076 第14章 スッファの街 14ー5 宿のラウンジにて
さらっとした報告を宿の主人にした後に過去の魔獣との対決の話を披露したマリーネこと大谷。
宿の主人は、マリーネのためにも、あの商会と決着を考え始めるのだった。
そして真司と千晶も戻ってくる。
76話 第14章 スッファの街
14ー5 宿のラウンジにて
真司さんと千晶さんが戻ってくるまで、宿の主人とラウンジのような所でお茶を飲みながらお菓子を戴く。
お菓子は、例によってピザの生地のような物を厚めに重ねた物に砂糖を練り込んで焼いてあり、その上に果実のシロップ漬けが乗ったり、蜂蜜らしき物が掛けてあったりする。
この異世界にも蜂はいるのか。まあ、似たようなのがいるのだろう。
全く同じではないにせよ。
「お嬢様には、他の冒険者には見られないものを感じますな」
オセダールは言った。
「どういう、こと、でしょう?」
「お嬢様は、どんな敵が出ても全く動じないというか、平然としておられる。街の敵にも」
「そんな事は、ないですよ。あの、ステンベレ、八頭は、内心は、怖かったです」
「まあ、冒険者ギルドの精鋭が全滅して御座いますからな」
オセダールの顔が曇った。
「私は、以前に、四頭に、出会った事が、あるのです」
「ほう。お嬢様の武勇伝ですな。是非聞かせて戴けますかな、その時の事を」
「はい。勿論です。その時は、私は、ちょっとした、猟をやって、戻ろうとしていた、時の、事でした」
「嫌な予感がして、荷物を、地面におろして、身軽にしていた、時です」
「ほとんど、出会い頭と、いう感じ、でしたが、四頭は、もう、私を、囲んでいました」
「目の前に来た、一頭を斬って、前に転がって、後ろから来た、一頭も、刺すようにして、斬りましたが、残った二頭が、大変でした」
そこまで言って、私は紅茶を飲んだ。
「普段は、魔獣が、必殺技を、出す前に、切り倒して、いるので、どの魔獣たちが、どんな、必殺の、技を出して、来るか、なんて、知らないんです」
すこし言葉を切った。
「だから、本当の、怖さが、あまり判って、ないんですよね」
そう言うと、オセダールは朗らかに笑った。
「これは凄い。魔獣の討伐で最も前にいながら、本当の怖さがあまり判っていない。こんな事を言う冒険者の方を見た事が無いですな」
「お嬢様の剣は、魔獣が何かをする遥か前に、すべて斬り倒しているという事ですな」
「あの、でも、ステンベレの、二頭は、完璧な連携、で怖かったですね。崩せなかった、のです」
「こちらの、体力が減る、ばかり。そして、決着がつかないで、いたのですが、とうとう、相手が、光り始めてしまった、のです」
「向こうが、決着を、つけに来ました。何が起こるのか、何が来るのか、解らない、怖さがありました」
あの時の事を思い出す。
「ほう」
「一頭が、光り輝いて、もう、全く、何も見えません」
「その時は、諦めては、駄目。という事しか、頭には、なかったと、思います」
あの時、諦めたらそこで終わり。だから速度が必要だと思ったんだった。
「飛び込んで来る、二頭を、前にして、見えないままに、繰り出した、剣で、膨らんだ雄は、切り倒したんです」
「が、光っていた、雌には、逃げられました」
「ですが、倒せない、までも、深手を負わせた、ので、逃げてくれた、と、言うべき、でしょうね。命拾いをしました」
「その時の、四頭が、同時に、その攻撃なら、私は、生きていなかった、でしょう」
「なるほど。なるほど。やはりお嬢様はお強いですな」
オセダールは頷いていた。
「え?」
「自分の出来る事をよく分かっておられる。そして自分の腕もよく分かっておられる」
「そして、それだけの目にあってもなお、冷静に振り返っておられますな」
「それはその時、生き延びたのが紛れ。つまり偶然だったと、お思いですかな?」
……
あれは、少なくとも紛れではないな。やや運が味方している事は否定しないが。
……
「それこそ、捨て身で、繰り出した、剣ですが、当たったのは、紛れ、では、ないです」
「少なくとも、当てる、つもりで、斬り倒す、つもり、でしたから」
「ただ、同時に、二頭を、斬り捨てられる、かは、全く、見えない状態でした」
「ですから、同時に、当たらなくても、仕方がないと、いう部分は、あったと思います」
「二頭、同時に、当たって、くれれば、確実に、生き延びるけど、両方、外せば、絶対に助からない」
「こういうのは、すこしばかり、賭け、ですね」
「結果は、一頭を、斬り捨てて、もう一頭は、手傷を、負いながら、も、逃走」
「それで、私の命は、継った。少しばかり、運が良かった、部分は、あります、が、偶然だった、とは思いません」
たどたどしい喋り方。喉を潤す為に、一度紅茶を飲んだ。
「結果としては、最高の、結果では、ありませんが、悪い結果でも、ありません」
「良い結果だった、と言えます。私は、大きな怪我を、負う事もなく、その場を、切り抜けて、様々な教訓も、得ました」
「それに、二頭、同時に斬り捨てて、あの場を、切り抜けていたら、それはそれで、その後が、違ったと思います」
「ふむ、どのように?」
「あの時には、まだ、大きい方の、剣はなくて、短い剣で、戦ったんです」
オセダールの目が見開かれた。
「なんと」
「あの時に、それまでに、出せた事の、なかった、剣の速度が、出せました」
「そして、それでも、二頭同時に、倒す事は、出来ませんでした。僅かに、速度は、足りていなかった、のでしょう」
「貴重な経験、でしたし、教訓を得た、のです」
「それから、私は、剣の速度を、更に出す事を、意識した、練習を始めました」
「下手に、あの二頭に、楽に勝っていたら、そういう考えには、行かなかったでしょう」
「慢心、とまでは、言いませんが、今より、もっとずっと、低い腕前で、強い魔獣と、遭遇して、命を落とした、かもしれません」
オセダールはそれを聞いて、何度も頷いて、納得したような顔をした。
「なるほど、なるほど。山下様が全幅の信頼を置いておられる小鳥遊様と同じくらい、ヴィンセントお嬢様にも信頼を置いておられる。その理由がはっきりといたしました」
喋り方が、それでも、だいぶましにはなってきた。
私は紅茶と一緒に、お菓子を食べていた。
「このお菓子は、美味しゅうございますね」
オセダールに笑顔を返す。
オセダールも笑顔だった。
……
オセダールは思った。
この少女をこの街の北部の汚い商会のくだらない戦いに巻き込む事はこれ以上、有ってはならない。
スルルーの、あの妾のばか息子を商会がきちんと手綱を付けられなかったから、あんな事になったのだ。
一度ならず、二度も逮捕されれば、だれも庇えんくらいの事は判りそうなものだ。
冒険者ギルドは、外回りの魔獣討伐隊が忙しく、あのばか息子の護衛任務も頼めなかった訳だ。
人探し依頼で、捕まえさせて来るというのは大いにあり得たが。
結局、外の街から傭兵や暗殺者を引っ張って来たのだろう。
彼らはその頼んだ手勢で、お嬢様の住んでいる所を探らせて、そこに向かわせるつもりだったかもしれない。
それを今日、お嬢様が幾つかは潰してしまった訳だ。
あるいは、殆ど潰してしまったかもしれないが。
街は葬儀もあって暫くは普段以上に忙しい事になり、そこを相手が突いてくるかもしれない。
ベルベラディのほうに頼んでおいた手勢が来るまでは、お嬢様を屋敷の外、特に北の街区に出す訳には行かない。
……
「お嬢様、よくお聞き下さい」
改まった言葉でオセダールが私に話しかけてきた。
「お嬢様は、暫く、暫くの間、この宿の中に留まり下さい」
「え? もしかして、私が、やった事で、オセダール様に、迷惑が、掛かるようなら、直ちに、私はこの町を、出なくてはいけません」
「お嬢様。この南の街区で、彼らに好きなようにはさせません。ですが、こちらの応援が来るまで暫くかかるので御座います」
「それまでの間で結構ですから、退屈かもしれませんが、どうか宿の中から出ないで戴けないでしょうか?」
……これは、オセダールが何か、やらかすのだな。たぶん。
「オセダール様の、たっての、お願いを、どうして無碍に、断れましょうか。判りました。私は暫く、宿の中に、居る事と、いたします」
「ああ、良かった。それが宜しゅう御座います」
「それと、僭越ながら、お嬢様には些か大きいかもしれませんが、替えの服を用意いたしまして御座います。あとでお部屋に届けさせましょう」
だいぶ汚れているから、宿の主人は気にしているのだな。
街の中では、何度か転がったりしたからな。最後は地べたでの関節技だったしな。
「ありがとうございます」
私がそう言うと、オセダールはふっと微笑した。
この、品のいい主人にだいぶ迷惑を掛けている気がしないでもない。
中庭は、そこそこ広い庭園になっていて、手入れが行き届いている。
各種の植物が植えられ、真ん中にはちょっとした広さがあり、その脇に小さな屋根の東屋があった。ここからはそれがいい角度で見えるように配置されている。
このラウンジの窓は大きな一枚硝子で出来ていて、外の中庭が見える。
これだけで、相当な贅沢品だろう事は間違いない。村にあった窓は全て色がついた小さい硝子のパッチワークだった事を考えれば、この透明な硝子の大きな一枚窓というのが、途方も無い価値だろうという事は分かる。
これは、大きな工房でなければ、造る事が出来ないだろう。
暫くの間、外の中庭を眺めながら紅茶を飲み、昼食は、ここでそのまま簡単な軽食で済ませる事となった。
パンのような食事を食べて、まったりと過ごしていると、真司さんたちが帰ってくる。
「ただいま戻りました」
真司さんがそういい、千晶さんが丁寧にお辞儀した。
メイドたちが出迎えて、こちらに連れてきたようだ。
「オセダール殿、只今戻りました」
「これは、これは、お疲れ様でした」
オセダールが立って挨拶に応じた。
「マリー、ただいま。朝から何処に行っていたんだい?」
やはり、聞かれるよな。
「おかえりなさい。今日は、町の外に、狩りに」
そう言って、ポーチの中の牙や角を見せる。
「濃紺の魔犬です。以前、私は、スッファの街の、西にある、橋の所に、行った事があって、そこで、濃紺の犬と、出会ったのです」
「ポロクワ街に行った時に売った牙ね?」
千晶さんが言う。
「そうです」
「何頭倒したんだい?」
真司さんが訊いてきた。
「その時は、一頭だけです。残りの、二頭は、逃げて行きました」
「その濃紺の魔犬の名前はイグステラと言うんだ」
と真司さん。
「マリー、その相手は角が光ると電撃が出るのよ。当たれば只では済まないわ」
そう言って千晶さんが心配そうな顔をした。
森の中で、それは見た……。暗殺者が一撃で倒れた。一応喉を突いてとどめを刺しておいたが、あの魔犬が出したのは強烈な電撃だった。
あれでは多分即死だったのだろう。
「判りました」
「で、今日は何頭だったんだ?」
「あの、四頭、いたんです」
そう言うと真司さんの顔色が変わった。
「良く無事だったな」
真司さんが真顔だった。
「無茶よ、マリー。あなたがいくら魔獣狩りは得意だと言っても、四頭から電撃が来たら躱せないわよ」
千晶さんが心配そうに言う。
「すみません」
「いや、無事ならいいさ。ただ、俺たちの仕事には、どんな時でも生き残るという事も入ってるという事だけは、忘れないでくれ」
真面目な顔で真司さんが、上から私の顔を覗き込むように喋った。
「はい。今回の、ステンベレの、惨劇は、それが、出来なかった人が、大勢いて、前衛全滅、ですものね」
私がそう言うと、二人共、頷いていた。
「それにしても、マリーが斃したイグステラなんだが、キッファの街でもだいぶ大きな問題になっていてさ、近々街道の大掃除をやる予定だったんだ」
「その話でこの前から、キッファやスッファの街に話を聞きに行ってたんだが、スッファの街の前衛が壊滅となっては、それどころじゃなくなった」
「キッファの街の周辺は魔獣も結構出る場所だ。余裕はとてもじゃないが、無いだろう」
「そうなりますと、監査官様がキッファとベルベラディから補充するという話は、無理が出てきますな」
オセダールが考え込むように言った。
「西の都市のリエンタは、西端の鉱山街を抱えているから、とてもじゃないがこっちにまで回せる余力はないだろう」
「そして、キッファから西のアウルとハマヌの村までの間も魔獣地帯だ」
「戦力の補充は、第三王都のアスマーラからの応援となるかもしれませんな、山下様」
オセダールが言った。
「キッファの街も、魔獣狩りで余裕がなくなり、リエンタは鉱山で手がいっぱい。ベルベラディから来るのは確実として、キッファから人を出していたらキッファの人手が足りなくなる。第三王都に常駐する冒険者ギルドの精鋭を回してもらえるのかどうか」
真司さんは考え込んでいた。
「そうなると、暫く家に帰れなさそうだぞ、千晶」
「マリーにも動いて貰う必要があるんだ」
真司さんが私の方を見下ろしていた。
「えっ。はい。どんな事でも」
私は、慌てて上を向いて答えた。
「マリーはこちらの方じゃなくて、トドマの方をやって貰いたいんだ。まず、ギルドには優先任務先という規則が有るんだ」
「これは、昨日の、監査官様の、仰っていた、事ですか」
私は昨日のディナーの後の会話を思い出した。
「そう。ギルドで魔獣刈りに行ける階級の者は、登録した支部での任務を優先するんだ。そうしないと、ギルドの方では戦力の確保の見通しが立てられなくなってしまう。采配もだが。それでこの規則があるんだ」
「まあ、俺たちはスッファ街の監査官から直々のお願いが出ている以上、こっちを優先するしかない。これについてはトドマ支部の方にすぐに連絡が行く筈だ」
「鉄階級以下の人たちにはこれが適用されてないの。道路工事とか補修とか、水路の補修工事とかは、王国の監督官から仕事が出て、そういう階級の人たちに割り振られるの」
千晶さんが説明してくれた。
「まあ、マリーは全部すっ飛ばしてるから、そこは見て無いがそういう風になってるというのは知っておいたほうがいい」
この件については、真司さんが、全部すっ飛ばさせたんだが。
「それで、トドマの方の任務は、本来はあの支部の北側に鉱山が有ってそこの護衛任務が最優先なんだ」
「だが今は専任が二人居るそうだ。その二名を中心に交代要員も入れて、回しているらしい」
「だから、鉱山周辺の炭窯工房とか鍛冶工房や魚醤工房付近に魔獣が出た時の駆逐。あとはエイル村の北からトドマ支部の間にある森に出た魔獣刈りだな。これをマリーにやって貰いたい」
「新人研修が、なければ」
と私が言ったら、二人共笑い出した。
「まあ、それはある程度は仕方ないんだ。育てるのも役目さ。いずれにしてもすぐは動けないな。ここでの式典が全部終わらないと」
「そうですね」
私がそう言うと、他の三人共、頷いた。
「取り敢えず、この街の葬儀が落ち着くまでは、動けないでしょう。その間は、私が責任を持って、三人様のお世話をいたします」
オセダールが言った。
つづく
真司の話によれば、街道の大掃除の予定があったのが、大幅に予定が狂ったのだという。
そしてマリーネにはトドマのほうを頼まれるのだが、まだここから動くことが出来ない。
次回 宿の中庭にて
マリーネこと大谷は自分の剣を少し点検することに。