皇紀973年12月13日午前5時 帝都南西羽是沖洋上
◆皇紀973年12月13日午前5時 帝都南西羽是沖洋上
『作戦開始まで、あと15分だ。各員、配置に付け』
浦部中佐による艦内放送が響く。ハッチの隙間から格納庫内に充満した機械油の臭いが入り込む。整備兵がHArTS――人型戦術支援兵装(Human type Armament for Tactics Support)――の周りを慌ただしく行き交い、最終調整の音が響いてくる。
コンッとコックピットハッチをノックする音が聞こえ、ゆっくりとハッチを開く。目深に整備帽を被った整備兵が1人、場にそぐわないクッションを抱え、周囲を伺うようにして立っている。
「これを、後ろのシートに」
「じい、済まんな」
「こちらこそ、気が付きもしませんで、申し訳ない」
「気にするな」
「空間を確保するためとは言え、脱出機構を排除しております。くれぐれもお気を付けくだされ」
本来であれば、脱出機構が居座り、サバイバルキットが据え置かれているべき所に、シートがしつらえてあった。パイロットシートを極力前面に移動してはいるが、スペースに余裕は無く、横向きに固定せざるを得なかった。さすがに、サバイバルキットを放り出すわけにもいかず、パイロットシート下に無理矢理括り付けてある。男は、整備兵からクッションを受け取り、後ろの予備シートに放り込むと、整備兵の方へ向き直る。
「ああ、解っている」
「姫様を、お願いいたします」
「ああ、もちろんだ」
――皇紀973年。現皇帝、桜園帝が帝位に就いてから7年が経過していた。槎牙帝が44歳という若さで崩御された。あまりの若さに、暗殺も疑われたが、皇帝は神聖であり、その死を穢すことあたわず。という論調により、調査は有耶無耶の内に打ち切られた。
当時、7歳という若さでありながら、軍部の後押しにより、桜姫が桜園帝として帝位に就く。あまりにも若すぎると言うことで、一部には慎重論もあったが、帝位を空にするわけにもいかず、慎重論は次第に霧散していった。幼帝であるがゆえ、その背後――軍部により、国政が歪んでゆくこととなる。
その歪みが、露呈したのが6年前。周辺各国との貿易摩擦――主に食料品と精密機器分野――が増大し、軍部が強硬姿勢を主張。結果的に、世界貿易機構に絶縁状を叩きつけ、それを皮切りに、各種世界機構からの脱退――実質的な鎖国に突入した。
食べていくのに困らない程度の食料生産は維持が出来たため、すぐに飢えると言うことは無いが、国交が途絶えたため、国としての発展は一気に鈍化した。実質的な鎖国とは言え、完全に鎖国できるわけもなく、数カ国と細々とやり取りを続けていた。そんな数カ国の中、我が国と同じく軍部が台頭し、世界から孤立しかけていた欧州のゲルトバイテとイテルーオとの三カ国軍事同盟が3年前の冬に結ばれた。表向きは、一方的に弱者をないがしろにする国際社会に対し、連携し、支え合っていくという物だった。実際の所、我が国の食糧事情が改善されたのは間違いないが、軍事技術面での提携が真の目的と、まことしやかに囁かれた。
そして、昨年、大寒波に伴う欧州の大停電が皮切りとなって情勢が悪化、同盟国であるゲルトバイテ、イテルーオが相次いで戦端を切った。その結果、欧州では血みどろの戦いが繰り広げられている。当然、同盟国たる我が国にも、支援要請が来ているが、東洋の僻地――四方を海に囲まれ、かつ、その先に控える大国をも飛び越えての直接的な支援という物は難しく、間接的な支援に徹せざるを得なかった。
その間接的な支援の1つとして、同盟国と呼応すべく宣戦布告に関する議案が国会に提出された。反対派と熾烈な綱引きを繰り返していたのだが、初秋に反対派筆頭の大滝泰宏が凶弾に倒れたことで情勢が一気に傾く。陛下は断固として首を縦に振らないが、少しくらいの強攻策を採ったところで問題は無いと軍部は判断した。
宣戦布告を行うべく暗躍していることを漏れ聞いた反対派は、それを阻止するべく武装蜂起をすることを決意する。来る12月14日には宣戦布告を行い、すぐさま、新造大型空中母艦――穹凰にて進軍を開始することが判明したため、それを阻止するべく大型輸送機2機を繰り出し、帝都へと北進している最中である。
『これより、作戦目標高度まで、一気に上昇する。各員、傾斜に注意。整備班はHArTSの固定を再確認しろ』
慌ただしく、作業員が固定具のチェックをしていく。大型輸送機――60式改 燕楼が、上昇するべく、機首を上げ、エンジン出力を上昇させる。ギシッと機体がきしみ、重力が背中側に掛かる。
大型輸送機 60式改 燕楼は、6機、2個小隊のHArTSを輸送することが可能な輸送機だ。その燕楼を2機用意していた。計12機のHArTSが輸送可能だが、本作戦には11機のHArTSしか用意できなかった。本作戦は、その少ない機体を2方面に振り分ける。1方は、帝都中心部に位置する軍令本部の占拠。帝都中心に5機のHArTSを展開し、陽動しつつ、軍令本部内のシンパが通信設備、作戦室の占拠、上層部の身柄確保を行う。もう1方は、帝都南、八家菅原基地に停留、進空式を控えている穹凰を襲撃、これを撃破、もしくは燃料の補給を阻止。これらを通じ、宣戦布告の妨害をすることにある。
『これより、降下作戦を開始する。各員の健闘を祈る』
ウォーン、ウォーンと警報を鳴らしながら、燕楼の後部ハッチが開いてゆく。それと共に、庫内の気圧が急減し、コックピット内の空気が動く。作業員が庫内を走り回り、HArTSの固定具を解除していく。
『1号機、2号機、順次、降下を開始するぞ』
庫内作業員のアナウンスが響く。外では帝都防衛軍による、高射砲での迎撃が始まっているようだ。時折、爆発音と共に、燕楼の機体が揺れる。今のところ、直接的な被害は無い。
『3号機、出すぞ』
「了解した」
後ろへと引きずられるようなGが身体に掛かる。ゴアッという音と共に、庫外に放出され、一瞬、全てのGから解放された後、物理法則に従って地面へと引っ張られる。
3号機パイロット――雨宮涼は、HArTSの手足を動かし、姿勢を変え、地面――帝都のビル群を見た。
ビル群の隙間から、防衛軍による高射砲の発砲炎が見える。先に降下を開始し、パラシュートを開いていた2号機が炎に包まれ、爆散する。パラシュートを開くのが早すぎたのだ。そんな中、ジャミングをくぐり抜けてきた防衛軍の無線が入ってくる。
『ど――部隊だ?』
『帝都防――各機――ぐ。上空より進入――敵機を撃――よ』
『敵機、敵――と?』
部隊の降下は続く。雨宮涼は、空襲警報の響くビル群に入ったところで、パラシュートのスイッチを押す。防御シャッターが降り、目撃者の居ないビルの狭間で、背中に取り付けられたパラシュートユニットが開き、その灰色の空にパラシュートを広げる。それに伴い、腹から背中へと引っ張られるようなGが掛かる。その足下には戦車――拠点防衛型可変HArTS 68式 砲焔が、その砲塔をこちらへと向けている最中だった。
涼は、操るHArTS――66式 双嶽の引き金を引く。その腕に握られた40mm機関砲が火を噴く。派手な音を立てながら、アスファルトに弾痕を残しつつ、砲焔の頭上へと照準を調整する。砲焔は、可変型であることが災いし、天頂方向の防御が弱いという欠点がある。双嶽による攻撃を受け、その装甲にいくつかの穴が穿たれる。その間も、双嶽はパラシュートにより減速しつつ、地面へと接近していく。砲焔は、ガリニウムドライブを損傷、爆発、炎上し、沈黙した。その破片は周囲のビルへと飛び散り、防御シャッターに突き刺さる。
涼の操る双嶽は、爆発の余波をパラシュートに受け、その落下速度を一段階減速すると、爆炎の中、無事に着地を果たした。背中から腹へとGが駆け抜ける。用を為さなくなったパラシュートユニットを分離、ユニットがアスファルトに落下する。
「許せと言っても詮無いことだが、――許せ」
涼は、コックピットの中で、自身が撃破した砲焔の炎を見つつ、呟いた。
――HArTSとは、人型戦術支援兵装(Human type Armament for Tactics Support)の略称であり、ハーツと呼ばれる人型兵器である。HArTSは、戦車とヘリの間を補う兵器として開発、運用されている。戦車による地上制圧能力――これは主に、平面――2次元での運用となる。それに対し、航空勢力は、空間――3次元の運用になるが、戦闘機は、その行動範囲から、広域で見た場合に、2次元の運用と等しくなる。局所的な3次元の運用は、ヘリコプターが担うことになる。しかしながら、飛行継続時間に限りがあることから、2次元の運用と3次元の運用を繋ぐ、2.5次元兵器の必要性が唱えられ、開発が行われた。その登場当初は、部隊のお荷物でしか無かったが、ガリニウムドライブの登場が人型兵器の運命を変えた。ガリニウムドライブの採用により、重量、超伝導モーター、エネルギー源の問題を解消し、戦車、航空戦力と並び立つ戦力へと発展した。
――ガリニウムドライブとは、重金属であるガリニウムとセレンの合金を使用した一種の発電装置である。合金の結晶と臭素を封入し、一定の電界強度を加えると、磁気単極子の特性を示す。厳密には双極子ではあるが、片方が極端に弱く、ほぼ単極と見なすことが出来る。その特性は、磁界に対し敏感に反応する。ガリニウムセレン合金分子が重金属であるため、その結晶が移動することで、それなりの運動エネルギーが発生する。周囲の磁界――地磁気も含め、消磁した状態で、天頂方向への磁界を生成することで、重力に反発する運動エネルギーを得ることが可能となる。これは、反重力物質としての特性とも言える。この反重力物質を管内に封じ、電界、磁界を付与することで上方への運動エネルギーを発生させ、反重力のエネルギーを得ることに成功したのが、ガリニウム管である。そのガリニウム管を中心に、周囲の動きに対するカウンターウェイト、結晶の移動によるタービンの回転と発電、周辺磁界の消磁といったシステムを組み込んだ物をガリニウムドライブと言う。そのエネルギーは微力ながら、装備重量の軽減の効果があり、ドライブによる発電でエネルギーの供給も計れる。このドライブのキモであるガリニウムセレン合金が高価であり、ドライブを稼働させると臭素と反応してしまい、ゴミを生成する。再利用には大がかりな分離装置が必要なため、一般に広まるまでは、まだまだ時間を要するのが現状である。そのため、現時点では、主に兵器用途で採用されている。
◆同日午前5時40分 上羽浄水場付近
帝都上空より降下した4機の双嶽は、無線封鎖下にあるため、各機、作戦内容に従い展開、進軍していた。街中に展開する防衛軍のHArTS 砲焔は、ジャミングにより、有機的な連携が取れず、各個撃破の憂き目に遭っていた。
可変HArTS 砲焔は、戦車とHArTSのいいとこ取りを狙った機体ではあるが、変形機構を取り入れることにより、戦車や通常のHArTSより複雑化しており、特に、その関節部に弱さを抱えていた。それら弱点を補うために、情報連携システムがある訳だが、現在、帝都にはジャミングが掛かっており、このシステムを有効に活用することが出来ずにいた。1対1での戦闘に置いて、砲焔では双嶽には敵わず、次第にその数を減らしていった。
そうして3機の双嶽が目標へと向かっている最中、1機の双嶽が上羽浄水場へと向かっていた。上羽浄水場は、小名川に接する帝都中央にやや近い浄水場の1つである。軍施設というわけでも無いため、付近に配備されているHArTSの影も無く、小名川からの朝霧が漂う中、双嶽の影だけが、敷地内で蠢いていた。
道中、幾ばくかの一般市民に目撃されているが、帝国軍主力HArTSたる双嶽が街中を移動していたところで、何事かと訝しむことはあっても、それが内乱――ましてや、反乱軍の機体だと想像出来る人間はそう多くない。結局の所、触らぬ神に祟りなし――と、言うことで通報もされること無く、無事に浄水場への侵入を果たしていた。
浄水場へと入っていった双嶽――雨宮涼は、機体を巨大な浄水路の中へと進めていく。浄水路は、天井まで10メートル以上あり、7メートル程度の双嶽などは余裕で進むことが出来た。
その入口から差し込む明かりを背に、黒い影を伸ばしつつ、薄暗い浄水路を進む。そのまましばらく進んだかと思うと、雨宮涼は、巨大な鉄扉の前で駐機体勢を取り、ハッチを開けコックピットを降りた。その鉄扉の足下にある壁を叩くと、石版が移動し、その下から金属製の操作盤が現れる。
(ここまでは、言い伝えの通りだな。さて、この操作盤は生きているのかな?)
慎重に、金属のコマに触ると、思ったよりもスムーズに動いた。特に錆びて固まっていると言うこともない。雨宮涼は、その24のコマを、所々考え込みながらも、黙々と動かしていく。最後に、赤いコマがカチリと音を立て、直後に足下からガコンという音が聞こえたかと思うと、雨宮涼とその乗機の後ろ――浄水路を大量の水が流れ出ていく。それに伴い、ゴンゴンゴンと何かがゆっくりと回る音がしたかと思うと、巨大な鉄扉がゆっくりと開いていく。
(言い伝えの通りだ。と、言うことは、この先も間違いないと思っていいだろう。ここに来るまで、時間も食ったことだし、ここからは飛ばしていく必要があるな)
雨宮涼が、双嶽のコックピットに戻るその後ろで、折角動かしたコマが勝手に動いて元に戻っていた。双嶽を動かし、鉄扉の奥へと進むころには、操作盤のコマはすっかり元に戻り、石版により蓋がされ、壁の一部と同化していた。
双嶽のライトだけが照らす真っ暗な通路を進むこと15分。位置計測の結果によれば、目的地付近である。天井へと伸び、吸い込まれていく梯子へと機体を近づけ、ハッチを開く。天井を見上げるが、吸い込まれた先は闇の中で見通すことが出来ない。梯子に力を掛けてみる。特に腐っている様子は無さそうだと、しっかりした手応えが返ってくる。パイロットスーツの肩に懐中電灯を差し込み、梯子を登り始める。
梯子を登り切り、脇の通路――多少背を屈めないと頭がぶつかってしまう高さの通路を走る。念のために、腰のホルスターから拳銃を抜き、下に構え、通路の先を伺う。耳を澄ませるが、物音は聞こえてこない。やがて薄ら明かりが見えてくる。どうやら、この通路も終わりのようだ。出口には格子がはまっており、その先にも格子が見える。
まずは、内側の格子をゆっくりと外し、外を伺う。通路の向こうから、かすかに、しずしずと歩いてくる音が聞こえてくる。引き金に指を掛け、息を潜め様子を探る。どうやら侍女のようだ。雨宮涼の隠れている前を通り過ぎるが、気がついた様子は無い。そのまま少し様子を探る。周囲の気配に注意しつつ、最後の格子を外し、通路に出る。
(どうやら、東御所へ通じる廊下のようだな)
――東御所。帝都ほぼ中央に位置する陛下の居城の一角である。中央の政務棟と東御所、西御所が主な建物となるが、その他にも神殿や近衛駐屯所など、大小様々な建物が点在する。
(思ったよりはるかに人が少ないな。やはり、ぞんざいな扱いを受けているという話は本当だったか?)
腰を低く、物陰に隠れるようにしながら東御所へ向かって駆ける。庭が見えてくるが、巡回している近衛兵も見受けられない。
『父さん、広い庭だね』
『はっはっは。迷子になっても知らないぞ』
『はぁ、面白くないよ』
『おいおい、父さんは真剣に心配してるんだぞ』
『笑ってるじゃないか』
『ふっ。そうか?』
雨宮涼は、昔のことを思い出していた。かれこれ、8年にはなるだろうか。まだ、父が存命だったころの記憶。
『それで、今日はどこに行くの?』
『ああ、お前に逢わせたいお方がおるのだ』
『会わせたい方?』
『ああ、そうだ。お前には、そのお方と懇意――仲良くしてやってくれないか』
『仲良く?』
『ああ、そうだ。これから逢うお方の力になってやってくれ』
連絡通路が終わり、東御所の廊下となる。記憶の中にある東御所と重なり、記憶に色が蘇る。
少女は、聞き慣れない音――花火や礼砲の音に似ていたので全く聞き慣れないという訳では無かったが――普段の物静かな――それこそ、物音ひとつしない生活空間では聞くことの無い音に、その眠りを邪魔され、布団を抜け出した。肩から上着を羽織り、窓から外を見やる。遠くの方で、時折、何かが光る。窓を開け、その音を少しでも聞き取ろうと――その寒さに身を震わせた。吐く息が白い。また、遠くで爆発のような光、そして音が鳴り響く。その音は、観兵式で聞かされた砲撃の音に似ている気がした。
「何が――」
何が起きているというのか。その問いに答える者は、この場には居ない。侍従が居たところで、その問いに答えられる者は居なかったであろう。
彼女は、小鳥だった。かごの中の小鳥。希少がゆえ、大事に大事に取り扱われてはいるが、外界から隔絶された陸の孤島――かごの中だった。己の希少さを盾に、自らの身を護ってはいたが、あまり強硬な態度を取れば、たやすく手折られてしまう。そんな危うさの中、彼女は彼女なりに頑張っていた。
ふと、隣の部屋から物音が聞こえてきた気がした。侍女が食事の支度をするには、少し早い時間。襖に手を掛け、ゆっくりと開く。
「誰か」
唐突に声を掛けられ、一瞬、思考が止まったかのように、その身を硬直させる男。そこに男がいるとは思ってもみなかった少女。2人が、その身を硬直させ、視線を交錯させることしばし、男――雨宮涼は、弾かれたように一歩下がり、跪く。
「お休みの所、お騒がせして申し訳ありません。決して不審な者ではございませんので、今しばらく、私の話に耳を傾けていただければと思います」
雨宮涼は、そこで言葉を切り、頭を下げたまま少女の気配を伺う。
「それで、――この私に何用か?」
逡巡した後、少女はひとまず、この男の言葉を聞くことにした。もし、自分に仇なす者であれば、こんな小娘程度、とっくに目的を達していたことだろう。
「ハッ。陛下をないがしろにし、国の未来を危うくしている者共がいます。その、――失礼かとは思いますが、一旦、御身を安全な所にお隠しになり」
陛下と呼ばれた少女――幼帝、桜園帝は、頭を垂れ、自分の身を案じる青年の声を聞いていた。その声は、とても懐かしく、幼い頃の記憶を揺さぶるようでもあった。
「――決して、御身を傷つけるような」
「おもてを上げよ」
「ハッ」
雨宮涼は、陛下が自分の話を遮ってきたことに一瞬驚きはしたが、言われるがままに伏せていた頭を上げる。桜園帝と視線が交わる。5秒、10秒――短いと言えば短いが、想いを馳せるには十分な時間が経過した。
「涼兄さま?」
「――はい」
「涼兄さま」
跪く雨宮涼と同じ目線になるため、桜園帝がしゃがみ込み、その手を取る。
「涼兄さま、いままでどこに」
「陛下、今はあまり時間がありません。一緒に来ていただけますか?」
「陛下、――陛下なんだ」
どうやら少女――桜園帝は、雨宮涼に「陛下」と呼ばれたことが不満なようだ。臣下としては当然の対応ではあったが、「陛下」はそれを望んではいない。雨宮涼は、すこし逡巡した後、口を開く。
「ぃゃ、その、――桜姫」
「はい」
桜姫と呼ばれた少女――桜園帝は、嬉しそうに微笑むのだった。その笑顔に、思わず涼も釣られて軽く微笑む。
「不自由をおかけしますが、一緒に来ていただけますか?」
「はい。涼兄さまと一緒なら、大丈夫です」
2人は人目を避けるようにして、雨宮涼が侵入してきた経路を戻る。もっとも、避けるべき人影すら見かけなかったが。
涼が先に梯子を下り、双嶽に乗り込むと、その腕を上へと伸ばす。梯子を少し下りた先に、双嶽の手が来る。桜姫は、ゆっくりと、恐る恐る梯子を下りる。そして、その手に乗り、無骨な指を抱きしめるように掴む。涼は、慎重に、ゆっくりゆっくりと腕を下ろす。
「狭くて、不自由をおかけしますが、少し我慢してください」
「はい」
桜姫は、双嶽のパイロットシート後部に取り付けられた急ごしらえのシートへと移動する。シートに余裕は無く、丸まるように座るしか無い。
「どこか痛いところはありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。あと、このクッションを抱きかかえておいてください」
場違いなクッションに少し驚きつつ、前に抱え込む。涼は、自分のヘルメットを差し出す。
「このヘルメットを被っておいてください」
「解りました。でも、――涼兄さまは?」
「大丈夫ですよ。何かあったら、すぐに仰ってください」
「ええ、解りました」
双嶽をゆっくりとスタートさせる。揺れないように揺れないように慎重に。
浄水路を逆に辿る。出口に近づくにつれ、外の明かりが差し込んでくる。それに伴い、無線の電波が届くようになる。データ通信も復帰したようだ。コンソールを叩き、暗号データ通信を復号する。
(作戦は失敗!?)
画面には、帝都からの撤退ルートに関するデータが表示される。輸送トレーラーを使い、帝都西、久慈丘方面から長政の樹海へと脱出、のち、長政の演習場へと集合すること。そのためにも、まずは指示された地点へと赴き、トレーラーと合流する。そういう指示だった。指示にある建物の地下駐車場へ向かうべく、移動を開始する。
――HArTSの運用は、相互の情報連携システムが重要な役割を果たす。特に市街地では、遮蔽物が多いため、単機ではカバー出来ない部分を他の機体で補う。このシステムに対してもジャミングが行われているため、敵味方双方において、このシステムが正常に動作しない状況下にあった。遮蔽物が多いため、レーダーはほとんど役に立たず、振動センサー、音響センサー、温度センサーと視界情報に頼らざるを得ない状況となっている。
各機、孤立に等しい状況――そんな状況下、ビルを曲がった直後、雨宮涼の操る双嶽は、砲焔と鉢合わせになる。砲焔のパイロットは、この孤立した状況、緊張状態に疲弊しており、冷静な判断を下せなかった。本来であれば、味方である可能性が高い双嶽に対し、所属を問うところではあるが、いきなり肩に装備された90mm砲の発射トリガーを引いた。
至近距離での発砲であった。弾丸は、双嶽の胸部装甲に命中するも、曲面での跳弾、近接がゆえに安全装置が働き起爆しなかったことが重なり、装甲を大きくへこませただけで済んだ。しかし、その衝突のエネルギーはすさまじく、双嶽は尻餅をつくように倒れ込む。それと同時に、咄嗟に行った反撃の銃弾が砲焔へと叩き込まれる。しかも、尻餅をつくように倒れ込んだことから、その攻撃は実に効果的な射線を描いた。砲焔は、可変機構を有するため、関節と変形部分のガードが甘く、数多い欠点の1つとなっている。その関節をカバーする装甲板の隙間にピンポイントで命中、関節を撃ち砕いた。左脚と右肩の関節部分がバカになり、踏ん張りが利かなくなる。変形機構の都合上、逆方向にも可動範囲があることが災いし、前側に倒れ込みそうになるのを、オートバランサーがこらえる。上半身を反らすような形となったが、踏ん張ることの出来ない左脚では支えることが出来ず、完全に仰向けに倒れ込む。まともに動かない左脚、右腕が邪魔をし、起き上がることも変形することも出来なくなってしまった。腹部コックピットハッチから、砲焔のパイロットが拳銃を構えながら顔を出す。その腕は、緊張からか、不規則に震えていた。
双嶽のコックピットの中で、雨宮涼は、言葉にならない呻き声を上げていた。ちらりと視界に入ったモニターには、倒れ込み起き上がれない砲焔が映っていた。咄嗟に反撃を行いはしたが、その結果をしっかりと確かめるだけの余力が無かった。痛みをこらえるために俯いた顔から垂れる血が、腿に血溜まりを作る。その血溜まりの中、透明なしずくが、ぽつりぽつりと落ちてはにじむ。双嶽の胸部に命中した砲弾は、コックピット斜め上方から押し込むような力を加えた。その内容物は、押し込むような力からの逃げ場を欲した。結果、衝撃と圧力に耐えかねた正面モニターが破損、固定治具も勢いよく弾け飛ぶ。
その金属片は、雨宮涼の左目を直撃していた。まぶた程度では、なんら防御壁になり得ない破片。雨宮涼は、左目にとてつもない痛み、熱さ、そして中央に位置する破片の冷たさを感じていた。あまりの痛みに、生命の防衛本能が働き、どこか遠くのようにも感じる痛みになった。腿に出来る血溜まりの中、房水が作るにじみを、どこか遠くの出来事のように見ていた。
後部シートの陛下の様子が気になったが、仮にケガをしていた場合、急いで搬送する必要がある。つまり、涼が操縦出来る状態にあることが重要だった。また、血で汚す訳にもいくまいと言った心理が働き、まずはケガの処置をすることを優先する。可及的速やかに――だ。
破片に軽く触れてみる。眼の奥を掻き回されるような――文字通り掻き回してはいるのだが、突き抜けるような痛みが走る。自然と呼吸が荒くなる。が、再度、意を決して、右手のグローブを口にくわえ噛みしめる。左手で眼の周囲を押さえつつ、素手となった右手で、破片をひと思いに引き抜いた。グゥと噛みしめる口から呻き声が漏れる。シート下のサバイバルキットから、止血スプレーを取り出すと傷口へと噴霧する。より一層、噛みしめる口に力が加わる。あまりの痛さに、途中から痛みがシャットアウトされるのが解る。全身に脂汗をかき、額の汗は鼻筋を通って下へと垂れる。止血ガーゼと包帯で、手早く適当に傷口の処理を終えると、シートベルトを外し、後部シートの様子を確認する。桜姫が、ピクリとも動かない様子に、肝を冷やすが、呼吸をしていることが解り、ホッと胸をなで下ろす。とは言え、完全に安心していい状況と言う訳でも無いので、急いで離脱し、安全な場所へ移した方がいいのは間違いない。
シートに戻り、状況を確認する。正面、左前方モニターの破損、カメラ映像にひび割れと思われる若干のノイズ、音響センサーも破損したようだ。右前方モニターを使い、周囲を確認する。敵機――砲焔は、移動に支障を来し、戦力としては無効化に成功している。コックピットハッチは開いており、パイロットは逃走済みと思われる。当然、通報されるだろう。あまりのんびりもしていられない状況だ。双嶽をゆっくりと立ち上がらせ、斜に構えるような形で周囲を伺う。特に他の敵機は見当たらない。涼は、脱出のため、合流地点へと急ぐことにした。
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変更箇所
挿絵タグ修正
|人型戦術→人型戦術
右正面モニター→右前方モニター




