第5話:「座ってるだけだった。店が繁盛した。」
昼前なのに、食堂はすでに限界だった。
「……今日は、きついな」
そう呟いたのは、レオンの父――イルハンだ。
小さな食堂の奥、かまどの前で、彼は褐色の額の汗を袖で拭った。
火を落とせば商売にならない。
でも、火を使えば倒れそうになる。
この国では、よくある光景だ。
「父さん、もうやめたら?」
レオンが心配そうに言う。
「昼だけだ。昼を越えれば…」
そう言いながら、イルハンの足取りは重い。
立っているだけで、体力が削られていくのが分かる。
俺――ルークは、その様子をぼんやりレオンと2人、カウンター席から眺めていた。
(前世なら、厨房に入った時点で労基案件だな…)
そんなことを考えながら、適当な椅子に座る。
「ルーク、暑くないの?」
「まあ、普通だよ」
本当に、普通だった。
⸻
火を入れる。
鍋から湯気が立ち上る。
……でも。
「……あれ?」
イルハンが、眉をひそめた。
「今日は、まだいけるな」
いつもなら、湯気が顔に刺さる。
息をするだけで、肺が焼ける。
それが今日は――
我慢できる。
暑いのは暑い。
でも、逃げ出すほどじゃない。
「気のせいか?」
そう呟きながら、仕込みを続ける。
⸻
昼。
いつもより早く、客が入ってきた。
「今日はここやってるのか」
「助かる」
汗だくの男たちが、席に座る。
料理が出る。
湯気が上がる。
「……食えるな」
「今日は、楽だ」
そんな声が、ぽつぽつと聞こえる。
誰も理由は分からない。
でも、確実に違っていた。
客は長居する。
水を飲む。
料理を残さない。
回転が止まらない。
イルハンは、途中から何も言わなくなった。
ただ、黙々と手を動かす。
その背中は、いつもより少しだけ軽そうだった。
⸻
「……終わりにするか」
昼を越えて、店を閉める。
椅子に腰を下ろしたイルハンは、大きく息を吐いた。
「今日は、助かった」
「なにが?」
レオンが聞くと、イルハンは首を振る。
「分からん。ただ……無理は、するな」
それだけだった。
賢い人だな、と思った。
知らないことは、知らないことにしておく。
分からないものは、分からないままにしておく。
この国で生きるには、それも大事だ。
⸻
帰り道。
「ルーク、また来てよ」
レオンが言う。
「父さん、今日すごく楽そうだった」
「そう?」
正直、俺はよく分からない。
でも。
(俺がいるだけで、あれなら)
戦わなくていい。
目立たなくていい。
詠唱も、修行もいらない。
ただ、座ってるだけ。
(……これ、仕事になるな)
頭の中で、未来の俺が想像できた。
偉い人の屋敷。
涼しい部屋。
「そこにいろ」と言われて、座るだけ。
「人間クーラーです」
って名乗れば、完璧だ。
(最高じゃないか!)
楽して、感謝されて、金ももらえる。
危険も、面倒も、できるだけ避けたい俺には――
これ以上ない目標だ。
「将来は、それでいこう」
小さく呟く。
レオンが首を傾げた。
「なにが?」
「秘密」
今はまだ、誰にも言わない。
でも、決めた。
この暑い国で生きるなら――
俺は、人間クーラーになる。
それでいいや。




