6. 憤怒の悪魔
これからどうするべきか一度考える時間がほしいと暫く4階層で過ごすことにした二人だったが、洞穴の地面で眠ったニーティアは早速後悔することになった。
「…イタタ。若い身体とはいえ、流石に無理ね。」
まだ羽音の聞こえる時間に目が冴え身体を起こすと、少し離れた位置でルーシェが寝息を立てている。
快適な温度で過ごしやすいが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。
上に行けば生き返ることができると言っていたけれど、両親に勘当され絞首刑になった私の居場所など何処にもない。
そんな事を考えていると辺りが急に色を無くし時間が止ったかのように静かになった。
「…悪魔を誑かして何をするつもりだ?」
声の聞こえてきた方向へと視線を向けると、地獄の王と名乗っていたルシファルが映った。
白髪に黒の瞳。
ルーシェとは似てないが、どちらも人間であればイケメンと呼ばれる部類だろう。
「誑かすとは随分な言い草ね。私は一度たりとも彼を誑かしたことないわよ。そもそも貴方達は悪魔でしょう?人間の色仕掛けは効果があるのかしら。」
「なるほど。兄上は純粋だから言葉巧みに操ったというわけか。」
「彼が純粋?言葉遣いは荒いし純粋とは真逆よ。でも、貴方の話し方には違和感があるわね。」
「っ。」
「地獄の王と名乗る上で必要なのかしら。大変ね。」
「…人間のお前に何がわかる。」
「何もわからないわ。貴方のことは名前以外存じ上げないもの。」
「…はぁ、兄上が気に入った理由がよくわかったよ。」
「どこを見たら私を気に入っていると感じたの?ただの罪人としか見られてないでしょう。」
「最下層、君以外の人間いたかな。」
「…そういえば、見なかったわね。」
「あれ、兄上が全員食したからだよ。」
「え?」
「君も当然いつかは食べられると思ってた。」
「何で食べなかったのかしら。私、美味しそうな匂いしない?」
クンクンと腕の匂いを嗅いでみるが、絞首刑されるからといって身嗜みを疎かにできないとスイートローズのボディクリームを塗ったため、いい匂いのはず。
3度目の人生で悪魔に食される最期というのは当然避けたいが、自分だけ食べ残されたという事実は何となく気に入らない。
「君、本当に変わってる。食べられたかったの?」
「食べられたくはないわよ。でも私だけって何だか嫌じゃない?貴方から見て私はそんなに魅力ないのかしら?」
彼の近くに寄り、良い匂いのする腕を出してみる。
その途端、ルシファルの顔が一気に真っ赤に染まるとすごい勢いで後退りしてしまった。
「き、君に恥じらいはないのっ!?」
「ただの腕よ。ドレスを開けさせるのなら恥じらうけれど、これくらい気にならないわ。」
「僕は気になる!!兄上が見ていたら…。」
「なんだ、ルシファル。俺のものに手を出すつもりか?」
「ち、違います!彼女が勝手に…!」
「彼女が、なぁ?」
明らかに殺気を放つルーシェは瞳孔を細く変化させるとゆらりと立ち上がる。
ニーティアとルシファルの距離感が気に入らない。
抱き上げたりしているもののそれはこちらからに過ぎず、彼女から近付いてもらったことなど一度もないというのに。
これは嫉妬だ。
憎悪の感情が溢れ出し、濃く黒い瘴気を纏い始めたルーシェにルシファルは慌て始める。
「兄上が本気で怒ってる…どうしよう。」
「兄弟喧嘩?微笑ましいわ。」
「微笑ましくなんかない!!兄上は憤怒を司る悪魔なんだよ!?一度怒ったら止められない。この階層は全てマグマの海になる。」
「あら、それは困るわね。私、このドレス以外持っていないの。」
「そこじゃないでしょ!君だって死ぬよ?地獄で命を落としたら上とは違って何も無くなる。」
「ここに来た時点でそうなるのは運命であり必然よ。元より上を目指したところで私に戻る場所は無いもの。」
本気で言っているのかと視線を向けるとその場に腰を下ろし動く気はないようだ。
そんな彼女を放っておくことが出来ず、腕を掴んで羽を開くと洞穴から出ていく。
それと同時に岩が破壊され、地面にマグマが溢れ出した。
現れたのは人の姿ではなく二対の大きな角に鋭利な爪。
黒い身体と竜を思わせる尾が見える。
彼の吐いた炎によって辺り一面に火の海に変わっていった。
「派手ねえ。」
「感想…それだけ?怖いとかそういうのは?」
「巨大ミミズの方が余程怖いわ。」
「兄上はミミズなんかと比べ物にならないよ…。他の悪魔から底辺なんて言われているけれど、本当はそうじゃない。当時最強と言われていた父上を一瞬で喰らい尽くすくらいに…ね。」
「あら、私の勘も捨てたものじゃないのね。お父様を食すのは悪魔にとって当たり前なの?」
「そんなわけ無いでしょ。本来なら兄上が地獄の王になるはずだったのに…その罪に問われ底辺の悪魔として扱われるようになった。あの状態になった兄上は記憶はあるけど全て壊し、食い尽くすまで止まらない。止まれないのほうが正しいのかな。こうなるのを知ってるのは僕と亡くなった母だけなんだ。」
「どうしてそれを私に?」
「兄上と契約したと聞いた。もしかしたらあの状態の兄上を止められるかもしれない。兄上が契約するなんて一度もなかったから。」
そんな話をしているとこちらに視線を向けたルーシェは大きく息を吸い込むと口から炎を吐き出していく。
間一髪で逃げられたものの、人間を連れながらというのは些か厳しいかと考えていると彼女が身じろぎする。
一瞬だった。
次の行動を確認するため視線を遠くに向けたのと同時に手が軽くなり、彼女が落ちていくのが見える。
しまった!
手を伸ばしても届かない距離に目を見開くことしかできなかったが、落ちていく彼女を口を開けたルーシェがそのまま受け止めた。
正確に言うとそのまま食した、だろうか。
やはりこうなったかとため息を溢していると巨大な歯の間から
ひょっこりとニーティアが出てくるのが見える。
「…どういうこと?兄上に食べられたんじゃ…。」
「それが受け止めてくれただけみたい。貴方って意外と優しいのね。」
『意外は余計だ。』
「兄上が正気を保ってる…?」
『お前は食うぞ。』
「兄弟喧嘩で弟は食べないわ。理由は良くわからないけれど、喧嘩の原因は大したことじゃないでしょう。」
『俺にとっては大したことだ。』
「そうなの?」
「兄上の誤解ですよ!」
「彼がそう言っているのだから食べる理由はないわね。それにしても困ったわ。一面、火の海では何もできないじゃない。」
「上に行くしかないね。」
「下ではダメなの?」
「この状態じゃマグマが流れ込んでると思うよ。」
『だろうな。』
「何頷いているのよ。貴方が元凶でしょう。」
『知らん。それに貴方じゃねえ。ルーシェだ。』
「そうね。」
『名前で呼べ。』
「我儘。一応悪魔の王族よね?それならルーシェ様とかでいいのかしら。」
『悪くねえ。』
「僕もルシファルと呼んでね。」
『お前は関係ないだろ。』
「いいじゃない。心が狭いと嫌われるわよ。」
『元より俺は心が狭いんだ。』
「広くする努力は必要ね。」
「兄上は僕に対していつもだから気にしないで。それより僕もニーティアに名前で呼ばれたい。」
「ルシファル様?」
『…やっぱり食う。』
至福の顔をするルシファルに大口を開いて襲い掛かる彼だったが、弟とはいえ地獄の王になれるような存在。
驚くこともなくひらりと交わすと黒い翼を羽ばたかせ3階層へと上っていくのだった。