5話
置かれたばかりの朝食には、先日と同じく卵料理が添えられていた。彩りのよいサラダに、湯気の立つスープ。そして、香ばしい匂いを放つ焼きたてのパン。肉類は脂身の少ない加工品で、質素ながらも栄養のバランスは保たれている。
「奥様!」
パンを手に取るとメリーは声を荒げて私の手首を掴んだ。メリーが焦る理由⋯それは、
「毒が混じっているな」
「ご、ご存知でいらしたんですか⋯?なら、何故手を付けられたのです!」
「パンに毒はない」
他には毒が混じっているが、私の筋肉量と毒への耐性を考慮すれば摂取した所で少し痺れる程度の量だろうか。
パンをちぎって口に放り込む。麦の匂いは甘く、もっちりとした食感に仕上がっていた。
「メリーはどのように気付けたのか気になるが⋯」
目線を送ると、メリーは青い顔をしたまま固まっていた。今にも気を失いそうな程に血色を失ったメリーの体が崩れ落ちる寸前で、その細い肩を抱いて寄せる。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ございません⋯」
落ち着きを取り戻そうと何度も深呼吸する背中を優しく撫でてやると、メリーはゆっくりと離れた。
「何かの細工はあるだろう、と⋯あのメイドの様子から察しました」
淡々とした口調に戻っても尚、声は震えている。
「私にこれくらいの毒は効かない。それとも、恐れる理由が他に?」
「⋯帝国軍が⋯⋯私の故郷を焼き払う前、⋯井戸や川に、⋯⋯⋯毒を流したのです」
そのまま攻めれば、非戦闘員の些細な抵抗は意味をなさなくとも面倒である。ただ火を放てば逃げられてしまい、それは復讐の火種となろう。
「⋯」
毒を放ち、逃げられぬようにしてから火を放つ。一人一人を切り捨てる手間を省く事で小さな村は簡単に侵略されてきたのだろう。
10年という月日を持ってもメリーの記憶には根付いてしまった恐怖の引き金。
「軽率だった。以後気をつけるようにしよう」
「⋯取り乱してしまい申し訳ございません」
「謝る必要はない。しかし、朝食に毒を盛るとは」
一つの邸宅に潜む、小さな戦い。
私を女主人と認めるつもりのない小さな抵抗。
「人に仕える身としての行動は、その主に責を問うのが道理ではあるが⋯」
「私が食事を用意して参ります」
「良い。そこに座れ」
「しかし⋯」
「メリー。今、朝食を取り替えれば毒を盛られた事に気付いたと知らせてやるようなものだ」
「!」
「毒を含んだと見せかけるならば、そもそも朝食は不要⋯メリーは部屋を飛び出し医者の手配に走るだろう」
このまま、こちらの状況を知らせない方が関わった者の焦りは増す。
「ボロが出れば突きやすい。精神の訓練が騎士以外にも施されていれば別だが」
「⋯まだ、私は奥様を理解出来ておりませんでした」
メリーを向かいのソファー座らせながら、互いについてはこれから明かしていこうと笑う。
「戦狂と呼ばれるご令嬢は、前線を好み斬り込むことしか知らない。これはガルディナ国内では有名な話です」
「戦略の理解が無ければ前線など担えないよ」
苦笑してメリーを見れば、頬に赤みが戻り落ち着きを取り戻したように思えた。
「では、本題へ入ろう。メリーが知っている公爵邸について」
「はい⋯その前に、私が此処に来たのは2年前ですが、以前仕えていたのは────」
建国暦217年。 今から10年前⋯メリーの故郷が焼き尽くされた時、彼女はある騎士に命を救われ、その村の唯一の生存者となった。騎士は踵を返す事が出来ず、共に行動していたセイクリッドシールド騎士団に所属する騎士に彼女を託す。
「教会へたどり着き、私を宣教師様へ任せるとまた戦地に戻りました」
「その後を教会で過ごしたのか」
「1年程で、命を救ってくださった騎士様に連れられ東端のレーヴェン領へ移動しました」
「!」
「森の教会と呼ばれる聖エリーディア礼拝堂で修道女として身を置かせて頂いたのです」
メリーは一度口を閉じ、此方の様子を伺うようにした。私は、メリーが私に伝えたい事が何かを察する。
「証拠は」
「こちらに」
詰められた襟のホックを外し、首に掛けていた細いチェーンを引き上げる。先についていたペンダントは、素人が作ったような歪みを残す銀のプレートだった。
「すべてに先んじて、名誉を。此処に刻まれた幼子の文字に、覚えはございますか?」
「⋯⋯⋯⋯それ、は⋯!」
「奥様⋯いえ、エレノア様」
「覚えなんて⋯あるに決まっているだろう!⋯それは、私が刻んだ文字だ⋯!」
メリーは、プレートを大事そうに両手で包むと、額の高さまで掲げた。
「⋯私は、私の持てるすべてを使い此処に参りました」
母へ贈ったペンダントだった。剣を造るため、鉄を打つ鍛冶職人の元へ連れて行かれた際に、鍛冶職人見習いの者が使えない鉄屑を集めて熱してくれたのだ。師匠には内緒だよ、と一緒に鉄を打ち、形を整えている間に固まってしまった不格好なペンダント。
酷く歪むプレートに、鉄の杭を使って不器用ながらに文字を刻んだ。
─すべてに先んじて、名誉を
レーヴェン家に生まれた女と、それに仕える女達の信念。
母が常に身に付けていたはずのペンダントが、埋葬時に見つからなかったのは、戦の最中に紛れてしまったのだと思っていた。それを、メリーが持っている。
「私の命を救った騎士こそがカタリーナ様、エレノア様のお母君でいらっしゃいます」
深緑の色をしたドレスに反応したのは、母の影を見たせいだろうか。
メリーは立ち上がると私の横に膝をつき、ペンダントを私の手に握らせた。
「聖エリーディア礼拝堂がどのような役割を担っていたのか、奥様はご存じですね?」
「⋯あぁ」
冷たいはずの銀のプレートはメリーの体温で温められていた。
─聖エリーディア礼拝堂⋯
そこは諜報活動に長けた者を集めた灰衣の会というレーヴェンが抱える一つの部隊とも言える。表向きは小さな礼拝堂であり、帝国の属国と隣接する国境付近の盛大な森の中に位置するため、出身問わず負傷者を匿ってやる神聖的な救いの場。
裏の顔は、情報を抜き取り活かす事。というのも、総括しているシスター・ミーナは元宮廷付き女官である。
母により灰衣の会へ所属する事になったメリーは、シスター・ミーナにより育てられた。と、なれば⋯
メリーは、私の強い味方であると言い切れる。
渡されたペンダントを、未だに膝をついているメリーの首に掛けた。
「母が託したものであれば、これはメリーに持っていてほしい」
「⋯良いのですか?これは、カタリーナ様の形見でございます」
メリーの瞳は潤みながらも、一点の光に縋るような切実さがある。私は微笑んで、その頬を撫でた。
「剣を持たぬ私にも、仕えてくれるか?」
「⋯っ!勿論にございます!!」
既に終戦した今、灰衣の会は大元を残して表向は解体されたとしている。聖エリーディア礼拝堂はその名の通り、祈りを捧げるための場所へと戻った。
「シスター・ミーナにより、終戦の2年ほど前からエレノア様と公爵様の婚姻について議題が上がった事を聞かされました」
「それで公爵邸へ?」
「はい。議題が上がる事になったきっかけは建国暦224年の冬、前妻であるイリーナ様が公爵様と離縁し1年後⋯公爵様は帝国総司令官であるナハトの首を取りました」
あの時、帝国総司令官に触れるような作戦は明かされていなかった。
「公爵様は単騎で敵国の懐まで駆けたのです。それは独断であり、死すらも覚悟した無謀な挑戦にも思えます⋯」
愛した妻に逃げられ自暴自棄になった男。
そのようにも捉えられるが、総司令官としての有能さを知る者からすれば⋯
「帝国総司令官であるナハトの所在地を把握し、我等騎士団を的確に配置する事で抜け道を作ったのだろう」
「そんな事が⋯」
「総司令官である公爵閣下が死ねば戦況は傾く。それは帝国も同じだ。しかも、ナハト⋯あの男は帝国で唯一、死ななければこの戦争は終わらない、とまで言われた者だ」
「私も⋯シスター・ミーナより聞かされておりました」
小さな国をガルディナ王国と同等の大きさまで発展させたのはナハト一族による手腕だ。現に、ノルトヴァルト公爵が、帝国を築き上げたナハトの首を持ち帰った事で戦況が大きく変わった。
「愛した女を守るためかもしれないな」
己の命を捨てるための衝動ではなく、愛した女が居る国を守るための行動。
「だとしても、王族は公爵様を放置できないと判断したのです。新たな婚姻。そしてそれが王族にとっても利益のある家門」
「戦功派筆頭であるレーヴェン家、私だな」
「はい。エレノア様も功績があり、違和感のない政略結婚へと進みました。戦のない今、戦功派の抱える問題は政治的しがらみ。これに不満が出れば王党派から離れるリスクがあります」
政略結婚としては真っ当な理由だ。それについては不満にしていない。
そろそろソファーに座るように促すが、メリーは膝をついた体勢のまま動こうとはしなかった。
「公爵様は⋯孤独と喪失の泥を被ったような御方です」
「⋯」
「邸宅で働く者は皆、イリーナ様がお戻りになると願っております」
「⋯私は、」
私は、どうしたいのだろうか。
女主人として認められる事が正しい選択であれば、イリーナの居場所は此処には無くなる。
「イリーナ嬢はどうして離縁を?」
「公爵様へ宛てた手紙があるのですが、こちらでは入手する事が出来ませんでした」
「永きに渡る戦火の不始末によるものか⋯第三者の手が加えられたか⋯当人の居ない此処では手詰まりだな」
「行方を捜しますか?」
「⋯⋯」
探す事を優先するならば、私はこの邸で女主人の立場は不必要なままとなる。ノルトヴァルト公爵が私との離縁を望めば、レーヴェン家も手を貸し王を説得するだろう。
イリーナ嬢が戻ることを望めば、だが。
「不確かな情報は気持ちが悪い。ハッキリさせるのも良いかもしれないな」
「では、そのように致します」
イリーナ嬢が見つかるまでの間に出来ることはある。ノルトヴァルト領の内情を、今のうちに掌握しておこう。