Part.2 side-Yukari
9月23日(月)
夏休みが終わり、そろそろ三週間が経過しようとしていた。していたのだが、日本は阿呆になってしまったようで、まだまだ暑い日が続いていた。来週から十月になろうとしているのに、この暑さは勘弁してもらいたいね。
朝、教室にたどり着くとあたしは下敷きをうちわ代わりにして、自身を扇いで暑さを凌いでいた。来週衣替えだと思うと、軽く憂鬱である。
「おはよ」
あたしが近い将来を悲観していると、後ろから声をかけられる。あたしは首だけめぐらせて、
「おっす」
と挨拶を返す。やってきた人物は去年から同じクラスだった阪中みゆきだった。
「あとちょうど一ヶ月だね!」
さも楽しそうに、少しはしゃぎ気味に言うみゆき。はて、一体何の話だろうか。あたしは頭の中で検索エンジンを動かしていると、
「文化祭だよ。楽しみだね」
言われてあたしは、あー、となる。そういえばそんなイベントがあったね。あたしの頭の中ではさほど重要なカテゴリーに分類されていなかったため、忘却していた。確か、我々二年生が中心で行われるのだ。そのため、二年は妙に活気付いている雰囲気がある。ここ最近のみんなの浮かれっぷりは、そんなことが起因していたのか。
「うちのクラスは何をやるんだっけ?」
「忘れちゃったの?うちは出店だよ。クレープ焼くんでしょ」
「あー、そういえばそうだったね」
高校の文化祭ってやつは思っている以上に情けない。さすがに中学よりできることは多くなっているが、大学とは比べ物にならないくらいに少ない。やっている人のみが楽しい感じが周囲に伝わってしまうほど、自己満足の塊である。その原因の一つは、出店の種類が制限されていることである。保健所との兼ね合いで、火は使えない、生物は使えない、など、とにかく規制が多い。確かうちのクラスでももめていたな。出店をやることはすんなり決まったんだけど、何をやるかで時間が取られていた。あれもダメ、これもダメ。、で、最終的にはホットプレートを使った簡単クレープというところの落ち着いたのだ。
「楽しみだよね。日向さんも楽しみでしょ?」
笑顔で念押しされて、あたしはたじろいだ。そこまで楽しみじゃないんだよね。あたしはみゆきと違って、こういった大勢でわいわい楽しむイベントがあまり好きではないのだ。自分より年上の人々に囲まれて暮らしていたから、こういった子供っぽいイベントではしゃげないんだ。しかし、本音をそのまま言ってしまうと、みゆきが泣き出してしまうような気がしたので、適当に誤魔化すことにした。
「でもさ、出店って事前準備がない分、少しだけ気分が乗ってこないんだよね。ほら、イベントって、準備している最中が一番楽しいって言うじゃない?」
「あ、そうだね。確かに、文化祭が近づいてくるっていう実感が少ないかも」
納得してくれた。よかった。ま、本音を言うと、あたしとしては楽でいいんだけど。しかし、細かいことを気にするなら、良し悪しなのだ。事前準備が必要なものはたいてい当日楽なので、本番を楽しむことが出来る。出店は準備が少ない代わりに、本番は結構忙しい。ま、人それぞれだよね、楽しみ方は。あたしはそれほど意欲的ではないからどちらでも構わない。でも、
「充実感はやっぱり準備をしていたほうがあるんだろうし、後々思い出に残りそうだよね」
苦労した思い出ってやつは、それだけ長く濃く記憶に残るものだ。そのとき一緒に苦労を共にした仲間がいたなら、絶対に仲良くなるだろうし、達成感ってやつもあるだろう。
あたしが何となくぼやくと、みゆきが、
「そうだね。みんなで協力して頑張った思い出って、いい思い出になりそうだよね」
と言って笑ってくれた。あたしとしては一年生のときを棒に振ったようなものだから、『いい思い出』ってやつを出来るだけ増やしたいと考えない事もなかったんだけど、決まったものはしょうがない。心でそう考えても、やっぱり乗り気になれないし。
「今更言ってもね、もう出店で決まっちゃったわけだし」
これは、できるものなら別の出し物に鞍替えしたい、という意思表示ではない。むしろ逆で、もう変更できないと知っているから言った、あからさまにみゆきに合わせたセリフだ。ゆえに有志でダンスパフォーマンスやバンド演奏がしたいという意味では、断じてない。ないのだが、誰かに聞かれてしまった場合、誤解されてしまうかもしれないという自覚は、頭の片隅くらいにはあった。
「ふっふっふ……」
不意に不気味な笑い声が耳に届いた。それはまたしも後ろからだった。あたしとみゆきは恐る恐る振り返る。するとそこには一人の女子生徒がいた。不気味な笑い声の主は、彼女で間違いないだろう。なぜなら、若干うつむいている彼女は、何やら不敵な笑みを浮かべているのだから。
「あのー、何か?」
みゆきが完全におびえてしまっているため、あたしが声をかけると、
「話はそこで立ち聞きさせてもらったわ!」
失礼極まりないな。謝罪の言葉もなく、そんなことを堂々とカミングアウトされても困る。立ち聞きするな。
何だか話しかける気力を失ったあたしは、彼女が口を開くのを待っていると、
「ふっふっふ……」
と再び笑いを漏らしてから、
「我々はあなたたちのような人々を待っていました!ようこそ、軽音部へ!」
「………………」
「………………」
空気が死んだ。今ここには空気の断層が生じている。完全に呆れきっているあたし。どうしていいのか解らずおろおろするみゆき。そして、片膝立ちして両手をあたしたちに向かって伸ばす、いわゆるウェルカムポーズをしている彼女。この空気、どうしてくれるんだ。収集つかないじゃないか。
あたしが、どうしたもんかねー、と嘆いていると、
「何だよぅ、ノリ悪いなー」
と、ウェルカムポーズを解除して、拗ねたように頬を膨らませた彼女が、ぼそりと呟いた。これはあたしたちが悪いのか?謝らないといけないのか?
あたしが更なる混乱に呑まれていると、
「あの、小山内さん。さっきのどういうこと?」
こういうとき、天然娘がいると便利だな。あたしはもう何だか、不憫すぎて聞けない。
「だからー、二人ともクラスの出店以外に何かやりたいんでしょ?」
「え?」
「アー……」
みゆきは全く理解できていないような雰囲気だけど、あたしはばっちり解っていた。そんなつもり全くなかったんだけど、これはある意味予想通りの展開だよね。
「そんな二人を見て、あたしがこうして誘っているわけよ。バンドやろうぜ!って」
何かもう圧倒されるな、この人。でも素でこういう人なんだよね。小山内七海。今年から同じクラスになったのだが、とにかく破天荒な人で、テンションが高い。クラスの中心人物である。クラスの隅の方でこぢんまりと暮らしているあたしやみゆきとは対極にいるような人なのだが、その人懐っこい性格ゆえに、こうしてよく話しかけてきてくれる。少し苦手なんだけど、基本的には明るくて楽しい人だ。
「二人ともパートは何がいい?今んとこ、ドラム以外は空いているけど」
ガラガラじゃないか!スッカスカじゃないか!いやそうじゃなくて、
「あたしたち、出店以外に何かやりたいなんて言っていないけど」
みゆきが激しく首を上下させている。一方彼女は、一瞬きょとんとしてから、
「またまたぁ。さっき立ち聞きしていたって言ったじゃん。ばっちり聞いていたよ。嗚呼、できれば出店以外の出し物、特にバンドがやりたいでござる、って言っていたじゃん。ねえ?」
ねえと言われても、ねえ。間違いなく言っていないぞ。何か都合のいい感じに脳内変換されているな。ござるって何だよ。
あたしたちの冷めた反応を見て、七海は途端に困った表情になり、
「うーん、やっぱりダメですか?人数いなくて困っているんだよね」
頭をかきながら苦笑する。そういうことなら、最初から素直にそう言ってくれ。反応に困るって。
「何人くらい必要なの?」
「最低でもあと一人。欲を言えばあと二人。ま、多い分には全然構わないんだけど」
多すぎても困るだろ。とりあえず二人か。だからあたしたちに声をかけてきたのかな。
「みゆきは何か楽器できる?」
あたしはため息混じりに口を開く。かく言うあたしはピアノ、バイオリン、琴を昔習っていた。向こうの大学で、エレキギターを趣味程度に教わった経験もある。
「いや、私は全然……」
みゆきはやっていないらしい。ま、しょうがないよね。みゆきは不参加かな。
「うーん、そっか。じゃあしょうがないね」
と七海もうなる。これでみゆきの不参加は決定的なものになっただろう。みゆきは複雑そうな表情をしていたが、ほっと一息ついた。もしかしたら参加したかったのかもしれない。ま、優しい娘だからね、役に立てなくて申し訳ないと思っているのかもしれない。しかし、次に出てくる七海のセリフは、あたしの予想斜め上をいった。
「じゃあ、みゆきっちはボーカルかな」
「え?」
いや、みゆきっちって。じゃなくて、その結論はおかしくないか?
「本当は湊がやろうとしていたんだけどね、まああいつはギターもできるし。ボーカルは泣く泣く阪中先生に譲るとするよ!」
「いや、私、ボーカルなんて……」
「え?でも、楽器できないんでしょ?それとも頑張って練習する?たぶんつらいと思うよ」
あたしは勘違いしていた。彼女の中で、すでにあたしたち二人の参加は決定済みだったのだ。この人、本当に素面か?
「いや、あのさ、小山内さん」
みゆきが涙目になってきているので、しぶしぶ間に入ろうとすると、
「いやだな、ゆかりん。あたしのことは七海って呼んでよ。あたしとゆかりんの仲じゃない」
「…………」
もうあたしこの人嫌なんだけど。いきなりゆかりんってどうよ。こほん。えー、気を取り直して、
「七海、あのさ。引っ込み思案のみゆきにボーカルは無理だよ。あたしは参加するから、みゆきは見逃してあげなよ」
「見逃して、って、それじゃあまるであたしが無理矢理参加させようとしているみたいじゃない!」
そのとおりだ、正に。
「ま、いっか。ゆかりっちが参加してくれるなら。じゃあそういうことで、よろしく!」
「あ、あの、小山内さん」
あたしと七海ががっちり握手していると、みゆきが声をかけてくる。
「私にも手伝わせてくれないかな?あの、雑用しか出来ないけど」
うーん、やっぱり参加したかったみたいだ。でも楽器は出来ない。ボーカルはもっと無理。だったらサポート役になろう。こんなところだろうか。
みゆきからは意を決したようなオーラが見て取れたが、対する七海は、
「オーケーオーケー。じゃあみゆきちゃんはサポートお願いするね。よろしくー」
と鷹揚に了承した。何でもよかったのか?
こうして、あたしは成り行き上の関係で、軽音部に加わり、文化祭でバンド演奏を披露することになった。これが、事件に関わった第一歩になってしまったのだが、これは偶然かね。再びTCCに混じって事件に遭遇することになってしまうんだけど、図らずも今は、あたしがTCCの面々と出会った事件と同じ季節だった。