Part.6 side-Y
9月26日(木)
文化祭に向けてスタートを切ったあたしたちは、翌日の放課後から毎日練習をすることになった。練習する場所は普段軽音部が使っている場所を使うことができないため、あたしの家を提供してあげている。ま、学校から結構遠いけど、家から車を呼んでいるので、さほど時間はかかっていない。さすがに楽器とアンプは持ち込みになるけど、防音室はあるし、ドラムとキーボードは手配したので、問題はない。
「いやー、助かるよ。ゆかりんを仲間に引き込んでよかったなあ」
「うんうん。でもなんか申し訳ないけどね。あたしたちの事情でゆかりちゃんに迷惑かけているわけだし」
確かにそうだけど、まあ今はあたしもみんなの一員だし、細かいことは言いっこなしだって。
とまあ、よき感じにスタートしたあたしたち。おかげであたしは毎日充実した日を過ごしていた。何かに一生懸命になるのはいいことだよね。最近、何かに夢中になることなんてなかったからさ、あたしとしてはむしろお礼が言いたいね。部屋くらいはいつでも提供するよ。
今日も、放課後あたしの家に来て練習をすることになっていた。現在午前中の四時間を終え、昼休みになっていた。あたしは自分のクラスから脱出すると、食堂に来ていた。ちなみに一人だ。あたしはよく一人で食堂に来る。ま、もともと一人でいるのが好きな人間だから、こういう時間も必要なのだ。しかし、こういう時に限って、誰かしらやってくるのだ。今日も今日とて、あたしが一人で食事をしていると、
「あ、」
こういうときに出会うのは、日常であまり会わない人と相場で決まっているらしい。
「あー、岩崎さん。久しぶりだね。元気だった?」
「あ、日向さん、こんにちは」
おや?あまりというか、元気なさそうだな。何かあったのか?あったにしても、結構重い事件があったような気がする。どうかしたのだろうか?
「今日お弁当じゃないの?」
「ええ。今日はちょっと朝寝坊してしまって」
「珍しいね。何か悩み事でもあるの?」
言うと、
「…………」
と黙り込んでしまった。何だ何だ?本当に重い出来事でもあったのか。あたしは弁当の片手間で話を切り出したのだが、箸を置いて本格的に聞く態勢を作った。
「本当に元気ないね。何かあった?あたしでよければ、話聞くけど」
こんな岩崎さん見たことないな。体調が悪いわけではないようだし、困ったことがあったような、何か悩んでいるような感じだ。あたしのイメージでは、岩崎さんは自分のことは全て完璧にやった上で他人の世話を焼いているような気がしていた。なので、自分のことで悩んでいる岩崎さんは初めて見た。
「…………」
しばらく黙り込む岩崎さん。もしあたしに気を遣って、巻き込まないように黙っているなら、それはいらぬ気遣いだ。あたしは岩崎さんにも大変な恩義を感じている。むしろ積極的に頼ってほしいんだ。
女二人黙って向かい合ったまま、数分が経過した。何か妙な視線が周りから向けられているような気がするんだけど、そんなことは気にしない。あたしは昔から周りの視線を集めながら生きてきたから、そんなものは気にならない。そんなことより、今は岩崎さんだ。今は黙り込んでいるけど、きっと話してくれる。そう期待してあたしは黙っていた。すると、
「考えてみれば、日向さんに相談するのが一番いいのかもしれません」
言って、視線を上げ、あたしを正面から見つめ返した。
「何でも言って。何でも協力するから」
あたしの頭の中は、どうやってグループに取り入るか、というところまで思考が進んでいたんだけど、話しの方向は全く違っていたようだ。
「実は……」
口を開いた岩崎さんは、
「成瀬さんにTCCを乗っ取られてしまいました!」
「は?」
正直何を言っているのか、理解できなかったよ。成瀬がTCCを乗っ取る?はあ?そんなことあるわけないだろうと思うし、そんな姿想像つかない。
何となく大事件を予想していた、むしろ期待していたあたしは、がっかりしてしまった。
「あのさ、岩崎さん、」
「本当です!信じて下さい、成瀬さんが反旗を翻したんです。謀反です。麻生さんも泉さんも成瀬さんの魔の手の餌食になってしまっているんです!」
あー、どうしましょう、この状況。成瀬が反旗を翻した?そもそもあいつは岩崎さんの傘下に加わっていたのか?最初から小早川秀秋みたいな存在だったと思うぞ。反乱を起こすかどうかは別として、いつ脱退してもおかしくなかったと思うけどな。
何かもう断りたいんだけど、はっきり何でも協力するからって言ってしまった手前、あっさり引くわけにはいかないよな。
「あー、一応信じるから、詳しく話してもらえる?」
「一応って何ですか。何でも協力するって言って下さったじゃないですか。日向さんまで、私をそんな扱いするんですか?」
完全に拗ねちゃっているな。ヤサグレモードに入ってしまっている。これはこれで、とてもかわいらしいので、あたしとしてはある意味嬉しい状況だったのだが、個人的な趣味は置いといて、とりあえず、
「ごめん、ごめん」
「ごめんは一回でいいんです!」
ということで話を聞くことになったんだけど、昼休みだけじゃ足りなくなっちゃったし、あたしも岩崎さんもまだ食べ終わってなかったので、続きは放課後にすることになった。あたしは放課後忙しいんだけど、まあ今日に限ってはしょうがないかな。七海に言って今日は休養日にしてもらおう。
そして、放課後。あたしと岩崎さんは学校を離れ、最寄り駅でコーヒーショップに立ち寄った。部活には行かなくていいのか、と聞くと、
「いいんです。あそこは私のTCCではなくなってしまっていますし、連絡は入れておいたので、問題ありません」
と、頑なな様子を見せてくれた。ふんと鼻から息を吐く岩崎さんだったけど、ちゃんと連絡を入れているあたり、彼女らしいと言える。むしろ、連絡しなければよかったんじゃないか。そうすればさすがに何かあったと思って、向こうも慌てたと思うし。
ま、何があったのか知らないけど、岩崎さんがここまで拗ねてしまうとは。成瀬のやつ、一体何をやらかしたんだ?
とりあえず二人とも飲み物を注文すると、早速話を始めた。
「あー、でさぁ、一体何があったの?」
なかなか下手くそな切り出し方だったと思う。けど、こんな状況滅多にあるものじゃないし、仕方ないだろう。
「つい昨日のことです」
そう言って、岩崎さんはゆっくり話し始めた。
「私たちは文化祭に向けて話し合いをしていました。それぞれやりたいことが分かれてしまって、これから話をまとめようとしていたんです」
話のきっかけは文化祭らしい。今からやることを決めようとしていたのか?ちょっとばかり遅い気がするが、まああたしたちも行動を開始したのはつい最近だ。人のことは言えないし、今は話を聞くことに集中しよう。
「私は演劇がやりたかったんですが、成瀬さんは出店だと言って断固拒否していました。私は話し合いで何とかまとめようと思っていたのですが、あろうことか、成瀬さんは他の二人をあることないこと言って誘惑し始めたんです」
あー、あたしも演劇は勘弁してほしいな。いや、あたしの話は別にいいんだ。それで、成瀬の行動に何か問題があった?
「全くの卑怯者です。私に弁論で勝てないからって、他の二人を仲間に取り込んで多数決に持っていこ
うなんて。とても男性とは思えない、全く漢らしからぬ行動です」
何かいろいろ言われているな。実際はどうなんだろう。成瀬に聞いたら、全く別の言葉が返ってきそうなんだけど。なぜだろう、岩崎さんのことは信頼しているんだけど、成瀬のことになると、どうしても岩崎さんが大げさに話をしているように聞こえるんだよな。嘘をつくような人じゃないと解っているんだけど、どうも信じられないんだよな。
「それで麻生さんと泉さんはまんまと成瀬さんの口車に乗ってしまい、正義を貫いた私は一人孤独な戦いを強いられてしまいました。それでも正義を貫こうと思った私は、別の作戦に打って出たんです」
さらに怪しくなってきたな。しかし何となく、背景が見えてきたぞ。おそらく最初から岩崎さん以外の三人は演劇に反対していたのではないか。成瀬が三人の意見をまとめ始めたから、こんな不名誉なこと言われているんじゃないだろうか。
さらに舌が回り始めた岩崎さんは、だんだんヒートアップしてきて、
「いくら私とは言え、数的不利を跳ね返すほどの力は持っていません。それを逆手に取られてしまったのですが、私は成瀬さんと違い、他にも多くの友人を持っています。まず最初に私は横山さんに協力を要請しました」
反則じゃないのか?生徒会長引っ張り出して、生徒社会の中で最強のカードと言えるものだぞ。
「そして、成瀬さんが何も言えないように、とりあえず状況だけ揃えてしまおうと思い、横山さんにTCC専用のステージを用意してもらう手筈を取り付けました。もちろん設置は我々が担当するんですよ?」
調子が出てきたようで、だんだん口調が演技がかってきたな。申し訳ないけど、卑怯者はあなたのほうではないか。TCC専用のステージ?聞いていないぞ。そんなことできるのか?あたしもあいつに頼めばよかった。
「これでもう退けないだろう、と思いました。しかし、あろうことか、成瀬さんはそれでも諦めようとしなかったのです。なんと潔くない人なのでしょうか。これも漢らしくありません。真っ向から私と対立すると、宣言してきたのです。そして、麻生さんと泉さんも、成瀬さんについていくと……」
岩崎さんの話はここで終わりのようだ。十分理解できた。要するに、いつものように岩崎さんが成瀬たちに無茶を言い、今回ばかりは付き合いきれないと意見を対立させたのだ。それだけの話だ。結果だけ見れば、確かに成瀬がTCCを乗っ取ったように見えるけど、どう見ても、岩崎さんのわがままに呆れてしまったといった感じだろう。あたしだって思うぞ。勝手にステージ取っちゃうなんて、無茶し過ぎだって。衣装とか照明とか舞台装置とか用意はあるのか?ま、彼女のことだ。全部私がやるので心配しないで下さい、とか言って押し切ってしまっていたのだろう。容易に想像できる光景だ。
「ね、ひどいと思いませんか?」
いやー、悪いけど、ちっともひどいと思わないね。むしろひどいのはあなただろう。独裁にもほどがあるぞ。これじゃあ下々が反乱を起こしてもしょうがないだろう。歴史を見れば一目瞭然だ。民衆に支持されない政治は滅びる運命なのだ。
しかし、そのまま口にすることはできない。何て言えばいいんだろうか。よくよく考えてみれば、いつものことじゃないか。
成瀬も大変だな。正直、岩崎さんが周りに迷惑かける姿なんて想像できないが、成瀬にとっては日常なんだな。要するに、岩崎さんは成瀬に甘えているだけだ。だから今回の話は、痴話ゲンカもいいところだ。何であたしが巻き込まれなきゃいけないんだ。頭に来たぞ。
「じゃあ今回は岩崎さんも徹底的に対抗してみれば?成瀬たちが何するか知らないけど、今回は一切協力しないとか」
「元よりそのつもりです」
岩崎さんも乗り気だ。調子に乗ってあたしは、
「むしろ積極的に邪魔してやるとか」
と言ってみる。すると、
「いや、それはちょっと……。夏休みにとてつもなく迷惑をかけてしまったので」
どっちなんだ?乗り気なのか違うのかはっきりしてくれ。あたしもどうすればいいのか解らない。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「これって、本気でケンカしたの?本気で頭来ているわけ?もう顔も見たくない?」
ここはあたしにとって重要なポイントだった。本気でケンカして、顔も見たくない状態なら、あたしだって本気でなだめなければいけない。成瀬と岩崎さんが疎遠になってしまったらあたしは嫌だ。仲直りしてくれなきゃ、楽しい気持ちになれない。だけど、あたしが思っているように、ただの痴話ゲンカなら岩崎さんの気分に付き合って、適当に成瀬の愚痴を言い合ってあげる。二人の関係はあたしにとっても問題なのだ。ま、正直そこまで心配してなかったけど。
「あ、いえ!本気なんてとんでもないです!顔も見たくないなんて、ありえないです。ただ、ちょっと私の気持ちが落ち着かないんです。何となく私が邪魔者扱いされているみたいで……。成瀬さんって、ひどいんですよ。私の意見をまともに聞いて下さらないんですよ。私も最初はそこまで演劇がやりたかったわけではなかったのですが、まともに取り合って下さらない姿を見ているうちに、無性に腹が立ってきまして。成瀬さんって、私が何を言っても、また始まったよ、みたいな雰囲気でため息つくんですよ!温厚な私だって、いい加減頭に来ます!少なくとも女の子に対する態度ではありません!」
気持ちは解った。今回は成瀬にも非があるだろう。確かに、岩崎さんの行動は行き過ぎている気もしないでもないが、成瀬は成瀬で失礼に値する。頭に来て当然だ。
「うん、気持ち解るよ」
「ですよね?頭来ますよね?」
「解る解る」
「解るは一回でいいんです!」
だから、成瀬に何か仕返しがしたいというわけでもないということも理解できる。岩崎さんは、ただ愚痴が言いたかっただけなのだ。他人の迷惑というやつを考えてしまう彼女は、気軽に愚痴が言えないのだろう。
「ま、今回はいい機会なんじゃないかな。TCCは成瀬に任せておいて、岩崎さんは個人的に楽しみなよ。せっかくの文化祭なんだから、そんな気分じゃもったいないよ」
「うーん、それはそれで大変いい考えだと思うのですが、私としては今回の件で、成瀬さんに一矢報いないと納得いかないんですよねえ。まだいい考えが浮かばないんですが」
それはそうかもね。どんなに仲良くても、気に入らないところは直したほうがいいよ。ガツンと言ってあげればいい。今後のためにも、ね。
「協力が必要なら、いつでも手を貸すよ。あたしは岩崎さんの味方だから」
「本当ですか?何か申し訳ないです。日向さんにはいつも愚痴を聞いてもらっているような気がするのですが。迷惑なら言って下さいね」
気を遣いすぎるのもよくないぞ。あたしはこれでも結構楽しんでいるんだ。ノロケ話ってやつは好きじゃないが、岩崎さんの場合は別だ。
「むしろ歓迎しているから」
「そう言っていただけると、私も気が楽です」
言っておくけど本気だからね。気を遣って、こう言っているわけじゃないぞ。
それからは成瀬をネタに、話を盛り上げた。岩崎さんは話し上手だから、どんな話でも結構面白いんだけど、成瀬についての話は格段に面白い。普段見ることのできない、素の岩崎さんを見ているような気がして、とっても新鮮だった。内容は悪口と言ってもいいくらいひどいものだったけど、話している岩崎さんはとてもいい表情をしていた。とても楽しそうだった。成瀬のイメージする岩崎さんと、その他大勢のイメージする岩崎さんって、全くの別人のような気がするね。
その話は尽きることなく、夕飯時まで続いた。