Part.17 side-Y
10月7日(月)
週明けの月曜日。本番まで二週間になったのだが、あたしは練習をせずにTCCの部室に来ていた。理由はもちろん例の権利書の盗難の件だ。こいつら、間違いなく関わっている。実行犯かどうか解らないが、何か知っているのは間違いないだろう。手当たり次第に容疑者を当たるより、絶対にこっちのほうが効率はいいはずだ。
そう考えて、あたしは放課後になった瞬間からTCCの部室に来ていたのだが、成瀬の反応は薄い。あたしがいろいろ言っても、興味ない、関係ないと切って捨てる。なぜか他の二人は、当事者じゃないように振る舞い、あたしと成瀬のやり取りを、一方は楽しそうに、また一方は無関心に、遠巻きから傍観していた。こりゃどういう状況だ?TCC全員が関わっているわけじゃないのか?
しかし、進展ないな。成瀬に言葉を投げかけても、一切の興味を見せない。動揺も見せない。どうあっても揺さぶりをかけることが出来ない。解ってはいたが、どうにも強敵みたいだな。こりゃ、作戦を変更するしかない。
と思った矢先、唐突に変化が訪れた。
バタン!
この音は、もちろんノックの音ではない。蹴破られたのかと思うくらい大きな音を立てて、ドアが開いたのだ。ドアを開けた人物は、
「成瀬!」
金曜日に出会った真嶋綾香という名の少女だった。何で彼女がここに来るんだ?あたしの情報によると、部員ではなかったはずなのだが。いや、それより何事だろうか。迫力が尋常じゃない。何かあったのか?
「あのメモ書き、一体どういうことよ!」
どうやら成瀬との間にいざこざがあったらしい。成瀬にも心当たりがあるようだ。状況がつかめないあたしは、黙ってみているしか出来ない。
「部室に来てほしくないなら、直接言えばいいじゃない!あんなメモ書きで、しかも殴り書きで……。ちゃんと説明して!」
おいおい。穏やかじゃないな。部室に来てほしくない?メモ書き?要するに、成瀬が真嶋さんを拒絶したのか。それで、真嶋さんが理由を問いに来たのだな。ははぁ、これが世に言う修羅場というやつか。
「解った。ちゃんと説明するから、場所を変えよう」
「誤魔化そうたって、そうはいかないんだから!」
これにはさすがの成瀬も動揺を禁じえないようで、焦っている。あらあら、真嶋さん、涙ぐんでいるじゃないか。こりゃ、とんでもないシーンに出くわしちゃったな。あとで、岩崎さんに報告しようかな。いや、軽々しく言えるような状況じゃないな。岩崎さんも爆発してしまうかもしれない。
「誤魔化さないでちゃんと説明するから。とりあえずここを出よう」
半ば押し出すような感じで、部室から出て行く二人。ドアを閉める直前、成瀬が振り返り、
「騒がせたな。悪いが、ちょっと出てくる」
「ああ。ごゆっくり」
楽しそうに手を振る麻生。あんたは本当に楽しそうだな。確かに成瀬があれだけ慌てるのは珍しいかもしれないが、真嶋さんからしたら全く楽しくないだろうよ。ちょっとは自重したらどうだ。
「麻生」
「何だ?」
「あんまりしゃべりすぎるなよ。お前はすぐ口を滑らすからな」
「了解。気をつけますよ」
とても気になる言葉を言い残し、成瀬は部室から出て行った。やはり何かあるようだ。その何か、が今の状況のことなのか、事件のことなのか。どちらのことを指しているのか解らないが、要するに麻生は、釘を刺しておかないと口を滑らせてしまう男だということだろ?ならば、滑らせてもらおうか。あたしがまず最初に聞くことは決まっていた。
「今のは何の余興?」
残念ながら、好奇心のほうが上回ってしまった。成瀬があんな状態になるんだ。よほど面白いことになっているみたいだぞ。
「さあね。でもきっと面白いことになっていると思うぜ」
やはりこいつ楽しんでいるな。
「どうせ配慮の欠けた行動でも取ったんでしょ」
一方泉は冷め切った反応を見せる。でも言っていることは当たっているような気がするね。成瀬は乙女心を理解できなさそうだし。
「真嶋さん泣いてたね。よっぽどひどいことしたんじゃないの?」
「いや、ただの誤解でしょ」
あたしは、おや?と思った。あれだけニヤニヤしていた麻生が、誤解だと言い切った。
「何でそう思うの?その心は?」
「あいつは優しいやつだからね。無意味に人を傷つけるようなことは言わないさ」
へえ。面白がってはいるが、成瀬のことは信頼しているらしい。誤解だと言い切ったくせに、面白い展開にならないかと期待しているのか。こいつ、どういう性格しているんだ。嫌なやつなのだろうか。それとも相手が成瀬だからなのだろうか。しかし、
「無意味に人を傷つけるようなことは言わない、ねえ」
これは先日の事件に当てはまるのではないか。麻生の言っていることをまるっと信じると、先日の会議での成瀬の発言はやはり意図的に代表者たちを挑発した、ということになる。ふむ。麻生には、もう少ししゃべってもらおうかな。
「部室に来ないでほしい、とか言っていたけど、それは真嶋さんのためを思っての発言ってこと?」
「間違いないね」
「ふーん。じゃあもし成瀬が、相手を傷つけるような発言をした場合、それには裏があると考えていいわけね」
麻生は間違いなく事実を知っている。この質問にイエスと答えるようならば、先日の成瀬の態度は、何か裏があると思っていいだろう。あたしは無意識に力を入れていた。麻生が口を開く。果たして、答えは……。
「あいつはそんな善人じゃないわ。もし麻生の言うことが正しいのなら、何であいつには友達がいないのかしら?悪いけど、私には、あいつが相手の気持ちを考えて発言しているとは到底思えないわ」
先に口を開いたのは、泉だった。しかも内容は先輩云々を抜きにしても、ひどいダメ出しだった。うーん、言われてみればそうだな。岩崎さんの愚痴を聞いていると、確かに気持ちを考えた発言とは言いがたいものも、結構多い。
「あー、そう言われると、そんな気がしてきたな」
麻生も軽々自分の意見を覆した。もしかしてこいつ、全くの無根拠だったのか?こいつもその場のノリだけで、行き当たりばったりな発言をするやつなのか?今思えば、何となく七海と似た空気をかもし出している。あー、何だよ。真面目に考えちゃったじゃないか。ちくしょう。今のやり取りで、あたしの作戦は一気に台無しになってしまった。
「ま、どっちにしろ面白くなっていることには変わりないな」
「ちっとも面白くないわ。真嶋先輩がかわいそう」
あたしの気落ちした様子など、全く気にせずに会話を続ける二人。しかし、今まで全然興味を持たなかった泉がいきなり食いついてきたな。それほど成瀬善人説を否定したかったのか。
「…………」
いや、待てよ。もしあの瞬間に泉が何も言わなかったら、どうなっていた?もしかして、あれは麻生に対するけん制だったのではないだろうか。考えてみれば、あたしが問いかけた相手は、完全に麻生だった。しかし、その麻生に先んじて泉が答えた。他人に向けた質問に対して、割り込んでくるような性格には見えない。そんなに我が強いタイプに見えない。麻生が口を滑らせる前に、先手を打ったと考えたほうが普通じゃないだろうか。
いや、さすがに考えすぎか?確かにやや不自然な入り方だったけど、あからさまにおかしいかと言われると、そうでもない。内容も本心っぽいし、彼女は元々成瀬を嫌っている節がある。加えて、その後の麻生の発言も、麻生らしい発言だった。あたしが麻生に対して、その場のノリで生きているタイプだと感じたのも事実だ。
「…………」
どっちにしろ、あたしの作戦が失敗に終わったのは間違いない。一瞬仮説が立ちそうになったのだが、泉の一言で完全に煙に撒かれた。成瀬がいなくなって、チャンスだと思ったが、結局何一つ掴んでいない。くそ、なかなか手ごわいな、TCC。この様子だと、成瀬以外の連中にも注意が必要だな。本当に厄介な相手を敵に回してしまったな。
それから三十分。ようやく成瀬と真嶋さんが戻ってきた。結構長かったな。何をしていたのか知らないが、成瀬には疲れの色が見えた。お疲れ様。
「おかえり」
「ああ」
そっけない返事をよこした成瀬は、やることはやったとばかりに、どっかりイスに腰掛けると、大きく息を吐いた。
「あの、一人で騒いじゃってごめんなさい」
後から入ってきた真嶋さんが、腰を折り、丁寧に謝罪をした。礼儀正しい人だな。それとも今になって騒いでしまったことに対して恥ずかしさがこみ上げてきたのかもしれない。後者のほうが正しそうだな。その証拠に、真嶋さんは顔を真っ赤にさせている。
「全く気にしてないぜ」
「そうね。真嶋先輩は悪くないわ」
二人とも真嶋さんに優しい言葉を返す。どうにも成瀬の扱いが悪いようだが、これは仕様なのだろうか。
「あたしも気にしてないよ。成瀬を相手にすると気苦労が増えることは、あたしも知っているから」
言ってから気付いた。あー、あたしはまたやってしまったようだ。真嶋さんは目ざとく反応し、軽く睨みつけてくる。不機嫌そうな表情だ。
「聞き捨てならないな。俺だって、あんたと知り合ってから数多くの面倒ごとに巻き込まれているぞ」
うるさいぞ、成瀬。墓穴を掘るようなことを言うな。あたしは成瀬を無視して、
「まだ名乗ってなかったよね。あたし、日向ゆかり。二年一組」
「あたしは真嶋綾香。よろしく」
「よろしく」
何となくそっけない感じだったけど、これで一応知り合いだ。あたしはこの大きな一歩に対して喜びを感じていたのだが、対する真嶋さんは全く違うことに興味を持っていた。曰く、
「あの、それで日向さんは、成瀬……TCCとはどういう関係なの?」
成瀬からTCCに言い換えたけど、彼女が言いたいことは完全に解った。手にとるようにはっきり解った。要するにあたしと成瀬はどんな関係なのか、と聞きたいのだろう。本当に解りやすい子だな。隠すことじゃないので、躊躇わず答える。
「真嶋さんと一緒だよ。事件がらみで、TCCに世話になったんだ。まあTCCというより、岩崎さんと成瀬に、だけどね」
「あー、あのときは俺が入院していたしね」
あたしが関わったときのTCCは二人だったのだ。ま、だからなんだと聞かれると困るのだが、要するにあたしはTCCと仲がいいわけではなく、成瀬、岩崎さんと仲がいいのだ。
「何であたしが事件がらみだって知っているの?」
あ、そういえばそうだね。
「俺は言っていないぞ」
「俺も」
「私も」
余計な疑いを掛けられては困るとばかりに、それぞれが自分の無実を口にする。別に誰かに冤罪を吹っかけようなんて考えていないあたしは、あっさり説明を開始する。
「見てて、何となく解るんだよね。真嶋さんって、あたしの友達と似てるんだもん。ま、成瀬って友達少ないし、成瀬と仲いい人って、たいてい事件がらみじゃないかなって思っている部分もあるかも」
ま、真嶋さんの場合、別に根拠があるけど、さすがにこの場では言えないな。
「あー、確かに。こいつって深く付き合わないと、ただの愛想なしだもんな」
相変わらずひどいことを平気で口にするな。一番付き合いの長い麻生が言うんだ。間違いないのかもしれないけど、成瀬はただの愛想なしじゃないということの証明にもなる。
「ということは私もそう見えているってこと?かなりショックだわ」
「あはは。残念だけど、結構解りやすいよ」
泉も口は悪いけど、悪いやつじゃない。成瀬の周りにはいい人が集まる。その時点で、成瀬が悪いやつじゃないといえるような気がするね。
「へえ。その友達って誰?」
真嶋さんが興味深げに呟いた。教えてもいいけど、聞いてどうするんだろう。などと思っていると、あたしに先んじて成瀬が口を開いた。
「今思い出したが、あんたたちには因縁があるんだ」
あんたたちというと、あたしと真嶋さんか。因縁?どんな因縁だ?初耳だぞ。あたしと真嶋さんがこぞって耳を傾ける。
「今日向が言った友達っていうのは、阪中みゆきのことだ。去年の今頃、阪中が巻き込まれたいじめの中心に居たのが、こいつ日向ゆかりだ」
「え?そうだったの?」
成瀬の言葉に驚く真嶋さん。何だ?あたしはさっぱり解らないぞ。
「真嶋は阪中と同じ中学出身なんだ。元気のない中学の友人を見て、心を痛めていたらしいが、阪中自身が助けを拒んでいたせいで、動こうにも動けなかったんだと」
へえ。みゆきの中学の友達か。意外なところで繋がっていたな。
「そういえばあんたには以前言ったな。あんたの事件が尾を引いて、今年の春面倒ごとに巻き込まれたって」
あー、聞いた気がするな。確か、お姉さんの推理小説のときだっけ?
「春の事件っていうと、あの部室荒らしのやつ?」
「真嶋が関わっていたのは別だ。あの事件で関わっていたのは、姫のほうだ」
最初に解決したのは占い研だっていう話だったな。結局間違いだったみたいだけど、そのとき占い研を取り仕切っていたのは、彼女だったのだ。
「あの話はもう止めて。ちゃんと反省しているんだからもういいでしょ」
成瀬が何か言う前に、なぜか泉が下手に出ている。何かあったんだろうな。結局泉にしても、成瀬との出会いは事件がらみか。ここでは事件が人を引き寄せるみたいだな。
そういえば、
「成瀬さ、最近お姉さんの店に行ったんだって?」
「あぁ、行ったな。最近と言っても一ヶ月ほど前になるが。夏休み中に一度」
思い出した。久々にお姉さんの店に顔を出したら、第一声が成瀬のことだった。お姉さんはあたしより成瀬にお熱らしい。少なからずショックだったよ。あたしのほうが圧倒的に長い付き合いなのに……。
「お姉さん、すごく喜んでいたよ。あたしが引くくらいに」
「そうか?喜ばれるようなことはしていないが。普通にコーヒーといっぱい注文しただけだし」
そういうことを言っているんじゃないよ。あんたが店に来てくれたこと自体が嬉しかったんでしょ。それに、その日は何もしてなかったのかもしれないけど、あんたはお姉さんに対して、とてもいいことをしたよ。あたしが認める。
「それで、誰と行ったの?聞いたところによると、女子と二人だったみたいだけど。岩崎さん?」
あたしとしては岩崎さん以外に考えられなかったのだが、答えは、
「あー、あれは姫と行ったんだ?」
意外すぎる組み合わせだった。
「えっ!」
「ほう」
かなり驚く真嶋さん。面白そうに頷く麻生。
「隅に置けないな、成瀬君」
「ちょっと!変なこと言わないで。あれは岩崎先輩の部屋に行った帰りのことよ。誰のせいでこいつと二人になったと思っているの!」
泉が激しく反論した。こいつ、どこまで成瀬を嫌っているのか、と思って聞いていたのだが、
「あー、あの日か……」
と、さっきまで楽しそうな顔をしていた麻生が、一気に暗くなった。夏休みに何かあったのか?そういえば、岩崎さんも夏休みに何かあったらしい発言をしていたな。どうやらとても楽しくないことがあったようだ。空気が悪くなってしまったので、あたしは無理矢理テンションを上げた。
「とにかく、お姉さんは喜んでいたよ。今度また来て、って言っていたよ。できれば店も手伝って、とか」
「それは勘弁願いたいな」
「お姉さんの中ではすでに、パートタイマー扱いらしいよ」
「あれは状況が状況なだけに、仕方なくやったんだぞ。勝手にバイトにされてたまるか」
「あたしに言わないでよ。お姉さんに直接言って」
「さっきから気になっていたんだけど、」
口を挟んできたのは麻生だ。
「そのお姉さんとやらは誰?」
麻生に突っ込まれて初めて気付いた。そういえば、何も説明してなかったな。
「えっと、あたしの家庭教師をやってくれていた人なんだけど」
「ふーん。で、成瀬とはどんな関係?」
「夏休み前に、お姉さんが家族関係でちょっと悩んでいたんだよ。それに関して、あたしが成瀬にちょいと相談を……」
言ってから、しまった!と思った。あたしはとことん墓穴を掘っているな。
「成瀬に相談、ねぇ」
「こいつは怪しい匂いがしますなぁ」
泉の呟きに、麻生が乗ってしまい、話の方向は不穏な道に。何でこういう方向に持っていくかな。
「道でばったり成瀬に会ったんだよ。だから、ついでにって感じで。特に深い意味はないよ」
「道でばったり?そんな偶然ありえないだろう。お嬢、嘘が下手すぎるぞ」
「嘘じゃないよ!」
マジマジ、大マジだよ。魚屋の前でばったり会ったんだよ。本当だよ。
「成瀬も何とか言え!あたしが言っていることは本当だよな?」
「本当だが、何をそんなに焦っているんだ?」
言われてみればそうだが、あたしが焦っている理由はすぐ目の前にいた。
「あたし、帰る」
すっと立ち上がった真嶋さん。あぁ、またしても誤解されてしまったかもしれない。
「あのさ、真嶋さん。信じてよ、あたしと成瀬はそういう関係じゃないんだよ」
「いいよ。全然気にしてないから」
ものすごく冷静なセリフが返ってきた。その冷たさに驚いた。
真嶋さんは荷物を持つと、そのままドアに向かい、なれた手つきでドアを開けると、
「成瀬のバカ!」
と言って、
バーン!
という大きな音を立てて、ドアを閉めた。そのあとバタバタと廊下を走る足音が聞こえてきた。あーあ、もう完全に敵視されてしまったよ。今日はせっかく自己紹介できたのに。
「あんた、追いかけなくていいの?」
あたしは落ち込みながら、成瀬に話しかけた。先ほどはあんなに焦っていたのに、今は焦るどころか本を手に取り、読み始めた。
「追いかける理由がない」
確かにそうかもしれないけど、いいのか?
「何か、誤解していたっぽいけど」
「誤解くらい、日常茶飯事だろ。大した被害じゃない」
あたしは結構痛いんだけどな。それにしても、こいつ本当に冷たいやつだな。女の子が傷ついた感じで勢いよく出て行ったんだぞ。理由がなくとも、追いかけるのが男じゃないのか?先ほどは面白いくらい動揺していて、こいつにもこういう感情が芽生えたのか、と感心していたのに、どうやら勘違いだったみたいだ。それにしても、ありえないくらい真逆な反応だな。成瀬の言葉をそのまま読み解くと、先ほどは追いかける理由があったということだ。相手はどちらも真嶋さんだったから、相手どうこうという話じゃないとすると、その前の会話がキーになっているのか。今話していたのは、成瀬の女性関係の話。さっきは一体何の話をしていたっけな。