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16話



 顔馴染みの騎士、オスカーは笑みを貼り付けたまま静かに怒気を込めた声色で「宿へご案内致します」と吐いた。


「先に伝えたい事は終えた。案内を受けよう」

「はぁ⋯エレノア様。あの黒馬、ノクナイトはかなり気性が荒く自立心もあります。そんな馬で此処までいらっしゃるなんて」

「とても利口だったよ」


 再び溜め息を吐き額を抑えたオスカーを見れば厩まで連れて行くのに苦労した事が窺える。

 ヨアヒムと村長は立ち上がり深く頭を下げた。


「ルートについては明日お話し致しましょう」

「今日はゆっくりお休みください!」


 2人には軽く手を挙げ、私はオスカーと共に代官所を後にした。


「父上達は息災か?」

「エレノア様の婚姻で邸は連日お通夜状態です」

「ふ、喪服でも着ているのか?」


 冗談で返すとオスカーは黙って頷いた。


「主に侍女やメイドの反発がかなり酷くレーヴェン伯爵様が心労の様子です」

「ははっ!それは申し訳ないな」

「笑ってる場合ですか?ノルトヴァルト公爵は確かに素晴らしい指揮官でしたが⋯勿論、お家柄も容姿も⋯ですが、婚姻相手には向いておりません」

「確かに⋯オスカーよりも随分と整った顔立ちをしていたな」

「ノルトヴァルト公爵は、何者でも引き裂く事が出来ない程に前妻を寵愛されていたのですよ?他の者を想い焦がれている男にエレノア様を嫁がせるなんて⋯!」

「私も他の者を想い焦がれてみるか?」

「エレノア様」


 咎めるように名を呼ばれ、冗談ではないか、と返す。

 宿での手続きは既に済んでいるようで、部屋まですぐに通された。宿屋の主人だけでなく妻や子までもが勢揃いでの出迎えだったが。


「実際、どうなのですか?」

「どうとは?」


 主人や客前では会話を控えていたオスカーは部屋に着くなり口を開く。


「ノルトヴァルト公爵です。夫でありながら早々に領地へ戻りエレノア様をお一人にしているではありませんか」

「おかげで交易路の敷設計画に乗り出せたな」

「夫婦としてやっていけるのかを問うてます」

「⋯」


 夫婦という言葉に返しが思い浮かばず、硬くもかつての訓練時を思い出させる懐かしいベッドに腰を下ろす。

 部屋はベッドが一つと、簡易的なテーブルや椅子のみ。壁は少しひび割れがあり、窓際に置かれた質素な花瓶には合わぬ豪華な花が飾られている。

 貴族を迎える事が少ないグラウンドに唯一あった宿屋なのだろう。


「オスカー。私を休ませるために此処へ連れてきたのでは?」

「重要な確認事項でございます」

「そうか⋯夫婦として、か⋯」


 互いに干渉しないという誓約がある限り、母上や父上、ベラ夫人のような愛ある夫婦関係とやらには近付けないだろう。


 黙った私に、オスカーは椅子を引き摺り近くに座った。


「我々はエレノア様の誕生から今までをお傍で見てきました。共に食事をし、共に剣を取り、共に戦場を駆けた。恐れ多くもそれなりの関係を築けたと自負しております」

「そうだな」

「レーヴェン騎士団の者は皆、エレノア様を妹や娘のように思っているでしょう」


 血気盛んなゴルディア騎士団とは違い、レーヴェン騎士団は温厚な者が多かった。遠征稽古に混ざった時はピクニック担当まで作られていたのを思い出す。


「私も、皆を家族だと思っているよ」

「そんな娘があんな男の元で不幸になるのを黙って見ていられるわけがないでしょう!」


 出自を問わぬレーヴェン騎士団には平民も多い。オスカーも平民であり、実力で生き残った男だ。故に、公爵閣下の手腕を知らぬはずがない。

 きっと、愛のない結婚に納得がいかないのだろう。平民であれば政略結婚など縁遠いものだ。


「オスカー。これは王命だ」

「─、レーヴェン伯爵様なら覆せます。」

「そうだな。いつかその時が来るだろう。だが、それは今ではない」

「⋯?」

「ノルトヴァルト領に眠る鉱石⋯手にしたくはないか?」

「まさか!」


 私の目的はノルトヴァルト公爵夫人としてノルトヴァルト領の民達を守る事ではなく、公爵閣下を支える事でもない。

 目を見開き驚くオスカーに、私は口角を上げた。


「使えるものは使おうと思ってな。王命により政略結婚をし縁は出来た。この国を発展させるためには今の立場が必要だ」

「では交易路の完成後はお戻りになるのですね!」

「それはまだ分からん。他にも、公爵夫人でなければ出来ぬ事が見付かるかもしれん」


 あからさまに拗ねるオスカーは私よりも一回り以上歳が離れているはずだが⋯


「髭面のおっさんがそんな顔をしても私には何も出来んよ」

「レーヴェン伯爵様のような髭を目指しておりますので」


 全身毛だるまになりたいのか⋯。髭面のオッサンというワードを喜ぶオスカーが椅子から立ち上がる。


「長居して申し訳ありませんでした」

「派遣に応じてくれて感謝する。オスカーが居れば安心だ」

「有り難いお言葉です。他の者は任務からの帰還が本日のため、2日後には合流できます」


 まだ日は高いが、室内に1人になれば眠気を感じた。寝ずの番をしたのは1日だけだというのに⋯どうやら顔馴染みの男を見て安心したらしい。


「王都の邸宅では寝た気がしなかったしな⋯」


 広く、良い香りのするベッド。天蓋は未だに見慣れず、邸宅内に響く声は誰のものとも判別出来ない。


 ⋯寝るとしよう。今深い眠りについてもオスカーが居る。オスカーが居るという事は、何か不祥事があっても対処してくれる。


 その信頼感から、私は気を失うように微睡みの中へ溶けていった。






 一度も目を覚ます事なく起きた私は、軋む背中を懐かしみながら身体を伸ばす。


「⋯まだ早いか」


 窓の外を見ても人は誰も出歩いていない。窓を開けると湿っぽい空気が遠くを見渡せぬ霧を発生させていた。

 

 外へ出て、人の出歩かない静かな村を少し歩いた。

 霧に包まれた丘陵の家々からはまだ煙も上がらず、ただ小川のせせらぎだけが響いている。


「⋯⋯⋯良い朝だ」




 やがて朝を告げる鶏の声が遠くで上がったのを合図に代官所へ向かった。




「エレノア様!迎えも出来ず申し訳ありません!」

「此方が早く来すぎたようだな。すまない」

「とんでもございません」


 昨日と同じ執務室へ案内され、召使の入れたお茶を飲む。


「朝食は摂られましたか?」

「いや、必要ない」

「いけません。軽食でも良いので口にされてください。君、エレノア様にお出しする朝食の準備をしなさい」

「フォークは使わないもので頼む」

「かしこまりました」


 召使が出て行く前に声を掛け、ヨアヒムを見遣ると満足そうに頷いていた。


 用意されたサンドイッチを片手に持ち、昨日の話の続きをする。人員については村長がある程度の確保をたった数日で終えており、レーヴェンシュタットとのやりとりはヨアヒムに任せる事にした。


「肝心のルートですが、こちらをなぞると次に寄る街はリッテンでしょうか」

「そうだ。湿地帯ではあるが川を利用し物資の運搬を視野に入れている」


 目的はレーヴェン領とノルトヴァルト領を繋げる事。リッテンは川沿いにあり湿地帯だが平地でもある。宿屋の確保をする事で今後は商人が立ち寄りやすくなるだろう。


「その先のフロイデンは時期によっては厳しい道のりだ」

「こちらから行く者は事前に休み、あちらから来る者は疲れを取るために休む⋯人の行き来が増えれば商人も集まり街は活性化するでしょう!」

「それを良しとするかは領主次第だ。グラウンドからリッテンまでのルートを下見しながら話をつけてくる」


 リッテンを治めるのはフリードリヒ・リッテン男爵。騎士の輩出のない家門で関わりはないが悪い噂は聞かない。⋯良い噂も同じく、だが。


「グラウンドのルートは2点ご用意致しました」


 ヨアヒムが地図を指さした。


「まずはこちら、東側にある古い巡礼道を修復し北に進むルートです。ただ最終目的地は聖エリーディア礼拝堂⋯各地の修道所にも繋がりますので迂回が多くなります」

「分岐をするならば此処か⋯馬車での移動を前提とすれば丘を削るしかなくなるな」

「その通りでございます⋯そしてグラウンド西側のルート。こちらは元々作物を運ぶのに自然とできた細道です」


 狭いが拡張作業だけで良く、リッテンまでの道も比較的繋げやすい。


「問題があるとするならば、盗賊の被害が絶えない事でしょうか⋯」




 


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