Part.29 side-N
十月十七日(木)
気がつけば、文化祭まであと二日に迫っていた。クラスのほうはもういつ文化祭が来ても構わないのだが、TCCのほうはそうもいかない。
「なー、成瀬。ステージってもう出来ているのか?」
話しかけてきたのは、長谷川だ。朝から嫌なやつに話しかけられてしまった。しかも、触れてほしくない話題で。
「まだだ」
「いいのか?文化祭は明後日だぞ」
「解っている」
ステージは教室にある机を適当に組み合わせて作られる。あまり使用しない特別教室のものだけで足りるなら、何日も前から準備を開始してもいいのだが、机が足りず、一般教室の机を拝借しなければならない場合はそうもいかない。俺たちの特設ステージの場合、三分の一ほどは特別教室からの机でまかなえるのだが、残りは一般教室のものを使うことになる。なので、一応今日から準備はするが、三分の一までしか準備することはできないのだ。つまり何が言いたいのかというと、
「文化祭が明後日なのも、時間がないのも知っている。ただ事情があるんだ。サボっているわけじゃないぞ」
お前と一緒にするな。俺は面倒臭がりだが、一夜漬けは嫌いだ。やらなければいけないことがあるなら、早い段階で動き出す。今回そうしていないのは、あくまで『出来ない』からであって、面倒だから先延ばしにしているわけではない。
「ふーん」
自分から話しかけてきたくせに、適当な返事を返す長谷川。何だこいつ。あからさまに興味なさそうだな。しかし、それもそのはず。長谷川にとって、ステージのことなどどうでもいいからだ。こいつの興味は専ら別のことにあったのだ。それは何だ、というと、
「お前、約束忘れてないだろうな」
「約束?」
「ほら、俺が持ちかけた相談だよ」
「……………」
「本当に忘れたのか?小山内のことだよ!」
忘れてない。覚えているぞ。今の無言は、ただ返事をしたくなかっただけだ。
「解っている。それも当日までには何とかしてやる」
「本当かよ?」
疑うのは勝手だがな、俺はやることはやるつもりだ。ただ、俺が全てを解決してやるわけではないがな。
「その件に関して質問だ」
「何だよ」
「お前、明日の放課後は何している」
「明日ぁ?」
明日、すなわち文化祭前日だ。俺は当然ステージ作りで忙しいことと思うが、長谷川はどうなんだ?ま、何か予定があろうと、こっち優先にさせてもらうが。
「明日は一応前日だからな、休養に当てるってことになっているよ」
「ほう。練習はいいのか?」
「まあ不安はあると思うけど、今日まで結構ハードなスケジュールでやってきたから、前日くらいは休まないと」
なるほど。これは好都合だ。いや、待てよ。長谷川に関しては好都合だが……。
「それが、どうしたんだよ」
ま、やるしかないことには変わりないし、俺のできることは限られている。
「明日の放課後、少し時間をくれ。手伝ってもらいたいことがある」
「はぁ?だから、休養に当てたいんだけど」
「お前には貸しがあるはずだが?」
「……そんなもん、ねえよ」
「これから出来るんだ。小山内のことはちゃんと解決してやる。だから、明日は俺の言うことを聞いてくれ」
何だかやたら不満そうな顔をしていたが、
「何すんだよ」
これは了承と受け取っていいだろう。そう変な顔をするな。お前にとっても悪い話じゃない。
「それは明日、話す」
「……解った」
長谷川は不承不承頷いた。別に今日話してやれないわけではないが、明日やることは明日やればいい。それより、今日はステージのほうを準備しなければいけないな。自主的に連中が集まってくれればいいのだが、おそらくそんな自覚を持ったやつはいないだろう。やれやれ。俺が呼びに行くか。長谷川との話を早々に切り上げた俺は、授業の準備を始めた。
本格的に動き出したのは昼休みからだ。とりあえずTCCのメンバーにステージ作りを手伝わせないと、今日明日で完成させることは難しい。
まず向かった先は麻生だ。俺が手短に話すと、
「何?ステージ作り?すまん、勘弁してくれ。今追い込みの真っ最中なんだ。朝も昼も放課後もない感じで練習が入っちゃっているから、手伝えないわ」
と、あっさり断られる。そして、俺に食い下がる暇も与えず教室から飛び出して行った。役立たずめ。こういう時に活躍しないでいつ活躍するつもりだ。また明日声をかけるとしよう。俺は麻生のクラスを後にした。
続いて、泉紗織。
「ステージ作り?嫌よ、面倒臭い。それに私は占いのことでみんなと打ち合わせがあるの。だからそっちは手伝えないわ。残念ながらね」
こっちも協力的じゃないな。後半、言い訳じみたことを言っているが、一言目で、本音がこぼれているので何の意味もなさない。どうなっているんだ、うちの部活は。面倒臭い、って言葉で全てを拒否できるのか?俺もよく使うが、それで回避できたことなんて何一つなかったと思うが。
さて、残るは部長ただ一人。今度は拒否させないつもりで行こう。なんと言っても、あいつが事の発端なのだから。
放課後になると、俺は自分の荷物をまとめ、いつでも帰れる支度を整えると、久しぶりに岩崎に話しかけようと席を立つ。すると、
「岩崎さん」
教室の外から岩崎を呼ぶ声。声のほうに視線を向けると、日向と阪中、そして例のバンドメンバーがドアの影から顔を出していた。なるほど、今日は練習日だったか。
「練習行こう!」
「ええ、今行きます」
ずいぶん楽しそうに声をかけてくる小山内七海。ステージも決まって、今が一番気合の入っていることなのだろう。しかし、悪いな。こちらも時間がないんだ。
「お待たせしまし、」
と岩崎が言いかけたところで、俺は岩崎の肩に手をかける。
「た?」
驚いた岩崎が俺のほうに顔を向ける。例のバンドメンバーたちも、つられたように俺を見る。
「悪いが、こいつは今日の練習に参加できない。欠席だ」
「な、成瀬さん?」
文化祭が近づいてくれば来るほど、出し物をやる人たちは不安を募らせる。彼女たちだって同じだと思う。ステージのことで練習に集中できなかったのだから、なおさらだ。
「成瀬、どういうこと?岩崎さんは練習に出る気だったみたいだけど」
あんたたちの気持ちは十分理解できる。しかし、俺のほうも深刻な人手不足なんだ。こいつを手放すわけにはいかないんだ。
「文化祭は明後日だからな。そろそろステージを作らなきゃいけないんだ。こいつが生徒会長に話をつけて発足した特設ステージだ。こいつが先導しないで誰がやるんだ?」
「……………」
「オーケー、解った。岩崎さんは連れて行っていいよ」
日向はゴーサインを出した直後、岩崎になにやら耳打ちをした。
「頑張ってね!」
「…………」
このやり取りは理解できなかった。続いて日向は俺にも小声で話しかけてきた。
「あんた、いい加減仲直りしなさいよ」
「そのセリフはあっちに言ってくれ」
「こういうことは男から切り出すのがセオリーなのよ。岩崎さんはすでに準備万端だから」
意味の解らないことをいう。昔は男女差別、というとどうしても女性はひどい目にあっているイメージが強いが、近年はどうなんだろうな。俺としては、今この現状で男女差別という言葉を使いたいね。
何だか愉しそうな雰囲気で、日向がこの場を立ち去った。さて、準備を始めるかね。
「行くぞ」
「…………」
「返事は?」
「はいはい!行きますよ!行けばいいんでしょ!」
子供か、あんたは。全くいつまで機嫌を損ねていれば気が済むんだ?はあ。まあいい。とりあえず仕事をこなしてくれれば、現状は問題ない。この先永遠に続くと言われると、さすがに考え物だが。
俺は教室を出ようと、歩き出す。すると、
「成瀬!」
何だ?俺のことを呼び捨てするやつはあまりいない。それも女子では特に。ま、声で特定できるのだが。
「何だ、真嶋」
声をかけてきたのは真嶋だ。真嶋は今まで何をしていたのか、急いだ様子で俺の元へと小走りでやってきた。
「これからどこに行くの?」
「あぁ、これからステージを作りに行くんだ」
ま、作るというほどのことでもないんだが。とにかく机を並べていく。これだけだ。
俺の言葉を聞いていたのかいないのか、真嶋は俺のセリフにかぶせて、
「あたしも行く。あたしも手伝う!」
と元気よく叫んだ。なかなかいい心がけだな。うちの部長も見習ってもらいたいね。俺はそういう意味もこめて、岩崎のほうに視線を向けた。
「な、何ですか?何か言いたいことでもあるのですか?」
「別に」
「…………」
さて、真嶋になんて返事をしよう。まあ手伝ってもらうこと自体はありがたいし、断る理由もないのだが、それにしてもなぜそんなに進んで雑用をやりたがるんだ?単純な善意からなのかもしれないが、どちらにしてもここはありがたく手伝ってもらうとしよう。と、考えて、ここで妙案を思いつく。
「その申し出はありがたいんだがな、」
「え?」
おそらく断られるとは思っても見なかったのだろう。急激に表情が暗くなった。泣き出すのかと思うくらい悲しそうな表情だったのだが、とりあえず見なかったことにして話を進める。ま、手伝い全般を断るつもりはないんだが。
「こっちはいいから、他に頼みたいことがあるんだ」
「うん、そっか……」
と、何となく肩を落とした真嶋は、一瞬岩崎のことをチラッと見てから、
「うん。何?何でも言って?」
と再び元気よく返事を返してきた。こいつ、こんなに素直でいいやつだったかな?いや、いいやつというところは否定はしないが、俺の頼みごとを二つ返事で聞いてくれたことがあっただろうか。まあ、いい。
「―――――」
俺はできるだけ顔を近づけ、声を落として真嶋に囁く。ま、誰に聞かれても困ることじゃないが、一応秘密裏に行動したい。訊いたやつが変な勘違いをするとは限らないからな。念には念を、というやつだ。
「頼めるか?」
「ははははい!」
急に返事が変わったな。というか、どうかしたのか?こいつは俺が近づくとすぐにおかしくなる。全くいつも困らせやがって。俺が呆れたようなため息をついていると、
「なーに、こそこそいちゃいちゃしているんですか!また私に隠し事ですか?」
今回に関してはあんたに隠し事で間違いじゃないため、俺は適当に誤魔化すことにする。
「待たせたな。さて、机を運びに行くぞ」
「話を逸らさないで下さい。あと、仕切らないで下さい」
話は逸らしたが、仕切ったつもりはない。
「じゃあ、真嶋。よろしく頼む」
「う、うん!任せて!」
ふむ。本当に使い勝手のいいやつになったな。こんな言い方すると、怒られそうだが。俺は自分の中で反省すると、とりあえず準備するために文化祭実行委員に話をつけに行った。
まず最初に俺たちが向かった先は生徒会室だった。とりあえず今から準備を始めますよ、という連絡をしに行くのだ。一応生徒会と文化祭実行委員会が文化祭を仕切っているので、ステージの準備をするために机を確保するために、連中に声をかけなければならない。机は消耗品なのだ。どのクラスも団体も、結構机を使用するからな。
さて。生徒会室に向けて絶賛行軍中なのだが、俺のやや後ろを歩く岩崎は、ずっと無言のままである。先ほどは元気よく叫んでいたのに、今は俯き加減で黙々と歩いている。まるで舌を抜かれたように静かだ。最近しゃべる機会が少なかったのは確かだが、緊張するような間柄ではないだろう。それとも未だに怒り心頭で、二人きりではしゃべる気にならないのだろうか。
ま、何はともあれ一応ついてきてはいるので、手伝う気はあるのだろう。俯いてやや後ろを歩いているということは、話しかけてほしくないという心の現われだろう。用事ができるまでは、話しかけずにいてやろう。
こうして二人して無言で生徒会室に向かった。
「やあ。ずいぶんゆっくりしていたね」
生徒会質に着くと、生徒会長横山大貴に開口一番嫌味を言われた。ほっとけ。俺とて、やることがいろいろあるんだよ。
「悪かったな。それで、机はどこにあるんだ?」
「机はすでに確保してある。それで準備は何人でやるんだ?」
それは訊かないでほしかったね。俺の交友関係ではこれが限界なんだ。
「今お前の目の前にいる」
「二人だけか?」
そのとおりだよ。これで何とかステージを作るんだ。一両日中にな。
「明日は前日準備で、一日中準備に当てられるとはいえ、二人でやるのは無謀じゃないか?」
「同感だな」
俺の言葉に、はははっと乾いた笑いを返すと、後ろにいる岩崎をチラッと見て、
「ところで、仲直りはしたのか?」
「はぁ?」
お前もか。何でそんなことが気になるんだ?俺と岩崎がケンカしていようと、お前には関係ないだろうが。それに、そもそも俺は岩崎とケンカしたつもりはない。一方的に岩崎が不機嫌になっているだけだ。
俺は『大きなお世話だ』と言ってやろうと思ったのだが、
「これからです」
岩崎が先に言葉を発した。あんた、仲直りする気あるのか?本当か?
「そうか。では早急に用事を済ませるとしよう」
岩崎の答えに、なぜだか急に上機嫌になった横山は、用事とやらを話し出した。
「成瀬君には言ったと思うが、全てを君たちに押し付けるつもりなど、端からない。君たちには設置と組み立てのほうを任せる。机の運び出しはこちらで請け負おう」
「それはありがたいが、そっちは割けるだけの人員はいるのか?」
「もちろん。少なくともそちらよりはな」
そりゃそうだ。グラウンドの特設ステージは、文化祭初の試みだ。こいつを頓挫させるわけにはいかないのだろう。ステージの運営はTCCに全て任せると言っていたが、もしも運営に関して危機に晒されたら、その権利はまるっと剥奪されそうだな。
「三十分くらい時間をくれ。その時間で特別教室の机を運び出させよう。その間、君たちはステージを組み立てるための準備をしておいてくれ」
ずいぶん手際のいい連中だな。これも横山の手腕の賜物なのか。
「それじゃあよろしく頼む」
「ああ。頑張ってくれ」
微笑む横山の表情は、単純に準備についてのエールを言っているようには見えなかった。
横山は準備をしておけ、と言っていたが、準備するものなどあまりない。机を固定する紐と、上に敷くベニヤ板くらいなもんだ。なので、二十分ほど部室で待機することにした。することにしたのだが、
「………………」
目の前にいる岩崎はどうにも落ち着かない様子。それもそうだろう。こいつが部室に来るのはこの一月弱でたったの二度。それもTTCとして足を運んだわけではなく、日向率いるバンドメンバーの一人としてきたのだ。そして、岩崎的に絶賛ケンカ中の俺と二人きり。ま、落ち着かないのはよく解る。しかしそわそわしすぎじゃないのか?そんなに何度も時計を見ても時間は進まないぞ。
「何見ているんですか?人のことジロジロと……」
どうやら俺の視線に気付いたらしい。別に隠すことでもないので、俺は理由を答えてやる。
「少しは落ち着け。三十分くらい静かに待てないのか」
「私は落ち着いています。別にやましい事もありません!」
意味不明な強がりだな。見事に墓穴を掘っているし。
「ずいぶん不機嫌そうだな」
「な、成瀬さんが妙な濡れ衣を着せてくるからでしょう!」
俺のせいなのか?納得いかないが、とりあえず今は脇に置いておくことにしよう。
「時間が空くとは思っていなかったが、ちょうどいいからさっさと終わらせることにしよう」
「ちょうどいい?終わらせる?何かやるんですか?」
さっき自分で言っていただろう。もう忘れたのか?
「仲直りだよ。あんた、する気あんのか?」
「え………?」
俺の一言で、今までせわしなく部室中をぐるぐる回っていた岩崎の視線が、俺に固定させる。
「何だ?」
「いえ、あの……、仲直りしていただけるんですか?」
「仲直りも何も、俺はケンカしたつもりはないけどな」
俺に固定されていた岩崎の目が、大きく見開かれた。
「な、成瀬さん、怒って、ないんですか?」
む?何だ?どうやら岩崎は俺が怒っていると思っていたらしい。何度も言っていると思うが、俺は早々怒らない人間だぞ。というか、心の中では怒っているんだが、それが外に出るほどではない。
しかし、見た感じ岩崎は怒っていると思っていたせいか、怒られる子供のように若干シュンとしている。これを利用しない手はないだろう。
「だと思うのなら、何か言うことがあるだろう」
「ごめんなさい……」
間髪いれずに謝った。本当に親に怒られている子供みたいになっている。しかも『申し訳ありませんでした』や『すみませんでした』ではなく、『ごめんなさい』と言ったあたりが、正に子供だろう。
俺の目の前で、静かに立ち上がりきれいに腰を折った岩崎を見て、俺は盛大にため息を吐く。はあ。
「!」
岩崎の体が、ビクッと震える。今度は説教が来るとでも思っているのだろうか。
「もういい。とりあえず顔を上げて、イスに座ってくれ」
俺の言うことに、素直に従う岩崎。俺としてはもう説教する気も失せてしまっているのだが、一応理由だけは訊いておかなければなるまい。
「何でこんなことをしたんだ?」
今回の件に関して、俺は完全にやらなくてもいいことばかりをやっていた。なぜそんなことになってしまったのかと言うと、岩崎が自分で取ってきた案件を放り出したからだ。
「劇をやろうと躍起になったのもいい。特設ステージ設置の案件を取ってきたのも、まああんまりよくないけど今となってはとやかく言わない。だが、一つこれだけは納得できない。なぜTCCを放り出したんだ?」
岩崎が忙しいのは知っている。忙しいからTCCのほうはあまり手伝えない、という麻生の気持ちも解らないでもないから、まあいい。ただ岩崎は当初、全て自分だけでやるから何も問題はない、と豪語していた。しかし、結果は全くの逆。ほとんど俺が行い、岩崎は何一つ行っていない。手伝ってすらない。
「だって……」
言い訳、もとい理由を言うために、岩崎は口を開く。さて、何を言うのか。俺を納得させる内容なのか。俺は岩崎を見ていたのだが、その表情を見て急激に不安になった。岩崎は口をへの字に、眉をハの字にして、口を開いた。
「だって、成瀬さん私の言うこと全然訊いて下さらないんですもん!」
「はあ?」
何を言い出すのかと思えば。それは言い訳なのか?言い訳だとしてもずいぶんお粗末なものだな。
「だって成瀬さん、泉さんや麻生さんの話は聞くくせに、私の話は全く聞いて下さらないじゃないですか!今回の話も、劇の話はすぐさま却下してしまうし、だから……」
だから、何だというのだ。それは自分のせいだと、少しも思わなかったのだろうか。だからあれは一番不可能な意見を言っていたのが岩崎だった、というだけの話だ。加えて、姫が一番現実的なことを言っていた、というだけの話だ。
「だから、頭に来たあんたは、TCCを放置したというわけか」
俺が半分以上呆れた雰囲気で言うと、岩崎は黙って頷いた。子供か、お前は。
「あのな、俺はあんたの意見を否定したのであって、別にあんた自身を否定したわけじゃないぞ」
「で、ですが、成瀬さんは私の話を聞くときはいつも、『また始まったよ』っていう感じの雰囲気を出すじゃないですか!」
それはあんたがいつもおかしなことを言うからだ。そう考えると、岩崎が話を切り出すといつも、というのは間違いじゃないのかもしれない。しかし、そう素直に口にするわけにはいかないので、
「そんなことはないぞ」
と言っておく。しかし、
「それこそ、そんなことないです!だって、今正にそんな感じの雰囲気をかもし出しています!」
それを言われると辛いな。しかし、『また始まったよ』とは思っていない。しいて言うなら『何言ってんだ、こいつ』だな。ま、大して変わりないか。
「…………」
さてどうするか。ここで説得できないと、これからも大変な目に合いそうだ。このままでは俺がTCCを率いて動くことになってしまう。ありえない話だと思うが、現実のものとなってしまう。
「…………」
黙って若干睨みつけてくる岩崎を見ながら、いいセリフを考える。こいつには論理的に攻めてもいい結果は得られなさそうだ。となると、感情に訴えるしかない。こいつは苦手な分野だな。さて、どうするか。
「確かに、あんたの言うとおりかもしれない」
俺はゆっくり口を開き、頭を回しながら言葉を吐き出す。
「だがな、」
そして、
「夏休みに言ったばかりだろう。俺があんたを必要としてやる、と」
「!」
「もう忘れたのか?」
まだ二月と経っていないのだが。ま、特別印象に残る言葉では……、
「忘れてません!忘れるわけないじゃありませんか!」
俺の思考を遮って、大きな声で言葉を返した。俺はその声の大きさに驚いた。
「誰が忘れても、私は忘れません……。忘れられません」
岩崎の中でどんな核爆発が起きたのか知らないが、岩崎の感情の変化に若干気持ちが引いてしまった。ま、まあいい。
「覚えているなら結構だ。俺はあんたを必要としている。俺がどんな雰囲気をかもし出していても、それは変わりない」
現に、あのときああ言ったことを、俺は後悔していない。こいつが俺の隣からいなくなると、なぜだか俺が忙しくなるのだ。こいつが俺の隣にいても面倒ごとには巻き込まれるのだが、こいつが隣にいれば、仕事は半分になる。しかし俺一人ならば、全て一人でこなさなければならない。
「……………」
顔を真っ赤にして絶句している岩崎を眺めながら、俺は考えていた。
そういえば、何でこんな話をしていたんだっけ?えーっと、岩崎に謝らせて……、じゃないな。その前だ。あー、仲直りだ。
「ところで、話しは元に戻るが、」
「は、はい!な、何ですか?」
どこか遠いところへ行っていた岩崎は、俺の言葉でここに戻ってきた。
「仲直りってどうやってすればいいんだ?」
「…………はい?」
仲直りをしよう、と言って仲直りしたことなどない。なので、どうやって実行すればいいのか解らないのだ。一方が謝り、もう一方が許せばいいのか。お互い拳で語り合えばいいのか?
「えっと、今の時点で仲直りできているのではないでしょうか?」
「そうなのか?」
いつの間に、という感じだな。ま、終わっているならそれで構わないのだが。
「ではこうしましょう。今日、私が成瀬さんの夕飯を作ります」
「はあ?」
何が「こうしましょう」だよ。話が全く見えてこないぞ。
「これで終わりでは、私の気がすみません。お願いです。埋め合わせをさせてください」
そういうことなら、構わない。あまり我が家に来てもらいたくなかったが、とにかく岩崎が必死だったので、俺は了承した。その後、横山の言ったとおり、机が外に出ると、連絡が来た。そこである程度準備を終わらせると、俺たちは一緒に俺の家に帰った。そして岩崎が俺に夕飯を振舞って、仲直りは完了したのであった。