ティーカップと、赤い頬
午後の光が斜めに差し込む宿屋〈青いアルパカ亭〉の食堂。
客の姿はひとつもなく、静けさの中に紅茶の甘い香りだけがふわりと漂っている。
木のテーブルを挟んで向かい合うのは、宿屋で働くリサと、今日の依頼を終えたマリー。
二人は表向き、「都で知り合った友人」ということになっている。
だが本当は―同じ小さな村で育った幼馴染。
それを知るのは、村に残ったわずかな人たちと、この二人だけだ。
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リサが紅茶のポットを置き、そっと木箱を開けた。
「はい、マリー。懐かしいでしょ? 村のリンゴジャム」
思わずマリーの頬がゆるむ。
二人が育った村では、紅茶にリンゴジャムを落とすのが昔からの習慣だった。
マリーは自分のカップに、ジャムをひとさじ落とす。
「……ああ、懐かしい味……!」
リサもにこりと笑い、声を少し潜めた。
「でしょ? 紅茶にはこれがないと落ち着かないよね」
その口調には、幼馴染にしか出せない柔らかさがあった。
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紅茶が温まり、心までほぐれたように会話が弾む。
「で……どうなの? アレッシュとは〜?」
リサがにやりと笑った瞬間、マリーの肩がびくっと跳ねた。
「な、何が……?」
「何がじゃなくて。最近ずっと一緒に依頼受けてるし。いい感じじゃん?」
マリーの頬が、真っ赤になる。
「い、い、いい感じとかじゃ……ないよ……!?
その……でも……時々すごく優しいし……近いし……ドキドキするし……」
「するし?」
「……するのっ……!」
リサは机をトントン叩いて笑った。
「はいはい。完全に恋する女の子の顔だよ」
「してないっ!」
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しばらくタルトをつついてから、マリーが小声で切り出す。
「……ねえ、リサ、ずっと疑問だったんだけど……」
「うん?」
「キ、キスって……息ってどうするの……?」
リサ「!!!!」
リサは一瞬で固まった。
「……え、息?」
「う、うん……止めるの……?
止めたままだと倒れちゃうかもしれないし……
口がくっついてるのに……息、できるのかなって……う……」
最後は俯いて、声が消えていく。
リサは口元を押さえ、ぷるぷる震えた。
(いやもう可愛すぎでしょ……!?)
「……マリー、鼻で息すればいいんだよ。普通はそうするもん」
「でもっ! それだと鼻息かかっちゃうじゃないのーーー!!」
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「鼻息?」
背後から静かな声。
二人「………………え?」
ゆっくり振り向くと――
お盆を持ったアレッシュが、いつもの無表情で立っていた。
「……いま、“鼻息”って聞こえたんだが」
マリー
「ぎゃああああああああああああ!!?」
リサは椅子から落ちかけ、
マリーは真っ赤になってテーブルに突っ伏す。
(なんでこのタイミングで来るの!?
なんで聞かれてるの!?)
リサはカチャカチャとカトラリーを用意し、何事もなかったかのように席を用意する。
「……ちょうど休憩に来たところだ、何の話をしてたんだ?」
「な、な、な、なんでもないです!!!」
マリーが高速で否定するので、リサは堪えきれず笑った。
「アレッシュさんも紅茶どうです? カップ用意しますね」
リサは落ち着いた手つきでカップを出す。
マリーは慌てながら紅茶にジャムを入れる飲み方を勧める。
「こ、これ! リンゴジャム入れるとすっごく美味しいんですよ……!」
アレッシュは一口飲み、わずかに目を細めた。
「……カトレ地方のジャムか。この飲み方……懐かしい。昔、飲んだことがある」
その言葉に、リサの肩がぴくりと跳ねる。
「ち、ちがっ……いえ、その、私の故郷の飲み方で……!マリーには私が教えただけで!」
「そ、そうなんです! 私は、リサに聞いたからしてるんです!」
二人が揃って慌てるので、アレッシュは首を傾げた。
(……そんなに焦ることか?)
口には出さないが、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
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アレッシュが去ったあと。
マリーはテーブルに突っ伏したまま声を震わせた。
「き、聞かれてなくてよかった……!キスの話……!」
リサは紅茶をすっと飲み、にっこり笑う。
「うん。“全部”は聞かれてなかった、よ」
「へ?」
「なんでもないよー。マリー可愛いね、ほんと」
実はリサは気づいていた。
アレッシュが入ってきた気配も、声をかけたとき、ほんの少し頬が赤かったことも。
(マリーが必死で慌てるの……めちゃくちゃ可愛かったな)
甘い紅茶の香りが漂う中、午後の時間はゆるやかに流れていく。
⸻
翌日。
マリーはアレッシュの顔をまっすぐ見ることができなかった。
「鼻息」事件が脳裏をよぎるたび、頭から湯気が出そうになる。
だがアレッシュは―
いつもより少しだけ、歩幅を合わせてくれる。
気づいたのはマリーだけだった。




