NO.5 忍び寄る影
夜の書斎は、ひどく静かだった。
灯りの下、机の上に一通の手紙が置かれている。
カーライルはそれをもう一度広げた。
丁寧な筆跡。
穏やかな言葉。
――可哀想なあなたのままでいてください。
視線が、その一文で止まる。
表情は変わらない。
怒りも、嘲りもない。
ただ、紙を折る指先が、ほんのわずかに硬くなる。
「……身勝手な」
小さく呟き、封書を机の端へと押しやった。
処理すべき対象として。
やがて扉が叩かれ、側近が入室する。
「例の男について、動きは」
短い問い。
「王都南区の宿に滞在しています。最近、屋敷周辺を遠巻きに確認した形跡も」
カーライルの目がわずかに細まる。
「接触は」
「直接の動きはありません。ただ……奥様の外出時間と重なる目撃が数件」
沈黙。
「居場所を押さえろ。出入りの記録も洗え」
「承知しました」
側近が一礼する。
カーライルは続けた。
「理屈は通じない相手だ」
それだけで、十分だった。
***
翌日。
庭には穏やかな陽光が差していた。
イリスはベンチに腰掛け、本を閉じる。
足の傷は癒えつつあるが、まだ長く歩くことはできない。
近くに控える護衛の数が、以前より増えていることに気づいていた。
カーライルが隣に腰を下ろす。
「体調はどうだ?」
「おかげでだいぶ良くなりました」
イリスは少し迷ってから続ける。
「……最近、警備が厳しいようですが」
カーライルは即答した。
「当然だ」
視線は前を向いたまま。
「あいつは二度と近づけさせない」
はっきりと言う。
迷いも、曖昧さもない。
イリスは小さく息を呑む。
自分のために、ここまで言い切られることに、まだ慣れない。
「……そこまで、していただかなくても」
「する」
「君が安心して眠れない状況を、放置する理由はない」
それだけだ、という顔。
イリスは視線を落とす。
胸の奥が、静かに温まる。
***
一方。
王都の一室。
窓辺に立つ男は、穏やかな顔をしていた。
ジェラルド。
机の上には、封筒と紙。
向かいに立つ男は無言で金貨を受け取る。
表情は変えない。
「焦らなくていい」
ジェラルドは静かに言う。
「時期を待つんだ」
視線が遠くを見る。
「あの頃の彼女は、誰にも頼れなかった」
「震えながら、それでも立っていた」
目が細くなる。
「あの姿が、いちばん美しかった」
男が低く問う。
「どうします」
ジェラルドは迷わない。
「彼女があいつに頼り切る前に引き離せばいい」
穏やかな声。
「彼女の居場所は、あそこではない」
口元がわずかに上がる。
「また、私だけを見ればいい」
男はただ頷く。
それだけで、十分だった。




