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三流小説家・手越光シリーズ

エクストリーム執筆活動

作者: てこ/ひかり

「それでは……」


 その一言が合図だった。編集者・編田集文は息を呑んだ。目の前では小説家・手越光が集中力を高め、無骨な人差し指をキーボードの上に這わせている。これから執筆活動が始まるのだ。


 ここまで約12時間。


 12時間前、編田が原稿を催促しにいくと、「気分が乗らない。これじゃ一文字も書けやしない」と手越が言い出し、実際手越は一文字も書いていなかった。机の上には携帯ゲーム機が転がっている。〆切はもう明日に迫っていた。


「先生、廃業するんですか?」

「失礼な。その気になればいくらでも書けるさ。ただ、環境が悪いんだ。ここじゃどうも集中できない……こんな場所じゃ僕のパフォーマンスをフルに発揮できない」


 毎日通っている書斎で、手越は深刻そうな顔をして項垂れた。それで編田は手越を熱海に連れ出したのだった。気分転換させて原稿を書かせるか、書けなかったら殺すか、だ。原稿を書かない作家に人権はない。それが編田の勤める出版社の基本姿勢だった。


 自分が命の危機に晒されているとも知らずに、手越は編田のポケットマネーで温泉に入り、商店街でグルメを食べ歩いた。しばらくすると手越の顔色も大分良くなってきた。


「美味いねえ! 美味いねえ!」

「先生、気を取り直してくれましたか」

 編田はホッとした。彼とて、三流文士の命など別に惜しくもなかったが、手越程度のために己の手を汚したくなかった。


「嗚呼……それじゃ、今日は『滝』で行こう」


 手越が意気揚々と頷いた。『滝』……か。編田は身震いした。さて、今日はどんなパフォーマンスを見せてくれるのやら。とうとう彼の作家としての本領が発揮されるのだ。


 2人は都内某所に移動し、手越は編田にゴムボートとノートパソコンを用意させた。


 四方を艶やかな緑に囲まれたそこは、TVや有名雑誌で何度も紹介されている人気の避暑地だった。軽やかな野鳥の囀りや、水面を叩いては白く溶けていく水飛沫が、訪れた者の心を洗い流していく。

 周りには大勢のファンが集まっていた。もっとも、手越のファンではなく、滝を見に来たファンだったが。上流では、滝つぼを睨みつけながら、手越が集中力を高めていた。


「それでは……」


 その一言が合図だった。彼は勢いよくボードを漕ぎ出すと、そのまま滝に流され下へ下へと堕ちて行った。


「うぉォォオ!!」

「先生ー!」


 獣のような咆哮を上げ、手越が素早くキーボードに指を這わせる。小説を書いているのだ。


 これが彼の執筆スタイルだった。

 ある時はジャングルの中で。またある時は砂漠のど真ん中で。

 わざわざ危険な場所に赴き、自らを極限状態にまで追い込んでいく。ギリギリまで追い詰められた精神はクリエイティブに欠かせない、らしい。


「おおおおおおおお……!」

 

 そのままボートは滝に飲まれ、数秒間、手越の姿は見えなくなった。死んだか!? 編田は息を呑んで滝つぼを見つめた。もし浮かんで来なければ、殺す手間が省けたというものだ。


「ゲホ……ゴホ! はぁ……はぁ……」


 しばらくして手越が近くの岩場に流れ流され姿を現した。両手にはずぶ濡れになったノートパソコンを抱えている。編田は手越の元に駆け寄った。


「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」

「ちッ……」

「キミ、今舌打ちしたかい?」

「いえ……先生、お疲れ様です。無事小説が書けたようですね」


 そう労いながら、彼の手からパソコンを毟り取る。原稿さえ手に入ればこちらのモノだ。原稿を書き終わった作家に人権はない。


「嗚呼。今回もこれだけ心血注ぎ、苦労したんだ。まず間違いなく傑作だろうね」

「素晴らしいです。先生のその執筆姿勢、いつ見ても尊敬します。肝心の中身は、小学生の作文みたいですけど」

「何せ滝に落ちながらの執筆だからね。正直自分でもaなのかiなのか、何のボタンを押しているのか分からなかった。だからこそ、生々しい()()()()()()が表現できたと思わないか?」


 手越は満足げに頷いた。


「全く持ってその通りですね。実に文学的です。先生の作品は辞世の句とも断末魔とも呼ばれ、一部のマニアから一定の人気を博してますよ。唯一残念なのは、彼が生還することくらいだ、と評されています」

「そうだろうそうだろう。キミ、執筆活動とはいつだって命懸けだよ。もっとも、僕ほど文字通り命を懸けている作家はいないだろうが」

「その通りです。先生は命も懸けているし、常識も欠けてますよね」

「何か言ったか?」

「いえ……今回は素晴らしいパフォーマンスでした」

「今回も、だろう」


 手越が顎を突き出した。フン、と鼻息を荒くする。


「前回ラスベガスのスロットの前で執筆した時はね、『何故ラスベガスで日本語の文章を書く必要があるんだ』と批評家連中に散々批判されたものだが……」

「『わざわざ海外でレコーディングするアーティスト気取りか』とも書かれてましたね。『この作家はSNSやら動画配信やら、やたら小説以外のパフォーマンスに走り、肝心の中身がまるでない』とも」

「そんなこと書かれてたか?」

「書かれてましたよ。忘れたんですか?」

「そうだったか……書評は全て目を通したつもりだったが、まぁいい。この作品で奴らも黙らせられるだろう。なんたってこれほど命を懸けた作品なんだからな……これからはパフォーマンスの時代だ。『何を書くか』じゃない、『如何に書くか』の時代だよ」


 手越が頼まれてもいないのに作家論を得意げに語り出していると、編田の携帯が鳴った。


「はい……はい。分かりました」

「どうした? 早速次の仕事かね。編集者も大変だな」

「ええ」

 編田は頷いた。


「新人作家を見て欲しい、と。この新人、小説の中身はとても素晴らしいんですけどね、肝心の執筆姿勢が机に座って()()()()だけで。見ていてつまらないんですよね」

「なに、それはいかん。キミ、執筆活動は命を懸けなきゃ。机に座って()()()()だけなんて! 私が手解きしてやろうか? 極限状態の作り方って奴を」

「それは良いですね。今度是非……」


 〜終〜

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