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プロローグ



 ━・・・建国暦217年


 とあるパーティーに参加した私は、やっと用意出来たドレスを流行遅れだと他の令嬢達に笑われていた。恥ずかしさのあまり、庭園に隠れていたら女性の金切り声が響く。


『馬鹿にしないで!』


 涙を溜めて貴方に平手打ちをした令嬢は、私に肩をぶつけてホールへ戻っていったけれど。

 叩かれて頬を赤くした貴方に、辱めを受けた者同士として私は共感したのかもしれない。普段は自ら行動に移せない私が、貴方にハンカチを手渡したのは⋯人生の起点だったのだろう。


『⋯随分と遅れたドレスだな』


 そんな勇気に対して返された言葉。第一印象は本当に最悪で⋯。けれど貴方、ただお世辞が言えないだけだったのよね。

 後日、お礼の手紙と高そうなドレスが贈られてきて、その贈り主が公爵家からだなんて。お父様、泡を吹いて倒れたのよ。


 ━・・・建国暦219年


 貴方みたいな素敵な殿方からのアプローチは、私みたいな田舎娘ならすぐに惹かれるに決まっているじゃない。でもね、貴方と付き合っていたら、他の令嬢から水を浴びせられた事もあるの。世間知らず、と怒鳴られもしたわ。

 ただ、そんな事で俯くわけにはいかなかった。


 戦地から戻った貴方は、国中から英雄であると称賛されていたにも関わらず、貴方を庇い、死した恩師の姿に酷く憔悴していて⋯。

 自信家で、いつも強気な貴方の姿しか見たことがなかったから⋯私でも貴方を支えられる部分があると分かって、お姉さんのフリをしたの。


『結婚しましょう、ヴァルター』

『⋯必ず守る⋯イリーナ、お前だけは必ず守ると誓わせてくれ⋯!!』


 貴方の涙が、私を抱きしめる腕の強さが、嬉しさよりも、切なさが込み上げていた。私の精一杯の力で抱きしめ返し、貴方の涙は全て私が受け取った。


 そして⋯

 ━・・・建国暦221年


 建国暦204年から続くこの長い長い戦争は、私の心を壊すのに充分過ぎた。初めて出会った頃の、没落寸前の子爵令嬢だった私を⋯そして家族を救ってくれた愛しい人は、誓いを守り、壊れていく私をそれでも愛してくれたというのに。


『お前の腕の中で熟睡したい』

『ふふ、甘えん坊さんね?⋯⋯ねぇ、次の戦地から戻るのはいつくらいなる?』

『戦の話なんてするな』

『⋯⋯』

『早く帰るよ。俺が帰る場所はお前の腕の中だけだ、イリーナ』


 私の腕の中で眠る貴方は燃えるように暖かくて。さらりと擽る金髪を撫でるのが好きだった。そうしながら共に眠る時間が、私の幸福に上限がないと思い知らせるほどに。



 夫が戦地へ赴いた日、王都からお義母様が領地に戻った。


『また出征が遅れたそうね⋯はぁ⋯貴女みたいな女々しい妻では、ヴァルターの足手まといにしかならないわ』

『お義母様⋯私は──』

『お黙りなさい。ヴァルターが居ない今、此処の主は前公爵の妻である私です。』

『⋯いいえ。現公爵であるヴァルターの妻、私が代理を仰せつかっております!主が戦地へ赴いている今、私は領民を守るため──』


─パンッ!!!


 叩かれた頬は、極冬の乾燥のせいか乾いた音を響かせた。

 痛みのせいで涙の膜が張ったが、零さないように瞬きをせず、義母から目を逸らさない。


『護衛騎士は何をしているのです。早くこの者を捕らえなさい』

『偉そうに小娘が⋯ヴァルターが戻ったらどうなるか⋯』

『妻である私に手を挙げたご自身の選択をもう一度お考えください』


 あの時、私に出来ることをもっと深く考えるべきだった。お義母様は、私を無意味に嫌っていたわけではないと、今なら分かる。


 お義母様を王都に帰してから、二ヶ月後。


『奥様!早くお逃げください!』

『こ、此処は⋯私が守らないといけないの⋯』

『早く!!!⋯ぐっ!⋯⋯は、やぐ⋯おにげ⋯ぐだ、』

『──────っ、』

『イリーナ奥様⋯こちらへ⋯っ』



 夫が不在の時でさえ、この極寒の地を侵略する愚か者は居なかったはずなのに。

 目の前で侍女が殺された。私には何も出来なかった。守る術を知らなかった。持っていなかった。共に働いていた者の死に震えながらも私を隠した侍女長は、結局八つ裂きにされた。


 怖かった。何も出来なかった。嗅ぎ慣れない血のニオイは鼻の奥を焼き、吐き気を誘った。


 ヴァルターが戻った時を思い出す。邸に立ち込める血の匂いにヴァルターの浮いた血管を見た時、私は、なんと言ったか⋯


 ⋯あぁ、そうだ。


『お帰りなさい、あなた』


 平然を保たねばならないと思ったのだ⋯。




 それからも、極冬の季節が巡る度に私の視界は赤く染まって見えてしまう。その度にヴァルターは私の視界を覆い隠し、甘い言葉を囁いてくれたが⋯戦が続くこの世は私からヴァルターを遠ざけてしまう。


『⋯なんで、私だけ生きているのかしら』


 ヴァルターに問いかけた時、ヴァルターはとても悲しい顔をした。


『ヴァルター、私怖いの⋯強くなりたかったの⋯でも現実はとても違う。程遠い。剣をね、握ってみたの。重くて、持ち上げるのが精一杯だった。早く戦争なんて無くなれば良いのに⋯貴方と一緒に過ごす時間だけが延々と流れればいいのに⋯う、うぅ⋯なんで⋯かなぁ?なんで私はこんなにも無力なのかなぁ⋯』


 スパイに侵入を許し、城で働くものを惨殺され、私は生き残り、敵に渡ってはいけない書簡を奪われてしまった。それでもヴァルターは私を咎めない。


『すまない⋯すまなかった⋯』


 あんなに自信過剰な貴方が謝る姿は、更に私の心を抉ったの。



 ━・・・建国暦223年


「あぁ⋯そうか⋯私、叱ってほしかったのかしら⋯」


 私のせいだと、責めてほしかったのかしら。


 外に出れば肺が凍ってしまいそうになる極冬が存在する領地を、私は小さな鞄一つで去った。

 貴方宛の手紙と離縁届は、私に出来る貴方への精一杯のお返しでもある。


 何度も振り返った。追いかけてくれる事を待ってしまう弱い自分が嫌で、何度も頭を振って前を向き直した。


 愛しているわ、ヴァルター。でも、貴方が、何度も謝罪の言葉を繰り返していく内に⋯心の深い所で暗い感情が渦巻き始めたの。


「ふ⋯ぅ、うぅ⋯⋯、」


 貴方が流した温かな涙と違って、私の涙はすぐに冷えた。


 貴方の涙は、私が、全て受け取ったから。どうか泣かないで。


「さようなら⋯ごめんなさい⋯愛しい人」


 私の弱さが、貴方の鎧を錆びさせていく様を見ていられなかった。足手まといとして貴方まで弱くしてしまう私は、貴方の隣には相応しくない。


 どうか、終戦を⋯。どうか、彼に救いを⋯─



──────────

《イリーナ視点・終》

──────────





 建国暦227年・ガルディナ王国・王都ガルドの王宮にて。帝国軍との23年という長期的な戦争が終わり1年が経った。

 此処には戦勝に貢献した家門達が呼ばれ、国王から次々と褒美を与えられている。


「して、どうかな?」


 他の家門へは威厳のある言葉を使い褒美を与えてきた国王は、一人の女騎士に向かってお茶でも誘うような軽い口調で問うている。しかしその返答は「イエス」か「御意」しか許されぬ雰囲気でもあった。


「仰せのままに」


 片膝をついて返答した女騎士に、国王は満足そうに笑った。


 戦勝に貢献したエレノア・フォン・レーヴェン伯爵令嬢はゴルディア騎士団の副団長でもある。そんな彼女と、総司令官として戦勝に貢献したヴァルター・フォン・ノルトヴァルト公爵閣下は王命により婚姻関係となった。


 強気な若き公爵はかつて愛した妻に逃げられ、今も尚その気持ちを捨てきれていない事は有名だ。

 しかし未だに見つからぬ前妻へ現を抜かされるよりも戦争が終結した今、王党派を強化するためにノルトヴァルト公爵家へ、中立的立場にある戦功派のレーヴェン伯爵家の令嬢を充てがった国王の意向も周囲は理解していた。


 別室に通された二人は用意されたソファーにも座らず立ったまま向き合った。ヴァルター公爵家の書記官は居心地悪そうに後ろに控えている。


「⋯エレノア・フォン・レーヴェン⋯⋯この婚姻は王命であり政略だ。だがお前に不利益を与えるつもりはない。お前の自由を尊重しよう。そしてそれは互いに、干渉しないという誓約でもある」

「⋯⋯⋯」

「上官には忠実であると聞く。この誓約を理解し、賢い選択をすることを切に願う」


 あまりにも自分勝手な誓約に、書記官も口元をヒクリと動かした。


 しかし当の本人であるエレノアは、ヴァルター公爵の言葉を何度か頭の中で再生する事で納得したかのように「はっ」と凛とした声で返した。

 まるで愛のない結婚をその場で受け入れるような返答。また、ヴァルター公爵もさも当然というように⋯その場で書記官に誓約書を作成させ王宮を去っていく。






 少し季節が動いて建国暦227年、秋。


「此処に、両名の成婚を認める」


 二人の、形だけの結婚式は味気なく終わった。






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