Part.32 side-N
一応ホームルームを挟んで、放課後になった。どうせこの後も明日の準備なのだが、何事にもけじめが必要なのだ。それに俺はうちのクラスの手伝いをやっている場合じゃない。まだステージの準備が終わっていないのだ。昨日知った話なのだが、一応楽屋らしきものを、ステージの裏に作らなければいけないらしい。そして、ステージの傍らに俺たちステージ運営者の居場所を作る予定だったとか。今更言われても、とても困るのだが、生徒会から言われた言葉は、『てっきり知っているものだとばかり思っていた』と、言い訳にしても、最低レベルのそれで、かえって怒鳴る気が失せてしまった。とりあえずすぐさま生徒会に向かって、テントやら何やらを準備し、組み立てなければいけない。時間がないとは今の状況を言わずして、どうする。
駆け足で現地に向いたかった俺だったが、なぜ俺がここまで使命感に燃えなければいけないのか、というところに気づいてしまったので、走り出す気力も、完全下校時間ぎりぎりまで頑張る気合もなくしてしまった。いつもどおり帰り支度を済ませ、部室に向かった。
部室に到着すると、先客がいた。鍵は俺が持っているので、外で待ちぼうけを食らっていたようだが。
「またあんたか。よっぽどこの場所が気に入っているんだな。入部したらどうだ?」
「ありがたいお言葉だけど、遠慮しておく。なぜならあたしはすでにTCCの一員だから」
そこにいたのは自称スーパー美少女お嬢様の日向ゆかりだった。俺からしてみれば、たちの悪いストーカーである。
「何の用だ?その様子じゃ、TCCの一員として馳せ参じた、というわけじゃなさそうだな」
「当然でしょ。あんたが一番解っているんじゃないの」
そういえば、今日の放課後の連絡事項を伝え忘れていたな。好都合かもしれない。ま、どっちにしろ連絡する手段など、いくらでもあるのだ。情報化社会万歳だな。
「あんたにお願いがあるんだが、聞いてくれ」
「第三音楽室に行ってくれ、って言うんじゃなければ、聞いてあげてもいいけど」
こいつは驚きだ。すでに知っていたとはな。
「知っているなら話は早い。四時に第三音楽室に向かってくれ。あんたのバンドメンバーも一緒にな」
「冗談。そこに行って、あたしにメリットがあるわけ?」
「一応あるにはあるぞ。バンドの練習ができる」
「はあ?どういうことよ」
「名目上は軽音部の前夜祭ということになっているんだ」
「あんたの言っていることが、何一つ解らないわ!あんたはあたしに何をさせたいわけ?」
そう怒鳴ってくれるな。そんな迫力出されると、しゃべりたくなくなるね。しかし、これ以上 ぐだぐだやっていると、本格的にお嬢様が激情してしまう。俺とて、それは避けたいし、何しろ時間が惜しい。ま、世間話程度に話を始めるか。
「あんたが将来どこかの会社で部長になったとしよう」
「はあ?いきなり何の小話?漫談での始める気?」
「面白いこともうまいことも言うつもりはない。ただのたとえ話だ」
「たとえ話にしてもセンスがないわね。数年後に実現する話だわ。入社面接でも始める気?あたしはその手の将来設計は大嫌いだけど」
とにかく気が立っているな。俺の話す内容全てが気に入らないらしい。俺だって嫌いな部類に入る。未来のことなんて誰も解らない。少し先の将来のことまで見通して考え行動できる人物?なんだ、そりゃ?そういう人材がほしいなら、占い師でも雇えばいい。
閑話休題。
「女性社員は男性社員より、能力が劣ると思うか?」
「答える価値のない質問ね。愚問だわ」
返答がとげとげしくて、気が滅入る。
「じゃあ、あんたの上司がそういう考えの人物だとしたら、どうやって説得する?」
「あたし自身が証拠になるわ。そんじゃそこらの人間に負けるつもりはないわ。何においてもね。それで、この無意味な質問にどんな意図があるわけ?」
いい質問だね。
「今、あんたに必要なものだ。必要なのは質問じゃなくて、回答のほうだけどな」
「はあ?」
続けるぞ。
「じゃあ、あんたの上司は、事務は女子のほうが、創作は男子のほうが、それぞれ勝っている、と考える人間だった。あんたの部下の女子社員が創作をやりたいと願い出た場合、あんたはどうやって上司を説得する?」
日向は即座に口を開いた。が、何も言葉を発することなく、閉じた。日向の目に光が宿っている。どうやら何かに気づいたらしい。
「…………」
「…………」
向かい合って、黙り合う。あまり好ましい状況ではないが、日向が口を開かないのだから、俺が口を開くわけにはいかない。しゃべる順番など、あるわけじゃないが、ここで俺が何か口にしてしまったら、台無しになってしまう気がする。
気まずい空気は、いつまでも続いたりしなかった。
「成瀬さーん。いますか?」
外からドアがノックされた。そして俺が答えるより早く、ドアが開く。いったい何のためのノックだったのだろうか。
やってきた人物は言わずと知れた、この部室の主、TCCの長、岩崎だった。そしてなぜか真嶋も一緒だった。
岩崎の一言目。
「なっ!なんで日向さんがいるんですか!二人で何をやっているんですか!」
予想通り過ぎて、涙が出てくる。隣にいる真嶋も、何やら苦々しい表情を作っている。俺はがっくり肩を落とした。今の空気が嫌でしょうがなかったが、こんな風に破壊されるのも何となく納得いかない。崩れてしまった今、どうしようもないのだが。
「岩崎さんと真嶋さんには悪いけど、」
俺と同じ空気にいた日向は、特に何も感じなかったようで、今まで同様の空気を保ちつつ、
「やっぱりあたしはこの男が大嫌い」
言い放った。ここ数日で、とてつもなく嫌われてしまったようだな。
「やっぱりと言われるのは何となく癪だが、この際しょうがない」
「そこで納得されるのも気に食わないわ」
どうしろというのだろうか。
「一応聞いておくけど、あたしが解決しちゃっていいわけね?」
「拒否する理由がないな。第一、俺には解決策が思い浮かばない」
「今のが嫌味だとしたら、一種の才能だね」
「いつの間に俺の株はそこまで大暴落したんだ?」
「そこまで落ちてないよ。再確認しただけ」
言って、日向はちらっと時計を見た。そろそろ四時になる。
「じゃああたし行くわ。一応あんたの話に乗ってあげる。これで貸し借りなしね」
「俺はとっくに返してもらったと思っていたが」
「あたしはそう思っていなかったの」
言い捨てると、日向は俺から視線を移動させ、岩崎を見た。
「岩崎さん、今日は練習来るの?」
「あ、いえ。私はこれからステージ準備があるので」
しばらく日向の迫力に圧倒されていた岩崎だったが、どうにかまともに返事をした。
「そっか。じゃあまたあとで」
今度は真嶋に視線を向ける日向。なぜだか真嶋がたじろぐ。この二人の関係はいったいなんなんだろうな、と思っていると、日向はきれいに微笑んだ。そして、
「真嶋さんも、じゃあね」
「あ、うん」
圧倒されている俺達三人には目もくれず、日向は颯爽と部室から出て行った。先ほどまで火山を噴火させんばかりに猛っていた日向だったが、部室から出ていくときは、どこかすっきりした表情をしていた。そんな日向に、俺は見とれていたのかもしれない。