街角のカフェと、小さな気配①
午後の日差しが温かく、ぽかぽかした散歩日和。街角には、焼き菓子の甘い匂いが広がっていた。
マリーとアレッシュはギルドの依頼の帰り、「噂の新しいカフェの近くだ」と気付き、寄り道することにした。
「ねぇアレッシュ、あの角を曲がったお店だよ!」
嬉しそうに駆けだすマリー。
アレッシュは肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
石畳の通りに、白壁と淡いミント色の扉と窓枠がひときわ目を引く建物があった。
大きな窓が大胆に配置され、この辺りでは見かけないセンスのカフェだ。
だが店の前には長蛇の列。
扉の奥に見える店内も、テイクアウトのケーキが並ぶショーケースの前もぎゅうぎゅうで、とても入れそうにない。
「うわぁ……これは無理かも……」
マリーは気圧されて肩を落とす。
「今日はやめておこう。人混みで無理する必要はないだろ」
アレッシュがそう言ったその時―
マリーの耳の奥、いや胸の奥がふわりと震えた。
くいっと、小さな手に引かれたような感覚。
「……え?」
「マリー、どうした?」
アレッシュが振り返る。
マリーは目を瞬かせ、周囲を見回した。
どう説明すればいいかわからない。でも――
「なんか……呼ばれた気がする。こっち」
そう言ってマリーは歩き出す。
アレッシュは少し眉を寄せ、頭をかきながらも後に続いた。
マリーは気になり出すと止まらないのだ。
細い路地に足を踏み入れた途端、賑やかだった街の喧騒がすっと途切れた。
(……静かすぎる)
アレッシュの気配が鋭くなる。
足を止め、周囲をひと目で見渡しながら低くつぶやいた。
「……妙な場所だ。マリー、気をつけろ」
その声音は冷静なのに、張り詰めている。
アレッシュが警戒していることがマリーにも伝わってきた。
「アレッシュさん……」
「離れるな。なにかある」
ほんの少し、マリーを引き寄せる。
その仕草が頼もしく、そして警戒する横顔がかっこよすぎて、マリーの胸がとくんと跳ねた。
―チリーン
……ふわり
鈴の音が聞こえ、どこからともなく甘いミルクとハーブの香りが漂ってきた。
「……え?」
香りに誘われ振り返ると、路地の奥の“壁”だと思っていた場所に、いつの間にか古い黄色の木の扉が現れていた。
《Full Moon Café》
扉の上の小さな看板に手描きの文字でそう書かれている。
つい先ほどまで、絶対にこんなものはなかったはずだ。
「……呼ばれてる……」
マリーがそっとドアノブに手をかけた瞬間、アレッシュの手がその上に重なった。
「……待て」
低く、緊張を帯びた声。
マリーはアレッシュを見つめ、揺るがない意志で言った。
「……絶対、開けたいんです!」
迷いも恐れもない。
やっぱりマリーは、気になったら止まらない。
アレッシュは眉をひそめ、短くため息をついた。
「わかった。ただし……先に俺が行く」
ドアノブに手を添え、マリーを背後に隠すように半歩前へ出る。
―ガチャ
扉が開き、ふわりとミルクの香る店内に踏み入れる。
丸いランプが灯り、カウンターの向こうには、灰色のもふもふの毛並みを持つ、小柄な猫のような二本足で立つ生き物がいた。
ケットシー(猫型の精霊)だ。
細長い尻尾がゆらりと揺れ、金色の瞳がまっすぐアレッシュを捉える。
「……にゃんであんた、ここに来れたにゃ?」
軽く喉を鳴らすように問い、尾先は警戒するようにピンと立っている。
「帰れにゃ」
短くそう言い放つ。
アレッシュが眉をひそめて睨むも、ケットシーはぴくりとも動かない。
だが次の瞬間、ケットシーの視線がアレッシュの背中から、ひょこっと顔を出したマリーに移った。
瞳孔がぐわっと一瞬開き、表情がふっと緩む。
「……にゃるほど、あなたでしたか」
柔らかな声で続ける。
「あなた、ちょっと……似てる、懐かしい匂いがするにゃ」
「え、えっ?」
マリーはきょとんと目を丸くする。
アレッシュはとっさにマリーをかばうように隠した。
「人間の店じゃないなら、引き返す、悪いな」
するとケットシーは手をひらひら振った。
「人間は普通お断りだけど……あなたは特別だから、入っていいよ」
さっきと反対側からぴょこんと顔を出してるマリーを見つめながら言った。
「と、特別……?」
「そっちはついででいいよ」
ケットシーはアレッシュをちらりと見て、あからさまにどうでもいいという顔をした。
アレッシュのこめかみがぴくりと動く。
マリーは吹き出しそうになるのをこらえた。
⸻
席に案内されると、色とりどりのふかふかした猫型クッションが並んでいた。
マリーは目を輝かせて座る。
「うわっ、かわいい……!」
クッションをもふもふするマリー。
アレッシュは椅子の強度を確認してからようやく座った。
「気を抜くな、ここは人間の店じゃない」
そこへケットシーがメニューを持ってきた。
マリーには両手で丁寧に渡す。
「おすすめは“ミルク雲のロイヤルミルクティー”と“クレセントフィッシュのパイ”だよ」
アレッシュには片手でポイッと投げる。
「おまえには“普通の紅茶”ね」
普段あまり感情を出さないアレッシュが眉をひそめる。
「なんで俺だけ普通なんだ」
ケットシーは鼻を鳴らした。
「……妖精向けのメニューは、特別にゃからね」
マリーは先程のおすすめを注文し、アレッシュは“普通の紅茶”を頼んだ。
運ばれてきたロイヤルミルクティーは、ミルクがふわふわと雲のように浮かんだり沈んだりしていた。
クレセントフィッシュのパイは、その名の通り三日月型の魚を模した薄いパイだ。
上にかかった七色の砂糖が半分溶けてキラキラ輝いている。
マリーは感動して両手を合わせた。
「うぁっ、かわいい……!」
さらにケットシーは黒猫型のババロアまで出してきて言う。
「これもどう? あなたにサービスにゃ」
「おい。なんでマリーだけ」
「おまえには……“普通の砂糖”で十分にゃ」
ぽん、とアレッシュの前に雑に置かれる砂糖壺。
「……」
アレッシュのこめかみに血管が浮かんできそうな気がする、マリーはあわてて提案した。
「ア、アレッシュさん……一緒に食べますか?」
アレッシュは動きを止め、横目でケットシーを見る。
目が合い、そっとそらしてから言った。
「……いや……何が起こるかわからない」
ここは完全にケットシーの領域。
アレッシュは現状を冷静に分析している。
「いい判断だにゃ」
ケットシーのアレッシュへ向ける態度が、ほんの少しだけやわらいだ。
「そいつ、あなたのこと大事なんだね。ここに来てからずっと、あなたを守ることしか考えてないにゃ」
「え、えっ!? 」
(アレッシュさんが、私の事しか考えてない!?)
ちょっと自分に都合の良い変換をして、マリーは真っ赤になる、慌てて、顔がほてって無いか手の甲を当てて確認する。
アレッシュは、「当たり前だろ……」と低く言ってそっぽを向く。
ちょっと耳が赤くなっているその横顔が、あまりにも不器用で優しい。
マリーはまた、胸の奥がキュンとなってしまう。
ケットシーが尻尾をぱたぱた揺らして、
「はいはい、青春だにゃ〜」と茶化した。
不思議で、あたたかく、どこか秘密めいた隠れ家カフェ。
この、ちょっと不思議な“ケットシーのカフェ”で過ごすこの緩やかなひとときはまだまだつづく……。
②に続きます




