表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/306

057 第11章 森を抜けて町へ 11ー3 ロゼッタストーン

 ただの偶然など存在はしない。大谷の因果は廻る。

 そして、大谷は自分が不思議な運命に突き動かされている事を知るのだった。 

 57話 第11章 森を抜けて町へ


 11ー3 ロゼッタストーン

 

 目を覚ました。私はまた死んだのだろうか。

 いや、天井がある。ぼんやりとしか見えない視界の先に天井が見えている。

 あの時の天界はやや薄明るく、天井も壁もなかった。

 

 「ここは……どこ」

 「私は……どうなった?」

 つい声が出てしまった。まるで(しわが)れて自分の声とは思えなかった。

 ……

 息を呑む気配があった。そしてバタバタと駆け出していく音。

 

 「真ちゃん、どこ? 早く来て!」

 女性の声。ハッとした。日本語だ……。ここは日本なのか?

 

 「どうした、千晶」

 「あの子が、あの子が」


 動転したような声だな……。


 「千晶、どうしたんだ?」

 「助けたあの子が気がついたの」

 「お、助けたあの子か、それで何を慌てているんだ」

 「あの子、日本語を喋ったのよ!」

 「何だって! まさか」

 「すぐきて」

 「判った。すぐ行く」


 どうやら私の事らしい。


 イケメンな若い男が入ってくる。とはいっても、歳は二〇台後半から三〇くらいか。

 なんだろう、奇妙な既視感(デジャブー)がある……。

 

 

 「気がついたかい?」

 真ちゃんと呼ばれていた男が横にやってきて日本語でマリーネに聞いた。

 

 「どうして、……あなたたちは日本語を?」

 酷く嗄れた声でそれだけ言うのがやっとだった。

 

 「それを聞きたいのは俺たちなんだが」

 「真ちゃん、この子、転移者なんじゃないの?」

 千晶と呼ばれた女性は、マリーネの顔を見ていた。


 ……


 お腹がぐぅーーーーキュルキュルキュルと大きな音を立てた。

 びっくり顔の両名。そしていきなり千晶がクスクス笑い始めた。

 

 「何か作ってやってくれないか?」

 と真司。

 「えぇ、もちろん」

 そう言うと千晶はパタパタと奥へ早足で行ってしまった。


 「さてと」

 真司は、椅子を引いてベッドの脇において座った。


 「名前はなんて言うんだい?」

 「マリーネと言います。マリーネ・ヴィンセントです」

 さらに酷い嗄れ声。

 

 「マリーネさんか。おっと、尋ねる時は自分から名乗らないとな。おれは山下真司。真司と呼んでくれ。さっきの女性が小鳥遊(たかなし)千晶だ。彼女の事は千晶と呼んでやってくれ」

 「あなたたちは、日本人なんですか?」

 「まあ、そういう事だな。色々と事情があってね……」

 

 こういう時は、深くは聞かないのが大人の礼儀というものだ。喋るつもりがあるのなら、彼らの方から喋ってくれるはずだ。

 

 「私は日本語が喋れるという事しか分かりません」

 私は事情をほぼ全て隠した。

  

 真司はずっと私の方を見ていたが、それから窓の方に視線を向けた。

 「つまり、転生したのか転移したのかすら判らないが、元は日本人だったという事だね」

 「たぶん……」


 ……

 ……


 少し間があった。

 

 彼は考え込むような表情だった。

 「とても珍しい話なんじゃないのかな」

 「そもそも、誰かに呼ばれて転移して来たのなら、姿が日本人のはずなのだがなぁ」

 

 この体は神様たちが、どこからか用意した上に(いじ)ったものだ。

 私の元の体はあの事故で、たぶん火葬場に送られて骨になっている事だろう。

 

 「誰かに呼ばれたのかすら、私には分かりません……」


 私を見て、また窓の外を見た。

 真司は再び考え込む表情だった。

 

 ……

  

 程なくして、千晶と呼ばれていた女性が、何かの料理を持ってきた。

 すごくいい匂いだ。

 

 「私をどうして助けてくれたんですか? 面倒事を背負いかねないのに」

 私は酷い嗄れ声で、そういった。

 

 千晶は、やや深めの皿に、なにかトロッとした、野菜を煮たようなスープをよそった。

 スプーンを添えて、私の前に出した小さな木製のトレイの上においた。

 

 「その日にね、私は薬草を集めていたの。真司さんは私の護衛よね。

 普段なら、魔物もそこそこ出るから、あんまり奥までは行けないのだけど……。

 あの日は、そう、何故か魔物が出なくてどんどん採集が進んだのよ」

 

  私は、そのスプーンを取って一口食べた。

 

 「普段なら、あそこまでは行かないのよね」

 と千晶。

 

 「ああ、あのへんは結構魔物が出るんだ。だが、あの日はそういう事がなかった」

 真司は頷いた。

 「本当に不思議な日だった」

 

 何故、彼らは、私のリュックの魔気を感じ取らなかったのだろう……。

 そういえば。町の人たちも、そうだ……。魔物や動物たちは感じ取れるのに、人は感じないのか……。

 まあ、あのおばばは、人では無いから例外だ。おばば自体が魔族なのだろうか。

 

 「そうしたら、あの川のすぐ近くで、ものすごい大きいリュックが見えたの。剣がついた大きいリュック」

 千晶が鍋のスープを見ながら話す。

 「どうして、こんな所に。そう思って近づいたら、リュックの下敷きになるように、あなたが居た。

 慌てて起こしたけど、意識がなくてね。かろうじて息はしてたけど」


 私はもう一口、スプーンを口に運ぶ。

 味わい深いスープだった。

 

 「そのあなたの顔。目の色は茶褐色だから日本人だけど、瞳孔が違うのよ」

 そう言って私の顔を見た。

 「そもそも、虹彩の中心の瞳孔の色が左右で違うのよ? 右が薄っすらと赤で、もう片方の左が薄っすらと緑。普通じゃないわね」

 「……そして髪の毛も黒くはないかな」

 千晶はふっと窓の外を見た。

 「でも、その時に私の亡くなった妹の顔が何故か浮かんだのよ」

 「それで、治癒術であなたの体力を底上げして、家に連れ帰ったわ」

 千晶はニコリとした。

 

 「そう……だったんですか……」

 瞳の中心の色が違うなんて、気が付かなかった。

 ごく普通に見えているのに、そうなる事があるのか。

 

 「君のあのリュックか? 物凄く重いぞ。何が入ってるんだ。よくあんな物を背負えるな」

 そう、真司は言った。

 

 「……大事なものがいっぱい入っています。リュック、ありますか?」

 

 「ああ、剣も一緒に運んでおいた」

 

 「よかった……」

  

 「あなたね、本当にあの場所で倒れていて魔物にも野獣にも襲われていないなんて、奇蹟なのよ? わかる?」

 「あなたには特別に神の加護でもあるのかもしれないわね」

 そう彼女は言ってカーテンを半分閉じた。

 外は相変わらず、いい天気で日が差し込んでいた。

 

 「体力の回復治癒術を掛けても、あなたは一九日間も眠っていたから、もう起きないのかもしれないと思ったけど、気がついてよかったわ」

 彼女が微笑む。

 その優しい美人顔が眩しすぎた。

 

 「ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げる。


 私はまた一口、スープを口に含む。優しい味だった。

 

 ……

 

 一九日……。そんなにもベッドで寝込んでいたのか。

 そして何日倒れていたか分からないが、その間に魔獣も野獣も来なかったのは魔石だ。

 魔石が私を守ったんだ……。

 おばばが言った。

 ()()()()()()()()()()()()()()、と……。

 

 そして、この二人は転移者だ。あの時の。

 あの湯沢へ行くバスの後ろにいた二人だ。

 この真司という若い男性の顔。強い既視感を感じていたが。

 あのイケメンと美女のカップルだ。見覚えがある。間違い無く。


 そもそも時間切れで転移させられた先が、まさか、また同じ異世界って事があるのだろうか……。


 これはただの偶然の一致なんだろうか……。

 

 どういう巡り合わせなのか。

 

 あの時、この真司という男は私の事を全く知らない人物だと言って、あの極めて(いや)らしい捻じくれた、やや狂気じみた顔のじじいの王様と何かを話し、私は衛兵に掴まれたまま、牢屋に放り込まれ、あの城の牢屋で長い拷問の末、死んだ……。

 

 再度の転移でも、話す事が出来なかった。

 そして、どうしようもなく彷徨(さまよ)った。そして行き倒れた……。

 

 そこに偶然にも彼らが現れて、今度は私の命を救った。

 その巡り合わせで私は生かされたのだ。たぶん。たぶん……。

 

 運命はまだ、死ぬなと言っている……。私はまだ生きている……。

 

 きっとこれには何かの意味が有るんだ……。

 きっとそうだ。無意味なもの、無意味な事象など存在しない……。


 その時には全く分からなくても。

 

 そう、物事には理由がある。それはどんな物にも、だ。

 

 …………


 スープはとても優しい深い味わいだった。もう暫くの間、口にした事のない味がしていた。

 自然と涙が滲み出た。

 

 「え、どうしたの? 口にあわなかったの? それともまだどこか痛い?」

 慌てて千晶が聞いてくる。

 「そんな事、ないです……。あまりに美味しくて、懐かしくて」

 優しいスープのお陰でどうにか声が出る様になった。


 二人は顔を見合わせていた。

   

 「随分食べてなかったみたいだし、お腹に優しいものじゃないと胃がびっくりするから、スープにしたんだけど」

 

 「とても美味しかったです」

 スプーンを皿に置く。

 私は手を合わせる。

 「ごちそうさまでした」

 軽くペコリとお辞儀。

 いつもの食事への感謝だ。

 

 いきなり二人が笑い始めた。

 「これは、もう、間違い無いね、この子は日本人だ」

 「そうよね。私もこっちの世界に来て、食後に合掌する人を初めて見たわ」

 「だよな」

 

 「あ、あの。可笑(おか)しかったですか? いつもの食事への感謝なのですけど」

 「いえ、いいのよ。それはとても大事な事よ」

 千晶の笑顔はどこまでも優しかった。

 

 …………

 

 

 暫くの間、ベッドで食べては寝る。そういう日々が続く。

 排泄すら、連れて行ってもらわないと自分では立てない。

 体を起こす事くらいしか出来ない。

 

 「無理するなよ」

 そう、真司さんは言うが、このままではただの無駄飯食いのお邪魔虫だ。

 何とかしたいが、立つ事すら覚束ない。

  

 限界を超えてしまった体が回復するにはかなりの時間がかかった。

 体の優遇が並外れている分、使い切ってしまった反動は大きく、暫くまともに動く事すら出来ず、苦労した。

 

 

 落ち着いて会話が出来るようになったある日の事である。

 

 真司さんたちの元に村人がやってきて外で何か、会話をしていた。窓越しに彼らの会話風景が見え、理解出来無い言葉が交わされていた。

 彼らは転移者の優遇で、ここの言葉が当然喋れる。千晶さんも加わり村人と談笑している。


 私も喋りたい。彼らに言葉を習いたい。私にはここの言葉が無いんだ。


 彼らが家に入り、私の様子を見に来た。

 私は無理にでも体を動かしてベッドから降りた。

 「どうしたの? マリーネちゃん。無理しちゃだめじゃない」

 千晶は怪訝(けげん)な顔をした。

 

 よろよろする足では歩く事もできず、その場にペタリと座り込んだ。

 

 「私は、まったく喋れないんです。文字も読めません。どうか、ここの言葉を……教えてくだい……なんでもします……お願いします……」

 

 土下座で頼むしかなかった。

 

 ああ、あの老婆は言った。

 私が本当に知らなければならない事があるのなら、それは向こうからやってくると。

 そう、私は知りたかった。もう本当に切実に知りたかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この異世界の……。

 

 あの老婆の、あの禅問答のような言葉。

 この事だったのか。この事だったのか……。

 

 一気に涙が溢れ出た。堪える事が出来ない……。

 流れ出た涙が止まらない。

 頬を伝った涙が零れ落ち、それが床に一滴落ちた。

 

 「私にとって、あなたたちが、……私の……私の……ロゼッタストーンなの……です……」

 私は震える様な声で、そう言った……。

 

 

 ……

 

 

 二人は顔を見合わせていた……。

 

 

 ─────────

 千晶の頭の回転は早かった。

 彼女は元の世界では、とある大学の非常勤講師だったのだ。そして予備校の人気講師でもあった。

 

 千晶はロゼッタストーンが何なのか、知っていた。

 それ故に、目の前の少女が言わんとする意味をすぐに悟った。

 そして、ロゼッタストーンが何であるかを知っている、この眼の前の少女が見かけ通りではない事も察知したのだった。

 ─────────

 

 ……

 

 つづく

 

 

 ───────────────────────────

 大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ ロゼッタストーン ─


 ロゼッタストーンとは。


 エジプトのロゼッタという港湾都市で、とある古代の石が発見された。

 それは一七九九年にナポレオンがエジプトに進軍した際に発見した石である。

 そしてアラビア語でラシードという町の名がナポレオン軍の駐留以降、西洋にロゼッタという名前で知られるようになったのである。

 そして、発見された地名を付けて、ロゼッタストーンと呼ばれるようになった。


 この石は古代エジプトの王、プトレマイオス五世によりメンフィスで出された『勅命(ちょくめい)』が刻まれた石碑の一部である。


 碑文には古代エジプト語の神聖文字である、ヒエログリフ。そして民衆文字であるデモティック。そして古代ギリシャ文字の三種類の文字で刻まれていた。


 この石は黒い方が玄武岩、白いほうが花崗岩と考えられていたが、実は古代エジプトの花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)である事が分かった。

 細部においてはその記述に若干の違いはあるものの、本質的には同一文章が全部で三つの書記法によって記述されている事は早くから推測されていた。

 

 そして一八二二年、ジャン=フランソワ・シャンポリオン、物理学者のトマス・ヤングらによってこの文章は解読された。


 内容は紀元前一九六年に王がメンフィスで開催した、神官会議の議事録が記録されている事が分かっている。そして、それはそのまま『勅命』となっていた。

 

 プトレマイオス五世の妃はクレオパトラ一世。

 エジプトは既に衰退し王朝は滅亡寸前で様々な困難に直面していた時代だった。

 

 ちなみに世によく知られているクレオパトラは七世である。

 彼女がプトレマイオス王朝、最後の(ファラオ)である。紀元前三〇年、彼女の自殺死により古代エジプト文明が終焉を迎え、プトレマイオス朝の領土はローマに接収されたのだった。



 さて、石に刻まれた文章には、古代ギリシャ文字があった事によってロゼッタストーンは古代エジプトのヒエログリフを理解する大きな鍵となって、他の古代エジプト語の文書も次々と解読されて行く事となった。

 勿論、学者たちが易々解読出来た訳ではなく、完全に解読するには長い時間が必要だった。

 

 しかし、この石によって解読が一気に進んでいった事は疑う余地のない事実である。

 

 

 現在『ロゼッタストーン』という言葉は『知の新たな地平の絶対的な手がかり』を意味する極めて重要な言葉となった。

 

 

 湯沢の友人の雑学より

 ───────────────────────────

 

 マリーネがあそこで行き倒れなかったら、出会う事は無かったであろう……。

 まさかの転移者同士の出会い。そう運命の出会い。それはこの広い世界においてもはや奇蹟とも言うべき出会いだった。


 それは結果として大谷に生きろと言ったようだ。


 マリーネこと大谷は、とうとう喋れるようになる一筋の光明を見出したのだ。

 

 此処において、さらに運命の歯車はカチリと鳴った。また大きく、動いた……。

 

 次回 デモティック

 

 とうとう、あの謎の文字の正体も判明する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ