1話
生まれた時から、戦火の匂いを嗅いだ。
私が生まれた日に敵国のスパイが伯爵邸を襲ったらしい。産後まもない母は剣を握ると、血で滑る廊下に立ち、スパイ達の首を切り落としていった話は耳にタコが出来るほど聞いた。
血を浴び、破水の跡に横たわる赤子の私は産声も上げずにただただ母が操る剣を眺めていたそうだ。
母は強かった。そして、立ち上がる事もやっとな幼子に手渡した物が玩具ではなく剣であったくらいに、常識のない人でもあった。
母から学んだモノに淑女についての記憶は一切ない。レースが編み込まれたドレスを着る事もなく、同い年の女の子が優雅にお茶を飲んで笑っている中、私はむさ苦しい男達と汗を飛ばしながら剣を振るった。
『お嬢様、母君は美しいでしょう』
ある戦中。赤い血飛沫を広げながら先陣を切って行く母の後ろ姿は今でも目に焼き付いている。
ただ、一つ。
『ジーク』
『カタリーナ、また無茶を⋯頼むから戦場へは行かないでくれ』
『ジーク、私はこの国が好きよ』
『⋯あぁ、俺もだよ』
『貴方に出会えた。レーヴェンの豊かな大地に花ひらく色とりどりと、クマのような貴方を見て、私は心が躍ったのよ』
『そんな事を言う変わり者は君くらいだろう』
『ジーク、貴方の瞳に私を映して』
母は父を愛していた。父を見つめる瞳、父を呼ぶ声、仕草。勿論、兄達や私にも同じく優しい笑みを向けてくれる。
強くて、慈しみがあり、部下にも慕われ、屋敷の女主人であり、女性騎士の頂点であり、ゴルディア騎士団副団長である母は⋯─建国暦219年。
『カッ⋯カタリーナ副団長が⋯っ!!』
『負傷か?!』
『⋯っ、せ⋯⋯⋯戦、死⋯と⋯っ!!!』
父と共に前線を担った私は、別の地にて戦の前線を担う母の訃報を聞いた。戦火の前線に静寂はないはずなのに⋯周りの音が遮断され、耳鳴りのようにキーンとした音が頭を割ろうとする。
馬を走らせながら、兵が必死に何かを叫んだが私の耳には入ってこなかった。震える右手に力を込め、そこでようやく自身が震えている事に気がつく。
『──⋯このまま前進する!』
父の声にハッとした。
『この⋯戦は⋯⋯いつまで続くのでしょう』
『⋯必ず勝たねばならん。⋯必ず⋯!』
父の涙を見たのは生まれて初めてだった。戦場に慣れ過ぎた私が、初めて震えた日。母と共に出撃した二番目の兄も、帰らぬ人となった。
領地に戻り、母と兄の亡骸は埋葬された。その戦で功績を残した私は、母の抜けたゴルディア騎士団の副団長の座を譲られた。僅か14歳の少女が人々の上に立つことに不満は出ていたが、それを気にするような繊細な心は何処にもない。
確かに愛されていたが、生まれてすぐに血に塗れた私が、戦の中に立つのは至極真っ当でしかなかったからだ。
──建国暦226年
終戦後、王都から領地に戻り墓前に挨拶をする。
「ただいま戻りました、お母様、レオ兄様。帝国は大敗し、我がカルディナ王国の勝利でございます。残党の排除はまだ続くでしょうが、今後はより良い平穏が訪れるでしょう。⋯しかし、戦のない日々をお母様がどう過ごされるのか、私には想像が出来ません」
令嬢としての嗜みを知らない私も、また、同じ。
戦争は、無くて良い。しかし、戦しか知らない私がこれからどう生きていけば良いのかも分からない。
心の中の問いの答えが返らぬ代わりに、温かいコートを掛けられた。振り向き見れば背が随分と伸びた長兄、ヴィルヘルム・フォン・レーヴェン小公爵の姿。父に似てクマみたいな男。
「また背が伸びましたか?ヴィル兄様」
「⋯お帰り、エレノア」
そのまま肩を抱かれ、促されるように屋敷に戻る。迎えてくれた執事やメイド達は涙を浮かべて出迎えてくれた。
「エレノアお嬢様!」
飛びついて来たメイドを受け止める。背の低いメイドの涙を拭ってやると、次々と涙を流すメイド達に囲まれてしまった。
「ご立派になられたエレノアお嬢様を⋯!私はっ!私達はっ!!」
「誇り高きレーヴェン家に従事させて頂けて光栄でございます!」
「よくぞ⋯ご無事で、お戻りくださった⋯っ!」
執事長まで泣いている。
「皆、そんな所ではまだ冷えるだろう。各自持ち場に戻る者は戻りなさい。もう終えた者は休むように」
父の言葉に皆、礼を返すと名残惜しそうに離れて行く。
戦勝し領地に戻った事が誇らしい反面、此処に母と二番目の兄が居ない事が悔しい。私以外にも、この戦争で多くを失った人達が居る。
「食事としよう」
父の言葉に、ヴィル兄様が私をエスコートした。
食事が運ばれ、父が口を開いた。
「ゴルディア騎士団が近い内に解体されるだろう」
「戦争が終わった今、最も力を入れるべきは他の騎士団であるのは理解しております」
栄光、力、秩序、信仰、復興。
力を司るゴルディア騎士団は戦争に貢献を重ねたが、残せば内政に影響を与える。解体されても尚、歴戦の戦士たちは他の騎士団に配置されるだろう。
「王は旧貴族派の抑止をしたいだろう。ノルトヴァルト公爵はガルディナ国にある公爵家の中でも歴代の王党派。あの若さでは考えられぬ明晰さ、更には剣技も素晴らしい」
「総司令官となる前は前線を率いておられた方ですから」
「エレノアも負けておりませんよ。14で副団長ですから。今回の恩賞は、エレノアに南の領地を頂けように父上が動いてはどうです?」
二人が盛り上がる中、私は野営で食べた塩味しかしないスープを思い出しながら肉を切り、口に運ぶ。幾つものスパイスを感じながら、口元を拭った。
「恩賞など求めておりません。私は、赤子の頃から血に塗れ、剣を握り、今まで突き進んできたのです」
「エレノア⋯そうだ、結婚はどうだ?近い内に見合いでもしよう。それとも戦場で肩を並べ、気になる男が居たりしなかったか?」
「私はお父様と共に前線に居たのですよ?肩を並べたのはお父様と、近くに居たのは顔を見る前に絶命した敵軍くらいです」
「戦狂に恋愛はハードルが高すぎます父上」
「⋯ヴィルヘルム、」
茶化したヴィル兄様に、父は小さく名前を呼んで制した。
「まぁ⋯エレノアは次にクラウン騎士団にでも配属され王宮警備に当たる事でしょう」
「むぅ、そうか⋯いや、しかし⋯」
「料理が冷めますよ、お二方」
その後はヴィル兄様の懐妊中の妻の話となり、実家に戻り療養しているとか。性別は男の子で、現在名前を決めるのに揉めているらしい。
なんとも、平和な食事会だった。
部屋に戻り、次の配属先について考える。
王宮直属のクラウン騎士団。栄光は玉座に仕えるをモットーに儀礼や王宮警備に特化している。そして秩序を重視するスチールブルー騎士団は主に都市防衛や治安維持を担当している騎士団だ。その他の騎士団は私には合わず、どちらに配属されても戦争を走りきったゴルディア騎士団の者たちでは物足りなさを感じるだろうし、レーヴェン家の騎士団はお父様が管理し、ゆくゆくはヴィル兄様が担う。
飾り気のない部屋で寛ぎながら剣の手入れをする。
暫しの休息。次にこの剣を使うのはいつだろうか。使わないに越したことはないが、私にはこれしかないのも事実。
と、思っていたのに。
建国暦227年。
春先で王命による結婚が決まり、秋には式が終わった。王都にあるノルトヴァルト公爵の邸の一室。人生で初めて着たドレスで落ち着かない私を解放してくれた名も知らぬメイドは風呂まで付き添い、最終的には薄い肌着1枚を置くと部屋から出ていった。
ドレスは窮屈だったが、全裸で居るわけにもいかず肌着を着てみたが⋯
「これでは丸腰ではないか⋯」
全てが透けている⋯。
このままどうすれば良いのか分からずベッドの中に潜り込んだが、気が付いたら寝ていたらしく朝になった。窓の外で小鳥がさえずり、その愛らしい声に目を開ける。
── コンコン、
「奥様、朝食をお持ち致しました」
タイミングの良いノックに上体を起こし扉の方を見る。人の気配はするが中々入って来ない疑問はすぐに解決した。
慣れない寝床に、脳が勝手に戦時中だと錯覚していたようだ。
「どうぞ」
「失礼致します」
許可を出すことで開けられた扉から、朝食を運ぶメイドが数人入ってきた。ちらりと盗み見られたがすぐに視線を落とした彼女たちは慣れた手つきで準備をしている。
「何かございましたらそちらのベルを鳴らしてください」
「朝食が終わったら呼ぶから服の用意を頼む。ドレスではなく私の服だ」
「かしこまりました」
「クスクス⋯」
「ほらね、公爵様は昨夜いらっしゃらなかったのよ」
「最初から分かっていた事よ⋯フフ、笑ったら失礼だわ」
一人を除き、息を漏らすような小声で話すメイド達は私の視線に気が付き慌てて出ていった。
朝食には新鮮な卵が使われており、毒は含まれていないようだ。
「なるほど⋯式を挙げたその夜は初夜になるのか」
夫婦となり初めての夜を共に過ごす事。この透けた服も、初夜を迎えるために女性が身につけるものである。しかしノルトヴァルト公爵は来ず、メイド達の笑いのネタになってしまった、と。
「⋯⋯ふ、」
一人の空間で笑みを漏らす。
「笑いのネタならばピッタリのネタがあるではないか⋯ふ、ふふ⋯」
戦時中、弾かれた剣先が何処かへ飛んで行き私の背中に刺さっていた話。軌道は明らかに右方向であったにも関わらずブーメランのように戻り私の背に突き刺さったのだ。それに気付かず敵将の首を撃ち落とした時、雄たけびを上げる男共の声が段々と小さくなり悲鳴のように細くなっていくあの瞬間。
「私の鉄板ネタをメイドに披露してやろう。公爵閣下がいらっしゃらないだけで小鳥のように笑えるのだから、きっと大ウケするに違いない」
酒を飲み交わしながら全員がドッと湧くあの高揚感を思い出し口元が緩んでしまう。
服の準備に同じメイド達が来たので早速鉄板ネタを披露したが誰も笑わず、作り話だと思われてはならないため着替えついでに背中の傷を見せてやった。
「ここだ。これは生涯残ると言われた」
「ひっ⋯!」
「ふふ、背中の傷は恥だと言われる事もあるが、まさか自身でその恥を作るとはなんとも笑えるだろう」
「ぁ⋯⋯⋯〜、」
一番近くに居たメイドが白目になり倒れてしまった。他のメイド達はサッと顔色を無くして倒れたメイドを連れて逃げるように部屋から出ていった。
残ったメイドは淡々と服を整えてくれる。
「つまらなかっただろうか⋯?」
「戦地を己の目で見たことのない彼女達には刺激が強かったのでしょう。ベルトは此方でよろしいですか?」
「そうか⋯刺激の少ないネタを思い出したら教えてやることにするよ。助言に感謝する」
「⋯⋯⋯」
メイドが訝しげな表情で私を見上げたため、彼女の仕事の手を止めさせてしまった事を反省しながら私は「ベルトはそれで構わない」と返答を追加した。