
ハイトは腰かけていた岩場から川近くの砂場へと移動した。最悪釣り上げるのが不可能でも、砂の上に引きずり出そうという考えからだ。やがて針が引っ掛かった影が水面に浮かび上がり、その大きさにハイトは目を見張った。釣り上げるのは無理と判断し、砂浜に引っ張り出そうと思いっきり竿を引っ張った。
「そ~りゃ~!!」
掛け声とともに竿を引くと影の正体が砂の上に現れた。だがそこに現れたのは魚などではなく、自分と同じ人間であったため、ハイトは腰を抜かしそうになる。ご察しの通りこの人間は興昌であるが、ハイトにそれを知るすべはない。
「し、死んでんのかな?」
死んでたらまた川に流そうかとか物騒なことを考えつつ、ハイトが興昌の体をゆすってみる。すると口から水をふき出したため生きていることが分かって飛び上がりそうになる。
「母さん!川から、川から男の人が!!」
そう叫びながら人を呼びに行くのがやっとだった。
「…う~ん…?」
興昌が意識を取り戻すと、目の前には見慣れない天井が広がっていた。誰かの家のベッドに寝かされているようだったが、なぜそうなったのかがわからなかった。窓の外は暗くなりかけており、どれくらい気を失っていたのかはよくはわからなかった。
「…ああ、川に落ちたんだっけ…?」
幸いなことに体はどこも痛くないし、意識も記憶もしっかりとしている。あの本はなくしてしまったが、書かれていた内容は覚えているから問題ないし、川の底に沈んだのなら処分する手間が省けて助かった。
「気が付いた?」
声のした方を見てみると、部屋の入口らしいところに声の主が立っていた。一回りほど年の離れてそうな少年が立っている。どうやらこの家の住人らしく、手には桶を持っている。
「ああ。君が助けてくれたのか?」
「うん。びっくりしたよ、まさか人間を釣り上げるなんて」
「貴重な経験をさせたようで何よりだ」
そう言い終わってから、二人して笑う。
「まだ名乗ってなかったな。俺は興昌。久野金興昌だ。助けてくれてありがとう」
「僕はハイト。ハイト・ストックスだよ。よろしく」
自己紹介が終わったところで、向こうから声が聞こえる。
「ハイト。ちょっと来て」
「は~い。呼ばれたから行ってくる。ちょっと待ってて」
そう言って席を外すハイト。しばらくして戻ってくると、手には湯気が立った器を持っている。近くにあった椅子に腰かけて、手に持ったものを渡してくる。
「はいこれ。大したものじゃないけど、これ飲んで温まって」
そう言って渡してきたのは、野菜のスープだった。数種類の野菜を煮込んで作ったらしく、強い香りが鼻の奥をくすぐる。湯気の量からして、たった今出来たのだろう。
「ありがとう、いただきます」
「大したものじゃないから気にしないで」
奥から、「何が大したものじゃないって!?」という言葉がしたのは聞こえていないし、それを聞いたハイトの顔色が青くなっているのも見ていない。そういう事にしておこう。そういう事にして出されたスープに口をつける。
「…旨いな」
味付けは塩だけのようだったが、野菜自体の味が濃いのか、薄い色のスープに対して濃厚なうまみが詰まっていた。素朴だが奥深い味わいに思わず声が漏れる。
「そう?正直に言っていいんだよ?」
「いや、正直にうまい。食べ物も久々だしな」
「久々って、どういう事?」
「…いや、旅をしていたからな。そう、あれだ、まともな食事が久々という意味だよ」
異世界から来ました、なんて言えるわけがない。とっさにそれらしい言い訳をでっちあげる。
「旅をしてたっていうけど、どこへ行くの?」
「当てはない。持ち物も金も川で流されてしまったからなあ。これからどうしたもんか、考えなくちゃならないな」
嘘が混じっているが、全て嘘ではない。持ち物はあの本だけだったが、川で流されてしまったのは事実だ。お金は持ってる方がおかしい。つい先ほどこの世界に来たばかりだから、目的地もない。
「これからどうするつもり?」
「とりあえず宿を探さないとな。文句は言わないから雨風だけしのげればいい。資金集めのために仕事も探さないとな」
なんで異世界に来てまでハローワーク通いするのか。自分で言ってていやになる。するとそれを見ていたハイトがこんな提案をしてきた。
「僕の家に間借りするという手も…」
「助けてもらってそのまま居着くっていうのもどうかな。さすがにそこまでしてもらうのは申し訳ないし、君の一存で決められるものでもないだろう」
「でも…」
反論の言葉を探そうとして視線を泳がせるハイト。ふと戻の外を見るとすっかり日は沈んでしまっている。それを見てハイトは勢いよく立ち上がった。
「そうだ!今日はもう遅いし、とりあえず今日の夜は泊めてもらえるよう頼んでくるよ。明日になってから、父さんたちみんなと相談しよう!」
そう言い残して、部屋から出て行ってしまった。呼び止めようかと思ったが、そこまで意地を張るのは逆に失礼に当たると考え、甘えることにする。戻ってくるまでこれからさてどうしたものかとぼんやりと考えていたが、ある音によって中断させられることになる。