ことの発端と、勘違いと間違いだらけの話
ことの発端、全容。
―――娘の問いかけに、ああと情けない声をあげてソールズ・マディンバラが天を仰ぎ、見かねたディアナが説明をしたところによると。
薬問屋マディンバラは、現店主ソールズ・マディンバラとカディラ・マディンバラ夫妻により経営されている。おもに個人客と団体客にわかれて薬を卸している。このことからわかるように、マディンバラは卸す側と客の間に販売代行の店を挟まないという特徴がある。その変わり種な性質かと、販売店を挟まないゆえの“価格の安さ”から王都ではそこそこ名が売れている。
――そのマディンバラ、薬卸業以外にも家業がある。それは、薬の製造だ。実はマディンバラにて扱う薬は、半分が自社製品である。ゆえにマディンバラが他社と取引を行うのは、主にこの薬の原材料――薬草の仕入れである。 薬の内容により原材料の薬草は変わり、また仕入れ先も薬草ごとに変わる。その仕入れ先の多くが個人や家族経営の農園・薬草農園であり、実にその過半数がランドン商会を経由する。
だからランドン商会から三男キースと“ディア嬢との見合いを”といわれたとき、自然と夫妻は頷いた。
相手は得意先であるし、双方の子どもは幼い頃よく遊ばせていたから。また、ランドン商会は単体ではなく背後にいくつもの取引先につながっていたから、変に断れない相手だった。
―――しかし、いざ整えられた見合いの場で。
『ナディア嬢は?』
―――ランドン商会はナディアの不在を問うた。
マディンバラ夫妻とディアナは顔を青くした。
―――双方にとっての“ディア”は違った。
―――マディンバラにとっての“ディア”は次女ディアナ。
―――ランドン商会にとっての“ディア”は長女ナディア。
ランドン商会の三男キースが幼い頃によく遊んだのは年上の長女ナディア。彼の当時の目付けによると、彼は彼女と二人でいるときよくディア、と呼んでいたらしい。
だから、周囲はキースが『マディンバラのお嬢さんと見合いをしたい』といったとき、早とちりした。ナディアはディアという名なのだと。
――ゆえに、ランドン側では“ディア”の正式名を知らなくとも、“ディア”は長女の方だと認識があった。
一方、マディンバラでは“ディア”ときたらディアナだった。
顔も同じ、名前も似ている、しかも名の世間一般の愛称も同じ(ナディア…ディア、ディアナ…ディア)双子の姉妹を見分けるのに、両親は悩んだ。
そんな両親に、幼いナディアはいった。
『わたし、なでぃでいい』
と。ナディアは、他の人々にもいってまわった―――ディアナはディア、わたしはナディと呼んでほしいと。
以来、ずっとナディアはナディだった――マディンバラでは。
マディンバラの人々が、ディア=ナディアではなくディア=ディアナの図式を刷り込みのように覚えてしまったのは、想像にかたくない。
――些細な行き違いで、見合いの場は一触即発かにみえた。
そんな空気を破ったのはレイナード・ランドンの発言であった。
『なら、こうしたらどうでしょうか』
それは、提案だった。
最終的に、納得はしがたいが両者は一応納得をした。
――早とちりと、思い込みから生じた間違いを訂正するべくたてられた作戦は。
『キースとナディアさんを結ぶという前提で、私と婚約をしませんか?ディアナ嬢』
―――レイナードによる、偽りの婚約の提案。
『それでどうなるというんです。偽りは偽りです。いまはよくても、いずれは傷つき破綻するもの』
レイナードに対し、当人のディアが反論する。
『――こちらも不手際があるので大きい声では言えませんが』
自分たちにも間違いがあったことを認め、マディンバラ当主――双子の父が気持ちを吐露する。一人の父親として。
『娘に、そのようなことをさせたくはない。他に手はないのですか』
『しかし、こうして大々的に場を設けてまで、両家は見合いをしました。幸い最初の顔合わせだったから、こちらはランドン家の誰がマディンバラ家のディア嬢と見合いをしたかは公表していない。』
――そちらもそうでしょう?と、レイナードは淡々と語りかける。
婚約を見越した見合いというものは、まだ最初のうち――両家の顔合わせをした段階なら、まだ婚約をしたとはいわない。
婚約が正式に決まったら場合は、誰と誰が婚約したと発表するけれども、まだ会ったか会ってないかくらいの今回のような段階なら、両家は互いの家の名だけを発表する―――この場合は、マディンバラとランドンが見合いをしたと発表するだけ。そこには、マディンバラの誰とランドンの誰が見合いをしたなんて発表しない。
レイナードの考えはそこにつけこんだものだった。
『しかし、婚約を見越した見合いの場で何もなかったではすまないんですよ、我がランドンも、あなた方マディンバラも。お互いが社会に与える影響は大きすぎる』
例えばこれが個人の一般の家同士の話なら、お互いがなかったことにできた。
しかし今回は、お互いがなかったことにしてしまうには、両家はあまりにも大きすぎた。両家はあまりにも影響力を持ちすぎた。
『そのうえでの提案です。――こちらも間違いをした手前、いいがたいですが……こちらの弟もわたしもいずれは傷つくやもしれません』
―――なにも、傷つき破綻するのは片側のみではない、どちらもだとレイナードは告げた。
『まだこれがお互いの傷が少ないんですよ。わたしも、あなたもまだ婚約者はいない。それに、ディアナ嬢』
レイナードは真摯な面差しでディアナに告げる。
『あなた方姉妹は、まだ心を許した特定の相手がいないときく。もちろん、心を揺さぶられる相手も。言葉は悪いかもしれないし、こんなことを提案する私も最悪最低な男だ』
言葉を告げれないディアナを前にして、レイナードは告げた。
『弟は、幼い頃よりナディア嬢ひとりに心を捧げている。幼い頃、大きくなったら考えてもよいといわれたと。その一言はこども同士のたわいない口約束だけだったかもしれない。それでも、弟は――』
『兄さん、そこから先は僕に言わせて』
『キース、しかし』
『今回は僕が原因みたいなものだよ。――僕のせいでおふたりがこうなってるんだ。その当人がなにも言わずただ兄に任せて流されているだなんて、人としても責任のない阿呆だし……ランドンの一員として顔がたたないよ』
そして、キースは頭を下げる―――マディンバラ夫妻とディアナに対して、深々と。
『僕キース・ランドンは、ずっと彼女に恋こがれてきました。彼女に一目会ってから、ずっと。この恋がかなわくてもいいんです。彼女が忘れていてもいい。ただ、伝えたいんです。この気持ちを』
―――そして、キースがディアナに思いを告げるまで、偽りの婚約が続く。キースではなく、レイナードとディアナの。
しかしマディンバラの皆は忘れていた、ランドンも知らなかったことがひとつ。
家で店番をしていたナディアは、家族がキース氏と見合いをすると出かけたので――キースがディアナと見合いをし、婚約をしたと思っていたことを。そして、幼い頃の約束など忘れていたことを。
だから、キースが結婚を申し出たとき……あんなことになるとは。
これが全部でした。
キースのプロポーズは、彼がナディアも覚えているよねとまた勘違いして。
見合いの場で『彼女が忘れていてもいい』発言など忘れて暴走した結果、あんなことに。
皆さん、思い込みと勘違いと早とちりとがすごいですね。商売大丈夫ですかね。
あとはラストに繋げます。




