街角のカフェと、小さな気配②
マリーはテーブルの上の、知っていそうだけど、初めて見る不思議な食べ物に手を伸ばす。
マリーはまず、ゆらゆらと揺れる“ミルク雲”にそっとスプーンを差し入れた。
雲はふわりと抵抗なくすくわれ、舌に触れた瞬間、淡くとろりとしたミルクの味が広がる。
ミルクティーと一緒にひと口含むと、優しい甘さが胸の奥までふわっと満たされた。
「……おいしい……」
その小さな声に、ケットシーは満足そうに目を細める。
つづいてマリーはパイを割った。
薄い生地が“さくっ”と軽く割れ、七色の砂糖が光を反射しながらこぼれ落ちる。
まるで星屑のようにきらめいた。
ひと口かじると、ほんのりかおるバターの塩気と甘さが交互に広がり、不思議なくらい軽くて、つい手が止まらなくなる。
「これ……すっごく好きかも……!」
夢中になって食べているマリーの頬がゆるむ。
「アレッシュさんの紅茶、味はどう?」
彼は一口だけ飲み、静かに瞬きをした。
「……思っていたほど悪くない。雑に見えて、香りはちゃんとしてる」
料理を出したあとも、ケットシーはマリーにだけ丁寧で優しい。
「ブランケットつかうにゃ」
「お水もつぐにゃ」
「ありがとう……!」
ケットシーはマリーの方へ屈みこみ、尻尾をゆるく揺らす。
「あなた、本当に“いい匂い”がする。落ち着く匂い」
マリーは頬を少し赤らめた。
「えっ、そうかな……?」
アレッシュは低く囁く。
「……触ったら、切り払うからな」
ケットシーは面白そうにアレッシュを見る。
「触らにゃいよ、大事そうに守ってるし」
そしてアレッシュの前に、ゴトっと雑に水を置いた。
「扱いが違いすぎないか」
「当然でしょ。おまえは“ついで”」
二人のやりとりがおかしくて、マリーは笑いをこらえられず、小さく肩を震わせた。
⸻
楽しい時間を過ごし、そろそろお会計を、とマリーが立ち上がる。
ケットシーはくいっと首をかしげた。
「人間の貨幣は、いらないにゃ」
「えっ、……それはダメです!」
マリーは慌ててブンブンと頭を振る。
「きちんとお礼はしたいんです」
ケットシーはにこりと笑った。
「……ふふ、懐かしい匂いがするあなたの魔力を、ちょっとだけ分けてほしいにゃ」
マリーは手のひらに癒しの光を集める。
淡い光の中、きらりと光る小さな粒がふわりと浮かび、すぐに消えた。
その様子に、アレッシュは思わず目を見張る。
(やはり、ただの癒しの魔法じゃない?……)
暖色系の光の奥に、青白い輝きがキラリと混ざっていた。
「これを、どうするんですか?」
マリーが癒しの光に包まれた両手を差し出すと、ケットシーはくすっと笑った。
「もふもふしてほしいんだにゃ」
「もふもふ!?」
マリーの声が弾む。
実はケットシーを見た瞬間から、その毛並みを触ってみたい気持ちを押さえていた。
瞳がキラキラして、手がふるふると震える。
「触っていいの?」
「もちろんだにゃ」
許可が出るや否や、マリーはそっと両手を伸ばす。
ふわふわの頬、柔らかい耳、首元の毛並みを、もっふもっふと撫でていく。
「ふにゃあ……そこ……もっと……」
ケットシーは目を細め、癒しの光に包まれながら、嬉しそうに甘える。
その姿に、マリーの胸もじんわり温かくなる。
ケットシーを撫でるマリーの無邪気な笑顔を見て、
アレッシュは眉を寄せて、どこか不機嫌そうに目を細めた。
胸の奥が、ちり……と熱くなる。
(……なんで俺が、こんな気分になるんだ)
手のひらが無意識に握りこまれる。
自分でも扱いきれない感情が、ゆっくりと滲んでいた。
そのとき、アレッシュの本音がぽつりと漏れた。
「……俺が、マリーをもふもふしたい」
「ふぅえっ?」
マリーの頬は一瞬で赤く染まり、ぱちぱちと瞬きをした。
さっきまでケットシーを撫でることだけに夢中だったのに、胸の奥が急にぽ、と熱くなる。
(な、なにこれ……急に、心臓が――)
うまく言葉にならないまま、視線が泳ぐ。
「……わたし、そんなに……もふもふしてる?」
照れ隠しのようにそっと目をそらしたマリーに、アレッシュの手が自然と伸びた。
そして、優しく頭の上に触れる。
ぽん、ぽん……
と、包み込むような手つきだ。
撫でるたびに、“言葉にしなくても伝わる気持ち”が、じんわりと広がっていく。
マリーの胸の鼓動が、ゆっくりと……でも少しづつ速くなる。
(こんな触れ方……ずるいよ……)
「っ……あ……」
思わず、小さな声が漏れてしまった。
その瞬間、アレッシュはそっとマリーを見つめる。
真剣で、揺るがない視線。
「……ちゃんと、伝わってるだろ?」
甘く、低く落とされた声に、マリーの胸はきゅうっと締めつけられる。
どく、どくと響く鼓動―
今は、この手の温もりと同じリズム刻んでいる。
マリーは静かに頷いた。
言葉にできない気持ちが、胸いっぱいに広がってくる。
その様子を、ケットシーは尻尾をゆらゆら揺らしながら見つめ、楽しげに鼻を鳴らした。
(ふふ、この人間……やっぱり面白いにゃ)
⸻
もふもふを堪能し、二人が扉の前に立つと、ケットシーはしっぽを揺らしながら軽く会釈した。
「またおいで、特別な、あなた……」
アレッシュはまだどこか不機嫌なまま、幸せそうに微笑んでいた。
二人は店の扉を押して外へ出る。
―ぱたん―
扉が閉まってチリーンと鈴の音が消えた瞬間。
「また来てね、……聖女様……」
やわらかい声が、後ろから“マリーだけ”に届いた。
「……!」
驚いて振り返る。
しかしそこにあったはずの“店の扉”は消え、ただの古びた路地裏の石壁だけが残っていた。
扉の跡形もなく、看板も、光も、甘い香りも――全部消えている。
「え……?」
(……いま……聖女って言われた……?)
マリーの胸の奥で、ひとつ鼓動が跳ねた。
その意味を考える前に―
「マリー、行くぞ」
少し先でアレッシュが振り返り、短く声をかける。
マリーは慌てて足を踏み出しながら、もう一度だけ石壁を見つめた。
胸の奥のざわめきが消えないまま、マリーはアレッシュの後を追った。
路地裏には、もう何の気配も残っていなかった。




