Part.21 side-N
さて。部室棟から移動して、向かった先は軽音部の活動拠点、第三音楽室だ。俺は軽音部の活動場所など全く知りえなかったのだが、それに関しては真嶋が情報を持っていた。ま、当然と言えば当然だな。
「軽音部に、何人か友達がいるの。じゃなかったらあたしも知らなかったと思う」
そう言われてみればそうかもしれないな。うちの学校にTCCなる部活が存在していることを知っている生徒はそこそこいると思うが、活動拠点がどこなのか答えることが出来る生徒が何人いることか。俺以外の連中はある程度人望はあるが、かといって部室の場所まで教えているとは限らない。何が言いたいのかというと、興味を持って調べたり聞いてみたりしない限り、活動拠点の場所なんて知らないということだ。
「長谷川から聞いたかもしれないけど、軽音部って今まであまり人数がいなくて、部室らしい部室をもらえなかったんだけど、あたしたちの学年が結構入ったから、去年から第三音楽室に移動したらしいよ」
そんなこと知っているはずがない。俺はそこまで長谷川と仲良くないぞ。ちなみに興味もない。長谷川にも、軽音部にもな。
「最近では頻繁に校内でライブとかやっているし、今年の文化祭で盛り上がれば、来年の新入生もたくさん入るかもね」
「今何人くらいいるんだ?」
興味ないが、一応返事くらいしておこうと思い、ある程度まともな言葉を口にする。すると、
「詳しくは知らないけど、二十弱くらいいるらしいよ。もう三年生はほとんど引退しちゃっているのに、そんなにいるのって珍しいよね」
予想以上に多い答えが返ってきた。二つの意味で。
さっきからこいつ、何を一人で喋り捲っているのだろうか。俺の知っている真嶋はこんなにおしゃべりじゃない。それは今までのことを考えればおのずと理解できるはずだ。特に二人きりのときは、本当に口を利かない。なのに、なぜこんなに一生懸命はなしかけてくるのだろうか。答えは一つだろう。
「日向のことなら、気にする必要はないぞ」
「え?」
要するに、日向を蔑ろにしてしまったことを気にしているのだ。いい意味でも悪い意味でも。
「判断したのも俺だし、悪いのも俺だ。あんたが気にすることじゃないぞ」
「で、でも大した理由もなく無理を言っちゃったのはあたしだし……」
それに関しては大いに反省してもらいたいね。ま、結果的に俺とてこうして出てきているわけだし、助かったと思わなくもないので、俺は何も言わない。それに、日向はそんなに度量の小さいやつじゃない。確かに不機嫌にはなっていたが、これくらいのことで本気で怒るとは思えない。今の真嶋の態度を伝えておけば、何ら問題ないだろう。
「あんたの気持ちは解った。日向のほうは俺に任せておけ」
任せておけ、と言ってものの、大して何か一生懸命やるつもりはない。とても申し訳なさそうにしていた、と伝えてやるだけだ。しかし、真嶋は、
「あ、あたしの気持ちって?解ったって何が?」
興味津々といった感じで、かなり前のめりになってきた。この態度に、俺の自信は一気に減少した。
「え?日向に対して、申し訳ないって思っていることだろ?」
半疑問で返したこのセリフに対して、真嶋は、
「あ、あぁそうだね。うん、伝えておいて」
あからさまに、そうじゃねえだろ、と言いたそうな雰囲気で適当に会話を終わらせた。その後についた盛大なため息が、なんだかとてもがっかりした様子に見え、どうやら俺は何かを間違ってしまったらしい。一応肯定されてしまったので、これ以上蒸し返すのもおかしい。結局二人して黙り込んだまま第三音楽室へと向かった。
たどり着いた先は、今まで一度も足を踏み入れたことのない場所だった。俺は視線を上げ、教室プレートを見る。第三音楽室と書いてある。どうやらここで間違いないらしい。ようやく目的地にたどり着いた。お互い無言だったため、やたら長く感じたが、その気まずい雰囲気もこれ一旦終了である。疲れた。
俺はドアの前に立ち、手をかざす。ここまで先導してきた真嶋は、なぜか俺の背中にいる。ここからは俺が前を歩かなければいけないらしい。俺はため息を一つつくと、一応ノックをする。
「…………」
返事はない。おそらく聞こえていないのだろう。考えてみれば当たり前だ。中からは盛大にギターやらドラムやらの音が漏れ聞こえてくる。小さなノック音など聞こえるはずもない。開き直った俺は、そのままドアを開けることにした。
「…………」
ドアを開けると、そこはちょっとしたライブ会場だった。軽快な鍵盤。力強いギター。腹のそこに響くドラム。そして、中心にいるのがボーカル。その歌声は、声ではなく音楽だ。周りの楽器と何ら変わりない。バンドという形態の合奏に溶け込む一つの楽器そのものだ。音楽に対して明るいわけではないが、いいものと悪いものくらいは解るつもりだ。そこに広がる空間は紛れもなくいいもの。
俺とて音楽くらいは聴く。ポップスもジャズもクラシックも聴く。しかし、全てプロの奏でるものだ。聴いたことのない素人の演奏を、心のどこかでバカにしていたのかもしれない。どうせ素人の演奏だろう、と。だが、そんな悪い先入観も、今日で終わるだろう。それほど驚きの瞬間だった。さらに驚いたのが、そのバンドの中心で歌っているのが長谷川だったことだ。あいつ、真面目にやっていたんだな。聴いた話ではギター担当だったと思うが、ボーカルも中々のものだ。
演奏が終わるまでとても話しかけられるような雰囲気ではなかったため、俺と真嶋はとりあえずドアを閉めると、その場で演奏を聴いていた。ただ立ち尽くしていただけだが、退屈ではなかったね。十分娯楽として聴くことができる演奏だった。真嶋もそう感じていたらしく、一切口を開かず、食い入るようにステージを見つめていた。じっくり観察していたわけではないので、確かではないが、今にも手拍子をしそうな雰囲気だった。いや、もしかしたら小さくリズムを取っていたかもしれないな。
しばらくして演奏が終わる。おそらく俺たちの存在に気付いていないであろう長谷川に向けて拍手をしてやる。つられたように真嶋も手を叩いた。
「おや、お二人さん。いつからいたんだ?」
「ほんの五分前くらいだ」
「そうか。全く気付かなかったよ。悪かったな」
「いや、気にするな。おかげでいい演奏が聴けた」
俺の言葉がよほど信じられなかったのだろう。一瞬目を見開くと、
「お前に褒められるとは思わなかったよ。念のため聴くけど、本当だよな?」
「ああ」
俺はどこへ言ってもこういう扱いらしい。それほど冗談を言ったことはないのだが、イメージってことか?嫌なイメージだな。
「真嶋さんはどうだった?」
「うん!よかったよ」
真嶋も同じ意見を言ったのだが、
「ほんと?ありがとう」
と素直に受け取っていた。度し難いな。
「で、何しに来たの?」
ようやく本題に入った。
「あ、えっと……」
真嶋がなぜだか躊躇う様子を見せる。さっきの会話シーンを見ている限り、苦手意識を抱いているとは到底思えないのだが、まあ本人がそう言うんだ。苦手なのだろう。変わりに答えてやろう。
「宿題を受け取りに来たんだ。星座の原稿、持っているか?」
「あー、それか。ごめん、忘れていたよ。ちょっと待っててくれ」
自分のかばんを取りに、俺たちの目の前から離れる長谷川。さっきまで見ていた情景が嘘のようだ。どう見てもただの間抜けに見える。いや、ただの間抜けが本当の姿だろう。先ほど俺が見ていたのは仮の姿。
それにしても、と思う。仮の姿とは言え、あそこまで他人を魅せることが出来るのは、本物と言わざるを得ないのではないか。ま、所詮長谷川であり、長谷川の非凡なところを見たところで、俺の、あいつに対する評価が若干変化するだけでどうってことないのだが、なぜか俺はとても気になっていた。少しだけ思いつきそうになっている。あともう少しだ。あともう少しで閃きそうなのだが、何かが引っかかってなかなか出てこない。
「な、成瀬?」
真嶋に声をかけられ、俺ははっとした。
「何だ?」
「えっと、何って言われると困るんだけど……。どうかしたの?すごく怖い顔していたけど……」
そんなつもりは全くないのだが、どうやら真剣になってしまっていたようだ。
「何でもない。少し考え事をしていただけだ」
「そ、そう」
しかし、少し真剣に考え事をしていただけなのに、すごく怖い顔、と言われてしまった。しかも、そこそこ親しいクラスメートに。俺ってそんな風に見られていたのか。真嶋でこの評価だ。ほとんど話したことのないクラスメートだったら、激怒している、と思われていたかもしれないな。困ったものだな。
俺が自分に向かってため息をついていると、長谷川が原稿を持ってやってきた。
「はい。遅くなってごめんね」
「うん。大丈夫。だけど、今度からは気をつけて」
「あ、もしかして怒っている?」
「怒ってないけど」
という真嶋と長谷川の会話を最後に、俺たちは第三音楽室を後にした。
「このあと、何かやるのか?」
俺は真嶋に問いかけた。
「え?何かって?」
「用事。長谷川へのお使い以外に何かあるのか?」
俺が呼び出された理由は長谷川の原稿回収だったはず。だとしたらここでもうお役ごめんで解散していいのだろう。ま、帰るかどうかは別として、一応聞いておく必要があるだろう。
「えっと……」
言って、真嶋はあたりをキョロキョロし始めた。かなり挙動不審である。その仕草は、何かを探しているようでもあり、言いたいことはあるのだが、言うべきか迷っているようでもあった。
しばらく歩きながら返事を待っていたのだが、そこで俺はあることを思い出した。
「とりあえず部室に来ないか?」
「えぇ?」
先ほど真嶋は軽音部に何人か友達がいると言っていた。これは俺にとってかなり重要な情報である。俺は当然軽音部に知り合いはいない。今は岩崎もいない。情報を集めるには絶好のチャンスである。
しかし、対する真嶋はかなり逡巡している様子。こりゃダメか?
「もちろんあんたが忙しいなら無理強いはしないが」
俺は断る言葉を探していると踏んで、俺なりに断りやすい状況を演出してみた。ダメなら別の日でも人でも探せばいい。焦るべきところではない。しかし、真嶋は、
「忙しくない。行く!」
と今まで迷っていたのが嘘のように、即決した。しかも俺の予想とは真逆の方向に。理解しがたいのだが、俺としてはありがたい。
「そうか。あんたと話がしたかったんだ。助かる」
「え?あ、あたしと話がしたかった?」
俺の言葉に真嶋が強烈に反応した。何だ?俺はただ礼を言っただけなのだが。何かおかしなことを言っただろうか?
「ああ。何かまずいのか?」
「ううん!全然まずくない!」
挙動不審である。何となく、違和感を覚えるのだが、
「あ、あたしも成瀬と話したかったから!」
ここまで言っているのだ。どうやら俺が気を遣わせてしまっているらしい。どうやら真嶋も慣れていないことをしているのだろう。俺は深く突っ込まずに、とりあえず部室を目指した。
部室に到着した俺たちは、とりあえずイスに座って一息ついた。やれやれ。ほんの三十分ほどで帰ってこれた。全く、一人で行ってくれればよかったのに。面倒なことをしてくれたもんだ。俺は真嶋のほうを見た。すると、真嶋も俺のほうを窺っていたようで、ばっちり目が合った。慌てて目線をそらす真嶋。本当に変な奴だ。ま、俺とて利益がなかったわけでもない。真嶋がここに来てくれて、助かったと言えば、助かったのだ。愚痴を言うのはやめておこう。ん?そういえば、
「長谷川って楽器担当じゃなかったか?確かギターとか自分で言っていたような」
「あー、何かメンバー足りなかったらしいよ。それで他のメンバーに推されて仕方なくやっているんだって」
そっぽを向いて、自分の髪を撫で付けながら真嶋が教えてくれた。
「へえ」
としか言いようがなかった。部内でもメンバー争いみたいなものがあるのか。争奪戦に破れた、ということか?ボーカル専門のやつがいるんだが、そいつは別のグループに行ってしまったと。つまり、あいつよりレベルの高いボーカルがいるのか。少々信じがたい事実だな。
「今年の軽音部はレベルが結構高かったんだな。知らなかった」
俺は誰に言うでもなく、ひとりごちた。すると、
「そうでもないみたいだよ。大きい大会に出たりっていうことは今年はまだ一度もないみたいだし」
答えてくれはしたが、相変わらずどこを見ているのか。とりあえず俺のほうは見ない。こいつ、話聴いているのかいないのか、さっぱり解らないな。
それにしても真嶋の話、本当なのだろうか。今年はまだ一度も大きな大会に出ていない?にわかに信じられないな。あれほどの実力がありながら、大会に出ていないのか。それほどまでに日本の高校生バンドはレベルが高いのか。俺が思案にふけっていると、
「でも一度だけ、前に表彰されたことがあったんだって。去年の話で、優勝とか金賞とかじゃなくて特別賞だったみたいだけど」
ほう。それでも十分すごいじゃないか。去年か。ということは今の三年か。それとも卒業したその上の学年か。当時は今よりさらにレベルが高かったと言うことか。
「そのときのメンバーは一人もいないのか?」
「ほとんど卒業しちゃったみたい。今いるのは一人だけ」
真嶋はなぜか言葉を曇らせた。なぜだろうか。
「いるのか?」
「うん。でも、それが……」
何を出し惜しみしているのだろう。さっさと言ってくれ。
「それが、当時一年で、入ったばかりの長谷川だって。しかも、ボーカルで」
「何?」
ボーカルだって?
「長谷川は楽器担当じゃなかったのか?」
「そのときは楽器うまくなかったんだって。でも当時から歌はうまかったから、ボーカルとしてメンバー入りしていたみたい。一年だったにもかかわらず、誰も反対する人がいなかった。それくらいみんな長谷川の歌を絶賛していたらしいの」
なのに、今は楽器なのか。喉をおかしくしたわけではあるまい。なら、なぜ?
「あたしも聞いた話だし、そのときは長谷川の事知らなかったし、あまり興味なかったからほとんど覚えてないの」
「いや、十分だ」
興味ないのは当然だ。思った以上の情報を仕入れることが出来た。あとは直接本人に聞けばいいだろう。それに、少し考える時間がほしい。何か、あと少しで閃きそうなんだ。
長谷川はあれほどの実力を持っていながら、楽器担当になっていて、今はメンバーが足りていないから仕方なくやっていると。すると、軽音部に長谷川以上のボーカリストがいるはずなんだ。その辺りを探る必要があるな。真嶋はこれ以上覚えていないという。真嶋からその友達とやらに探りを入れてもらうか?いや、真嶋は文化祭のほうでいろいろ忙しいだろう。リーダーなどという下らない役にも必要以上に熱心になっている。真嶋にはお願いしないほうがいいだろう。こいつは真面目すぎる。俺は決心したのだが、
「成瀬、長谷川の相談について考えているの?」
なぜか俺の考えていることが見透かされてしまった。解らん。俺はそれほど解りやすい性格なのだろうか。
「まあな」
俺が曖昧に答えると、真嶋は身を乗り出して、
「あたしにも手伝わせて」
と真剣な様子で顔を近づけてきた。こうなる運命なのだろうか。いや、運命なんてくそ食らえだ。断るだけだ。お前は文化祭に集中しろと言えば、あっさり引いてくれるだろう。
「お願い」
しかし俺が何か言う前に、真嶋は念押しをしてきた。何だ、こいつは。一体どうした?さっき日向のときといい、今といい、何でこんなに積極的なんだ。しかもいろんなことに。てっきり文化祭に真剣なのかと思ったら、今度は長谷川の悩み事か。あいつのことは苦手だと言っていたが、どういうつもりなのだろうか。
「成瀬!」
俺が悩んだのは一瞬だった。こんなに真剣になっている。積極的になっているんだ。そのやる気を削ぐほどの理由は、俺にはない。断る理由はいくつかあるが、今となっては齢理由だ。
「解った。頼む」
「ほんと?ありがとう!」
なぜだか真嶋は感極まった様子で礼を言ってきた。俺の手を取って握ってくる。礼を言うのは、俺のほうだぜ。それに、まだ何もしていない。その言葉は二重の意味で今言う言葉じゃない。ま、それはいいとして、この握られた手はどうしたらいいのだろうか。威容に顔が近いのも、少し圧迫感を感じる。しかし、目の前の真嶋は何がそんなに嬉しいのか、やたらきれいな笑顔を見せているため、俺としてはどうする事も出来ない。さて、何をするのが最良の選択なのだろうか。
悩むこと数秒。いくつか頭の中に浮かんだ選択肢は全て使うことなく、廃棄されることになった。
しばらく嬉しそうに俺の手を握っていた真嶋が、不意に我に帰った。
「あっ!」
慌てた様子で俺の手を話した真嶋。何となく汚物を投げ捨てたような雰囲気だった。勝手に握られて、失礼な感じで放り投げられた哀れな自分の手を見つめる。これはさすがに理不尽すぎるだろう。俺の手が何をしたと言うんだ。
「あ、い、今のは何でもないんだからね!」
俺の悲しい思いなどお構いなしに、勝手に慌てふためく真嶋。何でもないってどういうことだよ。何でもないのに、俺の手を投げ捨てたのか。
「解ったから落ち着け」
何も解ってないのだが、こう言わないと話が進まない。とりあえず、イスに座れ。
「まあいい。今日はもう帰ろう。どうせする事もないし、たまには日が沈む前に帰っても罰は当たらないだろう」
「え?で、でも……」
「何だ?」
真嶋は俯いて、黙り込む。何だろうと、俺も黙って真嶋の言葉を待つ。すると、
「話がしたいって言ったの、そっちじゃん」
何やらぼそぼそ呟いた。机をはさんで正面に座っているのに、うまく聞き取れないような声で。
「何だ?言いたいことがあるならはっきり言え」
「な、何でもないわよ!成瀬のバカ!」
バカと言われることに慣れているが、ここで黙っていては負けた気分になる。俺だって自尊心くらいはあるのだ。一言ぐらい言い返してやろうという気概くらいは持ち合わせている。
「どんな話がしたいんだ?」
俺の言葉を聞いて、真嶋は口をあんぐりさせて硬直した。うまく聞き取れはしなかったが、人間は持っている情報から推測することが出来るんだ。さっき真嶋はそんなことを言っていたし、細部まで聞き取ることができなかったが、俺は真嶋のセリフを理解することが出来ていた。
真嶋は口をパクパクさせたまま、顔を真っ赤にしていた。まるで金魚だな。
「ま、ここに呼んだのは俺だ。たまには俺から話題を振ってやろう」
結局その日も日が落ちるまで部室にいたのだった。