Part.16 side-N
10月7日(月)
週明けの月曜日の放課後。俺はいつもと同じように部室に来ていた。先週の金曜日とは打って変わって、静かな部室に戻っていた。やれやれ。あの日は地獄みたいな一日だったな。これ以上面倒な日が続かなければ、案外幸せだったのかもしれないが、
「何しに来た?」
続かないのが、俺という人間なのだ。運命なんて言葉は、俺の嫌いな言葉ベストスリーに入るのだが、ここまで面倒ごとに巻き込まれていると信じたくもなる。でなければ、俺は呪いにかかっているだろう。
部室には来客がいた。最近は多いな。千客万来と言っても過言ではない。当然嬉しくない。気になるその来客だが、
「何って、調査よ調査。英語で言うと、investigation」
「英語で言わなくても解る」
日向コンツェルンの一人娘。自称スーパー何とかお嬢様の日向ゆかりだった。
この女が調査と称して行っているのは、たちの悪いことにただじっと視線を送ってくるだけの嫌がらせみたいなことだった。止めてもらいたいね。じっと見られていると、何となく監視されているみたいで、作業に集中できない。犯人を捕らえろと言ったのは確かに俺だ。なので一応調査と称しているこいつを追い返すわけにはいかないし、こんなつまらないことで疑われたのではやってられない。事情を知っているだけに、現状を許容するつもりだが、さすがに堪えるな。部室には俺以外に麻生と姫もいるのだが、二人とも傍観者に徹するつもりらしい。やれやれだぜ。
「あんた、今日バンドの練習はないのか?」
「あるけど、成瀬を問い詰めてくる、って言ったら、あたしの分までよろしく、って後押ししてくれた」
「あ、そ」
どうやら俺はずいぶんと嫌われたらしいな。嫌われること自体に否やはないのだが、こうして嫌がらせをされると、さすがに困る。
「ねえ」
俺が話しかけたことで、きっかけを作ってしまったらしい。今まで黙っていた日向が、攻勢に出てきた。
「何だ?」
「本当は犯人知っているんでしょ?」
調査というより、取調べだな。
「知らないと言っているだろう。それに、例え知っていても教えない。あんたたちで、犯人を捕まえろ、と言ったはずだ」
「言っとくけど、今一番の容疑者はあんたなんだよ。黙っていると、不利にしか働かないよ。白状しなさい」
どうやらこいつは、俺が疑わしいと思っているらしい。手荷物検査を行った時点では、容疑者からはずしてくれると言っていたのだが、それに関してはもう撤回されてしまっているらしい。確かに今の時点では、と言っていたが、いくらなんでも早すぎるだろう。大して調査も進んでいない段階で再び容姿者扱いされたのでは、納得がいかない。
「大して不利になるとは思えないな。なくなったのは、ただの紙切れだ。窃盗として立件されるとは考えにくい。学校側も取り合ってくれないだろう」
「そうかもしれないけど、あんた、このままだと村八分になるよ」
それこそどうでもいいね。今までだって似たような状況だったんだ。友人がいないかつ必要としていない俺にとっては、有効な脅しじゃないな。それに、
「言っただろう。俺は忙しいんだ。あんたたちだけで、情報収集をしてくれって。俺は協力しないぞ」
「関係者に取調べをするのは常識でしょう」
犯行を行ったかどうかは置いといて、俺が何か知っていると信じて疑わないらしい。解っていたが、想像以上に厄介な状況になっているらしい。はぁ、もう疲れた。
「取調べにしても、雑すぎるぞ。俺には、現時点でそれほど不利な立場にいるとは思えない。疑っているなら、俺が思わず白状してしまうような証拠を持ってこい。話はそれからだ」
言って、俺は本格的に作業に取り掛かった。金曜日は無理言ってクラスの作業から抜けさせてもらったため、ノルマがたまってしまっているんだ。俺は麻生と違って、コツコツ積み上げていくタイプなんだ。徹夜の作業は絶対にお断りだ。それ以前に家に持ち帰りたくない。この場で終わらせてしまいたいんだ。専門書ってやつはわざと理解しにくい文章で書かれているから、集中しないと理解できないんだよ。
「成瀬、あんた解っているんでしょ?」
邪魔するなと言っているだろう。話しかけてくるなよ。
「あんた今、目の敵にされているよ。これでこのまま文化祭に入ったら、最悪刺されるよ」
「物騒な話だな。勘弁願いたいね」
「冗談じゃないんだけど。何であんな挑発的な態度取ったの?」
「これは事件の取調べだよな?話がずれているような気がするぞ」
「ずれていないよ。少なくともあたしの中では」
俺はため息をついた。どうやら俺の行動全てが疑われているらしいな。
「俺にも少なからず思惑があるんだ」
「その思惑とやらについて、話し合いたいんだけど」
悪いが言えないね。俺は秘密主義者なんだ。自分の考えている内容を、他人にペラペラ話すほど、おしゃべりが好きじゃないんだよ。
「気が向いたら、話してやらんこともないかもしれないな」
「つまり、今話すつもりはないってことね」
俺の中では、一生話すつもりはない。俺の態度に、しばらく鋭い視線を送っていた日向だったが、やがて諦めたようにため息をつくと、
「あんた、このままだと冗談抜きで恨まれるよ。見たでしょ?みんな文化祭に本気で取り組んでいるんだよ。こんなことで今までの努力がふいになったら、かわいそうだと思うでしょ?」
「俺には関係のない話だ」
努力がふいになるなんてよくある話だ。俺のせいにされても困る。
「関係あるし、あんたの周りにも関係あるよ。TCCの評判も下がるよ」
それこそどうでもいいね。俺が無言でコーヒーを口に運んでいると、
「俺たちの評判については、お嬢の双肩にかかっていると思うぜ」
今まで黙って、傍観者を気取っていた麻生が口を挟んできた。
「もしかして、お嬢ってあたしのこと?」
「そう。お嬢が早くこの事件の真相にたどり着いてくれれば、成瀬の悪評も多少は落ち着くと思うぜ」
一理ある。目下問題になっているのは、文化祭だ。日向が犯人を見つければ、少なくとも新設ステージに穴を空けずにすむ。そうなれば犯罪者扱いの糾弾はなくなるだろう。しかし、
「日向先輩が解決しても、こいつの評判は上がらないでしょ。最低な発言をしたのは間違いないんだし、こいつ自身も謝罪や反省なんてしないでしょうし」
続いて口を開いたのは、同じく傍観者だった姫だ。本当に歯に衣着せないな。一応俺も先輩なんだが。なぜ日向は先輩と呼ばれ、俺はこいつ呼ばわりなんだろうか。ま、言っていることは正しい。俺の発言はなくならないわけだからな。犯罪者扱いが、ただの嫌なやつ扱いに変わるだけで、嫌われ者であることに変化はないだろう。自分で自覚している当たり、俺はまだましなほうだろう。いや、悲しいと思うべきなのかもしれないな。
ま、とりあえず、
「あんたには期待している」
まっすぐここに来た時点で、日向は鋭い洞察力を持っていると言える。現状こいつが一番正解に近い位置にいるのだ。
「期待?あんたが、あたしに?」
「ああ。正しく解決してくれ。できれば、みんなが幸せになれるような結末で」
「…………」
日向は、俺の言葉に黙り込んだ。現状では、この言葉が理解できないかもしれないが、ま、いずれ解るときが来る。それに、みんなが幸せになれる結末があるなら、誰だってそれを願うだろう。道程は関係ない。この場合は結末が重要なんだ。結果オーライってやつだ。
さて。ようやく静かになった。これで俺は今度こそ本格的に作業に取り組むことが出来る。もう放課後になってしばらく経つからな。あまり時間も残されていない。集中しなければ。
ここでふと思う。『今度こそ』って言葉、何となくフラグっぽいな。まさか、またしても誰かに妨害されるのではないだろうな。俺は何となく、本当に何となくドアのほうに視線を向けた。すると、
バタン!
この音は、もちろんノックの音ではない。蹴破られたのかと思うくらい大きな音を立てて、ドアが開いたんだ。ドアを開けた人物は、
「成瀬!」
真嶋綾香だった。何でこいつがここに来るんだ?ちゃんと釘を刺しておいたはず。とても嫌な予感がするな。どう見ても真嶋は怒っていた。ご指名は俺のようだし、はて、俺は一体何をやらかしたのだろうか。
「あのメモ書き、一体どういうことよ!」
言われて、ピンと来た。一応アレを見てここに来たらしい。しかし、その解釈だと矛盾しか残らない。どういうことか聞こうと思ったが、
「部室に来てほしくないなら、直接言えばいいじゃない!あんなメモ書きで、しかも殴り書きで……。ちゃんと説明して!」
どうやらそんな悠長なこと言っている場合じゃないらしい。今すぐ場所を移動しないと大変なことになる。
「解った。ちゃんと説明するから、場所を変えよう」
「誤魔化そうたって、そうはいかないんだから!」
これ以上何も言わないでくれ。真嶋が余計なことを口走る前に、一刻も早く部室から退室する必要があった。
「誤魔化さないでちゃんと説明するから。とりあえずここを出よう」
なぜか若干涙ぐんでいる真嶋の背中を押して、半ば無理矢理といった感じで部室から追い出した。
「騒がせたな。悪いが、ちょっと出てくる」
「ああ。ごゆっくり」
楽しそうに手を振る麻生。無関係気取りやがって。お前だって少なからず関わっているんだぞ。そこでわざとらしくため息をついている姫だってな。とりあえず糾弾は後だ。走ってどこかへ行ってしまった真嶋を追いかけるために、部室を後にしようとドアに手をかけて、ふと思う。
「麻生」
「何だ?」
「あんまりしゃべりすぎるなよ。お前はすぐ口を滑らすからな」
「了解。気をつけますよ」
いまいち信用できないが、これ以上の念押しは無意味だろ。とにかく今は真嶋をどうにかしないとな。
俺は真嶋を追って走り出した。おそらく教室にいるだろう。
俺はそれなりに急いで自分の教室に向かった。ドアを開けると、閑散とした見慣れた教室がある。普段は賑わう教室だが、今は放課後だ。賑わっているはずもなく、中には俺の探し人である真嶋しかいなかった。
「…………」
背中を向けたままだったが、おそらく俺の登場に気付いているだろう。さて、何と言って話しかけたらいいんだろうか。一応謝るべきか。
「悪かったな。ろくな説明もしないで、あんなものを渡して。今から説明するから、聞いてくれ」
説明すればきっと解ってもらえると思っていた。予想できなかったが、説得できれば何の支障もないし、難しい説得だと思わなかった。しかし、
「やだ」
さらに予想外の答えが返ってきた。
「嫌だって、何が?」
「聞きたくない」
説明しろと言ったのは、あんたのほうだろう。
「聞きたくないって、何で?」
「だって……」
と言って、真嶋は振り返った。相変わらず瞳には涙を浮かべていた。何で泣いているんだ?理解できないし、笑えない。何だ、この状況は。ドッキリか?
「だって、成瀬はあたしに部室に来てもらいたくないんでしょ?」
「あぁ、まあ」
語弊があるが、大枠としては間違っていない。
「今から話すのは、その説明なんでしょ?」
「そうだ」
それに関しては、何の反論もない。すると、
「だったら、聞きたくない」
何だ、この駄々っ子は。
「いいから聞いてくれ。時間はとらせないから」
「やだ!絶対聞きたくない!」
「俺は聞いてもらいたいんだ」
「やだ!」
はぁ。疲れる。何だってここまで拒絶するんだ?理解できない。
「じゃあ聞きたくない理由を聞かせてくれ。俺は、どうしてもあんたに話を聞いてもらいたいんだ」
「………………」
今度は黙り込んでしまった。しかし、嫌な状況だな。理由はよく解らないが、真嶋が俺のせいで泣いてしまっていることに変わりはない。誰かに見られたら、大変なことになるな。特に、天野とかに見つかったら……。考えたくないな。麻生にも口止めしておこう。何か請求されるかもしれないな。
「あんたにとって悪い話じゃないんだ」
「嘘!」
「嘘じゃない。あんたが迷惑を被ることは何一つない」
「本当?悪い話じゃないの?」
「ああ。保障する」
「じゃあ聞く」
という感じで、どう考えても同級生相手とは思えないような会話を繰り返し、ようやく話を聞いてもらえることになった。今のところ涙は止まったが、またいつ泣き出すかわからないため、俺はかなり慎重に話を進めた。最初のほうは上目遣いで、俺を睨みつけるように見つめていた真嶋だったが、話が進むうちにだんだん俯いていったので、表情は解らなかったのだが、何度も真嶋に迷惑はかけないことを口に出して、半ば洗脳するように話を進めた。
「ということなんだ。だからあのメモを書いたんだ」
「…………」
理解してくれたのだろうか。黙ったまま、未だ顔を上げない真嶋。まさか、また泣いているんじゃないだろうな。俺は恐る恐る真嶋の顔を覗きこむ。すると、
「な、何よ!」
と怒鳴られた。どうやら泣いてはいないようだ。
「顔がとんでもなく赤いぞ」
「う、うるさい!それくらい解っているわよ!」
まさかとは思うが、赤い顔を隠すために俯いていたのか。ま、なにやら勘違いしていたみたいだから、そんな自分に恥ずかしくなったのだろう。
「それは結構だが、俺の話も理解してくれたのか?」
「うん」
「なら、よかった。で、もちろん協力してくれるよな?」
もちろんという言葉を使ったのには理由がある。なぜなら真嶋は以前俺と同じ考えであることを暗に示す発言をしていたからだ。なので、きっと協力してくれる。俺は疑っていなかった。しかし、
「タダで?」
「は?」
「無料でって聞いているの!」
なぜ知り合いに協力を求めるだけで、何かを請求されなければいけないのだろうか。それも、突拍子もないことを頼んでいるわけではないのだ。ただ、事実を黙っていてくれればいいのだ。
「何がほしいんだ?金ならないぞ」
「あたしのこと……」
「は?何て言った?」
「…………」
何なんだよ。はっきり言ってくれ。ある人曰く、俺は相当な鈍感らしいからな。何となく解るでしょ、みたいな感覚的なことは理解しがたいんだ。
散々逡巡した真嶋は、吹っ切れたのか、半ば叫ぶように、
「あ、あたしの作業、全部手伝って!」
作業というのは、文化祭の準備のことで間違いないだろう。正直さっきと言っていることが違うな、と思わないでもなかったが、これくらいならお安い御用だ。もっと無理難題を突きつけられるかと思ったが、案外楽で安心した。
「解った。それで、協力してくれるんだな」
「うん」
「じゃあ契約成立だ。俺はあんたの作業を手伝おう。あんたは俺の話に協力してくれ」
「うん」
ほっとしたね。最初はどうなることかと思ったが、ま、無難なところで落ち着いてくれてよかった。
「それでさ、成瀬」
「何だ?」
「今日も、部室行っちゃダメなの?」
「………………」
どうしようか。おそらく今も日向は部室にいるだろうし、できるだけ真嶋を部室に近づけたくないのだが、部室に来たところを見られてしまったのだ。途中で追い返してしまったら、あからさまに何かあることを公言しているようなものだ。今日くらいはいいか。しかし、
「今日もあいつは来ないと思うが、いいのか?」
「うん」
真嶋が部室に来たがる理由がよく解らない。岩崎は関係ないのか。となると、一体なぜそこまで部室に来たがるのだろうか。麻生や姫とはそこまで仲がいいとは思えないのだが。ま、考えても仕方あるまい。真嶋が来たいと言うなら、勝手にすればいい。少なくとも今日くらいはな。
「じゃあ、行こう」
「うん」
それから真嶋と文化祭について、ぽつぽつ会話を交わしながら部室に戻った。