30話
従業員によって並べられた朝食を三回ほど口に運んだ所で手を止めた。前に座るノルトヴァルト公爵はただ豆の沈んだ赤いスープを見下ろすばかりだ。
「⋯豆がお嫌いですか?」
「いや。食にこだわりはない」
ならば何故手を付けないのか。朝食に付き合えと言っておきながら見ているだけで、私が此処に居る意味を理解出来ずに居た。
『エレノア』
「そういえば先程、私の名を呼ばれましたよね?」
昨日までは公爵夫人と呼ばれていたが、朝になってから名前で呼ばれた。呼び名などどうでも良いが、スープを眺めるだけの会は終わりにしたい。
やっと目線を上げたノルトヴァルト公爵と目が合った。
「カタリーナ・フォン・レーヴェン⋯」
「!母上をご存じでしたか⋯」
「俺の恩師だ」
ノルトヴァルト公爵の目は逸らされず、私の反応を伺うようにまばたきもしなかった。
帝国軍の残党を排除したあの日の夜⋯ノルトヴァルト公爵は、自身を庇って恩師が戦死したと語った。
「つまり、母上は公爵閣下を庇って─」
「俺が命令を聞かずに前に出過ぎた。ナハトが出陣している情報を得ていたからだ」
「ナハトが唯一前線に出た日、ですか」
「スレイヴァ国のスパイを捕まえ吐かせた。⋯報告もせず手柄にしようとした愚かな馬鹿が、陣を崩し隙を作った」
母上の隊は進軍する帝国軍の足止め。1人が先陣を切って前へ出た所で母上が陣形を崩すとは思えないが、その1人が⋯公爵家の人間であれば別だ。
訃報を聞いた時、哀しみにくれる暇もなく父上の言葉に従い前進した。
「ナハトは逃げ、俺は恩師を死なせた。何も出来ず立ち尽くす俺を邪魔だと蹴った恩師の息子は俺を狙った剣を弾くと後ろから2人に斬られた」
「⋯⋯」
「2人の最期の言葉は⋯エレノア、だった」
ノルトヴァルト公爵は一旦口を閉じ、テーブルに手をついて立ち上がると横にずれた。そのまま床に座ると額が床に付くほどの土下座をする。
「すまない⋯!」
その謝罪を見下ろし、頭の中で母上とレオ兄の声が甦った。
『エレノア』
『エレノア〜!』
どちらも、私の名を呼ぶ時は笑顔で⋯。そうか、最期の言葉ですら私の名だったのか。母上は父上を呼びそうなのに。
「公爵閣下」
私も椅子から立ち上がり、床に片膝をつく。
「話してくださりありがとうございます。どうかお顔をお上げください」
「許される事ではない⋯本来であれば葬儀に赴くべきだった。レーヴェン家に背を向け逃げた俺を⋯」
「⋯⋯⋯」
「何故、責めない⋯?」
顔だけ上げたノルトヴァルト公爵は目を見開くと奥歯を噛むようにして俯いた。
「戦死した者を、共に戦場へ立った者の責任にするべきではありません」
「だが俺の─」
「規律ばかりでは戦は進みません。結果、公爵閣下はナハトの首を持ち帰ったでしょう」
帝国軍の総司令官が討たれ、長く続いた戦は終結に向かい進んだ。
「俺の⋯傲慢が奪った命だ。お前の母と兄を奪った俺がナハトの首1つで許されるはずが⋯許されるべきではないだろう」
「レーヴェン家である者が公爵閣下を責めるはずがありません」
私の言葉に再び顔を上げたノルトヴァルト公爵は眉間に皺が寄るものの眉はハの字に下がり⋯なんとも情けない顔を晒した。
「ノルトヴァルト公爵を救った母上や兄上と同じ血がこの身に流れる事を、私は誉れに思います」
「正気か?」
「父上は知っているのですか?」
「⋯あぁ」
「なんと?」
「⋯⋯⋯同じ事を言っていた⋯家門の誉れだと⋯」
そうだろうと、思った。
ノルトヴァルト公爵に手を差し出したが、ただ見るだけで動きそうにない彼の手首を掴んで引き上げた。そうして立ち上がると目線は私よりも高く、力の無い目に見下される。
「─奪うならば奪われる覚悟をしなければならない。ゴルディア騎士団の教えです」
帝国軍の者達も私達と同じ人間だ。
「すべてに先んじて、名誉を。これは母上の教えでありレーヴェンの女は皆、心に刻んでおります」
どんな状況でも恥のない行動を。それが例え⋯死であろうとも。
暗い表情のまま口を開いたノルトヴァルト公爵の口元を片手で塞いだ。
「レーヴェンに仕えるメイドですら己の身を守る術を身に着け、名誉のためならば死を選びます。そんな我等を哀れに思いますか?」
「⋯⋯」
ゆっくりと横に首を振ったノルトヴァルト公爵を確認して手を離す。
「母上と兄上の分まで生きてください⋯とは言いません。しかし、私達の名誉をお忘れなき様お願い致します」
「⋯わかった」
やっと肯定の言葉を吐いたノルトヴァルト公爵は、掠れた声で「レーヴェンは⋯強いんだな」と呟いた。その言葉に私は笑みを深める。
「父上の剛力に勝てる者を見たことがありません」
「そうではなく⋯いや、そうか⋯。そういう強さもあるな」
静かに失笑したノルトヴァルト公爵は両手で顔を覆って隠した。そのまま深く溜め息を吐くと、覗き見えた目元は蟠りが消えたように細められ、口角も上がっている。
成人した男性にかける言葉ではないが、何処か幼さを匂わせた。
「ありがとう、エレノア。そしてレーヴェン⋯東端の守護者に敬意を示したい」
「交易路の敷設が整えば我等の領地にも絆が生まれましょう」
どちらからともなく握手が交わされた。
「今は公爵夫人の身だ。俺の事は名前で構わない」
「それは遠慮しておきます」
「即答か」
椅子に戻り、冷めた料理を見下ろす。沈んだ豆をすくい、今度は口に運んだノルトヴァルト公爵は冷たさなど気にしていないように咀嚼した。
「冷めてるな⋯エレノアの分は作り直させよう」
その気遣いに、私は首を振った。
「それより、私の知らない母上の話を聞かせてくれませんか?」
そう言って、冷たくなったスープを口に運ぶ。
ノルトヴァルト公爵は幼少期の話をしてくれた。空になった器をそのままに、私を身籠る前の母上の姿を想像する。
「公爵閣下の剣技に母上の面影を感じました」
「別の師範へ変わって長かったが、基礎は恩師から叩き込まれていた」
「剣を握る母上は厳しかったでしょう」
「⋯父よりも恐ろしかったな」
眉を下げて笑うノルトヴァルト公爵に、私も口元が緩んだ。
互いに繋がりがあるからか、会話を重ねたからか⋯今までは壁を作られていたのだと気付いた。
ドアのノックで会話が止まり、視線を向ける。
「公爵様、よろしいでしょうか?」
「⋯レティアスか」
扉を開けたレティアスは、私と目が合い笑みを浮かべたまま扉を閉めた。
「⋯退席致しましょうか?」
「いや、いい」
ノルトヴァルト公爵が席を立ち私も続く。廊下では何やら言い争いのような声が聞こえたが、ノルトヴァルト公爵は気にもせずに扉を開けた。
「オスカー?レティアス卿と掴み合って何をしているんだ」
「エレノア様?!」
オスカーは声を裏返しながら掴んでいた胸倉を横に投げた。鍛えられていないレティアスは簡単に転び壁に背中を打ち付けると変なうめき声を上げている。
「公爵閣下に用事だろう?私は食事も済んだし子爵を訪ねてくる」
「そうですが⋯そうではなく⋯」
「では、後は頼みました」
ノルトヴァルト公爵に一礼し部屋から出るとオスカーも付いてくる。後ろではなく横へ来いと合図し、並んだ所で「エレノア」と名を呼ばれ振り返った。
「また後で」
そう言いながらレティアスの腕を引っ張り立たせてやるノルトヴァルト公爵に、私は頷いた。




