Part.14 side-Y
10月4日(金)
真嶋という名の少女が足早に部室から出て行ったあとも、あたしはまだ不穏な空気を感じていた。思い切りにらまれてしまったな。うーん、やはり不用意な発言だったようだ。しかし、あれほど解りやすい人も珍しいのではないか。顔をうつむかせたまま、成瀬の袖を引くあの姿は、どう見てもあの言葉を体現していた。
『あたしにも構ってよ』
あたしが来る前はきっと二人で話していたのだろう。そこにあたしが登場して、成瀬を反対側から横取りしてしまった。彼女は寂しくなってしまったのではないか。何とも女の子らしい女の子だな。成瀬のやつ、どうやって篭絡したのやら。素直で真面目そうな子だから、成瀬相手では少しかわいそうな気もする。
うーん、仲良くなりたいけど、あんなににらみつけられてしまったしな。成瀬を奪った恋敵みたいになってしまっているような気がする。そう考えると、七海が言っていた言葉もあながち間違いではないのかもしれないな。
「どうした?妙な顔して」
と成瀬が話しかけてきたのだが、ものの見事に空気を読まない発言だ。あたしの懸念の六割はあんたの責任だぞ。あと、妙な顔なんてしていない。
「何でもないよ。それより全組揃ったんでしょ。さっさと始めなさいよ」
「そうだな、始めるか」
言って、成瀬は我関せずを体現していた部屋の隅というポジションから移動すべく立ち上がった。そして、
「余計な口出しするなよ。これからやることは全て必要なことだからな」
は?何であたしがあんたのやることに口出ししなきゃいけないんだ。
「絶対しないよ。それよりももっと気にすることがあるでしょ」
あたしは真嶋さんのことを言外に含めたのだが、一方成瀬は、
「頼むぞ」
と言って口論の中心に向かった。何を言っているんだ、あいつは。意味が解らないにもほどがあるぞ。とにかく何かやろうとしているらしい。それも結構すごいことを。その内容は、直後に解った。
「全員静かにしろ」
決して大きな声ではなかった。しかしやかましいこの部室中に届いた。騒音と化した論争は一瞬で静寂に包まれる。そして、成瀬に視線が注目する。
「まだ時間になっていないが、全組揃ったから、これから新設ステージにおける使用権について会議を始めたいと思う」
人数にして、十余人。それだけの目が成瀬に集まるのだが、本人は全く気にした様子はない。
「始めたいと思うのだが、」
同じ言葉を繰り返し、最後に逆接を使った成瀬。不穏な空気に各グループの代表者たちはざわめく。そして、
「あんたら全員頭冷やして、出直して来い」
「は?」
「何だと?」
成瀬のとんでもない言葉に、代表者たちは次々に不満の声を上げる。どういうつもりだ?
「どういう意味か、説明して下さい」
声を上げたのは七海だった。その表情は明らかに怒りの色を帯びていた。
「どうもこうもない。そのままの意味だ。あんたら全員頭に血が上りすぎだ。あんなケンカ腰の話し合いは、聞くに堪えない」
成瀬の言葉は、明らかに挑発をしていた。その場にいる人々のボルテージが上がっていることが空気で解る。
「何か文句あるのか?俺の言っていることが、間違っているとでも?」
らしくないにも程があるぞ。ケンカ売っているとしか思えない。それはつい先ほどまで会話していたあたしから見れば、信じられない光景だった。あんた、そんなにいらついていたのか。
「ずいぶん偉そうな口を利いているが、そもそもなんでこの部が仕切っているんだ?そんな権利あるのか?」
「そうだ!これは文化祭の話だ。文化祭実行委員会が仕切っているんじゃないのか?」
明らかな怒り、敵意が成瀬に向けられる。しかし、成瀬は動じない。
「この件は俺が全権握っている。文化祭委員会でもTCCでもなく、俺が握っているんだ。委員会にも生徒会にも文句は言わせない」
口調も、いつもの成瀬のそれとは違う。睥睨していると言っても過言ではない。その表情は、目の前の人間を見下しているとしか言えない。
「見ろ。これは新設ステージの権利書だ。こいつは委員長、生徒会長、そして俺のサインを書き込んで初めて効力が発生する。すでに二人のサインはもらっている。つまり俺の意志次第で権利が左右される状況にあるということだ」
成瀬の発言に、代表者たちは残らず黙り込んだ。これにはあたしも閉口するしかなかった。どう考えてもやりすぎだろう。何で誰も止めないんだ。TCCのメンバーは成瀬を止めるべきだろう。これ以上暴走させたら、嫌われる云々じゃなく反乱が起きるぞ。あたしは仕方なく立ち上がった。すると、
「止めときなよ」
近くにいた麻生に止められた。
「何すんのよ」
小声で訴えると、
「成瀬に言われただろ?口出しするなって」
聞こえていたのか。確かに言われたけど、本当にそれでいいのか?頼むと言われたけど、さすがにこんなこと仕出かすとは思わないだろう。
あたしは成瀬のほうに視線を向ける。すると成瀬もこちらを見ていた。そして、麻生に視線を移し、代表者たちのほうに向き直った。
「邪魔すんなよ、だって」
麻生が言う。こいつら目で会話できるのかよ。
「本当に止めなくていいの?」
あんた、成瀬の友達だろう?十年来の付き合いなんだろ?成瀬が村八分にされちゃうぞ。あたしはみんなからシカトされる恐ろしさを知っているんだ。あたしは真剣に言っていたのだが、対する麻生は、
「大丈夫だって。成瀬が言っているんだ。何か意味があるんだよ」
にこやかに答えた。あたしだってそう思う。成瀬が何の根拠もなくこんなことをやるとは思えない。理由があるのだろう。少なくとも、そう願いたい。しかし……。
あたしが葛藤している間に、成瀬は話を終わらせようとしていた。
「とにかくちゃんとした会話が出来るよう、頭を冷やして来い。三十分後またここに戻って来い。話は以上だ」
成瀬は一方的に話を終わらせ、みんなの気持ちも知らないような感じで、移動を開始した。
「俺たちはここに残るが、あんたはどうする?」
赴いた先は岩崎さんのところだった。
「え?あ、私は教室に用があるので」
「そうか。じゃあこいつを真嶋に渡しといてくれ」
周りの空気を無視して岩崎さんに手渡したのは、先ほど真嶋さんが忘れていった手帳だった。
「手帳ですか。中、見てないですよね?」
「冗談でも止めろ。あれは一種のトラウマだ」
和やかに会話をしている二人だったが、成瀬を見るみんなの視線には、何とも解りやすい感じで敵意を帯びていた。成瀬は気付いているのだろうか。
「麻生、姫」
手帳を渡し終えた成瀬は、仲間に呼びかけ、
「話がある」
「そうこなくっちゃ!」
麻生は景気よく返事をして、姫と呼ばれる少女は深いため息をつき、
「どうせなら、もっと早くしてほしかったわ」
そして三人は、何やら密談を開始した。
あたしを含める代表者たちは、しばらく呆然としていたが、
「あ、みなさんとりあえず一旦出ましょう」
と言う岩崎さんの号令で、退室することにした。みんな明らかにイラついているな。岩崎さんはどう思っているのだろうか。あとで聞いてみよう。
最後尾で部室から出てきたあたしたち三人は、行く当てもないので、部室棟の前にあるベンチについた。部室から今まで誰も口を開かなかったのだが、ベンチについた直後、
「あー!何なんだ、あいつは!ムカつくー!偉そうに言いやがって、何様なんだ!場所を取ったのは岩崎さんだろ!」
七海が叫んだ。解りやすく荒れているな。気持ちは解るけど、あたしは彼女のように頭ごなしに怒る気にならない。
「頭冷やして来いって、主にあんたのせいで頭に血が上っているっつーの!」
あんたは上りすぎだと思うけどね。他のみんなも七海みたいな状態になっているとしたら、成瀬の作戦は失敗している。いや、これが成功なのかもしれないな。
「ゆかりっち、あんなやつ止めといたほうがいいって。絶対に幸せになれないよ」
「ちょ、ちょっと七海!」
いきなり何を言うんだ。止めてくれって言ったでしょ!よりによってこの人の前で。
あたしは七海を制したあとで、ゆっくり岩崎さんを見る。すると、
「止めておいたほうがいい?それはどういう意味ですか?」
やっぱりこうなるよな。どうしてくれんだ、この状況。
「そのままの意味だよ。成瀬はどう見ても性悪だから、別の人を選んだほうがいいよって言うこと」
「だから違うって。岩崎さん、こいつの言うことは全部無視していいから。全部ただの根も葉もない噂だから」
何とか持ち直そうとして、言ってみたけど、
「噂?そんな噂があるんですか?私は知りませんよ!詳しく教えて下さい」
あー、食いついちゃったよ。勘弁してくれ。
「日向さん、ひどいです。私の味方だと言って下さったじゃないですか、あれは嘘だったのですか?」
「嘘じゃないよ。本音!あたしは裏切っていないから、信じて!」
「本当ですか?そういえばさっきも楽しそうにお話していましたよね?」
「してない。全然楽しくなかったよ!てか話逸れているから!」
岩崎さんには立場上強く出ることが出来ないな。全部が全部嘘ではないため、後ろめたい気持ちがあるから、珍しく弱気になるあたし。
「話を逸らしているのはあなたのほうですよ。本当のことを話して下さい。ええ、きっと怒りませんから!」
それ、もう怒っているから。あー、どうしたらいいんだ。だから、こんな噂あたしも知らないんだって。あたしだって迷惑を被っているんだぞ、主に今。
あたしが岩崎さんをなだめていると、意外にもあたしたちを混乱させた張本人が助けてくれた。
「あれ?もしかして、成瀬って脈アリなの?」
「脈アリって、どういうことですか?」
「だから、岩崎さんは成瀬と付き合う可能性があるのか、ってこと」
「ええっ?そ、それは、そのう……」
と言って撃沈してしまった。助かった。しかし、七海の情報によると、どうしても成瀬→岩崎さんという矢印の向きらしい。なので、岩崎さんとは話がかみ合っていない様子。
「じゃあ成瀬に告白されたらどうするの?」
「ええっ!な、成瀬さんから、こ、告白?そんなのありえないです!」
「ありえないことないって」
「えー、あのその……」
とアップアップのしどろもどろになってしまっている岩崎さん。当然のごとく、顔は真っ赤である。そして、
「あー、私真嶋さんに届け物があったんでした。すみません、ではまた後ほど!」
と言って、文字通り脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「あれ、どういうこと?」
あたしはノーコメント。どうもこうもそのままだよ。見れば解るでしょ。
「もしかして、あいつモテるの?」
「さあね」
モテるの基準を定義する必要があるけど、どうなんだろうね。ま、さっきの様子を見る限り、真嶋さんもぞっこんって感じだし、みゆきに至っては崇拝していると言っても言い過ぎではない。あたしだって嫌いじゃない。結構嫌なやつだけどね。
「あれのどこがいいの?理解できないわ」
ま、さっきのアレを目の当たりにすると、そうなるだろうね。でも、
「あたしから言わせてもらうと、長谷川のほうが理解できないんだけど」
「あー、それを言われると結構辛いかも」
話は進み、時計の針も一気に進んだ。