081 第14章 スッファの街 14ー10 宿に来た暗殺者
警備隊に刺客を引き渡して、暫くすると真司たちが慌てて戻って来た。
マリーネの部屋には何者かが侵入していた。
81話 第14章 スッファの街
14ー10 宿に来た暗殺者
午後になって大食堂のほうは1度、閉じるらしい。
また夕方までは、ここはお休みか。
大食堂にいた客たちは皆、食堂の方に有る大きな出入り口から外に出ていった。
会計もそこで済ませるのだろう。
あとはもう、彼らの食べた食事の食器と残り香だけになった。
私は、この転がしている女性を何処かに移動させなければならない。
一番いいのは、メイドを捕まえて警備隊に来てもらう。
よし。私はこの女を頭上に持ち上げて運ぶ。
近くにいる人々がぎょっとしているが、無視だ。
メイドの一人が廊下にいたので、彼女に頼もう。
「すみません。お願いが、あります」
私は、メイドを呼び止めた。
「お嬢様、一体どうなさったのです? その格好、この人は?」
「説明は、後です。警備隊を、呼んで、下さい。この人を、引き渡します」
「畏まりました」
目立つだろう事は特には問題ないが、このまま持ち上げている訳にもいかない。
ラウンジにまで、持ち上げて運んだ。
他に客がいないのがありがたかった。
とにかく、警備隊が来るまでは待つしかない。
ラウンジの扉は開けておいた。
サロンの方では、再び香合せが始まっていて、いい香りが漂ってくる。
また、彼女たちの声が上がっていた。
暫く待つしかない。
……
女は意識を取り戻したらしい。
体がもぞもぞし始めたが、遠慮なく再びかなり力を入れた竜拳を鳩尾に叩き込む。
女がクタッと動かなくなった。
私の表情は、冷たい悪鬼の形相だったかも知れない。
こういう暗殺専門の殺し屋にかける慈悲なぞ、持ち合わせていない。
私がダガーでこいつの首を刺さないのは、ここがオセダールの宿の中であり、スッファの街の中だからに過ぎない。
そしてこの女は北門の外でやりあった彼らとは違う。
彼らは暗殺も多少は請け負ったにせよ、多分腕のかなりいい傭兵たちだ。根っからの暗殺者ではない。
この女はPKをやる奴らと同じだ。
ひたすら相手の生命を狩る事だけを「快楽」とする。
自分が狩られてすら、自分の考えも行動もまったく変えない。
この女がどんな理由があってこんな暗殺者になったのかは、知る由もないし、知ろうとも思わない。
だが、この女は解放されれば間違いなく、私の命を奪いにまた向かってくるだろう。
ならば、私は火の粉は振り払うまでだ。その時は遠慮する必要はない。
本来ならば、ここでこの女の左右の手の親指と小指を飛ばしておくべきだが、刃傷沙汰はまずい。
だからせいぜい両手の小指を根本の関節から折っておくくらいだ。
私は無言で、この転がしておいた女の手を取って、両手の小指の骨を折った。
根本と指先の二つの関節を折った。
厭な音がした。
こういう暗殺針を使うような微妙な力加減の居る道具は、骨が治っても相当長い間以前のようには使えまい。
根本の関節も折ったので、もう刃物も以前のようには扱えないだろう。
小指というのは、見た目と異なり、とても重要なのだ。
女は激痛で意識を取り戻したようだが、私は無言で、遠慮なく鳩尾に竜拳を叩き込んだ。
再び女は意識を失った。
…………
中庭にはもう誰もいなくなった。
然し。どこかにまだ居る。油断ならない。
右手を右腰のダガーの柄の上に置いたまま、時間だけが過ぎた。
時々、サロンから歓声が上がる。
香合せはさらに盛り上がっているらしい。
だいぶ待って、ようやく三名の警備隊がやって来たようだった。
ラウンジに来て開口一番、警備隊の女性がこう言った。
「また、ヴィンセント殿か」
私は、にこっと笑顔を見せながら、見あげて言った。
「お手を、煩わせて、すみません」
「また、毒針を、差し込みに、来たので、捕らえました」
そう言いながら、女の持っていたバッグを差し出す。
「この中に、武器が、入っています。針に、注意して下さい」
私は立上って、女を持ち上げた。
「先程、一回、気が、付いたので、面倒、だから、また、鳩尾を、強く打って、寝かせて、あります」
警備隊のその女性は小さく笑いながら、この女暗殺者を受け取った。
そして後ろに控えていた二名にそれを渡した。
「昨日の男はまだ吐かないが、北部街区の商会の手の者と言っていた証拠は有りますか?」
「まだ、ありませんが、これ程の、殺し屋が、私に、差し向け、られて、来る、という、事実を、考慮して、戴きたく、思います」
私がそう言うと、警備隊の彼女の細い目が更に細くなった。
「分かりました。この一件は昨日の者も含め、上に報告する事になるでしょう」
そう言って、三人の警備隊の人は外に出ていった。
取り敢えず、一人は片付いた。あと一人か、もしかしたら二人。
それ以上ではないだろう。多すぎては簡単に足が付く。
ラウンジで暫く考える。
このまま、夜になると相手の方が有利だろう。なんとか暗くなる前に決着を付けたいのだが。
何かをやって暗闇に消えられると、また来るのは必然となる。
…………
相手は、確実に私を斃した証がほしい筈だ。
直接斃しに来るのなら、受けて立つが。
相手は私の首が欲しいだろうが、最悪でも私の耳とか目とか舌かも知れない。
どの道、直接対決ではないなら何か罠を仕掛け、私がそれに掛かって落命するのをどこかで見ているか、またはそうなったかを時間を置いて見に来るか、どちらかだ。
客を装って刺そうとした女は失敗した。
監視者がいるなら、もうそれは仲間の一人か二人に伝わっている。
オセダールの部下は多いから彼でないと、ここ九〇日以下で此処に来た従業員は分からない。
あのチンピラを熨した後、北部街区の商会上層部が南街区の宿にまで自分の配下の者を忍ばせて、私を探しているとしたらそのタイミングだ。
おそらく。
相手は私の名前など知る必要もない。
黒っぽい茶色の髪の毛の、耳が尖ってない、大人の半分ほどの背丈のガキの女を見つけて捕えるか、抵抗するようなら、殺せ。くらいの命令が出ているのだろう。
…………
随分と盛り上がっているらしい、香合せが終わったようだ。
玉ねぎ色の髪の毛の女性たちが、どんどん玄関に向かう。
サロンに複雑な香の香りを残して、彼女らは、全員外に出たようだった。
日が大きく傾きかけていて、もう中庭には建物の影が長く差し込んで、東屋の所も暗くなった。
…………
その時に、真司さんたちが戻ってきた。オセダールも一緒だ。
少し慌てていた。どうしたのだろう。
「マリー、無事だったのか!」
真司さんが開口一番そういった。。
「え? 私は、いつも通りです」
そう言うと、オセダールが言った。
「その格好を見ます処、とてもいつも通りとは思えませんが、お嬢様にはいつもの事なのですな」
千晶さんもすこし心配そうな顔で、こっちを見ている。
「おかえりなさいませ。オセダール様。すみません。理由があって、剣を、身に、着けましたので、この、高い服を、汚してしまいました」
私は深くお辞儀した。
「まさか、この宿で剣戟を?」
「いえ、違います。これは、用心の、ためです」
「オセダール様、少し、お尋ね、しますが、ここ、九〇日、以内で、この宿に、働きに、来た人は、いますか?」
オセダールは急に考え込む表情になった。
「一人、おりますな」
「それは、この宿の、中に?」
「部屋の掃除などをする下女で、一人雇った者がおりますな」
「それでは、その人は、客室従業員では、ない、のですね」
「まあ、そういう事ですな」
「皆さん、私に、ついて、来て、下さい。ただ、絶対に、私の、前に、出ないで、下さい」
「どうしたんだ、マリー」
真司さんはどちらかといえば前に出てしまうから、敢えて釘を刺したのだが。
「行けば、分かります」
私は一行を伴って、宛がわれた部屋に行く。
「皆さん、下がって、いて、下さい」
私は右手を後ろに、掌を上に向けて制止の合図を作った。
ドアの下。ヒンジに近い所に仕込んだ髪の毛が、ない。
「誰かが、ここに、入りました」
私は膝を落として、ドアの下を見ながら言った。
「私は、客室係の、方に、誰も、此処を、開けないように、入らないように、頼んだのに、誰かが、入った、のです」
私は体をドア側に置いて、そっとドアを外側に開ける。
その時、何かの金属音と鋭い音でナイフがちょうど一メートルくらい、やや高めの軌道で飛んできた。
そのナイフは廊下の壁に突き刺さった。
さらに時間がやや遅れぎみに、もう一本のナイフが先ほどの軌道より低く飛んできた。
そのナイフも鈍い音と共に、先ほどのナイフの下に刺さった。
更にもう一つ。
皆から、少し、溜息のようなものが漏れた。
「ここに、いて、下さい」
メイドが先にドアを開けて一本目がメイドでも、二本目か三本目が私に刺さるというような時間差なのだろう。
下半身にナイフが刺されば、反射的に体が前に折れる。速効性猛毒ならそのまま前に倒れる。メイドがいても倒れれば、二本目と三本目のナイフは確実に私の身体に刺さる。私の高さに合わせた軌道だ。
ドアの下のほうから、そっと中を覗く。
ドアに仕掛けられた紐が、下に落ちた。
反対側にテーブルに取り付けられた小さい弓が三つ。そしてナイフ三つを飛ばすためのジグのような物が付いていた。
弓の所に人がいた気配がない。無人だ。つまりはこれもブービートラップの一種か……。
たぶん、まだなにかある。頭の中で警報が鳴り始めた。
ベッドの方、四方向全てカーテンが掛けてあった。
おかしい。誰かが寝ているのでない限り、そんな事はしない筈だ。
短辺の二重のカーテンを一気に開ける。
布団が厚めに掛けてあるのが、既におかしい。
掛け布団を剥ぎ取った瞬間に、ぱっと小さい赤い蛇が鎌首を上げて襲ってきた!
私は反射的に左腰からダガーを抜いて払った。手応えはあった。
蛇の首が飛ぶ。
あの時の、密林で出会った赫い蛇だ。大蛇の肉を食い千切っていた赫い蛇。
そして、私は左側にすこし避ける。
その時、ほぼ同時で右斜めの方向からナイフが飛んできた。窓の有る壁のほうのカーテンの脇に隠れていたのだ。
そのナイフは長辺のカーテンを突き破って、正確に私の方に飛んできた。
ダガーで叩き落とすのがやっとだ。
私は体をずらした。右の方に出る。
相手がいた。少し背の低い、茶色の短い髪の毛で器量は取り立てて良いとも悪いともいえない、どちらかといえば影の薄い印象の顔立ちをした制服姿の女性がその壁際にいた。
彼女が逃げ出さないように足を目掛けてダガーを投げた。
ダガーは音を立てて相手の右膝に深々と刺さって、女の呻き声が上がる。
私は右腰のダガーも抜いた。
逃げ出そうとした女は転んだが、すぐに起き上がり、顔付きに似合わない、嗄れたような濁声を張り上げてこう言った。
「お前は、もう逃げられない。我ら赫き毒蛇団がお前に毒の牙を刺すだろう」
言ったその瞬間に、顔が歪んだ。
顔が硬直して、引き攣った後、ずるずると後ろの壁に凭れながら倒れこんだ。
「千晶さん! すぐ来て!」
私はもう日本語で叫んでいて、真司さんと千晶さんが飛び込んで来た。
「何が有ったんだ、マリー!」
「どうしたの、マリー!」
「千晶さん、この女性が」
彼女は、この倒れている女の鼻を掴んで、顎も掴んで口を開けた。
白いものが見えたが、たちまちそれは血で染まっていった。
彼女は顔を二回横に振った。
「毒を飲んだのね」
「ど、どうやって?」
私にはその方法が咄嗟には思いつかず、訊いていた。
「白い粉がだいぶ見えたから、多分焼いた石膏よ。石膏を固めて毒を入れておく容器を作ってあって、それを噛んだのでしょうね。たぶん針もそこについていて、噛むと刺さる様になっていたんでしょう」
「……」
倒れた女は見る見る顔色が紫色に変わっていった。
「猛毒、ですか?」
「そうね。即効性だわ。これはもう、どうしようもないわ」
千晶さんは目を瞑って再び顔を二回横に振った。
私は握っていたダガーを右腰に戻した。
と、そこへ遅れてオセダールがやってきた。ブルブル顔が震えている。
「オセダール様、申し訳ございません。部屋を、血で、汚して、しまいました」
私は深いお辞儀をして謝った。
「お嬢様、ご無事で宜しゅう御座いました」
オセダールはそれだけ言うと、死んだ女の顔を見た。
「まさか、この女が赫き毒蛇団の刺客だったとは……」
「たぶん、あと、一人、私の、動きを、伝えた者が、います。買収、されたのかも、知れませんが」
オセダールはこの部屋の呼び鈴の紐を引いた。
するとすぐ、あの背の高いメイドがやってきた。
「すぐ、この部屋の中の死体を片付けねばならん。あと警備隊の責任者を呼んできなさい」
「畏まりました」
背の高いメイドは頷いて、かなり急いで出ていった。
「赫き、毒蛇団、とは、どういう、集団、ですか?」
「この国の西に有るタリリーサ女王国には、多くの蛇がいるのですよ。お嬢様」
「そこに赤いやや小さい蛇がいるのですが、この蛇は猛毒を持ち、咬まれると助かりません。その蛇とその毒を使った暗殺集団が、赫き毒蛇団なのですよ」
「私が斬った、この、蛇ですか」
私はベッドに転がる赤い蛇の胴体を指差した。
オセダールは頷いた。
「この蛇に咬まれると、何故なのかは分かりませんが、急に仰向けに倒れた後、まず顎が痙攣するそうです。それから腕や足が本人の意志とは無関係にバタバタ動き、目から血の涙を流し、耳と鼻と口から血を流しながら舌が大きく突き出て、腹は波打ち、更に暫く暴れた後に、腕と足が後ろ向きに突き出されて、体が腹の方を突き出して弓のように撓って死ぬのだと伝わっておりますな。顔が硬直してゾッとする笑顔だという事ですぞ」
それを聞いて千晶さんが言った。
「そんな毒は、蛇には普通はありません。それほど大きな四肢の痙攣を引き起こしながら出血して、最後は筋肉の硬直で死ぬような猛毒は聞いた事がありません」
彼女は毒の知識を総動員して考えているのだろう。
出血毒は、まず分かる。しかし四肢が暴れる毒というのが分からない。
とにかくその二つの混成毒なのだろう。
神経に作用して、麻痺ではなく大きな痙攣か。しかも最後は筋肉の硬直を伴うのか。これは神経の伝達を止めるのではなく、神経伝達を錯乱させるのか。
脊髄に有る四肢と指とを制御している神経伝達物質に直接働くのかも知れない。
たぶん、とても珍しい毒なのだろう。独立治療師の千晶さんすら知らない毒。
痙攣のように全身が動けば、血液が一気に回って猛毒はあっという間に行き渡る。
どんな大きな獲物でも確実に、そしてその場から逃げる事も出来ずに素早く死ぬ。
そうしてから食い千切るようにして食べる蛇なのか。
……
さすが、異世界。と言うしかないな。
「それが、この、赤い、蛇の、毒ですか」
私は首を飛ばした、その蛇の頭を指差した。
蛇は大きく口を開けたまま、首の切り口から出血して死んでいた。
「そうなりますな。お嬢様。そして、この蛇は物凄く速いとの事。本当にご無事で良う御座いました」
しばらくしてあの背の高いメイドとハウスキーパーの男女四人がやってきた。
ハウスキーパーの四人は革の手袋を嵌めて来ており、厚くややザラザラした布で作られた大きなシートも持って来ていた。
彼ら四人は慎重に女の体をそのシートに載せ、炭つかみのようなトングのような物を使って蛇の胴体と頭を女の死体の横に置いた。
そして、女の膝からダガーを引き抜いてシートで血を拭うと私に返して寄越した。
私は会釈して、それを受け取る。
男二人がそのシートを包んで運び出して行く。
残った二人の女性がベッドの血のついたシーツを剥がし、更に絨毯に飛んだ血の血抜き処理を始めていた。蛇の血が少し広範囲に飛び散り、迷惑をかけたのは間違いなかった。
私はその様子を見守っていた。
そういえば、私が払ったナイフが、あるはずだ。
弾き飛ばしたナイフを探し、私は慎重にあの女が投擲した得物を拾った。
ハウスキーパーの女性に渡す。
「刃は、猛毒が、塗られて、いると、思って、下さい。慎重に、処理、して下さい」
受け取った女性は、軽く頷き、それを小さな革の袋に入れた。
急にオセダールが言った。
「さあ、ここはこの者たちに任せて、下に参りましょう」
壁に刺さったナイフも抜かれていた。
其処に更に二人の男が来ていて壁の修理を始めていた。
オセダールは下に私たちを連れて行くと、すこし小ぢんまりとした部屋の中に迎え入れた。
廊下から、部屋に入るとその先に更に小さい部屋があった。
初日に食事をした部屋よりも狭い、設えも少し押さえ気味の部屋だ。
「ここなら、誰にも声は聞こえませんからな」
オセダールはそう言って私たちを招き入れる。
さて、どこから話したら良いものか。私は少し考えを纏めないといけない。
やや大きいテーブルの周りに椅子が八つ置かれている。
メイドがやってきて、一つの椅子にクッションを二つ載せ、更に椅子の前に踏み台を置いて、深いお辞儀をして出ていった。
ここに私が座れという事だろう。
私は剣帯を外して、大きな鉄剣を床においた。
それからブロードソードも外し、ダガーの付いたままのベルトを外して床においた。
ドレスはベルトの付けてあった所が汚れてしまっている。これは洗えば落ちるだろうか。
取り敢えず、席についたもののまだ考えは纏まらない。
つづく
マリーネこと大谷の借りている部屋には暗殺者が忍び込んでいた。
それは逃げ出す事も無く、自ら毒を飲んで自殺する。
次回 宿の小部屋にて
事態は緊迫度を高めていた。
そして警備隊の責任者が来るのだが。