第3話 やり直しの願い
意識が戻ったとき、全てが終わっているはずだった。
アリーチェ・フローライトは、自分が死んだと確信していた。
けれど、そこに広がっていたのは、漆黒の深淵。
暗闇でもなく、炎でもなく、ただ底の知れない虚無だった。
呼吸も脈動も感じられない。
自分が生きているのか、朽ち果てたのかも分からなかった。
「……ここは……」
声は、どこか遠くで反響した。
それが自分の声なのかどうかも曖昧だった。
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やがて、影が揺らめくように現れた。
銀の仮面をつけた小柄な人影。
纏う衣は星屑のように瞬き、気配は一切感じられない。
「……目覚めたか。アリーチェ・フローライト」
声は無機質で、感情の温度が一切なかった。
「あなたは……誰」
「理の監視者。名をシオン・アルフェリア。
この世界の均衡が崩れるのを見届ける者」
「……理……?」
言葉の意味を理解するより先に、胸に鈍い痛みが走った。
全てを滅ぼした、その罪の感覚。
「この空間は、君の魂が置かれた狭間だ。
君の強い願いが、死の境を歪めた」
「……願い……」
炎の中で呟いた言葉が蘇る。
――私だって……救われたかったのよ。
「やり直したいと、祈ったのだろう」
「……ええ」
アリーチェは瞼を閉じた。
「……やり直せるのなら、誠実に生きたい。
誰も傷つけずに、何も奪わずに……」
仮面の奥から淡い光が一瞬瞬いた。
「……それが真の願いか」
「……ええ」
「ならば、選べ。
このまま魂を散らし、全てを終えるか。
あるいは――」
「なんかさあ」
不意に、怠そうな声が割り込んだ。
「……何者だ」
シオンが視線を巡らせる。
黒のゴシックドレスに身を包んだ少女が、片手で口元を隠して小さく笑った。
「わたし?依田咲耶。別に名乗るほどのものじゃないけど」
紫の瞳が退屈そうに細められる。
「いちいち喋るの長くない? 面倒くさそうなのよね」
「……お前、この空間に立ち入る権限は――」
「権限?そんなもの必要?」
咲耶は肩を竦め、わざとらしくため息をついた。
「儀式?監視者?知らないし、興味もないけど……」
紫の瞳がほんの僅かに愉快そうに揺れる。
「なんか、話が長引く予感しかしないから」
指をひとつ鳴らす。
「黙っててくれる?」
「無作法な――」
言葉が終わるより早く、白い光が一閃した。
シオンの姿は霧のように淡く溶けて消えた。
「……スッキリした」
何事もなかったように肩を竦める。
栗毛色の髪の少女が慌てて顔を覗かせた。
「サクヤおねえちゃん……いまの人、すごい偉い人とかじゃないの?」
「そうなの?知らないわよ」
「えぇ……」
アリーチェは声を失った。
「……この者……理の向こうに立つ気配……」
虚空からノワールの声が低く響く。
「主よ、注意を。底知れぬ性……」
「褒めてくれるの?うれしい」
咲耶は何気ない口調で答え、アリーチェに視線を向けた。
「で、どうするの?死ぬの?生きるの?どっちでもいいけど」
「……私には……もう何も……」
「じゃあ、もういいわ。選べないなら私が決める」
ため息をひとつ落とし、一歩近づく。
「生きなさい」
頬に指先が触れる。
「なんか……その方が後々面白そうだし。泣いたり後悔したり、色々してくれそうだし」
「……っ」
「別に深い意味はないけどね」
紫の瞳が愉快そうに細められる。
「はい、決定。次いこっか」
「ちょっとサクヤおねえちゃん、強引すぎ……」
「いいの。こっちは暇つぶしなんだから」
アリーチェは言葉をなくしたまま、視界の端でノワールの影が揺れるのを見た。
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白い光が辺りを満たし始める。
「……主よ。決断を」
「……分かったわ」
「いい子」
咲耶は気だるげに笑った。
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視界は光に溶けていった。
最後に見えたのは、どこまでも底の知れない咲耶の瞳。
その中に、怠さと愉悦が混ざりあって揺れていた。
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それが、贖罪の始まりだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回、唐突に登場した咲耶たちは、作者の過去作
「恋カス!(この異世界転生はなんだか損をしている気がする)」
に登場するキャラクターたちです。
本作では少しイメージが異なる部分もありますが、
気になる方はそちらもあわせて覗いてみていただけると嬉しいです。