091 第14章 スッファの街 14ー20 宿の庭での訓練模様
降りしきる雨の中、傭兵部隊は訓練で汗を流していた。
見学だけでは我慢できなくなって、中庭で剣を振るうマリーネこと大谷。
そして雨は上がる。
91話 第14章 スッファの街
14ー20 宿の庭での訓練模様
翌日。
ベッドで目を覚ますと雨音が続いていた。
まず、起きたらストレッチ。
そして何時ものように空手と護身術の手技を鍛錬。
カーテンを少しだけ開けて外を見ると、まだ雨が降り続き、街は煙っていた。
低い家の屋根が雨に濡れて赤茶色っぽい。乾くともう少し明るい色なのだろうな。
灰色の石畳は雨で少し黒っぽく見えた。
今の季節もわからないが、今から長雨になるのは無いだろう。たぶん。
村の時のように、長雨になられると移動がかなり苦労する。
そんな事を考えていると、ドアにノックがあった。
メイドが朝食を運んできた。
今日は何時もとは、食事が違っていた。
パイ生地のような物の上にやや小型の魚を焼いたものに、甘酢と魚醤が掛ったものである。そして香辛料の効いたスープ。
メイドに何故今日は違うのか聞いてみると、ベルベラディから来た護衛隊の男衆に出す朝食と同じものを出してきたのだという。
人数が多いので、結局全員分を作ったのだろう。
食べ終わると、紅茶である。
今日のドレスをもって、例の背の高いメイドが入って来た。
今日はやや朱色のワンピースに後ろに大きなリボン。
襟と袖は白い。
部屋に居てもやる事はないので、一緒に下に降りる事にした。
降りていく途中の階段で既に騒がしい声や音がしている。
下に降りると中庭に人が集まっていた。
なんと、彼らは七本ほどの柱を即興で建てて、上にかなり大きい天幕を張っている。中央の一本だけかなり長く、この柱を中心に、周りに正六角形の形で布が展開している。
つまりは横がない上だけの巨大なテントだ。
それを張り終えると、彼らは二人一組で剣と盾を持ち、その天幕の下で練習を始めていた。二四人もいるので一二組出来ている。狭い場所で実にコンパクトに練習しているのである。
私も仲間に入りたかったが、このドレスを破ったり、汚したりしてはイケない。
ここはぐっと我慢して、ラウンジから彼らの剣技を見守る事にした。
私は今まで盾を持って闘った事がないのだ。彼らの動きをじっと観察する。
盾の使い方、どの様に剣を受けて反撃に出ているのか。
彼らはオセダールが雇った腕利きの傭兵隊のはずだから、腕前もかなり期待できるだろう。
練習試合だから、怪我をしない様、全力で払ったり、突いたりはしていないはずだ。その事で、彼らの剣の筋がはっきりと見えた。
全力で振った時の剣筋をその七割から八割位の力、速度でやってみせる訳だ。
詰まる所、彼らは互いにこれが全力だったなら、どうなるのかイメージをしつつ攻撃したり、受けたり、躱したりしているという事だろう。
手を抜くのではなく、そういう制御を身に着けている。
できるだけ具体的イメージを持ちつつ対処を学ぶという面もある、か。
全力で武器を振るうだけが、訓練ではないという事だな。
真司さんたちは、まだ降りてこなかった。このところ忙しく動いていたから今日はお休みの日にしたのかもしれない。
見ていると、もう限界だった。私は部屋に戻ってドレスを脱いで、自分のいつもの服に着替える。
そして下に降りていき、ポーターの青年に昨日買った剣といつもの私の剣を持ってきてくれるように頼んだ。
ポーターの青年が持ってきてくれたので、この昨日買ったばかりのソードの鞘をベルトに付ける。ブロードソードの鞘の上に重なる形だが、まあ暫定である。
私は隊長を見つけて挨拶をする。
「おはよう御座います。ルイングシンフォレスト様」
私はお辞儀をした。
「おはよう御座います。お嬢様」
隊長もお辞儀で返す。
「場所を、少し、お借りしても、よろしいかしら?」
「勿論構いません。どうぞお使い下さい」
「ありがとうございます」
そう言って、まずは礼。
隊長の表情が引き締まった。目がすっと細くなった。
私は構わず、まずはブロードソードを抜刀。右上に。
そこから左下、右下へ払い。左上に払い。手首を返して左中段から右中段に。
右八相から中央下段に半歩踏み込みながら、切り込み。
足を戻し、ブロードソードを納刀。
次は昨日買ったばかりの剣。刀身長は約六五センチか。
右足を踏み出した半身に構える。これも抜刀。やや長いので速度が落ちる。
剣を納刀して、立合抜刀斬りの素振りを繰り返す。
ひたすら同じ形の繰り返し。正確に数えてはいないのだが一〇〇本程度。
正眼に構えての面打ち素振り。これも一〇〇本程度。
まだしっくりは来ていない。
いまいちこの剣は重心位置がズレている。
正確に言えば、中心より少し手前気味に重心が有る。
つまりは柄と鍔になる部分の方に少しばかり重心が寄せてあるのだ。
剣先の速度を上げるためにか。
自分のブロードソードは、村の剣がベースで重心はもっと手前にあって、分かりやすく作ってあったが、この数打ちの剣は少し違う。
やってみるか。
右八相に構えて、剣の柄は耳の位置より上に。頭から離し、剣先を倒していき、剣先を反時計回りに二回、そこから一気に右下へ。
剣をそこから左上に。手首が廻って左下へまわし、そこから右上。
再び手首が廻って剣は右下から左上に。∞の動き。
速度はまだ、足りていない。もっと上げられそうな気がする。
剣を納刀して、一礼。
礼の後に顔を上げると、隊長が拍手していた。
「ヴィンセントお嬢様は、何時もその剣で修業をされているのですか」
「いえ、この、長い剣は、昨日、買った、ばかり、ですので、まだ、初めて、使った、ところで、御座います。短い方が、私の、いつもの、剣に、なります。ルイングシンフォレスト様」
「それにしては、随分と自在に振っておられました」
「ありがとうございます。ですけれど、あの程度の、速度では、魔獣に、打ち勝つのは、容易では、無いかと、思います」
私の目標は、あの『人外』の隊長らしき男が見せた短剣の速度。
私は左腰のブロードソードを抜いて、あの時のあの男の剣筋をイメージしてブロードソードで受ける練習。
目を閉じる。あの縦横無尽さ。脳裏に描く。私の見極めの目ですら、辛うじてしか見えないほどの速さだった。
あの時の猛烈な剣。身長差が有るので、彼奴の剣はすべて斜め上から降ってくるように繰り出された。そしてあの、鋭い突っ込み。剣を飛ばされたアレだ。
目を開けて、今度はそのイメージの剣を躱してカウンター的に突きに出る練習。
そんな練習をしていると、傭兵部隊の彼らは、別の練習に取り掛かったらしい。
鉄の長い杭を何本も打ち込んでいく。恐らくは上から見たらU字の形だろう。
Uの中にも二本ほど、それほど長くない鉄の杭を打ち込んだ。
何をするのか。
彼らは、その場所の中に三名ほど残し、残りは全てU字の外の方に行った。
流石に気になる。
私は練習を止めて、剣を収める。
隊長に聞いてみる事にした。
「ルイングシンフォレスト様、あれは、一体、何を、なさって、いるのでしょう」
「お嬢様。あれは対イグステラ専用の陣形です。あそこの開いている方にイグステラを誘き寄せるのです。彼らの雷攻撃を想定したもので御座います」
「判りました。ありがとうございます」
なるほど、あれは避雷針だ。そして囮の係があそこまで引き寄せて、あそこで伏せる練習か。周りは冷静に弓。
雷はあの避雷針に向かって行くので、イグステラがあのUの外に突破しない限りは、彼らの攻撃はほぼ封じられる。
それはイグステラがどう頑張っても、物理法則を捻じ曲げてまで、電撃を目標に飛ばす事は出来ないのだろう。
雷が導体を無視するのは、通常、電気的に不可能な事だ。鉄は電子が簡単に移動できるため、電気を通す。
空中を走る電撃は恐らく全て避雷針に飛んでいく。
囲む弓隊が冷静に弓を浴びせればイグステラは、ひとたまりもない。
とはいえ、中にいる人物は鉄の武器も防具も一切持つ事が出来ない。
せいぜい木刀と木の盾位しか持てないのだ。
余程、肝が据わった者でなければ、務まるまい。
流石だな。彼らは戦い慣れている。
「ルイングシンフォレスト様、ステンベレの、光る、攻撃にも、何か、対抗策は、お有りですか?」
「お嬢様、無論で御座います。彼らは雌雄で必ず来ます。つまり二頭が一組。何頭いても、それは同じ。ならば分けてしまう事です。四頭同時が危ないなら二頭ずつに。そして、こちらは四名を一組に。二人が盾と剣。二人は槍。同時に斃す布陣です」
隊長は事も無げに言ってのける。
「見えない、のに?」
「たとえ見えていなくても、彼らの攻撃の軌道が分かっているなら、出来るのですよ。彼らの槍を見てください。三叉でしょう。あれを盾持ちの顔の真横から前に突きだすのです。四人は息を合わせて防御と攻撃する訓練を積んでおります」
「あの魔獣は、光ると必ず飛んで来る。そして頭か首を狙って来るのです。盾を持っている者が顔の面と喉を守る鉄の防具をしているのは、こういう時に意味があるのです」
隊長は淡々と説明をする。
「彼らの剣は三叉が当たるその時に、繰り出されて止めを刺します。勿論、こちらも必殺という訳では有りませんが、黙って殺られる訳にはいきません。少々の犠牲を払っても斃す事が出来るならそれを選ぶのです」
隊長は部下の訓練の様子に目を走らせる。
「これはステンベレの攻撃を分析した末に編み出された、対ステンベレの布陣です。お嬢様」
「判りました。解説、ありがとうございました」
私はお辞儀した。
そうはいっても相当な訓練が必要だろう。
これは練度の高い、しかも人数のいる傭兵部隊だからこそ、可能な布陣と言っていい。
個人技に頼る冒険者には難しい、いや無理だろう。しかし覚えておこう。
雌雄で飛んでくるのは、必ずなのか。片方が目眩まし。片方が巨大化。
そして一直線にジャンプして飛びかかってきた。言われてみれば、たしかに出来そうな気がする。
長い槍は、やや早めに繰り出して当ててさえ行ければいい、そういう事だな。
とはいえ、魔獣のジャンプする前の距離とそのジャンプの見極めだな。
こればかりは経験がものを言うだろう。
しかし、それすらこの傭兵部隊なら、索敵専用の者が足音を聞いてタイミングを音で知らせるとか有りそうだ。
オセダールの雇っている傭兵部隊は本当に精鋭なのだろう。
……
雨が一層強くなり、私はラウンジに戻る。
ラウンジで武器を下ろし、外の彼らを眺めていると、急に雨が弱くなった。
庭の花が雨に濡れている。
雨が上がるまで、彼らの訓練は続いていた。
私は、ずっとそれを眺めていた。
雨が上がると、彼らは一度訓練を中止してテントを降ろして、鉄の杭も抜いた。
杭の跡も彼らは丁寧に埋めた。
足跡で凹んだ場所も平らにし始めた。
オセダールの館の庭とはいえ、ここは宿なのでお客に見せる場所だ。
きちんと直して行くようだった。
私はそれを見届ける。それから簡単な昼食をとってサロンに行くと、オセダールの頼んだらしい縫製職人がリュックを持ってきてくれたのだった。
女性の職人だった。薄く焼けたような肌色、この町ではよく見かけるような肌色だ。背は一七〇センチくらいか。千晶さんの身長くらいかやや低く見える。
たぶんこの街の長身の人々ばかりの中では、彼女は背が低い方に入るだろう。
既に出来上がっていた物を、少し手直ししたのであろう、慣れた手付きで私の肩幅に合わせて背負うベルトの位置を調整した。
仮縫いだったのだ。確かにすこし大きめに出来ていて子供が背負う大きさではない。
オセダールの注文も適切だったのだろう。殆ど修正が必要ない。
その女性が肩のベルトを縫い上げるのを待っていると、真司さんたちが上の部屋から降りてきた。
「おはよう、マリー」
千晶さんが、珍しくそんな挨拶をした。
真司さんはかなり眠そうな顔だった。
「真司さん、千晶さん、おはようございます」
私はお辞儀した。
「おふたりとも、お食事は?」
私が訊くと、もう食べたようだった。
ふいに真司さんが大きな延びをしながら言った。
「もう一日、休みにするか」
それを聞いて、千晶さんが微笑していた。
「これから、暫く忙しくなるんだ。休める時に休んでおかないとな」
私は笑顔いっぱいの顔を返す。
ラウンジから見える、外は雨が上がって、雲の切れ間から日差しが覗く。
村で見た時程の幻想的な景色ではないが、太陽の光は一条ではないので、複雑な筋を引いて、雲の下を照らしている。
雨に濡れたこの館の屋根が煌めいていた。
……。
私はラウンジで外を眺めていた。
「終わりまして御座います。お嬢様」
ドアを開けて、裁縫師の女性が声をかけてきた。
はっとした。先程の裁縫師の人が縫い終えたようだった。
「ありがとうございます。少し背負ってみます」
そう答えて、サロンに戻る。
「違和感がありましたら、そう仰言って下さい。手直し致します」
彼女はそう言って、私にやや大きめのリュックを渡して寄越した。
背負ってみると、よくフィットしている。これなら、多少詰め込みすぎても、問題なさそうだ。
私の希望としては、腰のサポートベルトと両肩のベルトの間を胸の前で結ぶサポートが欲しかったが、そこまでの贅沢はいうまい。そういうのは、かなり重いものを入れて長時間移動するような経験がないと、思いつかないだろう。
「ありがとうございます。とても良いです」
そう言って、裁縫師の女性に笑顔を返す。
「これなら、私の、希望、通りの、物に、仕上がって、ますので、問題、ないです」
そう言うと、彼女の顔には安堵の表情があった。
たぶん、かなり腕の良い女性だとは思うのだが、オセダールの頼んだ注文が相当神経質なものだったに違いない。
縫い目が見事なまでに綺麗いに揃っていて、鞣された革も上等な物だ。
どんな獣の革なのかは分らないが。そして獣の名前を聞いた所で、たぶん私に分かるとも思えない。だから、考えてもしょうがない事だ。
そうこうしていると、オセダールがやって来た。
「この街一番の裁縫師フラン・パートルフェの作品ですから、きっとお嬢様のお眼に適いますでしょう」
彼は笑顔を私に向けた。
うわぁ。この街一番の裁縫師が縫ったのか。道理で素晴らしい出来な訳だな。
一体、幾らするのだろう。
「これは、とても、よく、私に、合っています。オセダール様」
「それは、良う御座いました」
オセダールの後ろに執事がやって来た。裁縫師と何か話している。
裁縫師の女性が、深いお辞儀をして、帰っていった。
「お嬢様は、これからどうなさいますか」
オセダールが訊いて来た。
「トドマの、ギルドが、どの程度、急いで、います、のでしょうか。なるべく、早く、行ったほうが、いい、のでしたら、私は、そろそろ、御暇、致しましょう」
そう言うと、真司さんが言った。
「マリー、そんなに急がなくても大丈夫だよ。鉱山の方は専任がいるからね。たぶん警邏が必要なのは、魚醤を作っている工房のほうだろうね。あそこは匂いも凄いから、警備隊の人が行かないんだ」
そう言って、苦笑した。
なるほど、匂いに敏感な彼女らはきっと鼻が曲がるような腐臭漂う魚醤の工房近辺など、近づきたくも無いだろうな。それは理解する。
そうなると、まず警邏に行くのは、そこからだな。
「分かりました。では、ギルドの、方に、行って、用事を、済ませて、今日、一日は、泊まってから、明日、発つ事に、致します。それで、いいかしら。オセダール様」
「では、今日はこちらで夕食という事ですな」
そう言うと、執事を呼んだ。
彼は、明日、私が発つ事を指示したのだろう。
私はポーチを持って、冒険者ギルドに行く事にした。
一応、武器は忘れてはいけない。そうして準備していると、ルイングシンフォレスト隊長と三人の傭兵がやって来た。
「お嬢様をギルドの方にお連れしなさい。ドゥーズィ」
「御意に御座います」
一人で行くつもりだったのだが……。
つづく
傭兵部隊の訓練は本格的な物だった。魔獣に対しての専門的な対策までされた作戦行動を行っている。
あれは、冒険者ギルドのメンバーにはマネできない事だろう。
そして、オセダールが頼んでくれたリュックは、最高品質の物だった。
次回 スッファの街のギルド
マリーネこと大谷は、あの街道で出会った目の無い魔獣の魔石を納品しに行ったのだが……。