第6話:「価値が高過ぎると思った。心配になった。」
今日は、忙しかった。
忙しかったが――
いつもと、決定的に違った。
(……楽だ)
イルハンは、鍋をかき混ぜながらそう思った。
火は、いつも通り強い。
水も、特別冷たいわけじゃない。
なのに、息ができる。
汗は出るが、倒れそうにならない。
湯気が、目に刺さらない。
「……おかしいな」
口に出すと、隣で手伝っていた息子――レオンが首を傾げた。
「なにが?」
「いや……なんでもないさ」
誤魔化した。
理由は分からないが、
理由が分からないからこそ、口に出したくなかった。
⸻
客は、いつもより多かった。
それも、暑さが本格化する前の時間帯に。
「今日はいけそうだな」
「昼でも食欲が湧く」
そんな言葉を聞くたび、
イルハンの胸の奥が、ざわつく。
(ありえない)
この国で、夏の真っ昼間に食堂が回るなど。
偶然?
運?
……いや。
視線が、店の隅に向く。
そこにいるのは、どこにでもいる平民の子供だ。
痩せていて、肌はこの国では珍しくもない褐色。
黒い癖っ毛は、少し跳ねている。
取り立てて特徴があるわけじゃない。
――ただ、目だけが違った。
青い。
母親譲りなのだろうが、
この国では、少し目につく色だ。
もっとも、本人はいつも眠たそうで、
視線に力はない。優しそうな子だ。
強い子供には見えない。
危険な存在にも見えない。
それが、なおさら気になった。
椅子に座って、ぼんやりしている少年。
レオンの友達――ルーク。
汗ひとつかいていない。
(……子供は、暑さに強い)
そう言い聞かせる。
だが、それにしては――
周りが、楽すぎた。
⸻
営業が終わり、店を閉めたあと。
売上を数えて、イルハンは黙り込んだ。
(……出すぎだ)
不自然ではない。
だが、“良すぎる”。
この国で生きていれば、
そういう「ズレ」には敏感になる。
原因不明の好調は、
あとで必ず、代償を連れてくる。
イルハンは、再びルークを見る。
少年は、壁にもたれて欠伸をしていた。
(……あの子が来てからだ)
井戸の日も、そうだったと聞いている。
偶然が、二度続くか?
三度目が来たら――
それはもう、偶然じゃない。
⸻
(氷、か……)
イルハンは、喉の奥で唾を飲み込んだ。
氷魔法。
この国では、ほとんど聞かない。
聞かない理由は、単純だ。
使えないからじゃない。
使える価値が、高すぎるからだ。
水一杯を冷やせるだけで、
金になる。
人を生かせる。
戦争の形すら、変えられる。
平民の自分には縁もゆかりもない存在だ。
だから――
目をつけられる。
(あの子は、まだ五つだ)
無邪気で、
のんびりしていて、
たぶん、自分が何をしているかも分かっていない。
そんな子供に、
この国は、優しくない。
⸻
「父さん?」
レオンが声をかけてきた。
「ルーク、また来ていい?って言ってたけど」
イルハンは、一瞬、言葉に詰まる。
来てほしい。
正直に言えば、来てほしい。
あの子がいれば、店は回る。
家族も、楽になる。
でも――
「……ああ」
短く答えた。
「ただし、あまり外に出歩かせるな」
「え?」
「理由は……今はいい」
レオンは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
⸻
ルークが帰るとき、
イルハンは声をかけた。
「坊主」
「なに?」
「……無理は、するな」
ルークは、きょとんとした顔で笑った。
「してないよ」
その返事が、
一番、怖かった。
(してないから、なおさらだ)
イルハンは、扉が閉まるまで見送った。
涼しいだけの少年。
――その価値を、
あの子自身が知る前に。
誰かに、知られないといい。
心から、そう思った。




