NO.9 腕の中
ジェラルドは、そこにいた。
裏方の衣装を纏い、まるで最初からそこに立っていたかのように。
穏やかな微笑。
目だけが、温度を持たない。
「お久しぶりです、お嬢様」
イリスの呼吸が止まる。
温室で掴まれた腕の感触がよみがえる――
あの男は、こいつの差し金だ。
背筋が冷える。
「……どうして」
ようやく出た声は、かすれていた。
ジェラルドは一歩も近づかない。
「今日は、強い顔をしていますね」
ゆっくりと、観察するように言う。
「ヴァルツ家でのことは忘れてしまったんですか?」
わずかに首を傾げる。
「似合いません」
胸の奥がざわつく。
「守られている顔は、あなたらしくない。」
「あなたは、人に恨まれ、怯えている時が一番美しい」
足が一歩、下がる。 石床の冷たさが靴越しに伝わる。
「ヴァルツ家の罪は消えていません。 あなたも、忘れてはいないでしょう?」
穏やかな声。
その言い方が、余計に怖い。
「私が思い出させて差し上げます。」
――恐怖を。
まだ何も終わっていないという現実を。
「また会いに来ます」
それだけを残して、ジェラルドは影へ溶けるように去った。
イリスはその場に立ったまま、動けない。
音楽が遠く聞こえる。
光が、ひどく遠い。
温室のときと同じ。
何も解決していないと、はっきり分かった。
逃げ場はない。結局まだ首輪は外れていなかったのか。
胸が締めつけられる。
「イリス」
低い声。
振り向くと、カーライルが立っていた。
表情が硬い。
普段より速い呼吸。
焦りを隠しきれていない。
「何があった」
早足で近づき、イリスの肩をそのまま抱き寄せた。
強く。
迷いなく。
イリスの身体がわずかに震える。
「……ジェラルドが」
声が揺れる。
「話を……」
カーライルの腕の力がわずかに強まる。
「何を言われた」
低い。
押さえているが、怒りの気配が滲む。
イリスは息を吸う。
今までは、平気な顔をしてきた。
大丈夫だと、言ってきた。
でも、今回は。
喉の奥から、素直な言葉が出る。
「……怖かった」
小さく。
けれど、はっきりと。
カーライルの胸がわずかに上下する。
「……1人にさせてすまない」
2人の間に沈黙が落ちた。
音楽が近づいてくる。
光の中へ戻らなければならない。
イリスはカーライルの胸元に額を寄せたまま、ほんの一瞬だけ目を閉じる。
過去の夜。
閉じ込められた部屋。
震えていた自分。
そして今。
守られているはずなのに、消えない恐怖。
過去は消えない。
自分でなんとかしないといけない。
けれど。
カーライルは私を気にかけてくれる。
頼りたいと、思ってしまう。
カーライルの腕は、離れない。
「絶対に守る」
決意に満ちたその声に、イリスは安堵する。
この人のためにも、強くなりたい。




