Part.28 side-Y
十月十六日(水)
放課後になると、あたしはクラスメートともに家庭科室に来ていた。今日はわがクラスの、文化祭の出し物である簡単クレープの作り方レクチャー会を開催していた。クラスの中心である何人かの女子が、それぞれ先生役となり、いくつかのグループに分かれて、レクチャーを行う。あたしもレクチャーを受けていたが、ま、思っていたとおり簡単なものだった。一階のレクチャーでだいたい理解した。一応ということで、一回だけ作ってみたが、それなりにおいしく出来た。これでいつ当日を迎えても問題ない。
だいたい三十分くらいでレクチャー会は終わり、あたしはすぐに解放された。さて、バンド練習に加わるか。
と、言いたいところだが、あたしには一つ先約があった。これがなんと言うか、実に気の乗らない先約なのだ。はあ、絶対面倒なことに巻き込まれるよ。
あたしは呼び出しを食らっているのだ。放課後、二年五組に来てくれ、と。その、気になる相手はというと、真嶋さんである。勘のいい人はこの時点で気付くだろう。一体どんな用事なのか。
足取りは重いのだが、行かないわけにはいかない。あたしは家庭科室から、二年五組に歩を進めた。すると、
「あれ?どうしたんですか?こんなところで」
声をかけてきたのは岩崎さんだった。
「そっちこそどうしたの?こんなところにいるなんて。委員会の仕事とか?」
「ええ、そうです。日向さんはクラスの集まりですか?」
「ま、ね。クレープ作りのレクチャーを受けてきた。受ける必要なかったけど」
「あはは。まあ誰でも作れるものじゃないと、全員で楽しめませんからね。その辺りは妥協しましょう」
適当な世間話から入ったあたしたちは、とりあえず会話を中断すると、再び歩き始めた。
「そういえば、日向さん」
「ん?何?」
何だい、改まって。
「この度はお疲れ様でした。日向さんのおかげで、無事に文化祭を迎えることが出来そうです。ありがとうございました」
「え?あぁー……」
何のことを言っているのかと思えば、昨日のことね。
「それと、申し訳ありませんでした。お忙しい中、わざわざお手を煩わせてしまって。とても面倒な仕事だったと思います」
正直お礼も謝罪も岩崎さんが言うべきことではない。お礼を言われるだけの仕事はしたし、謝罪の言葉を要求する権利もある気がするけど、それを要求する相手は岩崎さんじゃない。
「岩崎さんが気にすることはないよ。だって岩崎さんのせいであたしが迷惑被ったわけじゃないからね。ま、面倒だったのは確かだけど」
「申し訳ありません」
「だから、岩崎さんが謝ることじゃないって」
本当に礼儀正しい人だな。岩崎さんは謝罪の言葉を口にしながら、頭を下げる。その表情は本当に申し訳なさそうだ。TCCの犯した罪は自分の責任だと思っているのかな?監督不行き届きとか?
あたしは苦笑しながら手を振って否定したのだが、岩崎さんは頑なだった。
「いえ。話の大元は私のせいなんです。私がわがままを言って、特設ステージなど作らなければ、こんなことにはならなかったんですから」
「でもそれだと、あたしたちは演奏する場所を獲得することができなかったよ」
あたしは、岩崎さんの提案をただのわがままだとは思わない。少なくともこの件で特設ステージの権利を得たあたしたちは、全員岩崎さんに感謝しているだろう。
「そ、それはそうですけど、」
「それより!」
あたしは岩崎さんの否定の言葉を遮った。これでは堂々巡りだ。岩崎さんが謙虚で礼儀正しい人だってことはもう解ったから。これ以上後ろ向きな発言はさせないぞ。
「な、何でしょう?」
「成瀬とケンカしているほうが問題!発端というならそっちでしょ。さっさと仲直りしてね。二人がケンカしているから、あたしが苦労する羽目になったんだよ」
言って、あたしは思い切り笑顔を見せる。わずかばかりか圧倒されていた岩崎さんだったけど、あたしの笑顔に釣られたのか、はにかんだように笑顔を見せた。
「あんたたちがケンカしていると、周りの人に迷惑かけるんだよ。他人に迷惑かけたくなかったら、一生仲良くすること!いいね?」
「い、一生ですか?」
「そう。仲良くしてれば、世界は平和だから」
ここにきてようやく彼女らしい可愛い笑顔を見せてくれた。
「そこまで言われると、仲直りしなくちゃいけないような気がしてきました」
「そうだよ!ただでさえ今は文化祭なんだから」
「どういう意味ですか?」
岩崎さんはこういうことに疎いのかな?それとも成瀬一筋過ぎて、周りが見えていないのか。
「文化祭って共同作業でしょ?みんなで一緒に何かを作ったり、考えたり、まあとにかく困難に立ち向かうと、急激に仲良くなったりするわけ」
「はい。そんなこともあるかもしれませんね」
「すると、この文化祭の間に急接近する男女が、増えると思わない?」
「!」
ようやく気付いたようだ。やれやれ。岩崎さんには、この機会に今まであまり話したことなかった異性と仲良くなろう、とかって言う気持ちはないのだろうか。普通はあると思うんだけどな。ちなみにあたしは普通じゃないから、そんな気持ちになっていないけど。
「今岩崎さんが目を話している隙に、可愛い誰かといい関係になっているかもよ」
「それは日向さんのことではないのですか?」
おっと、そう来るとは思わなかったぜ。
「だからあたしはないって!とにかく、早く仲直りしなさいよ。いいね」
あたしは口うるさい母親みたいな感じで岩崎さんに忠告した。
「はい。心配していただいてありがとうございます」
どうやら先ほどのセリフが冗談だったようだ。もういい加減に止めてもらいたいね、その手の話題は。何というか、心臓に悪い。しかし岩崎さんも冗談を言うことがあるんだな。ま、そっちのほうが楽しくていいけどね。楽しい冗談は大歓迎だ。ただ、成瀬とのうわさはもうこりごりだけど。
「そういえば、今からどこへ行くんですか?」
ああ、そういえば、何となく歩き出してしまって、お互いがどこへ行くのか確認していなかったな。
「あたしは五組だよ」
「え?もしかして、日向さんも真嶋さんに呼び出されたのですか?」
「え?」
日向さんも、というからには岩崎さんも呼び出しを食らったのだろう。まさか岩崎さんも呼ばれるとは……。あたしの頭に一つあまりよくない予感がよぎる。やはり勘違いされているようだ。もうこの手の話題はこりごりだといったばかりだというのに。
「まさか日向さんも呼ばれているとは思いませんでしたね。何でもお話があるとかおっしゃっていましたけど」
「お話、ねえ」
とてもじゃないが、楽しい気持ちになれないね。ま、一応行きますけど。とりあえず五組だな。あたしの勘が外れていればいいけど。
さて。五組にたどり着いたあたしたちは、とりあえずドアを開けて中に入った。完全に日は傾き、窓の外は夜の帳が下りていた。まだ六時前だが、教室の中は電気をつけなければ何も見えない状態だ。
「お待たせしました、真嶋さん」
あたしたちを呼んだ真嶋さんは、すでに教室に来ていた。何やら緊張した面持ち。普段を知らないあたしだったが、確実に普段の様子ではないことを感じ取っていた。
「わざわざ来てくれてありがとう。文化祭の準備で忙しいのにごめんね」
あたしは真嶋さんのことはよく知らないが、彼女も礼儀を知っている人であるらしい。ちゃんと呼び出しに応じてくれたことに感謝し、時間を割いてくれたことに対して詫びの言葉を述べた。ふむ、本当にいい人みたいだな。仲良くなりたかった。しかし、もう難しいだろうな。
「いえ、他でもない真嶋さんからの呼び出しですから。それで、お話って一体なんですか?呼び出したのはそれも私と日向さんだけのようですが」
若干心配そうな表情の岩崎さん。対して、真剣そのもの、といった感じで真顔を貫いている真嶋さん。傍から見たら、結構面白そうな状況だ。ただし無関係だったら、ね。
「あたし、ようやく気付いたことがあったの。二人には話しておきたくて」
言って、真嶋さんはあたしと岩崎さんに目を向けた。いつか見た自信なさそうな彼女とは別人だ。もう視線をはずしたりしなかった。むしろあたしが目を背けそうになった。どうやら彼女は本気であるらしい。
「何でしょう?」
岩崎さんの疑問の言葉がゴーサインだったらしい。真嶋さんは一つ深く息を吸い込むと、若干のためを作り、その言葉を口にした。
「あたし、成瀬のことが好き」
「え……。えぇえええ?」
とうとう来ましたよ、この人。宣戦布告ってやつですか?なかなか出来ることじゃない。あたしはともかく、岩崎さんとは仲いいみたいだし、友情にひびが入るとは考えなかったのか。いや、友情にヒビを入れたくなかったから、前もって言っておこうと思ったのか。どちらにしても言えることがある。あたしは関係ないぞ。
「いきなりごめん。でも何となく隠しておきたくなくて。二人には言っておきたかったの」
本当に礼儀正しくて真面目な人だな。普通はこんなことしないぞ。黙って掠め取るか、黙って譲るか。普通はこの二択だろう。きっと性格なんだろうね。
「今まで気付かなかったけど、ううん、気付いていたけど認めたくなかったんだと思う。でも今回のことで実感した。あたし、成瀬が日向さんのことを信頼しているって解ったとき、すごく嫉妬した。でも、同時に成瀬が信頼している理由も解った。だって日向さんすごく美人だし、頭もよくてスポーツ万能だし。勘もよくて、成瀬の考えている事も解って」
何でこんなことになってしまったんだろうか。一つだけ解るのは、全部成瀬のせいだって言うことだ。いつもは褒め言葉を素直に受け取るあたしだけど、今日に限っては遠慮したくなったね。
「そこで思ったんだ。あたしは何をやっているんだろう、って」
成瀬が日向さんを~のくだりは置いといて、自分を騙していることに嫌気が差したんだな。それと同時に自分にとって何が大切なのか、気付いたんだ。そういう人は格好がいい。努力家は見ていて、応援したくなる。ただ、一体どこで間違っちゃったんだろうね。なぜだかあたしもライバル設定だよ。
「これからは、二人に負けないように頑張るから」
今まで黙って聞いていた岩崎さんだったが、
「わ、私だってもっと努力します。負けませんから!」
いいなあ。二人とも青春しているな。恋敵でありながら、こうして友情でも結ばれている。まさに好敵手と書いてライバルだな。これを青春と呼ばずして、何と呼ぼうか!
「何ニヤニヤしているんですか!日向さんの番ですよ」
「は?」
百歩譲ってニヤニヤしていたことは認めるが、あたしの番って何が?どういう意味?
「こうして私たちが啖呵を切っているんですから、日向さんも何か言って下さい」
そのルールがよく解らないんだけど、この際だ。言いたいことを言わせてもらおう。
「何度も言うけど、あたしは成瀬に対して友情以上の感情を抱いたことはないよ」
本当に何度も言っているぞ。もう君たちも耳タコだろうに。これでいい加減最後にしてもらいたいと思っていたのだが、
「でも、成瀬は日向さんのこと好きかも」
おいおい、これ以上あおるのは止めてもらえないか。君たちはどうしても三つ巴にしたいのか?
「ということは、現状トップは日向さんということになりますね」
「トップという言葉は好きだけど、今は嬉しくないな」
「そういう余裕の発言も、これからは二度と出来ないようにしてあげるから」
ここで初めて真嶋さんがあたしに向かって笑顔を見せた。嬉しいような悲しいような。せめてこんな状況じゃなかったらよかったのに。複雑な状況の真っ只中にいるあたしは、すごく微妙な笑顔を返した。
「とりあえず冷静になろう。で、あたしの話を少しは聞いてくれ」
「そうですね。我々がいがみ合っても仕方がありません。確かに我々はライバルですが、一番の敵はある意味成瀬さんですからね」
だからあたしの話を聞けって。
「そうだね。とりあえず成瀬を何とかしないとね」
「はい。これからは三人で切磋琢磨して、それぞれが思い描く理想の女性になりましょう」
なぜだか一致団結した二人は、『えいえいおー』と気合の入った雄たけびを上げた。もう好きにしてくれ。
「じゃあこの後は前哨戦と行きましょうか」
ぜ、前哨戦?
「そうだね。あたしも賛成!」
「ちょっと待って。前哨戦って何やるの?」
「そうですね。パジャマパーティーですかね」
「うん」
何だ、夜通しデスマッチでもやるのかと思ったよ。
「真嶋さんのおうちは平気ですか?」
「うん。まだ解んないけど、たぶん大丈夫」
「それでは一回家に帰って、また再集合するということで」
「そうだね」
なんだかさっぱり解らないうちに、決まってしまったらしい。正直これ以上成瀬争奪戦に巻き込まれるのは勘弁してほしかったけど、なぜだか二人がとても楽しそうだったので、最初は本気で苦笑していたあたしだったけど、後半は心から笑うことが出来ていた。ま、ぶっちゃけ自棄になっていたところもあると思う。それでも楽しかったことに変わりはないし、実はこういう感じで友達の家に泊まるのは初めての経験だったので、楽しみでもあった。
その日の夜は期待通り、とても楽しいパーティーだった。楽しかったのだが、
「やっぱり日向さんを目標に努力するのが一番の近道なのではないでしょうか?」
「でもそれってハードル高すぎないかな」
「ですが、相手は成瀬さんですし、これくらいハードルは高く設定しておかないと、難しいのではないでしょうか」
「うーん」
これではあたしが全く会話に参加できない。これがガールズトークというものなのだとしたら、あたしはガールズトークが少し苦手かもしれない。