5. 兄と弟
「覗き見とは趣味が悪いぞ。」
「兄上が戻られないので心配していたのです。こんな所で何をしているのですか…?」
「何もしてねえよ。」
腕の中で眠るニーティアの頬に触れながらそう言うと明らかに怒気を感じる。
「今日来た罪人ですよね。兄上が契約を結ばれたと火の悪魔が申していました。お戯れが過ぎますよ。」
「なんだよ。底辺の悪魔である俺が誰と契約しようが関係ねえだろ。」
「兄上!!」
「うるせえなぁ。こいつは俺が気に入ったんだ。手を出してみろ。お前も父上のように喰い殺すぞ。」
「っ。」
「俺の機嫌を損ねる前に戻れ。」
「わかりました。兄上のご指示通り戻りますが、せめて理由を教えていただけませんか。その人間の何が気に入ったのです?」
「見てみろ。ちっこくて可愛いだろ。」
「…答える気はないのですね。今はそれで納得しましょう。ですが、兄上の本来の姿を見たらその人間も同じようになりますよ。その時のお覚悟はなさっていて下さいね。」
消えていったルシファルの言葉に何かを思い出したようで不安げに瞳を揺らしながら彼女を眺めていた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
外の騒がしい羽音がなくなり、朝が来たのかと視線を戻す。
腕の中で暖を求めて擦り寄ったまま眠るニーティアの瞼がふるふると動き、宝玉のような青い綺麗な瞳が見えた。
自分の状況に何が起きたのかを把握するために暫く黙り込んでいたが、やっと視線をルーシェへと向ける。
「この状況はどういうことかしら。」
「問題か?」
「問題でしょう。種族が違えど私は未婚の女性なのよ?寝込みを襲うなんて紳士のすることではないわ。」
「襲ってねえだろ。ベッドの代わりになってやっただけだ。…黙ってりゃ可愛いのに。」
「何か?」
「何でもねえよ。」
「これからどうしましょうね。次の階層に行ってもこの煩さは改善されないなら上を目指す意味あるのかしら。」
「俺の屋敷に行けば静かだぞ。」
「お屋敷?」
「そうだ。生前並みの生活は出来るだろう。」
「何階層なの?」
「最下層だ。」
「え?」
「俺は悪魔の底辺だぞ。屋敷も下に落とされた。」
「何それ…?…上を目指すのは無駄なの?」
「そんな顔するなよ。俺が虐めてるみたいじゃねえか。上を目指せば地上に戻れるんだぞ?お前はそれが望みじゃないのか。」
「地上って…生き返られるってこと?」
「そうだ。」
「別に生き返りたいわけじゃないのよね。」
「死にたかったのか。」
「そういうわけではないけれど、私は罪人よ。それ相応の罪で死を迎えたの。だから人生を終える覚悟はしていたわ。」
遠くに視線を向け、自傷するように笑うと彼女はそれ以上話さなくなってしまった。
王でないとはいえ、それなりに罪人について理解しているルーシェだったが彼女の罪とは死を宣告されるほどのものだったのかは疑問だ。
「…恨んではいないのか。」
「恨んではないけれど、泣いてしまったのは一生の不覚ね。」
「…泣いた?」
「酸欠になっていたからというだけでほんの少しよ。」
少し恥ずかしそうにそう言ったニーティアはマグマを眺めながら当時の出来事を思い出しているらしい。
彼女の首にある太い縄による圧迫痕。
絞首刑を受けた人間に見られる典型的な姿だ。
ルシファルの言う通り彼女もいつか…そう考えたが今は止めようと首を振ることで考えていた内容を振り払うのだった。