7話
メリーが他の部屋を用意している間、私は執事長と呼ばれる男に呼び止められていた。あのような事の後だから、メリーを一人にするのは気が引けたが⋯
『防衛方法も習得済みです』
と返されたため灰衣の会として生きたメリーを信用する事にした。
「どうぞ、お掛けくださいませ」
白髪に、口髭を携え、しかし綺麗に整えられているため清潔感がある執事長は、私を執務室に通した。
「此処はノルトヴァルト公爵の執務室では?」
「奥様が執務できる部屋は現在準備中のため、旦那様より暫しの間は使用許可を得ております。申し遅れました。私は王都邸宅に所属します執事長・アーバン・クラリスと申します」
挨拶が遅れた理由はノルトヴァルト公爵から指示された私への待遇の準備のため、だそうだ。
「戻ってみればあのような⋯大変申し訳ございません」
「アーバンが謝罪する事ではない。騒ぎを大きくした私こそに非がある」
「⋯とんでもございません。本日の事はすでにノルトヴァルト領に向かわれている旦那様へ早馬を飛ばしております」
その対応がノルトヴァルト公爵にとってどう捉えられるか⋯彼との関係を築くような会話は未だにないため、憶測でしか語れない。
扉がノックされ、アーバンが扉を開ける。ノックした者は部屋に入れずに、アーバンはトレイに乗った食事をテーブルの上に運んだ。
「メリーより、朝食を摂られていない、と伺っております」
「⋯これには毒が入っていないようだ」
「先見の眼、誠にお見事でありながら、我々の失態が浮き彫りとなり悔恨の念に駆られる思いでございます」
「侍女長はそのままにしておいて構わん」
「それはなりません」
侍女長の独断か⋯はたまた邸全体の意向か。
アーバンのいう先見の眼とやらがあれば話は早かった。だが、私には未来を見据える能力などない。
食事に手をつけると、アーバンは棚から数冊の本を執務席に並べた。
「お食事を終えた頃に参ります。こちらは王都邸宅に関する書簡、帳簿、予算表となりますので必要でしたらご自由にお目通しください」
そう言い残し、流れるように優雅な一礼をしたアーバンは執務室から退席した。随分と遅くなった朝食を食べながら、執務席に置かれた本を見つめる。
「帳簿、予算表⋯」
レーヴェン家のそういった管理は母と長兄の妻が担っていた。勝戦後の1年間、王都ではひっきりなしにパーティーが開かれていたが私は形式上の招待のみで参加したのは父と、長兄夫婦だけだ。
思案しながら食事を終えて暫くすると、執務室の扉がノックされた。
「アーバンでございます」
「どうぞ」
執務席に座り帳簿を開いている私を見たアーバンは「かなりお早い⋯」と呟いている。
「どうかしたか?」
「いえ、今後は調整をしておきます」
「?」
何を言っているのかと首を傾げると、メリーが「アーバン執事長はお仕えしている方の行動時間を常に把握しているのです」と説明してくれた。
「それはなんとも⋯」
気苦労しそうだ。
最後までは言わずにアーバンへ視線を向けると、アーバンは出していた懐中時計を内ポケットに戻して襟元を整えた。
「ノルトヴァルト領の邸宅におります専属執事長ならば私のようなミスは致しませんよ」
「食事を終える時間を見誤ったくらいでは咎める事はないが」
「これも一環ですので⋯何か気がかりな点でもございますか?」
帳簿と予算表を広げている私に問いかけ、執務席の前に立ったアーバン。
私は帳簿を閉じ、立ち上がった。
「これは部屋へ持ち出しても?」
「問題ございません。メリー、奥様の部屋へご案内してさしあげなさい」
「ご案内致します、奥様」
メリーが準備をしてくれた新たな部屋。先ほどまで使っていた角部屋とは広さも家具の品質も明らかに上質な物になっている。
これをこの短時間で準備したのかと問えば、メリーは静かに首を振った。
「こちらは公爵様の隣室に位置します。元々奥様のためにアーバン執事長が整えてらしたお部屋です」
「アーバンの不在を良いことにキャンベルにしてやられていた、と」
「申し訳ありません⋯私だけの力では異を唱えた所で状況は変わらず⋯」
「メリーが公爵夫人付きのメイドになってくれただけで充分心強い。気にしないでくれ」
元々用意されていた部屋で、メリーは私が不要と判断する物を撤去してくれていた。
「メイド3人についてはアーバン執事長が処分を下しました」
「そうか」
「キャンベル侍女長は地下牢にて拘束しております」
「そのままで良いと言ったはずだが⋯」
座り心地の良いソファーで足を組み、帳簿を開いた所で目線を上げた。
彼女たちが敵意を向けているのは私に対してだけであり公爵家を裏切ろうとしたわけではない。それを執事長の判断で動くとは⋯
「アーバン執事長は公爵様不在時の全特権を委ねられております」
「それ程に信頼を置くか。ならば私から言うこともない」
「四肢を切り落とす、というのは?」
「昔はそういう上官も居た、という話だよ」
また帳簿に視線を落として言うと、メリーは興味深そうに「自ら兵力を削るだなんて⋯他にも使い道はありそうですが」と呟いていた。その様子を声は出せずに笑ったが、すぐにその笑みも消える。
「⋯?どうかされましたか?」
「帳簿とやらは⋯」
何故こうも数字ばかりなのか。
細かい数字の羅列に目が回りそうだ。
「私が見てもよろしいでしょうか?」
「あぁ」
覗き込んだメリーにも見えるように開く。
「奥様は数字がお嫌いですか?」
「戦場での数字は入るが買い物の数字は分からん」
「⋯⋯では、こういうのはいかがですか?」
少し思案したメリーは、細い指を帳簿に置いた。
「こちらの給金とは此処、王都の邸宅に従事している者たちへ支払われるものです」
「それは分かるが⋯」
「メイドや侍女を一騎兵とし、長と名のつく者を指揮官としましょう。給金は兵への報酬であり、この邸宅の部屋の数だけ戦があります」
「⋯ほう?」
「一つの部屋に必要な戦力を3人とし、短期戦であればその小部隊は戦場をいくつか兼任できます」
メリーは次々と戦と絡めて説明してくれた。
「こちらの邸宅の維持費にある屋根の修繕は天幕の補修、設備関連の照明用の油や薪は夜営の焚火と同じです。寒さや雨で兵が疲弊すれば、士気は下がりますよね?屋敷も放置すれば崩れていきます」
人件費は兵力。食料や備蓄関連は兵糧と補給線。維持費や設備関連は陣地の補強と野営地管理⋯
なるほど、馴染みのある言葉に変えただけで数字が頭に入ってくる。
予算表も合わせれば、帳簿は例年通りに付けられていた。
「⋯」
「奥様?」
「4年前と1年前で予算表の変更がない」
数年分を遡り確認するとある時から数字に変化が無くなっている。
「⋯同じ戦場で、同じ戦を、同じ損耗率で続けているようなものだ。そんな事が現実であるだろうか⋯」
「建国暦221年⋯までは数値に細かい変化はあるようです。予算を超えてしまう時もあれば、余る時も⋯」
「ノルトヴァルト公爵が離縁した後の管理は前公爵夫人だったな?」
「建国暦222年以降、王都にはいらっしゃった記録がございません」
領地の管理をし、王都は別の者に委任していたと考える。全特権を得ているアーバンがこれに気付かないわけがなく、この邸の管理を任せられていると叫んだキャンベル⋯
「どこまでが甘い蜜を吸っていたか⋯」
「地下牢へ行かれますか?」
「いや、まだいい」
キャンベルを問い詰めれば他の共犯者を逃す可能性もある。
メリーにも手伝ってもらい、違和感のある項目をピックアップしていく。戦時中に贅沢品の購入、パーティーの開催⋯主人が戦地にいるというのに誰が誰を招待していたのか⋯。
─コンコン、
ノックの音に、扉へと視線を向ける。
「アーバンでございます」
「どうぞ」
声を掛けてアーバンを招く。
「こちらも必要かと思いまして」
そう言って手渡して来たのは書簡だった。宛先はノルトヴァルト公爵ではなく、キャンベル宛だ。
「⋯アーバン執事長は知っておられたのですね?」
「旦那様もご存知であられます」
キャンベルが横領をしている。それも、数年間にも渡って。
「ノルトヴァルト公爵はなんと?」
「旦那様からは放っておけ、とだけ⋯そう言われてしまえば私も動くことが出来ません」
もっともらしい話だが、わざとらしく目を閉じ首を横に振るアーバンの表情は白々しくも見えた。
「公爵様の命令とは別に、奥様への関与がキャンベル侍女長を地下牢へ投獄する名目を得た、とでも言いますか」
「あぁ、それは凄くしっくりくる」
頷いて言えば、メリーは少しだけ胸を張った。
「⋯おっと、いけませんね。老人ともなれば筋肉が衰えているようで⋯⋯ごほん、」
そのやり取りを笑みを浮かべて見ているアーバンに気が付くと、口元を隠して咳払いされた。その姿は親しみを感じるものがある。
「私は生まれた瞬間から戦の中に居た。結婚など、ましてや公爵夫人など柄でもないだろう」
「確かに⋯奥様と他のご令嬢とでは境遇は異なりましょう。しかし私には⋯だからこそ奥様が輝いて見えるのでしょう」
「私がか?」
「えぇ。なんと言っても、奥様はこの国を勝利に導いた方ではありませんか。お茶の産地に詳しいご令嬢が、そのような事を成し遂げられますか?」
柔らかく微笑んだアーバンに、私も自然と頬が緩んだ。