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4話





 メリーの話によると、王都の公爵邸で働く者たちは、前妻イリーナとノルトヴァルト公爵が結ばれるまでの葛藤を間近で見守ってきた者たちだという。

 身分の違いに苦しむ2人と、それを阻もうとする権力者たち。幾多の試練を乗り越えた末に結ばれた姿を見届けたからこそ、愛のない政略結婚など彼等には受け入れられない。

 相手が戦狂と呼ばれる騎士でなければ、さぞかし冷遇されたことだろう。


「特に害はないが」

「問題は初夜である昨日、公爵様がいらっしゃらなかった事です」

「互いに干渉しないという誓約がある」

「はぁ⋯」


 ため息を吐いたメリーが初夜の重要性を教えてくれた。


「公爵夫人として邸宅の管理は必要ですが現時点で奥様の介入は難しくもあります。初夜を一人で過ごされたという事は、邸の者たちが女主人である事を認めなくても良い、という口実を与えてしまったのです」


 認める認めないの世界は何処にでもあるようだ。圧倒的な勝敗の付け方を考えているとメリーは再び息を吐いてしまう。


「とても物騒な事をお考えでは?」

「此処では丸腰の私が?」

「⋯とにかく、奥様はこれから公爵夫人としての立場を確立しなければなりません」


 立場の確立⋯というと、


「女主人の務めというものか…財のやり繰り、季節の飾り付け、そして来客の応対。王都では、それが絶えぬのだろうな」

「⋯⋯」

「どうした?」


 また無言になったメリーに声をかける。するとタオルが落ちる小さな音が聞こえ、振り向かずとも戸惑う彼女の表情が浮かんだ。


「ふ⋯、レーヴェン家にも王都に邸宅くらいあるさ」

「社交の場へ参加された事は無かったのかと⋯」

「参加はした事がない」

「え⋯」


 そういった役目は幼子を身籠った時や産後数カ月までの母と、主に兄達の役目だった。



「私は、母の強さしか知らない。女としてではなく、騎士としての在り方を教えられた。だが……母としての慈しみも、確かにあった」


 ⋯それが、私の全てだった。


「戦が終わり、剣を置いた今⋯私も時代に乗らねばならない」

「お手伝い致します」

「心強いよ、メリー」


 3枚のタオルを使って髪の毛が乾いた。濡れたガウンを脱ぎ捨て、今度は薄くても透けてはいない寝衣を身にまとう。


「メリーはいつから公爵邸に?」

「2年ほど前に紹介状を頂き参りました。故郷は10年前⋯帝国軍により焼け落ち、今や廃村となっております」

「そうか⋯軽率な問いだった。すまない」

「過ぎた事を気にして囚われたくないのです。一度前に進む事の出来た私が、奥様にご助力させて頂きます」


 そう言って薄く笑ったメリーに、私も口元を緩めた。微笑むメリーは年相応の幼さを感じさせる。


「また明日、私が調べた公爵邸についてお知らせ致します。今はゆっくりとお休みください」

「⋯?今⋯なんと言った?」

「では、失礼いたします。奥様」

「あ、ちょ⋯っと、⋯メリー⋯⋯何者なんだ」


 メリーが失言するようには思えない。働いている上で自然と知った事をわざわざ調べた、と表現はしないだろう。そして、それを敢えて私に告げるような真似をするのはメリーらしくない。


「⋯まだ1日だ」


 メリーの全てを知ったわけではない。明日、話してくれるというのだからそれを待つ事にしてベッドに寝転んだ。


 王宮から戻ったこの部屋は、要望通り装飾品が取り除かれておりメリーの仕事が本物であることを物語っている。


 女主人として認められないノルトヴァルト公爵邸の者たちに、どのように認めさせるか。


「剣があれば解決出来ないものはないと思っていたのだが⋯」


 非戦闘員との戦は人生初の試みである。



 暫く横になっていたが、あれこれ考え込んでしまったせいか眠気は飛んでいた。仰向けになり、天に向けて腕を伸ばした。ふと手を捻り、掌を見る。硬く、決して綺麗とは言えない手だった。


「⋯⋯⋯──」


 ソレを、目元を隠すようにあてがった。


 静寂は、嫌いだ。早く眠りの中に落ち、安寧と喧騒を感じたい。



 ──────···


 静寂を破るように、小鳥の声が差し込んだ。


 朝の知らせだ。


 長い間目を閉じていただけなのか、眠りに落ちていたのかも分からないままベッドから降りてカーテンを開けると、まだ柔らかい朝日が部屋を明るくした。


「身体がなまってしまいそうだ」


 ゆったりと進む慣れない時間。張り詰めた緊張感のなさが、作り上げた肉体を気付かぬ内に溶かしていくような感覚。


 物が無くなり広くなった部屋で自重トレーニングを始めるためにクローゼットを覗いた。適当なシャツとパンツに着替え、ドレッサーから髪を束ねる物を探すが細いピンや装飾の細かいアクセサリーばかりだ。


 唯一使えそうなスカーフで髪を巻き上げた。




「奥様、お水をお持ち致しました」

「入ってくれ」

「失礼いたしま⋯⋯」

「ちょうど顔を洗いたかったんだ。そこに置いてくれ」

「奥様」

「後2セットで終わる」

「お く さ ま !」


 入ってきた段階で嫌な予感はしていた。メリーが動きを止めた所や、私を呼び諌める冷えた声色に⋯。


 片手を背中に回して腕立てをした体勢のまま止まる。しかし勿体ない気がして指を3本にし、少しだけ伏せた状態にして維持する事にした。


 メリーは言われた通り水の汲まれた桶を置くと、私の近くに立つ。


「朝から何をなさっているのですか」

「トレーニングだが」

「そんな事をしたらドレスが窮屈になってしまいます」


 呆れたようにゆっくりと首を横に振るメリーに、私は安心させてやるために秘密を教えてやることにする。


「私はこう見えて、男のように重い筋肉が付きにくい身体なんだ。これは他言しないように」

「それ秘密でもなんでもありません。それから、昨日お話になった事をお忘れですか?」

「⋯⋯⋯」


 公爵夫人としての立場の確約。此処は私が引き下がらなければメリーにまで見放されてしまうかもしれない。何よりも言の葉にトゲが纏わりついていた。


 腕立てを諦め、腕を軸に足を払うように回し、その勢いで立ち上がった。その動作も彼女にはお気に召していただけなかったようだが。


「善処しよう」

「せびお願い致します」


 苦笑を漏らして言えば食い気味に返事がされた。

 顔を洗い、ソファーに腰掛けるとメリーは私の後ろに回ってスカーフを外していく。垂れた髪をブラシで梳きながら、朝食はもうすぐ運ばれてくる事を教えてくれた。


「それで、メリーが調べたというのは?」

「公爵様についてと王都の邸宅、そして領地。前妻であるイリーナ様とその家門であるラング子爵家についても調べてあります」

「まるで諜報員みたいだな」

「似たようなものです」


 冗談のつもりが、メリーの返しに思わず息が止まった。


「スパイではありませんからご安心ください。昨夜も申した通り、この国に生まれ、そして故郷を失った少女に過ぎません」


 そもそもメリーから殺気を感じた事はない。


「必ず復興させよう。故郷は、失ってよいものではない」

「⋯私の言葉を信じるのですか?」

「メリーを信用せず誰を傍に置けと?この邸に私を認める者は居ない。理由も致し方がないさ」


 ゴシップ誌を読んだことのない私ですらノルトヴァルト公爵が前妻を愛していた話を聞いた事がある。訓練中、野営中、長期戦の移動中⋯それほどにノルトヴァルト公爵は騎士たちの間でも話題の人だった。


「離縁後の様子も噂程度に聞いたが、私とは無縁のお方だったから聞き流してしまったんだ」

「⋯そろそろ朝食のお時間です。終えられてからお話しますか?」

「いや、食事を取りながらにしよう」


 メリーが一歩引いて礼をする。私はベルを鳴らし、数秒してから扉を開けたメイドに朝食の準備をするように告げた。




 朝食を運ぶメイドは昨日とは別の者だった。震える手が食器を揺らし陶器の擦れる音が止まない。やっとテーブルに置かれた所で、メイドは安堵を浮かべるように胸元に手を置いて深く息を吐いた。


「奥様の前です。背筋を伸ばしてください」


 メリーの言葉にメイドはピンと背伸びをした。顎を上げすぎて晒された喉元は、一度だけゆっくりと上下する。


「そこまでしなくて良い」


 うさぎのように怯える彼女が不憫に思えて⋯。額に手をあて視線を逸らすと、メリーはメイドの退出を促していた。


 扉が閉まった事を確認に、何故あのような厳しい態度を見せたのか問う。


「奥様、食事に手を付けてはなりません」


 メリーは私の目をまっすぐに見据えてそう言った。





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